〜朱里 Side〜

平教経が益州から南蛮へ向かって兵を移動させた。南蛮征討を開始したのだ。

その確実な情報を得て、主立った将が招集された。斗詩さん、猪々子さん、張コウさん、田豊さん、審配さん、逢紀さん、郭図さん、桃香様、鈴々ちゃん、七乃さん。それに私を加えた11名が、広間に集っている。

話し合う内容は、出兵について。

何故この時機に、と問う人間は居ない。召と事を構えるならば、今この時機をおいて他にないということを皆分かっているのだろう。

召と共存し、天下を二分出来ればそれで良いと云う考え方も出来る。だが麗は召を認めない。いや、認めることが出来ない。漢の正統を受け継いだ麗に従属せず、そればかりか自ら王朝を開闢することを宣言した召とは、倶に天を戴くことは出来ない。

それは己の矜持に懸けて出来ないということもあるだろう。また、正統を主張しているにも拘わらず敵わないから異端を受け入れるというのでは二律背反すること甚だしい。だが、それらを棚に上げて従属したとしても、それをすれば麗領内の不満分子が黙って居ないだろう。

不満分子の中には、麗が漢の正統を継いだからこそ我慢しているという輩も居る。それが自ら正統を破却するが如き振る舞いをすれば、箍が外れる事は間違いない。しかも彼らが反乱する際に口にする理由には筋が通っているに違いないのだ。

共存することを考えることが即ち滅亡への第一歩となる。私達には、召と戦う以外の結論を出すことは許されない。

「出兵に反対する人間は一人も居ない事は分かって居ります。ですのでこの場では、何処に攻め掛かるかについて話をさせて頂きたいと思いますが宜しいでしょうか」

田豊さんの言葉に、各人が思っていることを発言し始める。

方針としては二つ。

孫家による統治によって急速に落ち着きを見せ始めているとはいえ、未だ万全とは言いがたい揚州を攻めると云うのが先ず一つ。こちらを支持しているのは、斗詩さん、猪々子さん、田豊さん、審配さん、逢紀さん。桃香様と鈴々ちゃんもこちらだ。恐らく麹義さんと沮授さんを徐州に派遣したことから推測したのだろう。

もう一つは、宛を衝くと見せかけて弘農を攻めると云う方針。こちらの支持者は、張コウさんと郭図さん、七乃さん。張コウさんには軍の編成を、郭図さんには糧食の備蓄を、七乃さんには宛にいる敵軍の北上を阻止する為の対策を、それぞれ任せている。それぞれ私の意図を察して弘農へ攻めると言っているのは間違いない。

私の結論は当然弘農への侵攻一択だ。それ以外の選択はあり得ない。

徐州へ麹義さんと沮授さんを遣ったのも、一旦洛陽から兵を引き抜いて再編しているのも、全て弘農から目を背けさせる為だ。目論見通り引っ掛かって呉れれば良し、そうでなくとも弘農に展開している敵軍より多数の兵を遠征に充てるつもりだ。その他を攻めるより与しやすいのは間違いない。

戦略上、弘農は重要な拠点ではない。細作に拠れば、直ぐに撤退可能な態勢を整えつつあるとのことだった。労せずして勝利をこの手に掴むことが出来そうだが、油断は禁物だ。弘農にいる賈駆は有能な軍師であるし、他にも優秀な軍師は多い。『神算鬼謀』『奇計百出』『機略縦横』『深慮遠謀』『権謀術数』。彼女達を言い表すに相応しい言辞を考えれば、自ずとその危険性が分かろうというものだ。ただ、今回の出兵にあたってはこちらが先手を取ることになる。あちらとしてはこの一手に関しては受けざるを得ない。先ず受けて、而る後に対処する。そう云う流れになる以上、初手に関しては思う通りに勝つ事は叶う。

「麗羽様、ご判断を頂きたく存じます」
「……朱里さん。貴女は最初から一度も発言をしておりませんが、何か意見があるのではありませんこと?その思う所を忌憚なく聞かせて頂きたいのですが」
「私としては弘農への侵攻しか考えておりません。状況を鑑みれば、その一手が最も勝利する可能性が高い策です」
「……徐州での備えは何であったのです?苦労して糧食を集積したのです。それを無駄にすると言うのですか?」
「弘農を攻める前までは侵攻の可能性を考慮させることでそれに備えさせることが出来ます。そして現状、そうなっております。これを無駄とは言いません。弘農へ攻めた後は寄せて来るであろう敵軍を禦ぐに籠城が可能となります。糧食に余裕を持って籠城出来ると云う点で無駄にはなりません。
今この状況で固着するのであれば備えは無駄になりかねませんが、今正に状況を変化させようという話をしているのです。状況が変化するのであれば、それがどういう状況であろうと、徐州の備えは無駄にはなりません」
「……朱里さんの意見を踏まえて、皆さんはどう思いますの?」

私の意見を受けて、皆が再び言葉を交わしながらそれぞれの考えを纏めている。方針が決定した後のことを考えると、ここでさほど時間を費やす訳にはいかない。この時間が無駄であるとまでは言わないが、貴重な時間を浪費しているだけに思える。だが、合議の結果として結論を出したという形がなければ、この後がやりにくくなる。その為には、方針を決定的にした意見を私が言うべきではない。

議論が粗方尽くされた頃、郭図さんと七乃さんを見やる。郭図さんは半眼で苛つき、七乃さんはどうでも良さそうな雰囲気を滲ませている。早く終わらせよう。そうその目が言っている。

確かに、頃合いだろう。そう思って頷いた。

「結論はもう出ている。弘農を攻めるしか途はない。何故なら、私は弘農を攻める準備しかしていないのだからな。今から準備をしていたのでは、平教経の虚を衝くことは出来ない。確実に先手を取ることが出来ると分かっている戦で重要なのは、拙速さだ。時間を掛ければ対策を立てられかねないし、どちらを攻めても違いがないというのであれば、戦う事を前提に準備が為されてきた弘農方面で戦を為すべきだ。
勝ち易きに勝つべくして勝つ。これが最上の策であろう。『天下を統一する為に今この時点で平家と戦をする』という決断自体は博打のような物だが、だからといって戦の仕方まで博打を打つことはない。
『一歩ずつ着実に、確実な要素を積み上げて博打に臨む』。
矛盾している様だが、これは戦の要諦を良く表せていると思う。この逆説が理解出来ぬ卿らでもあるまい」

郭図さんの言葉に、田豊さんが考え込んだ。揚州攻めと弘農攻め。どちらがより確実だと言えるのか、今まで得た情報を整理して見ようというのだろう。

「私も弘農を攻めるしかないと思いますね〜。軍を洛陽から引き抜いたのは、弘農を攻めることを前提にしているからですよね〜?これが徐州から揚州を攻めるという話になれば、平家の逆撃は洛陽に対して行われる事になるんですよ〜。
洛陽は戦略的に重要な拠点ですよ?洛陽がこちらの手中にあれば、あちらは函谷関と宛に兵力を分散して禦がねばなりません。洛陽が陥落して平家の物になれば、陳留に掛かる圧力は今の二倍と云うことになりますね〜♪
洛陽を手薄にすると、力を集中させることが出来る状況を作り出す良い機会だとあちらは考えるのではないですか〜?」

七乃さんの意見。これに対してはそういう状況になった時にどう対処出来るか、そしてその実現性が高いことを明らかにすることでその意見を押さえることが出来るが、皆彼女の言が剴切であるかどうかを判断しようとしているようだ。七乃さんの意見は、誰がどう考えても正しい。その正しさを覆す事は出来ない。剴切であるか否かで全てを決しようと云うのであれば、弘農攻めの主張を押し止めることは出来ないだろう。

結局この郭図さんと七乃さんの意見が決め手となって弘農を攻める事が決定された。

弘農攻めの大将は私。
配下に、張コウさん、郭図さん、田予さん、李孚さん。
率いる兵は6万。
後詰めとして審配さんが1万を率いて参加する。

弘農に展開している平家軍は3万強でしかない。長安の守備に就いている物を併せると5万を超えるが、6万には届かないだろう。今回の目的は長安を落とす事ではなく、函谷関手前までを全て袁家の支配下に置くことだ。兵は7万で十分足りる。

それぞれ遠征の準備をするように、との指示を最後に宮中を後にした。





出兵の準備が整い、閲兵式の後に出立する段取りを整えていると、今までのことがまるで走馬燈の様に思い起こされた。苦く、決して忘れ得ぬ想い出もあるが、軍師として充実した日々を過ごしてきたと言って良いだろう。

思えば志を定めて故郷を旅立ってから、本当に様々な事があった。

桃香様との出会い。
―――純粋に、この人を主として乱世を終わらせたいと願った。

反董卓連合。
―――平教経の手強さを実感し、そして私の夢が死んでしまった。

公孫賛討伐。
―――討伐したつもりだった。だが彼女は生き延びて、雛里ちゃんを従えて復讐の機会を狙っている。

雛里ちゃんの出奔。
―――己を信頼してくれぬ主君に愛想を尽かした。当たり前のことだと思う。

徐州への左遷。
―――全てが虚しく感じられた。だがこれで色々と気持ちの整理が出来たから今の私がある。

官渡大戦での勝利。
―――私の器量一つで戦に勝てる。それが確認出来たことが一番の収穫だった。

曹操討伐の失敗と揚州侵攻時期の見誤りによる失態。
―――平教経は私の予測を超えることを行う事を思い知らされた。だが次は覆轍は踏まない。

長い道のりだったが、あと僅かで乱世が終わる処まで来ている。

漸く此処まで漕ぎ着けた。それが偽らざる実感だった。主君に戴くつもりだった人に自主独立の道を拒絶され、共に歩むつもりだった親友とは道を違えた。気付けば、私は一人で歩みを進めていた。孤独な道だった。当初は辛くて涙を流したこともあった気がするが、それももう遠い昔のことの様に感じる。

こうなったことについて、誰を恨むつもりもない。現状は、私自身の選択と行動によって、私が創り出したものだから。

だから、今回も私自身の選択と行動によって道を切り開いてみせる。

この戦に勝ち、更に次の戦で平教経と直接干戈を交え、これを戦場で討ち取る。戦の勝敗自体は問う所ではない。例え戦に負け、軍が散り散りになってしまったとしても、私が生き残りかつ平教経を死んでいれば私の勝ちだ。それで私は時代を創る資格を得ることが出来る。私が想う理想を、私が実現したい世の中を創り出す事が出来る。

私の命を救ってくれた桃香様の理想の世の中を。

其れを顕現させる為だけに、今私は此処で生きているのだから。















〜郭図 Side〜

弘農侵攻が決定され、軍と共にギョウを出立した。目的は弘農侵攻。出来得ればその過程で平家軍に大きな損害を与えておきたいものだが、さて上手く行くだろうか。

兵の練度が低い為、準備にかなりもたつくだろうと思って居たが、どうやら張コウが前以て準備を進めていたらしく、さほど混乱することもなく閲兵式を終える事が出来た。練度は今ひとつだが、新兵に比べれば遙かにマシだ。兵の一人を掴まえて聞いた所に拠れば、鮮卑や匈奴相手の戦に最低1度は参加したことがある人間が集められているらしい。初陣で死なないだけの才覚があった人間ではある、という程度だが、新兵を引き連れていくことにならないだけ恵まれていると思っておこう。

ギョウを出立した我が軍は黎陽を経由して陳留へ軍を集結させ、許を掠める様に進んで宛を攻めると見せかけて、途中で一気に転進して司隷州へ侵攻した。そのまま平家が北上しないように宛へ圧力を掛ける為に許へ向かったのは、劉備、張飛、張勲の外様に、それらを監視するべく遣わされた顔良に逢紀の5名。あちらが禦いでいる内に弘農から平家を駆逐しなければならない。

その為には手段なぞ選んでいられない。そもそも彼我の関係は、あちらが強者でこちらが弱者なのだ。弱者が強者に対抗するに、強者と同じ土俵で戦うなど愚の骨頂ではないか。弱者には弱者なりの戦い方というものが有る。あちらの弱みを攻めることに徹底しなければ勝ちの目は見えてこない。

平家の弱みとは此即ち民の風評であろう。平家は民の為の政を為す。乱世を終わらせ奴らが顕現させる世の中は、凡ての人間が平凡な人生を送れる世の中であり、生きていくのに他人の命という犠牲を必要としないで済む世の中なのだそうだ。その立派な題目を掲げ、今のところ民を斬り捨てる様な真似をしたことがないからこそ、民達は漢の正統から外れる『召』を認めているのだ。

では、もし平家が民を見捨てるような真似をしたらどうなるだろうか。

急転直下、掌を返す様に変化がもたらされることはないだろうが、見捨てた事実は澱の様に民の心に溜まる。そうなった時、余程上手くやらなければならないだろうが、民に平家と袁家とを天秤に掛けさせることが出来るようになる。

『平家も所詮程度の差があるだけで袁家とやっていることは違わない』。

そう想わせることが出来れば、それぞれが主張する、それぞれの王朝の正統性と云うものをどう判断していくかが、どちらの側に立つかを決める一つの基準になり得る。その時、袁家が漢の正統を受け継いだ家である事が大きな意味を持つことだろう。






今のところ侵攻は順調だ。進軍を阻害するものはない。洛陽入城後、直ぐに集めさせてあった平家の情報を検めると、既に撤退を開始しているとのことだった。流石に行動が早い。凡百の指揮官ではこうはいかないだろう。だが、今回は向かい合う相手が悪かった。私が相手でなければ思惑通りに撤退出来たであろうが、私はそう易々と撤退を許すつもりはない。

洛陽に仮に用意された居室に田予と孔明を迎えて、現状把握と今後の展望について語り合う。ここで私の企謀を披歴するつもりだが、孔明は賛同するだろうか。

「田予、状況はどうなっている」
「順調です。既に新安の顔役数名から、委細承知した旨返書を受け取っております。もし平家軍が新安の民衆を見捨てぬと言うのであれば、あちらの撤退は遅々として進まないでしょう。」
「そうか」
「……貴方達は何の話をしているのです?」
「新安について、事前に調略を行っていたのは知っているだろう?その際にこちらに色好い返答をしていた愚物共を利用し、平家軍の撤退を手間取らせることに成功しそうだ、という話だ」
「それだけでは何のことか分かりませんが」
「平家軍撤退時にその足を引っ張って泥沼に引き摺り込め、と言ってある。要するに時間を掛けて移動しろと云うことだ。此で平家軍に追いつき、強かに損害を与える事が出来るだろう」
「民を置いて先に撤退した場合はそうは行かないでしょう」
「そう簡単には行かせぬよ。何せこれから我らはその逃げ遅れている民達を撃殺する為に軍を進めようというのだからな。其れを放置すれば平家の名声は墜ちる。結局この乱世に数多あった諸勢力と変わりがないという風評は、奴らにとっては中々に痛かろう」
「……それでも放置して撤退する可能性はありますね」
「それならば撃殺してやるだけだ。平家が見捨てたが為に多くの命が奪われた。その事実を広く喧伝する為に、敢えて幾人かは生かしておく必要が在るだろうが、それ以外には平家を貶める為に役立って貰おうではないか。所詮袁家を嫌って逃げ出す様な民なのだ。幾人死んだ所で我らの懐が痛む訳ではないし、こんな事は乱世にあってはごくありふれたことに過ぎん」
「馬鹿なことを」
「……馬鹿だと?」
「そうです。それ以外に表現しようがないではありませんか。敵を討つ過程で『意図せず』策に巻き込まれて『民が死んでしまう』ことは、確かに痛ましいことではありますが、貴方が言った通り乱世にあっては決して珍しくはありません。しかし、『民を殺す事を前提として』策を立てた上で『民を殺す』。これは認められることではありません。
国の基は民なのです。その必要がない時に無道に踏みにじる様な真似をするべきではありません。己が躰を支えている足を食んでいる様なもので、輿望を失い、いずれ国勢は衰頽することになるでしょう」
「結果が全てに優先されるべきこの時に、過程を問うてどうするつもりだ?これを行えば奴らが撤退しようと護らんとしようと、いずれにしても袁家は実利を得ることが出来るではないか」
「勝敗だけを考えれば確かにその通りかもしれません。ですが、天下を経略しようという者はそれでは駄目です。無駄なこと、遠回りと言えることは、その言葉のままの価値しか有さないわけではありません。
何かを決断する際に考慮すべきなのは、得ることが出来る利益についてではなく、結果として失うことになるものについてであるべきです。得た結果失うものを充当する手立てがないのであれば、失うことの害は大きいと言って良いでしょう。その場合は得る利益が多かろうとも、その選択をすべきではないのです。
今貴方は眼前の実利を獲る事に執心しており、先の困難に想いを馳せることが出来ていません。良い風評というものはそれなりにしか力を有しませんが、悪評は袁家が蓄えてきた力を容易に削ぐでしょう。今民を撃殺するような真似をすれば、袁家に心を寄せている者達が離れて行ってしまう。その結果袁家は迎えることが出来るはずの回天の秋を掴み損ねることになりかねません」
「私は何も無差別に民を虐殺させろと言っている訳ではない。平家に付き随いたいと願い、袁家を嫌忌する輩を撃殺すると言っているだけだ。奴らには選択の余地があったはずだ。これが平家が無理矢理に徴発して同道させているというのであれば、天下は袁家の非を鳴らして止まぬであろう。だがこの度は違う。奴らは自ら望んで袁家を捨てて平家に付き随うことを選んだのだ。平家と共に生きると云うことは、平家と共に死ぬと云うことでもある。そのあたりを己の都合に合わせて取捨選択することは許されるべきことではないだろう。
大体、貴様の言うことは破綻している。策が成った場合と成らなかった場合を、混同して話をしてしまっていることに気付いて居ないのか?
良く考えよ。策が成った場合、つまり平家が民を守るために兵を展開していた場合は、民を撃殺するとしてもその数は民の全てではありえない。平家を駆逐し、その過程で民が巻き込まれたのだ、と強弁出来る程度の損害で済むだろう。袁家に心を寄せる者達を失望させる程の民を殺すことはありえない。
逆に策が成らなかった場合、つまりは民の悉くを撃殺した場合は、我らは平家の民として生きて行くことを選択した民を撃殺したのだ、という一貫した主張を述べておれば世論を少なくとも二つに割ることは出来る。その多寡は知らぬがな。だが少なくとも、全く理解の届かぬ話ではあるまい。何か言われたとしても、貴様の正義と我の正義とは違うのだ、の一言で表現できる程度のものでしかない。
失うものについて考えよと言ったが、我らに失うものがあるということは大いに理解出来るしそれが確かであることは認める。が、その我らよりも遥かに多くのものを平家は失うことになるではないか。奴らが掲げる題目が欺瞞に過ぎず、その実像はやはりその他の有象無象と同じく最終的には我が身を優先させるのだと示すことになる。我らと平家とを比較した結果、どちらもそう大した変りがないというのであれば、袁家に心を寄せている者達は今まで通り袁家に心を寄せ続けるだろうし、平家に心を寄せている者達は理想が欺瞞であったことを憎んで心離れする者が多く出て来よう。これを利用すれば回天の秋を容易く掴むことも叶う。何を憂えることがあるのか」
「……それでも、私は認められません。策を為した結果として民を切り捨てることになるのと、民を切り捨てることを前提に策を為すこととは同じようで全く異なります。私はその策を認めることは出来ません」

その余りの物分かりの悪さに思わず舌打ちをしたくなったが、それを堪えて殊勝な態度で頭を下げておく。この軍の主将は孔明だ。戦端を開く前に軍の一体感が損なわれるような発言は慎むべきだ。そうでなければ、平家に付け入られることになるかも知れない。この段階に至ってこれから調略ということは考えられぬが、万が一と云うこともある。用心するに越したことはない。

頭を下げた私の殊勝な態度に満足したのか、孔明は念を押すことなく居室を立ち去った。洛陽に進駐したばかりで、報告を受けることは山積している。ここで私に掛かり切りになっている暇などないのだろう。

孔明は『認めない』と言った。それは要するに、この策が有効であることは認めているが自分はそれを行わない、という意味だ。そして私に、それを為さないように、とは言わなかった。それをせぬように念を押さなかったのではなく、為すなと言わなかった。

仕方があるまい。
自らそれを行いたくないのであれば、私がそれを為してやろうではないか。

田予が私の大人しい態度を訝しんで目を覗き込んでくる。功を為さんと用意してきたその準備が、すべて水泡に帰することになったのか。それを確認しようというのだろう。その田予を安心させる為に私は微笑んで頷いてやったのだった。