～教経 Side～
ダンクーガと鄧忠を引き連れて陣屋に入る。
そこには捕らえた“ミケ”と同じような格好をした少女が三人居た。俺がやってきたことに気が付いてこちらを観察しているようだ。中央の少女がやや前に立っており、その左右に二人が控えているという形。中央が孟獲、その後ろが護衛なのだろう。
やって来たのが孟獲本人に間違いないことは、かつて稟が南蛮へ遣った使者に確かめさせてある。念の為に確認しておくべき、という華琳の意見に、稟も司馬懿も強く同意した為そうした。三人が心配したというのがそうした理由だが、皆心配しすぎだと思うがねぇ。殺しに来るなら本人であろうとそうでなかろうと返り討ちにするだけだろうに。そう言ったら三者三様の言葉で俺の事を叱ってきた。要約すれば、可能性を排除する重要性が分かっているのならそうしろと云うことだった。
……良い家族に恵まれた、と言うべきなんだろうな。
「で、何の用だね？今更お前さんと話し合わなければならないことは無いと思うンだが？」
席に着きながら先ず突き放すべく言葉を発する。この程度で慍色を露わにするようなら、交渉するに容易い相手と言えるだろう。どういった感情をその面に表すのか。それを見逃すまいと孟獲らしき少女を見据える。さて、何と応えるかな。
「ミケを解放するにゃ！お前が捕まえているのは分かっているのにゃ！」
……こちらの態度は全く関係無しに、ミケを解放しろと来たモンだ。やはり何かしらの思惑在っての言動か。その物言いに怒った俺が近寄ったところを刺殺する、と云う程度の事は考えていると警戒した方が良さそうだ。そうでなければ余程の阿呆としか言い様がないが、流石にそんな事はないだろう。
語尾については取り敢えずスルーの方向でお願いしたいねぇ……あぁ、頭が痛い。
「何故捕まっているのか分かっているのか？殺されても文句は言えない状況だと云うことを理解した方が良い」
「どうしてミケを解放しないにゃ？」
「余所様の処の料理を盗んで食べたからだ。第一、密偵だろうが。ミケを陣中に派遣してこちらの様子を窺っていたのだろう？今度から派遣するなら食い意地の張っていない奴を派遣するんだな」
「盗む？盗むって何にゃ？」
……白を切るにしてももう少しこう、知性が感じられる切り方をして貰いたいンだが。私は純真な少女であって何を言っているのか分からない、と云った風情の、この態度は気に入らない。全て分かっていて、俺の神経を逆撫でて遊んでいるのか？幾ら子供だと言え、此処まで相手を馬鹿にした対応をしてただで帰して貰えるとでも思って居るのか？
「あの、ご主人様。宜しいでしょうか？」
すれ違いというか、話の的がずれているというか。些か性急な気もしたが兎に角苛立ちしか募らない不毛な会話に終止符を打ってやろうとした処に、紫苑が横槍を入れてきた。何やら言いたいことがありそうだ。この場に控えているその他の人間とは違い、唯一その表情に余裕を見せている。
そのまま続けろ、という意味を込めて頷く。
「有り難う御座います。……孟獲様、私は黄忠と申しまして、現在ミケちゃんの世話をさせて頂いています。一つ、訊いても良いでしょうか？」
「何なのにゃ？」
「孟獲様は、平教経様と戦をなさるつもりは御座いますか？」
「場合によってはあるにゃ」
場合によっては、だと？どういうことだ？
思わず口を差し挟みそうになったが、未だ紫苑が言いたいことを全て言っていないであろうことは明白だ。少々イライラするが、同じようにイライラしている華琳でさえ我慢しているのに、俺が先に爆発する訳にも行かないだろう。間違いなく収拾が付かない。此処は紫苑が話の道筋を付けてくれるまで大人しく任せておくべきだ。
納得いかない部分はあるが、そう割り切って静観する。
「それはどういう場合にですか？」
「平教経がみぃ達の食べ物を奪うなら戦わざるを得ないにゃ。そうでないなら、みぃ達は別に戦いたくはないにゃ」
「平家から使者がやって来て、敵対する積もりがあるのかどうかを伺ったと思うのですが？」
「えんしょーとかいう奴のおつかいが、平家の人間は口ばかり良い事を言うだけでみぃ達を騙そうとしてくると言っていたにゃ。言うことを聞いたら悪い様にはしないなんて信用出来る訳無いにゃ」
「……平家からの使者を叩きのめしたのは間違いありませんね？何故ですか？」
「みぃ達の食べ物を勝手に食べたからにゃ。あの辺りからこっちは全部みぃ達のものにゃ。勝手に食べたアイツが悪いにゃ」
……なんとまぁ。政戦両略併せて様々な事を画策していると思いきや、実は全く考えて居なかったというのか。平家を相手にする理由がまた奮っているじゃないか。『食っていく為』に平家と戦う、と言っている訳だ。成る程、確かに俺たちが略奪者だと考えて居るならそう云う考えになるだろう。
「他の人の食べ物を勝手に食べるのは良くない、ということですか？」
「当たり前にゃ！食べられたらみぃ達のお腹が空くにゃ！」
「そうですね。私もそう思います。最初に孟獲様がお訊きになったミケちゃんが捕まった理由は、今孟獲様が良くないと言ったことをミケちゃんがしてしまったからです。ミケちゃんは勝手に平教経様の食べ物を食べたから捕まえられているんですよ？」
「嘘にゃ！」
「嘘かどうか、ミケちゃん自身に訊くのが良いと思いますわ……ご主人様、ミケちゃんをこれへ呼んでも構わないでしょうか？」
「……あ、あぁ、構わない」
「有り難う御座います」
俺を筆頭に、多少頭が回る連中は全員間違った前提に立ってものを考えていた。
南蛮の情報がないのは孟獲が有能であるからであり、孟獲が動きを見せないのは平家を誘い込む為である。使者を打擲したものの生かしたのは平家への挑発行為であり、攻め入られても姿を見せないのは大規模な奇襲をする為である。
皆、自分を基準にしてそう考えていた。だが結局、皆それぞれ勝手に想像した孟獲像、謂わば自分が創り出した影に怯えていただけだったと言う訳だ。
考えるだけ無駄だった、か。何とも気の抜けた話もあったものだな。
あれからミケを陣屋に入れて紫苑がミケに質問し、紫苑が言う通りミケが美味しそうな匂いに我慢出来ず料理を勝手に食べたことが証明された。どうやら美以達には個人が物を所有するという感覚が今ひとつ分からないらしく、『盗む』という言葉の意味がよく分からなかったようだ。正確に言えば、目の前の木の実は自分の物だと考えても、その実を付ける木自体が自分の物であるという考え方が出来ない。
あの手この手で『勝手に食べる』＝『盗む』だと教えると、そういうものなのだと云うことは何とか理解していた……と思う。
また、『購う』と云うこともよく分からないらしい。今まで外部から入ってきた商人とは物々交換を行う事でそれなりに文化的な品物を手に入れていたようだが、貨幣というものがあり、それと物品を交換するという概念自体が意味不明なのだそうだ。俺と華琳で一緒になって教えてやっていたが、全く以て理解しなかったので最終的には教えることを放棄した。
俺たちが教えることを放棄した美以達には、紫苑が根気よく、まるっきり子供扱いで教えていた。
紫苑は、何故だかトラやシャムに『はは』『かあ様』と呼ばれていた。ミケも『ははしゃま』呼ばわりをしていたが、どうやら彼女達の母親と同じ匂いがしたからそう呼んでいるらしい。ちなみに、トラとシャムとは、孟獲の左右に控えていた南蛮兵のことだ。
美以も良く紫苑に懐き、平家が南蛮から食べ物を勝手に持って行かないことを教え諭すと、平家とは戦はしないと約束をしていた。そう云うのは俺と約束しないと意味がないと思ったが、突っ込む気力が湧いて来ず、そのまま放っておいた。
戦をしないという結論がしっかり出たところで堅苦しい雰囲気が霧消した為、料理でも食べながら友好を深めてはどうかと云うことになり、会食の席を持つことにした。その席で今後のことについて改めて紫苑から話をし、平家と敵対しないと云うだけでなく、利益を与えられる限りに於いて従ってはどうか？と切り出したのだ。
折しも稟・碧・琴・華琳、そして紫苑が孟獲達の為に作った料理に舌鼓を打っている席であったが、その南蛮では味わえない料理の数々に骨抜きにされてしまったらしく、『平家がそれなりの料理人を南蛮へ派遣すること』という、今までの南蛮への警戒ぶりは何だったのだと言いたくなる様な条件でこちらに従うことになった。
その際についでに真名を預けられたが、本当に『ついでに真名を預けるにゃ』と言いやがった。それで良いのかよと突っ込みたかったが、もうどうでも良かったのでそれも放置した。真名という文化が南蛮にもあったこと自体に実は驚いたンだがね、俺は。
兎に角、従ってくれることになった訳だ。
ただ、最初から平家に付き従ってくれた族と同じような扱いをする訳にはいかない。勿論、あからさまに虐げるつもりは毛頭無いが、兵を向けるまでもなく従ってくれた族とほぼ変わらない条件の待遇が与えられた場合、先に従ってくれていた族は面白く無いだろう。だから、条件を幾つか付け加えた。
１つ。象兵を編成し、中央へ送ること。これは無報酬とする。
象兵は脅威だ。混沌としがちな戦場に在って、遠くまで見渡せる高所を確実に確保することが出来るし、何より象そのものが有する突破力・殲滅力は凄まじいものが有るだろう。この時代において、これに比肩する破壊力と機動力を兼ね備えた部隊は絶対に存在しない。
例え稟や冥琳、華琳に司馬懿を向こうに回したとしても、1度だけなら完勝する自信がある。皆俺とは違って天才だと思うが、経験して対処を学ぶ天才であって、経験していないことまでも見通して対処をする、謂わば気違い型の天才ではない。
諸葛亮もまた間違いなく経験して対処を学ぶ型の天才だろう。研究の為に江北へ象が送られたという話を聞いていない以上、残念ながら彼女は大スキピオには成れそうにない。その終わりを考えれば、大スキピオに成れないことを感謝して貰いたいものだ。それに対するこちらのハンニバルは雛里と吉里と云うことになるだろうが、象兵の特性を教えておけば上手く扱うだけの器量は在ると信じて居る。騎兵と有機的に組み合わせ、包囲戦術を展開することを考えつくのではないか。まぁ、一任した以上俺は彼女達が建てる戦略・戦術を信じるだけだ。
そしてもう１つ。南蛮の特産品は、平家にのみ供出することが許されること。こちらは報酬というか、美以達が欲しがる物品での取引という形を取る。
供出先が平家に限定される、と云うのがこの話の味噌だ。正直な話、南蛮の特産品は珍しい物が多く、中央でそれなりの値段が付くだろうことは間違いない。これを大量に仕入れて捌けば大きな利益が生まれるはずだ。要は美以達がその価値を理解していないことを良い事に、平家がその利を独占するのだ。蚊帳の外から注視している異民族達のその目には、手向かったばかりに少々厳しい待遇に落ち着いてしまった哀れな族に映ることだろう。
だがその実、美以達には南蛮の特産品という物は中央で捌けばそれなりに利益が出ることを理解させた上で、南蛮の特産品と交換するものを選ばせた結果、金銭ではなく料理の素材となる物品と腕の良い料理人をその都度派遣することにしたのだ。端から見れば悲惨な結果なのかも知れないが、彼女達は自分が真に望む物を手に入れている、と云う寸法だ。
平家は利益を、南蛮は食を、その他の異民族達は優越感を。それぞれ得ることが出来る。
これだけのことを取り決めて領土の境界を取り決めている最中に、長安にいる霞の参謀を務めている瑛から書状が届いた。使者の手から書状を受け取り、広げて内容を確認する。その書状には簡潔に、ただ事実だけが記されていた。
『袁家来る』。
素っ気ない簡潔な記述。それがより一層、来るべき時が来たという実感を与える。そして同時に、今まで感じたことのない武者震いを覚えた。糞爺とほぼ互角に戦っている最中や恋を相手に全力でやり合っている時に覚えた震えをも凌駕する、この三十年になりなんとする人生で最も大きな武者震いを。
俺はその時、嗤っていただろうと思う。この乱世における最後の幕が上がる音を、確かにこの耳に捉えたのだ。
これで乱世は終わる。その結末がどういうものになるにせよ、これで終わることは間違いない。
全身全霊を傾けて。
言葉通り、平教経という人間の全てを賭して。
―――勝ってみせようじゃないか。
～月 Side～
「ほら！早く出発しろ！もうすぐそこまで迫っているんだぞ！」
「婆さん！荷車に乗れって！」
「警備兵共は何をしている！誘導さえもまともに出来んのか！？」
「今やっているところです！……おいちょっと待て！貴様らはまだ出発許可を受けていないだろう！」
私は今、洛陽に近い集落にいる。ご主人様の威徳を慕って長安まで移動したいという人々が、馬が嘶き怒声が飛び交う喧噪の中、慌ただしく移動の準備をして出発して行く。軍で誘導を行っているが、進捗ははかばかしくない。
「良し、急いで出立しろぉッ！次出立する荷車にはもう少し余裕があるから爺婆なり荷物なりを早く持ってこい！」
今また新しい集団が長安へ向けて出発したようだ。予定なら此処まで慌ただしくなるようなことは無かったのに。
「月様、そろそろ月様にも出発して頂かなければ困ります」
「朔さん……」
「麗軍の一部が進路を変更したのは間違いないようです。五日後にはこの辺りにやって来るでしょう」
「……そうですか」
慌ただしくなったのは、宛に向かって移動していた麗軍の一部が突如進路を変更して弘農へやってきた為。宛で麗に備えていた雪蓮さん達は、徐州から発せられる可能性が高い軍勢と宛に寄せてくると予測されていた軍勢の二つに備える必要があり、身動きが取れない状況だった。
「洛陽の部隊は動きを見せていないのですか？」
「はい。流石に1万程度ではこちらに寄せては来ないでしょう。各個撃破の良い的になるだけです」
「詠ちゃん達はどうしていますか？」
「各集落を回って居ますが、進捗ははかばかしくない様です。月様……」
「朔さん、私よりも遙かに洛陽に近い集落を恋さんやねねちゃんが廻っているのに、私だけが安全な後方に下がるなんて出来ません。限界まで此処に居ます」
「ですが危険です」
「承知の上で言っています。それに、ある程度の危険であれば朔さんが居てくれれば大丈夫です」
「私を評価して下さっていることは感謝に堪えませんが、さほど大したものではありません。国士無双の武勇を誇ったとしても、数の暴力の前には膝を屈せざるを得ません。確かに恋は三万もの賊を相手に無傷で居られた猛者ですが、その時その背後に護るべき者がいたなら結果はまた違ったものになったことでしょう。将の将たる者はその身の安全を先ず第一に考えなければなりません」
「でも……」
朔さんの言いたいことは分かる。けれどまだ敵軍が来た訳ではないし、本当に危険なら詠ちゃんが黙って居ないだろう。
詠ちゃんは基本的に私の意思を尊重してくれるけど、同時にまた絶対に譲れないと思っている部分については絶対に譲ってくれなくなった。以前は譲ってくれていたけど、反董卓連合軍との戦の後からは何があっても譲ってくれない頑なさを感じるようになった。
その詠ちゃんが何も言ってきていないと云うことは、まだ私は私のやりたいようにしていても取り返しの付かないことにはならないと云うことだと思う。だからもう少しだけ、此処で皆が帰ってくるのを待っていたい。
「……分かりました。但し、詠が合流した時点で出発致します」
「有り難う御座います、朔さん」
「ゆ、月！？何で未だこんなところにいるのよ！？」
暫く待っていると、すぐに詠ちゃんが合流してきた。詠ちゃんは私が未だ此処に残っているとは思っても見なかったらしく、私を見てもの凄く吃驚した顔をしていた。
「朔！アンタ何やってたのよ！？」
「……済まぬ」
「詠ちゃん、朔さんは悪くないよ？どうしても皆が帰ってくるのを待っていたいって、私がお願いしたの」
「あ～～～ったくもう！兎に角直ぐに移動するわよ！？」
「詠ちゃん、恋さんとねねちゃんは？」
「先行して間違いが起こらない様に警戒してるわ。月のおかげで賊が減ったとは言え、長安付近とは違ってまだまだ治安が悪いから」
「長安へ移動したい人達はどんな様子かな？」
「それは道々話してあげる……ほらそこ！何チンタラやってるのよ！もっときびきび動きなさい！アンタ達が最終なんだからね！？……さあ！出発するわよ！」
詠ちゃんに急かされて、最後の組が出発する。私も朔さんと詠ちゃんと連れだって馬上の人となった。馬を走らせつつ後方を確認するが、未だ何も見えてこない。
間に合った。
そう思ってホッと息を吐く。少し離れた場所では、朔さんが匈奴の方達を幾人か集めて何か指示を出していた。集まっている人達は、皆馬術が達者で、しかも駿馬に跨っている人だった。多分、周辺の様子を確認してきて貰える様にお願いしているのだと思う。
匈奴の皆さんは故郷を離れて私の様な人間の下に付けられているにも関わらず、文句一つ漏らさず私の指示に従ってくれている。それどころか、私が城外へ外出する際には進んで私の警護をさせて貰いたいと言ってくれたりした。当初厳しい言葉を吐いていた朔さんも、ある時から私の警護を務める際に彼らを伴うことを厭わなくなった。
朔さんと匈奴の皆さんの間でどんな話があったのかは分からないけれど、朔さんが彼らを信用出来ると判断したから何も言わなくなったのだろうと勝手に思って居る。稀に匈奴の皆さんの言動に困惑させられることもあるけど、そう云う時は朔さんが『教育』と云う名の折檻をすべく、彼らを追いかけ回す。
その時は追い掛ける朔さんも、追い掛けられる匈奴の人達も皆楽しそうにしていた。勿論、捕まれば嫌そうな顔をするし、痛そうには違いないけど、それでも皆笑って楽しそうだったから。
私は自分の為に他の人に死んで下さいとお願いをすることが出来なかった。私の、より良い政を遍く天下に広めたいと云う夢を実現する為に、誰かを犠牲にすることに耐えられなかった。ご主人様は私とは違う。自分の夢が多くの血を流すことになると分かった上で、それでも猶その夢を求めて已まない。
ご主人様が考えて居る理想の世の中。その夢を実現することが出来れば、皆あんな風に笑って過ごせると思う。
その為に、私は私が出来る事をするのだ。