〜教経 Side〜

建業に到着した。
到着して直ぐに、蓮華達と婚礼を行った。亞莎も思春も蓮華も、眼福だったとだけ言っておこう。個人的には思春がずっと顔を赤くして俯いたまま、『な、何でしょうか?何かおかしいところがありますか?』等と言っていたのが良かったねぇ。誰かビデオ撮影してくれてりゃ良かったのに。まあ再生手段どころか電気さえもない訳だが。

ちなみに、孫静は相変わらずだった。『蓮華には前もって宛での貴様の振る舞いを伝えてあるからな!』という台詞と勝ち誇った顔から考えると、色々と余計な事を蓮華に言っていたのだろう。奴の言葉通りに蓮華が踊らされていた場合、俺が酷い目に遇うに違いないと思って戦々恐々としていたが、一緒に居る間蓮華は全くそんな素振りを見せなかった。そればかりか、俺ではなく孫静を見る蓮華の目が尋常でなく怖かった。要するに、蓮華は孫静の言葉に嘘が混じっていることをなど分かって居たということだ。アレはきっと後でエラい目に遇ったことだろう……気に入らない奴だったが、心からご冥福をお祈りしたい。孫静ェ……成仏するんだってばよ?

もう亡くなった人間のことをとやかく言っても仕方がない。いや、まぁ死んでは居ないと思うけど。

現在、元々揚州に根付いている豪族達や山越族から、俺を招待したいという内々のお伺いが多数寄せられているらしい。行幸を得て地歩を固めておきたい、ということなのだろう。中々に抜け目がないことだ。らしい、というのは、その話を穏と亞莎から聞いているから知っているだけで、実際に俺に直接言ってきた奴が居なかったからだ。

益州へ早く入りたいが、誘いを全てにべもなく断っては角が立ちすぎる。揚州でも名家と言われている家のいくつかと、敢えて山越族の招待を受けようと考えて居る。揚州の名家の招待と山越族の招待を同等のものと見なすかのような態度を取る事になる。当然反感を抱かれるのだろうが、この一手で山越族は完全にこちら側に取り込むことが出来る。

中華の文化に浸っている者達は、向背常ならぬ者達ばかりだろう。それは今まで続いてきた戦乱から得た経験則とでも言うべきものであり、非難するには値しない。強いものが正義であり、約束など当てには出来ない。そういった世相を経験すれば、必然その中で生き残る為に強かにならざるを得ない。だが翻ってみれば、俺が力を持ち続け、彼らを真っ当に遇してやりさえすれば直ぐに靡いてくるという事に他ならない。そして現状、それだけの力を有しており、彼らを殊更に酷く遇するつもりはない。一時臍を曲げてしまったとしても、いずれこちらに靡くことになる。

山越族はそうはいかない。今までが今までだ。人ならざる者共として、正しく牛馬に等しい、いや、それ以下の扱いを受けてきたはずだ。中華との関係が決定的なものになる前に何があったのかは分からない。彼らが略奪をして回ったのかも知れないし、中華が彼らとの共生を拒んだのかも知れない。若しくはその両方が同時に発生したのかも知れない。いずれにせよ、現状の関係性では容易に信用は出来ないし、信頼など冗談でも口に出来る様なものではないだろう。

先に俺が与えた回答がどの程度の信憑性があるものなのか。それを図る為にも、我が族の扱いというものがどれ程のものであるかを知りたい。であるから、態々揚州の名家と言われている家々が行幸を乞うているのと時を同じくして、同じものを乞うているのではないか。こちらの対応次第で、俺と平家に対する対応を変えてくるはずだ。今時点において、彼ら山越族の将来をこの俺に賭しても構わないと思わせるにはこの対応しかない。だがこれを行えば、少なくとも二世代は安泰だ。まあそれにしても、俺が生きてさえいれば、という限定的な条件が付いてくるのだろうが。





『顧』『陸』『朱』『張』。これらを纏めて『呉の四姓』と言う。元々は呉郡呉県の有名な四姓をそう呼んでいたことに由来しているが、あちらの世界の俺の周りでは三国志の影響か、『孫呉の四姓』と勘違いしている人間が多かった。顧氏と陸氏を代表する人物は有名だが、朱氏と張氏が誰のことを指しているのかを知っている人間は殆ど居なかったし。数多居る行幸を望む土着の豪族の中から数家選ぶとすれば、『呉の四姓』程周囲を納得させる事が出来る家はないだろう。そう考えて、彼らと山越族の招待を受けることに決めた。

行幸前、俺から事前に『出来るだけ質素に持て成してくれるように』と敢えて注文を付けた。乞われた行幸であり、俺が皇帝であるとしても、俺は贅を尽くして歓待されることは御免被りたかった。現代、それも日本で生きていただけに、食にはかなりうるさい方だと思うが、それ以外については特に拘りはないつもりだ。『持て成すに当たっては、先ず格式がなければ駄目だ』などと言うつもりもない。そもそもこちらの作法など詳細に知りはしないのだから。

にも関わらず、陸家以外の三家は贅を尽くして歓待してくれた。陸家に関しては、穏が俺の為人を知っていたことが大きいのだろう。だがそれ以外の三家は、俺の言葉を深読みしたようだ。
最後に張家を訪れた際に、家長たる張温にその歓待ぶりについて理由を訊くと、『忠誠心を試されているのだと思った』と回答された。どうやら劉表達の死に様が、俺という人間が峻烈な人間であるという印象を植え付けているらしい。

一言言ってやろうと思ったが、そのまま放っておいた方が蓮華が楽になるだろうと思って止めておいた。

人は峻烈さを嫌い、穏和さを好む。
その二つを目の前にすれば、穏和さを慕い、そちらに親好を見せるのが普通だ。
だがいずれその穏和さに慣れることだろう。

―――そして『慣れ』は『狎れ』に変わっていく。

飽くまでも自然に。そして、何処までも際限なく。それが己が身の破滅に繋がりかねない甘えでしかない事に気が付かずに『狎れていく』。

火と水とを比べれば、火の方が猛々しく、それを人は恐れる。だから火があると分かっている処へは近寄らない。その結果、不用意に死ぬ人間は中々出ない。だが水は違う。穏やかで和やかな雰囲気をたたえて人を容易に近付かせる。人はその穏やかな水に慣れ、そして狎れる。だが水は時に厳しい面を見せることがある。その結果、不用意に死ぬ人間が出てくる。

もし俺がその場で釈明し、峻烈であるといった印象を拭い去ってしまうと、彼らは俺に狎れてくるかも知れない。狎れてきた場合に手厳しくやり込めて立場を分からせようとした際、恨みに思う奴が出て来てもおかしくはないのだ。それどころか、死んで貰うことになる事だってあるだろう。

ダンクーガを筆頭に、現在俺の周囲にいる奴らはその辺りの線引きはしっかりと出来る人間ばかりだが、モノを見る目がない人間が見れば馴れ馴れしく映ることだろう。そしてそれが自分にも許されるかも知れないと思うかも知れない。その結果、徐々に狎れて行き、目に余る振る舞いをして俺に処分されることになる。

それならば俺は火になった方が、恐れられていた方が良い。その下で、蓮華が水として穏和な対応を心掛ければ統治がしやすくなる。蓮華に対して慣れを見せたら、狎れぬように俺が釘を刺してやれば事足りる。それできちんとした距離感と緊張感をを保つ事が出来る。

呉にいる豪族達は蓮華に親しみを感じ、その意を汲んで動くようになるだろう。優しい君主である蓮華の上に、畏怖の対象としての俺が君臨する。そういった形の方が色々と無理が利く。蓮華から言えば角が立つことを、俺からの命令として指示すれば問題無い。かなり無理のある指示を出し、それを蓮華が穏当なものに落ち着かせるのだ。
要は出来レースだが、それを目の前で演じてやれば自分達を護る為に蓮華が俺に意見をしてくれているように映るだろう。そして穏当なものに変更させることが出来たとしても、蓮華は結局俺の基本方針を受け入れざるを得ない立場にあるのだということを理解することだろう。

「そう思っているんだが、甘いかな」

側に立つ司馬懿に、問いかけてみる。
コイツはやっぱり有能だった。何をやって貰うか色々と考え、また本人とも話をしたが、俺の近くに置いて貰いたいという本人の希望もあって、そのようにした。いつの間にか、親衛隊の軍師のような立場をしっかりと確保している。

そして、恐妻家でもある。周囲に対して敢えてそういう自分を見せているだけなのかも知れないと勘繰ったりもしたが、家庭訪問した際に張春華との力関係をまざまざと見せつけられた。政について話をしている時、張春華は全くといって良い程口を出してこなかったが、話が日常生活のものに移行すると、駄目亭主ぶりについて熱く語ってくれた。それを否定しようとする司馬懿にイイ笑顔を向けながら。そしてそれに対して強く出ることが出来ない司馬懿が居た。

それを見て何故か他人に思えなくてそう言うと、司馬懿も俺の事を他人に思えないと言っていた。俺はお前さん程尻に敷かれては居ない、といった具合で、半ばムキになって相手の方がより情けない男だ等と互いに言い合い、二人して張春華と司馬師と司馬昭に説教された。張春華はまだしも、司馬師と司馬昭って……ょぅじょに説教される、そろそろ三十路が見えてきたオッサン予備軍二名……出来る事なら端で見ている側の人間でありたかった。それ以外の表現でその時の心情を表現したくない。

全く関係ないが、俺は司馬師に嫌われていて、司馬昭には懐かれているようだ。二人に会った時、『ご機嫌如何かな?』と訊くと、司馬師には『たった今、悪くなりました』と即座に嫌みで切り返された。丁度良かったので『無理しなさんな。俺に会えて嬉しい癖に』と軽く言ってやると、余りの言い様に怒ってしまったのか、キツい目つきで顔を少し赤くしてそっぽを向いた。クックッ、俺に悪態吐くには五年ばかり早かったようだねぇ。まぁ、兎に角、嫌われているらしい。司馬昭は不機嫌になった姉を傍らにニコニコ笑って挨拶をした後、俺の手を取って家の中へ案内してくれた。これがお年頃になれば、司馬師のようになるんだろうか。俺にはこの年頃の女の子のことはさっぱり分からん。

「打つ手を誤らなければ効果的でしょう。陛下次第ではありますが、今の陛下が道を誤ることが出来るとは思えませんから」
「お前さんがそう言うなら上手いことやれそうだな」
「保証は致しかねますが」
「決定に責任を持つのは俺の役目だ。お前のじゃない。ところで、道を誤ることが『出来る』とは思えない、とはどういう意味だね?明智君」
「……首をひっつかまれるであろう、ということですが、何処かに誤りが御座いますかな?」
「……成る程、経験者は語る、という訳だねぇ」

正直認めたくはないが、境遇が似ているだけにこうやって軽口を叩く仲になるのは早かった。互いにイイ笑顔で対峙し、互いを挑発し合うかのように嗤い合う。

「「……ハッハッハッ八!」」
「……どっちもどっちだろ、アレ」
「どちらも自分の方がマシだと思ってるみたいだけど、程度に差があるだけで尻に敷かれてるには違いないって事が見えてないみたいだな」
「そうだな。強く生きろ」
「……何で俺にその言葉を吐いてるんだよ、高順」
「同類項ってのは自覚がないんだな。それとも無意識に自分を棚に上げるのか?」
「どういう意味だ?あぁ?」
「尻に敷かれてるのはお前だって同じだろってことだ」
「誰が誰の尻に敷かれてるって!?」
「ケ忠が地和の」
「高順が馬謖の、の間違いじゃないか?大体アレはそういうのじゃないってこの間言ったばかりだろうが!」
「俺と瑛はそういう関係じゃない!」
「町で若いの相手に暴れ回って瑛に説教されてたらしいじゃないか!?」
「そっちこそ一緒に町で食事している時、姉貴姉貴言って怒らせた挙げ句謝ってたそうじゃないか!?」
「「ちょっと表出ろやコラァ!」」
「……これが若さか」

ダンクーガとケ忠があっちの方で何か騒いで居やぁがるが、どっちもどっちだな。同類項だってのをちゃんと自覚した方が良いぜ?で、オッサン。その台詞はサングラス掛けてないと言っちゃ駄目だ。

「まあ、それは脇に置いておくと致しましょう。……『呉の四姓』との調整は順調でしたか?」
「……順調と言えば順調だねぇ」

行幸を決定した際、司馬懿が面白い提案をしてきた。
『召の民が納めるべき租税は、その年の収穫・収益の五割と定める』という布告を全土に出すべきだ、と。それだけだと何てことはない提案だったんだがね。

司馬懿が併せて提案してきたのは、『召の民については、租税はそれを国に納めるだけで良い』という一文を敢えて最後に付け加えることだった。それを全土に布告することについて、一応『呉の四姓』に意見を聞いてみたが、特に反対はなかった。

それはそうだろう。何せ、当たり前のことを言っているのだ。だが、これが当たり前では済んでいないから民の生活が苦しい。

そもそも地方の豪族達は如何にして力を付けてきたのか。徴税とはそもそも中央から官吏を派遣して徴収するものだ。地方豪族はその地方の名士であり、民達を相手に何かしらの調整を行う場合、彼らが間に立った方が上手く行く場合が多い。それ故に彼らはこれを代行してスムーズに徴収する代わりに、租税の内からそれなりの報酬を得る。それぞれが抱える家業の傍らで、それをやって力を付けてきた。それは構わない。が、彼らは国家の目が届かないのを良い事に官吏と癒着し、過分に徴税し、決して少なくない租税を着服することがある。

だから、彼らからその権限を奪ってやるつもりなのだ。
平家の本拠とも言える涼州と雍州では、既に官吏を中央から派遣してその辺りの不正が行われないようにしてある。後は揚州、荊州、益州でそれを行うつもりだ。それぞれの地方の有力豪族に意見を聞き、反論がない事を確認した上で。

先に述べた通り、官吏自体が腐敗してそれを持ちかけることもあるだろう。
だから或る地方に任官した官吏は、先ず三年その地方で務めを果たさせるが、三年経ったら他の地方へやられる。その地方とは関わりが浅い、遠い地方へ。無論、移動費は国家が負担する。その家族の移動に掛かる経費も全てだ。多少水増ししやがっても許してやる。だから文句は言わせない。そしてまた三年後に移動する。それが嫌なら徴税には関わってはならない、としている。我欲に発する口利きの代償は、最悪死罪。これで俺が死んだ後も、官吏の腐敗が進むのを阻んでくれれば良いのだが。

「気が付かなかった、と言ったところですか」
「そうだろうな。気が付いたら反対しただろう。何せ、徴税権については完全に国のモノにするってンだからねぇ。国から命じられたと言って徴税する事は許されない訳だ。国が徴税官を派遣し、決められた分だけ徴税していく。中間に入ることで得ていた利益を得ることが出来なくなれば、自分達の財力が低下することになる。それはそのまま影響力の低下に繋がりかねないからな」
「ですがこれで事前に相談した実績は作ったということになります。後はなし崩しに彼らの力を削いでいってやるだけですな」
「俺は民の生活を良くしてやりたいからこれをやろうと思っているンだが、どうやらお前さんの思惑は違うみたいだな」
「権力というモノはその柄を握る者が少なければ少ない程宜しいのです」
「……中央集権に向けた第一歩、か?」
「それも絶対的な、です。中途半端は宜しくありません」
「拘るねぇ」
「拘ります。陛下を戴くのであればこそ、これが叶うと見込んでいるのです。その為にお仕えしたのですから。私が思い描く理想の国家像の一部だけでも実現させたいものです」

司馬懿には、某『フハハハッ!』のせいだろうが、元々かなり辛辣な人間性をイメージを持って居たが、こういう時のコイツは油断ならない権謀家の香りがする。ただ、コイツは自分の才能で何が出来るのかを試したいだけで、特に地位や名誉に執着はない。

「実現させてみろ。俺一人で天下を描くには、この天地は広すぎる。雪蓮に華琳に分けてやっても、まだ広い。俺が描くはずの天下を、お前が少々独自の工夫を加えて代わりに描く分には問題無かろう」
「……官僚制度について、温めてきた案があるのですが、それを試してみても宜しいでしょうか?どちらかというと軍政に関わることなのですが」
「俺の名前で布告しろ。が、一旦は目を通させて貰う。許容出来ないもので無ければ認めてやるさ」
「有り難う御座います」

言っちゃいけないんだろうが、最近ちょっと遊び足りないんだよねぇ。明けても暮れても政について考えている。太原で太守をやり始めた時よりも遙かに忙しい。
だが政に興味を失い、享楽に耽るようになれば歴史が繰り返すことになる。此処で言う繰り返す歴史ってのは、まぁ要するに平家滅亡ってやつだ。だが今の平家には目の前の司馬懿を始め、優秀な人間が多く居る。彼らと共により望ましいシステムを作り上げるのが俺の仕事だ。望むと望まざるとに関わらず、皇帝となった以上は果たすべき義務というものが在る。

面白おかしく自由気ままに振る舞うのは、国家の大枠をしっかりと定めてから。そう決めているのだ。大枠が定まっていない状態では、臣下は碌な仕事が出来ない。『キャンパスに自由に絵を描いても構わない』と言われても、何処から何処までがキャンパスであるのかが分からなければ、描いた絵がキャンパスをはみ出してしまう事になる。だが大枠を作ってさえやれば、彼らはその範囲内で好き勝手にやれるようになる。

さっさと大枠を定めて、楽をしたいモンだ。