〜教経 Side〜
帝位に就いたことによって、自分が置かれている状況というものが把握出来た気がする。
何を言っているかというと、異民族との関係について。元々気を遣ってきたが、今回俺が即位した際に彼らがこちらをどう思っているかが量れた。匈奴、羌、鮮卑、羯、テイ。五胡十六国時代で中華を席捲した五つの族から、それぞれ賀を述べる為に使者がやって来た。そこまでは想像出来ていたが、山越族からも使者がやって来ていた。若年と壮年の二人だが、若年の方が正使で壮年の方が副使だった。恐らく、若年の方は族長の息子か何かだろう。腰に差してある剣の拵えは中々に立派なものだった。
彼らは賀を述べた後、生活が成り立つように配慮して貰えるならば、喜んで傘下に入りたいと言ってきたのだ。平家の領民として、無法を行わなければ差別などさせはしないと伝えると、平伏した上で口数を記した地図を献じてきた。地図を献じると言う事は、その土地を差し出すという事だ。流石に先祖伝来の土地を献じる必要は無いだろう。彼らが持って居る生活文化は中華のそれとは異なるはずだ。傘下に入るだけで良く、支配を受け入れることで文化を、彼らの誇りまでも捨てる必要は無いのだと伝えると、使者達は感極まった顔をして一朝事あった際には必ず兵を以て平家を助けると言ってくれた。彼らがその感動を一族に伝えてくれればこちらの狙い通りだ。
こういったことには、やはり誠心誠意対応するに限る。
人をして心服せしめる為には徳を積まなければならない。土地を直接支配出来ることなどより、将来に渡って家を助けてくれる味方を得た方が遙かに益が大きい。中華の文化が及ばぬ族が味方であれば、中華から見放されてしまったとしても塞外でなら家を存続させることが出来るだろう。そこまで考えての、対異民族政策だ。無論、言葉通りには受け取れないが、良好な関係が続けば続いただけ愛着のようなものが沸いてくるだろう。少なくとも百年。百年良好な関係が続けば、三世代全てが平家に馴染みのある者で一族が構成されることになる。そうなるように気を遣っていかなければならない。子供が生まれたなら、その辺り含めてきっちり教育してやる必要があるだろう。
烏丸と南蛮からは使者はやって来ない。
絶賛緊張関係にある南蛮は兎も角、これまで何度か遣り取りのあった烏丸から使者が来ないというのは中々に興味深い。歴史的には、曹操が袁家を滅ぼさんとした際に、烏丸は袁家を支援したはずだ。確か烏丸の中心にいたのはトウ頓だったか。まあ、好きにすれば良い。敵対するなら思い知って貰うだけだ。無条件に全ての人間と仲良くできるなどという、痴者の夢に絆された阿呆共は俺を非難するンだろうがそんなものは痛痒にも感じない。
従うか、抗うか。俺はそのどちらかの選択肢しか許すつもりはない。それが気に食わないなら、力で俺にそれ以外の選択肢を認めさせるべきだろう。
一日、長安から函谷関を出て弘農へ向かった。月と話をしておこうと思ったからだ。また、詠をしばらくの間月の所に居させようと思っており、その事を伝える為でもある。
弘農の治安は上々だ。月の仁政が行き届いていることもあるが、恋と朔の存在が大きいのだろう。無頼共から大いに恐れられているのは、恋。領内の警備兵などから尊敬を集めているのが朔。この二人を両輪として、上手く領内を治めている。
「ご主人様、お久しぶりです」
「あぁ、久し振りだな、月。相変わらず良い政をしているようで何よりだ」
つい、その頭を撫でてしまう。
「へぅ……あ、有り難う御座います」
モジモジする月はかぁいいねぇ。
「月、久し振り」
「詠ちゃん、詠ちゃんも元気そうだね」
「うん。月も元気そうで良かったわ」
「そういえば、詠ちゃん、お目出度う」
「へ?何が?」
「ご主人様とその、正式に……」
「あああ後!後でね!月」
月と詠の関係も昔のままのようで何よりだ。
「それで、陛下。態々此処までいらっしゃったのは月様を撫でる為ではありますまい?」
「いや、撫でる為でもあるんだけど?」
「へぅ……」
「……撫でる為だけではありますまい?」
ふむ。根気よく話し掛けてくるな。朔も随分と変わったモンだ。
「まぁ、ね。月、皆を集めて貰えるか?俺から話があるから」
「あ、はい。分かりました」
「月様、ねねに招集を掛けるように既に申次に伝えてあります」
「今さっき集めてくれって言ったンだが、いつの間に伝えたんだね?」
「おいでになった時点で、です。全員集めるように指示在るものと考えて居ましたので」
「成る程」
「朔さん、いつも有り難う御座います」
「いえ。大した事ではありませんからお気になさらず」
立派に従者をやっているじゃないか。
アレだな、ダンクーガがちょっと賢くなったバージョンなのかもな。ちょっとだけかも知れんが。けど元が元だからなぁ……。そう思って後ろを振り返る。
「?何だよ大将」
「いや、お前はいつもお気楽で良いよなぁと」
「はぁ?相変わらず訳が分からねぇことを言うよな、大将は」
「この場合のお気楽ってのは、お馬鹿ってのと同じ意味な」
「へー……ってどういう事だコラァ!」
「いや、馬鹿だなって事だけど?」
「『直接言ったのに意味が分からないなんて可哀相』みたいな顔してんじゃねぇ!突然湧いて出た酷ぇ言葉に何の脈絡も見出せずに唖然としてただけだろうが!」
!?
ダンクーガが、ちょっと難しい言葉を、使っている……だとッ!?
「ダンクーガ、『脈絡』とか『唖然』とか、一体どうしたンだ、お前さん」
「……何となく失礼なことを言い始めそうだが敢えて訊こう。どういう意味だ」
「空気まで読み始めるとは……本格的に病気かも知れん。良いかダンクーガ、順番に行くぞ?ダンクーガと言えば馬鹿。此処までは大丈夫か?」
「失礼なこと抜かしてんじゃねぇよ!何だ!?俺は馬鹿じゃなきゃダメなのか!?」
「当然じゃん。なぁ、ケ忠」
「当然でしょ」
「……」
「どうしたダンクーガ。生まれたての子鹿みたいにプルプルしてるが」
「……やぁぁぁぁぁぁっってやるぜ!」
ダンクーガが肩を震わせた後、奇声を発して飛びかかってきた。血涙が見えた気がする。
面倒臭いのでさっさと殴って気絶させたが。
「やれやれ、いつも通りに愉快な奴だ……広間に移動しようか、詠。オッサン、ケ忠。ダンクーガ引き摺って先行ってくれ。此処には朔が居るから大丈夫だろ」
「了解ですよ」
「ラーサ!」
「……断空我は本っ当に仕方がないわね。相変わらず言葉遣いがなってないし」
「大丈夫だ、詠もあまり変わらないから」
「ボクはあそこまで失礼でも馬鹿でもないわよ!」
「まあまあ。どっこいどっこい位じゃないか?」
「何処がよ!ボクはあんなに無神経じゃないの!」
ふむ。ちょっと誤解があるようだからそこは言っておかないと駄目だな。
「ちょっとダンクーガについての認識が間違っているみたいだから一応真面目に話をしとくがな。ダンクーガはあれで気を使っているんだろうぜ?
陛下と呼べと言われても基本的な物腰を頑なに変えなかったのは、俺がそうされたくないことをちゃんと理解していたからだろう。アイツは学がないだけで馬鹿じゃないんだ。ダンクーガにせよケ忠にせよオッサンにせよ、今までと変わらぬように接するべく努力した結果として、今まで通りで居るんだろうさ。
俺が今まで通りでいられる場所を、あいつらなりに確保しようとしてくれているんだろう。だからな、詠。アレは失礼でも馬鹿でも無神経でも無いんだ。俺の事を考えてくれているんだよ。多分、全身全霊で、な」
ったく、何で俺がダンクーガを弁護してやらなきゃならんのだ。
「……アンタも大概天の邪鬼よね」
「……どこがだよ」
「馬鹿だ何だと言っておきながら、断空我を理解せずして貶すことは許さないってボクに釘を刺してくるようなところがよ」
「うるせぇよ。そんなんじゃ無いンだよ」
「何?照れてる訳?」
「ンな事ある訳無いだろ」
「はいはい。そういうことにしておいてあげるわよ」
……これと似たような光景を嘗て見た記憶がある。ウチの爺や師匠達とその婆さん方の会話が正にこんな感じの雰囲気だった。
ま、まさか、俺は既に尻に敷かれているのか!?
「ほら、何やってんのよ。早く行くわよ?」
詠に腕を引っ張られながら広間へ向かう。
どうにも釈然としなかったが、早く早くと詠に急かされて歩く内、それでも良いかと思える辺りが尻に敷かれる素質がある証なんだろう。正直お断りしたいが。
広間に集まった旧董卓軍の面々+α。
月、詠、朔、恋、ねね。此処に霞が居れば勢揃いなんだが。
αとしては焔耶が居る。最後に見た時に比べると、幾分落ち着いた印象を受ける。周囲からはかなり陰口を叩かれているに違いないが、それでも真面目に務めることが出来ているようだ。
朔に師事させているのも良かったのだろう。弘農にいる兵達の尊敬を一身に集める朔に師事しているという事実は、当然妬みを生みそれに基づいて陰口を叩かれたりはするだろうが、過去のことを執拗に攻撃してくるような人間を生み出しにくくしているだろう。それをやれば、朔に軽蔑を受ける可能性が有るのだから。そして朔から軽蔑を受けるということは、弘農で生き難くなってしまうということだ。焔耶に余程の恨みがあるならば話は別だが、そうでなければ進んでその道を選ぼうという奴は居ないだろう。そこまで頭の回らない奴らは何くれと無くちょっかいを掛けてきたりするだろうが、本来焔耶が受ける事になったであろうそれに比べれば微々たるものであるに違いない。
「それで、何をしに来たのですか」
「南蛮の様子を窺う為に俺は益州へ征くことになるが、その前に一つだけ、直接言っておこうと思ってな」
「何をでしょうか?」
「何、簡単なことだ。俺が益州に入ったら、呉か弘農に諸葛亮が攻め込んでくるだろう。それに対して、敵わぬと思ったなら直ぐに函谷関まで退け」
「……攻めてくる?」
「ああ、きっと来る。弘農の方が兵が少ないからこちらの方へ寄せてくる可能性が高い。距離的にもこちらの方が近いしな」
「恋殿と朔が居るのです。そう簡単には負けないのですぞ!」
「それは分かっているさ。だが万が一敵いそうにない場合、此処で必死に抗戦したところで得るものはない。函谷関まで退いて、そこで相手をしてやれば良い。
函谷関には霞を配しておく。驍将三人、軍師二人。負けるはずのない戦を描くことが出来る。戦はな、勝算が立っていて行うものだ。中長期的な戦略的観点に立って彼我を比べた時、こちらが不利で向こうが有利な状況であるというのであれば博打を行う必要があることもあるだろう。が、そうでないなら博打は不要だ。勝てる戦に勝つべくして勝てば良い」
「しかしそれでは不敗の平家軍に土を付けてしまうことになる。陛下にはそれでも構わないということでしょうか」
「あぁ。常勝不敗で居られる訳がないだろうが。負ける時は綺麗に負けるべきだ。後に尾を引くような負け方はすべきじゃない。勿論、楽に勝てるならば話は別だがな。
弘農を死守したが主要な将が死んでしまった、という結果は最悪だ。逆に、弘農は陥落したがほぼ無傷で軍が残っているという結果は望ましい。『怒りはまた喜ぶべく、慍りはまた悦ぶべきも、亡国はもってまた存すべからず、死者はもってまた生くべからず』だ。死人は還ってこない。土地なんざ幾らでも取り返せる。命を惜しんでくれ、頼むから」
「ふむ……承った」
「あの、ご主人様。軍師二人というのは……」
「ん?そういえばまだ言ってなかったか。一時的にだが、詠に月の補佐をして貰う事にする。弘農、宛、襄陽、建業。この四都市を中心として麗と対峙する。この四都市の内で最も手薄なのが弘農だ。後に国都たる長安があるから厳密に言えば手薄とは言えないが、その他に比べれば手薄と言って良いだろう。武に関しては恋、朔、焔耶が居る。あまり問題にはならないだろう。だが智となるとねねしか居ない。一人しか軍師が居ないのは不安だ。多角的な物の見方をする為にも、もう一人欲しい。此処に詠が加わることでかなり安定すると思っているンだよ」
「確かにねね一人では負担が大きいと思うのですぞ。あからさまに言ってしまえば、戦略的にものを考えるのにねねは向いて居ないのです」
「……」
「何なのですか、その顔は!」
「いや、まさか自分でそう言うとは思わなかったからだな」
「失礼なことを言うななのです。ねねも軍師、物事を客観的に見ることぐらいは出来るのです」
「恋のこと以外は冷静に判断出来る、という訳だ」
「恋殿のことについても冷静に判断出来るのですぞ!」
「はいはい」
それは無理だろうねぇ。聞いた話じゃ虎牢関から飛び出そうとしていたんじゃなかったかね?
「そういう訳で詠には月と一緒に居て貰う。その方が俺も安心出来るからだ。分かったかね?」
「はい、ご主人様」
後は揚州へ行って注意を促して益州へ入るだけだ。
何故揚州へ態々出向くのか?だと?
……察しろよ。一言だけ言うとするならば、蓮華が怖いとだけ言っておこう。
南蛮とどうなるかは分からないが、片を付けた時点でどういう状況になっているかでこの先の道程が決まる。年内で全て終わらせることが出来るか、それとももう少し時間が掛かるのか。それは諸葛亮次第だろう。
何もせずに手を拱いている、という選択をしてくれるのが一番楽だ。時間を掛けて徐々に力を奪っていき、気が付いたら滅びるしかないという状況に追い込んでやる方が遙かに楽なのだから。
だが同時に、それでは面白くないと感じている自分も居る。我ながら度し難いことだが、天下を統一しようというこの俺の前に立ちはだかる人間が、その程度の低能であって貰いたくはない。知勇の限りを尽くして争い、この手で天下を掴み取りたいと、そう願っている部分が確かにある。
諸葛亮。俺はどちらでも構わない。
だがどちらを選んでも、辛い結果が待ち受けていることだけは覚悟しておいて貰いたいモンだ。
皆が手を繋いで笑って生きていける世界を作りたいという夢。
お前さんが自分のものだと思い込んでいる、甘ったれが描いたその夢を。
俺が壊してやるよ。それが本当に救いになるかどうかはお前さん次第だがな。