〜高順 Side〜
大将と共に南蛮を討伐すべく移動している俺たちは、荊州へ入った。荊州へ入って早々、大将は黄忠と馬良に宛と建業へ後詰めが出来るように準備しておくべし、と命じた。つい数日前までは余裕綽々というか、そう張り詰めた感じは無かったんだが。大将をそう変えたのは、司馬懿からもたらされた情報だった。
―――袁家が密かに徐州へ兵を集めようとしているかもしれない。
細作によれば、既に糧食が徐州へ流入してきているらしい。その総量ははっきりしていないらしいが、かなりのものになるそうだ。徐々にではあるが確実に集まって来ている糧食の量から考えて、徐州へ兵を集めようとしているのではないかと言っている。
「こりゃ揚州が危ないっていう事なのか?」
そう言った俺に、ケ忠が絡んでくる。
「それ以外にどう解釈するんだよ、高順」
「知るか。俺は何か引っ掛かってるだけだ」
「……ダンクーガ、何が引っ掛かってる?」
「分からねぇよ。分からねぇからもどかしい思いをしてるんじゃないか」
「しどろもどろでも論理立って無くても、何でも構わんから言ってみろ。思いつくままに垂れ流してみろ」
大将に言われて、考えていることを少しずつ口にしてみる。
俺は、何が引っ掛かっているのか。上手く言えないが、答えはそれじゃない気がする。当て嵌まり過ぎていると言うか、分かり易すぎると言えば良いのか。
徐州へ人と物とを集中させる。
それに拠って平家<ウチ>の不意を打ってやろうってんなら、この時点では絶対に知られてはならない筈だ。頭を殴ってやると叫びながら頭に殴り掛かってきた奴に対して、そのまま大人しく殴られてやる奴なんて居ない。何も言わずに殴る方が良いし、言うにしても絶対殴れると思った時にそう言ってやるだろう。
それがバレて、しかも相当に早い時期に、しまったら困るんじゃないのか。それを知ることが出来たことは運が良かったのかとも思ったが、そんな都合の良い話が起こりうるのか。知り得たこと自体がおかしいんじゃないか。そう言った。
「まぁ確かにそうかも知れんがねぇ。司馬懿、お前さんはどう思う」
「……根拠は高順殿とは異なりますが、十中九まで陽動だと思います」
「何故そう言い切れる?」
「現在の麗には、大きな謀を企画出来る者で諸葛亮以上の者は居りますまい。その諸葛亮には以前ものの見事に謀られましたからなぁ。その経験からすると、今回のこれは陽動であろうと思われるのです」
「以前謀られた、とは何時のことだ?諸葛亮の使者となって華琳に調略を仕掛けたことか?」
「いえいえ。幽州に諸葛亮が監禁されている、という情報を正しいものとして稟様にお伝えしてしまったことです」
「……あぁ、あったな。そんな事が」
「ええ」
「で?その経験の何が、徐州での動きは陽動だとお前さんに言わせしめるンだ?」
「あの折は3つの情報を掴むことが出来ました。その中から、定石通りにモノを考えた結果最も確度が高いと思われた幽州に監禁されていると考えました」
司馬懿が滔々と語り始める。大将はその司馬懿に先を続けろと言わんばかりに黙っている。
「徐州への物資集積の件、定石通りに考えれば徐州から建業へ攻め掛かってくるという判断になると思います。何せ、物資を移動させているのですから。最も目に付く人の移動は行って居らず、集めている糧食にしても一度に運んできている量は少ないものです。兎に角目に付かぬように付かぬようにと気を付けての集積。露見させぬ為に細心の注意を払っていることから見て、建業への侵攻は間違いなく企画されているモノと判断するのが妥当でしょうからな。
が、この度もそれは陽動でしょう。『優秀であればこそ、同じ手を二度使うことはない』。そう思うのが人の性という物でしょうが、それを利用してくる可能性が高いと思います。最も与しやすいのは、詠様を配したとは言え弘農であるのは間違いありません。諸葛亮が目的とするところに思いを致せば、その目指すところは弘農の陥落以外にはありますまい」
司馬懿は静かに、だが力強くそう言った。
「やはり弘農か」
「私であれば弘農から目を逸らす為に打てる手立ては全て打ちます。例えば、洛陽に駐屯している兵からいくらかを引き抜いて再編し、その上で兵を宛へ向けて進発させ、途中で進路を変更し弘農を急襲します。引き抜かれた兵を再編して、引き抜いた方面へ再投入することを想像していたとしても、物理的に備えていなければ動揺がないというだけのことで、優位に戦を進めることが出来るでしょうから」
「皆には撤退しても構わないと言ってある。先の様子からすれば、さほど心配はいらぬと思うがねぇ」
「何の障害もなく撤退出来れば、ですな。平家軍に痛手を与える為に、出来れば後一手策を弄したいところです」
「具体的にはどのような策がある?」
「弘農の責任者である董卓殿には陛下と同じく甘い所がお有りになるとお見受け致します。民を見捨てる事はその性格に適いますまい。何処かの町の有力者に大金と、征服後の身の安全、財産の保証、出世、女。これらを呉れて遣る代わりに、董卓殿に付き従おうとする民達への撤退指示が出た際に、町の者を皆巻き込んで遅れて撤退行動を取らせるのです。そして大軍を以てその民達を皆殺しにせんとします。果たしてこれを見捨てて予定通りに撤退致しますかな?」
「……しないだろうな」
大将は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
それはそうだろう。恐らく大将は、董卓が戦場に立つことを避けたかったはずだ。だから撤退しても構わないと伝えた。だが、その思惑は司馬懿が言ったような策で覆される可能性が有る。
正攻法というか、何というか。純粋に軍事で決着を付けるなら、平家に死角は少ないと思う。けど、話が謀略、それも汚いものを絡めて、という話になるとそうはいかない。大将は、自分の謀略の結果民が困窮することが分かっていてもそれが平家の民でなければ気にせずにやる処があるが、策に必要な前提条件として平家の民で無くとも民の犠牲を折り込んで敵を陥れようとするような謀略を考えつくような人間じゃない。想像も出来ないことについて、対処法を考えつくはずがない。現に今、そういった事があった場合の対処法は考えていなかったようだからな。
「大将、どうするんだ?兵を一旦返すか?」
「……それは駄目だ。起こっても居ない将来の不安要素だけで一旦決めたこの遠征を取り止めることはない。この準備にどれ位の期間と費用が掛かっていると思っている?大体弘農に限らず何処かへ攻め掛かって来るであろうことは想定内であり、またそれに対する準備はさせてある。現状で十分対抗し得るはずだ。それを、明確な根拠もなくただ不安だからという極めて個人的な感情だけで覆す事は出来ん」
個人的って程個人的じゃないと思うけどなぁ。
「それで宜しいので?」
「あぁ。詠を、皆を信頼してる。絶体絶命って訳じゃないし、朔も恋もいる。本当に危ない時は、長安にいる霞達が動いてくれるだろう」
「独断専行を認めると言うのですか」
「当たり前だろうが。何の為に将軍位があると思っているンだ?階級ってのは命令違反する時をきっちり判断出来る者に与えられるモンだ。命令通りに動くだけなら将軍じゃなく、ただの兵卒で良いンだよ。そもそも任せるつもりだったんだから最後まで任せるさ」
「では?」
「あぁ。『当初の予定通り』にやる。宛でも建業でも説明した通りにな」
「畏まりました」
大将と司馬懿は、互いに頷き合っている。
「先ずは、後背を安定させる。南蛮が平家の敵に回ろうと回らなかろうとやることは一つだけだ。俺たちが直接向かい合うのは南蛮だが、実際には袁家と戦をしているも同然だ。南蛮を従わせ、全兵力を叩き付けてやれる状況を整える。そしてその状況を作り出せた時点で戦略的には勝ったも同然だよ。不敗の軍である平家に勝ったという事実をそのまま有効に使えると思っているのだろうが、人間はそんなに出来た生き物じゃないって事を教えてやるさ。こちらの優位が覆される事は恐らくあるまい」
「ご慧眼、恐れ入ります」
「何がご慧眼なモノかよ。分かってただろう?お前さんにだって」
「陛下の軍師ですからな。陛下以下では務まりますまいに」
「当たり前ですって面で言ってンじゃねぇよ、このMr.カカア天下が」
「……どういう意味ですかな?」
「尻に敷かれてる男でダントツの最上位だって事だよ」
「ハハッ、最上位にいらっしゃる方が仰るお言葉には重みがありますな」
二人とも頭の回転が速いからなのか、ポンポンと話題が切り替わる。ついさっきまで真面目な話をしていたはずなのに。まぁ、大将らしいと言えばこれ以上無い程に大将らしいんだけどさ。大将の玩具になる人間が俺以外に増えてくれて、本当に良かったと思う。仲達が側近になるまでは瑛との関係について根掘り葉掘り聞き出そうとしてきて大変だったんだ。別に何もないってのに、大将がしつこく瑛の事を口にするからか、最近瑛の事を考えていることがある……これは何なんだ?
まあ、最近はケ忠の奴も浮いた話が出て来ているし、このまま俺の事は放っておいてくれないかな。
二人が賑やかに互いを罵り合っているのを尻目に、そんな事を考えていた。
その後直ぐにその期待は裏切られるんだが。
〜人和 Side〜
教経様の後を追い掛ける、と言って宛を出発した曹操様に率いられた私達は、江夏で教経様達と合流した。私達が曹操様に付き従って居る理由は簡単で、未だ大々的に公演を行ったことのない荊州・益州の地で公演を行う為だった。曹操様と私達の護衛として、凪さん、真桜さん、沙和さんも付き従って居る。
「やっほー教経様」
「うわっ、面倒臭いのが来やがった……」
「……ケ忠、聞かれたら不味いんじゃないのか、その呟きは……」
「ふん。来てやったわよ……ちょっとそこ、何逃げようとしてるのよ!?」
「お久しぶりです、教経様」
「ん?天和、地和、人和か。どうしたンだ、こんな所まで」
「華琳様の監督の下、荊州と益州で公演をすることになりまして」
「華琳監督の下で、ねぇ。その華琳は何処だよ」
「此処よ」
「眼鏡掛けてやがる……俺を誘って居やぁがるのか?……遠路遙々ご苦労さん、華琳」
「来ない方が良かったのかしら?折角来てあげたのに」
「いやぁ、宛で守備に従事してくれていると思っていたからねぇ。まさか俺の後を追っただなんて思わないだろうに」
「大丈夫よ。宛には星に風、雪蓮、冥琳、春蘭、秋蘭、桂花に季衣、流琉と揃っているのよ?武略も知略も兵数も後れは取らないはずよ。それに私が居ないことによって、一つに纏まるでしょうからね。私が居れば春蘭や桂花は私を頂点に戴いて守備をしようとするでしょう。それでは諸葛亮に付け入る隙を与えかねないわ。また、三姉妹が荊州と益州で公演を行い、積極的に治安向上に協力して欲しい、と言えばある程度の効果があるでしょうからね。それ故に、よ」
「という適当な理由を、今思いついて口にしている華琳なのでした」
「……そんな事ある訳無いでしょう?」
「……今の華琳に『寂しかったの』とか上目遣いで言われたら、それこそコロリと降参するのに」
「おぉ〜。華琳様、今が大将をコロリとイワしてやるエエ機会やで!」
「……さ、寂しかったの……って真桜!貴女この私に何を言わせているのよ!?」
「……結構来るねぇ……眼鏡を掛けているところがかなりのポイントアップに繋がっているねぇ……ヒンヌーのツンデレ眼鏡っ娘……ヤるねぇ……俺は眼鏡属性持ちなんだよねぇ……そして麦茶が好きなんだよねぇ……目の前に見えている河は長江なのかねぇ……おぉ……あんなにも素晴らしい眼鏡達がッ……」
「大将!その河渡ったらアカンで!?」
教経様は止めどなく鼻血を吹き出して何やらぶつぶつと独り言を仰っている。その表情は恍惚としており、ちょっと怖い。私を助けてくれた時には、もっと凛々しい顔をしていたのに。
ふと横を見ると、ちぃ姉さんがケ忠さんと仲良く会話をしていた。
「ちょっと!アンタさっき何をぶつくさ言っていたのよ!?」
「あ〜はいはい。良い天気ですね〜」
「ま、まあそうね……じゃなくて!面倒臭いって言わなかった?」
「ははは。そんな事があるはずないじゃないか」
「そ、そうよね。ちぃと話が出来るなんて光栄に思いなさい」
「ですよね〜」
「漸くこのちぃの美しさというものが理解出来るようになってきたのかしら。私って罪よね〜」
「ですよね〜、主にその頭の中身が」
「……何が言いたい訳?」
「……お目出度い頭をして ヘブッ」
「失礼な奴ね!」
相変わらず、ちぃ姉さんは照れ屋だと思う。その照れの表現方法が暴力しかない処がケ忠さんには不幸なことだとは思うけど。それでも姉さんを避けることなく話をし、よそよそしくならず、ある意味普段通りに接してくれているのだ。アレはアレで、一つの形なのかなとも思う。
もう一度教経様を見ると、天和姉さんが絡んでいる。その、胸を押しつけるかのように抱きついた天和姉さんに、教経様は困惑気味ながらもだらしない顔をしていた。困惑気味なのは、何故自分にそうやって絡んでくるのか、教経様には思い当たる節がないからだろう。
天和姉さんはああ見えて身持ちは堅い方だ。誰彼構わずそういうことをする訳じゃ無い。詰まるところ、天和姉さんは教経様が気に入っているのだろう。切っ掛けは、多分暴漢に襲われていた時に教経様が助けてくれたからだと思う……格好は変態のようだったけど。あの時の教経様の言葉を思い出すと、私も顔が熱くなる。
『俺の大切なものを傷つけた貴様らには、それ相応の報いを呉れて遣る』
そう、言った。
―――頬を少し腫らせた天和姉さんと私を交互に見た後。
確かに、言った。
―――かなりの怒気を孕んだ口調で。
間違いなく、言ったのだ。
―――『俺の大切な者』と。
そしてその口調から感じた通り、私達に手を挙げた暴漢達を容赦なく打ち据えて私達を助けてくれた。
教経様は、公演で暴徒と化した観客から私を助け出してくれた。その時から、漠然とではあるけど、私は教経様に惹かれていたのだと思う。その感情は再び暴漢から助け出してくれたあの時に決定的になった。あの日から、私は教経様のことを考えることが多くなったと思う。食事に出掛けて点心を注文すれば会食した時の教経様を思い出し、公演で客席に浅葱色にダンダラ模様の羽織を見かけてはその顔を確認していた。
私と教経様との間には、決して埋めることが出来ない身分の差がある。けれど、教経様は異民族で有ろうと差別するような真似はされない。天和姉さんがああやって絡んでも、身分を盾にとって窘めるような真似をしない。ちぃ姉さんの礼を失した言葉遣いや態度にも目くじらを立てない。私自身も、公の場でなければ言葉遣いはあまり気にしなくて良いと言われている。そういった感性を持つ人が私達のことを『大切な者』と考えてくれているなら、私が望んで居ることも絶対に不可能であるとは言えないのではないだろうか。
私が望んで居ることはいくつかある。その中には既に絶対に叶わないと分かっているものもある。例えば、教経様を独占したいという望みは叶うべくも無い。そもそも教経様は他に妻ある身になってしまったわけで。けれど、他の望みは、叶うのではないか。教経様がそう思ってくれているなら、叶うのではないのか。私だって女の子だ。それを望むことくらい、許されるのではないか。
好ましく思っている人に、抱かれたいと望むことくらい。