〜桃香 Side〜
平教経さんが揚州の劉表さんを討伐した。
その知らせを受けた麗羽ちゃんは、審配さんと逢紀さん、張コウさんを呼び出した。揚州での戦の詳細と今後の展望について、話をしたかったみたいだ。
「それで、審配さん。劉表さんが殺された、というのは間違いありませんの?」
「間違いありません。劉表殿を筆頭に、カイ良殿、カイ越殿の首が市に晒されていたとのこと」
そんな酷いことを、何故出来るのだろうか。
こんな世の中だ。戦で相手を殺すというのは仕方がない側面があると思う。けれど、晒し者にする必要は無いのではないか。自分に従わない者を惨たらしく殺す。そんな人が天下を治めようとしていることに、怖気を感じてしまう。私達は、何としても彼に勝たなければならない。そうでないと天下は恐怖に塗れてしまうから。
「……劉表軍が平家軍に与えた損害はどの程度だ?劉表軍の練度が低かったとは言え、まさか一人も殺せなかった等と言うことはあるまい?」
張コウさんの問いかけに、逢紀さんが応える。
「死者は2,000に届かぬそうだ。負傷者が5,000を少し越える程度。調べた限りではそれで間違いない」
「死傷者が1割、か。1会戦の結果であれば劉表軍もそれなりのものだと言ってやれるが、国を滅ぼされる過程にあってその程度の損害しか与えられないとは」
「審配、それは違うだろうな。どうやっても国が滅ぶような状況を招いて居る時点で、その程度の物でしか在るまい。期待することなど叶うはずもないのだから」
「……それもそうか」
「今更それを語っても致し方在りますまい。問題は、向後我らが如何に平家と対するか、というところでしょう」
その言葉を受けて、麗羽ちゃんが皆の顔を眺めやる。
麗羽ちゃんの表情は悲痛だ。それはそうだと思う。状況としてはまだ袁家の方が不利なのだ。曹操さんと戦い、負けた瑕が癒えていない。この状況で平家と戦うのは厳しい。私でもその程度の事は分かる。
「皆さんの存念を聞きましょう」
「……私としては烏丸を取り込んでみたいと考えております」
「烏丸を?どういう事が説明して貰えますか?審配さん」
「はっ。これまでも何度か共闘して参りましたし、幽州を荒らして回っていた者共は皆張コウに討たれました。袁家の力という物は十分に示すことが出来ていると思います。それに先の公孫賛討伐の際、田豊が態々朝廷に申し出て印綬を与え、単于に任じております。
袁家に対して恩義を感じていることでしょうし、彼らを取り込むことによって疲弊した袁家の軍をある程度の水準まで回復させることが出来ると思います」
「成る程……逢紀さんはどうですの?何か存念があれば述べると良いですわ」
「兵については今審配が言った通りで問題無いと思います。が、今最も気を付けるべきなのは、領内の物資の確保でしょう。間違いなく平家が糧食や鉄、塩などを買い付けており、その価格が上昇傾向にあります。このままではいざというときに購入しようとしても、十分な物資を集めることが出来ないかも知れません。ですから、ここは平家の領内の商人達から物資を買い集めては如何でしょうか。
当然買い付ける際にはこちらの窮状を知っているでしょうから高く売りつけられることになりますが、背に腹は代えられません。平家が攻め込んできた際に、兵数が十分にあるにも拘わらず補給が出来ぬ為に満足に迎撃できない等という状況を招かぬ為には、今此処で袁家の余力を吐き出しておく必要があると思います」
審配さんが言ったことも逢紀さんが言ったことも正しい。私にはそう思える。それを行わなければ、勝ち目が薄くなってしまうだろう。二人とも頭が良い人だと思う。私ではそんな事は思いつかないから。
「……張コウさんはどう思いますか?」
「……そうですな。いっその事税率を下げませんか。このままでは来秋を無事迎えることが出来るかどうか分かりませんからな。迎えることが出来なければ袁家は既にないのですから気にする必要はないでしょう。来秋を迎えることが出来たならば、袁家を取り巻く状況は好転している筈ですから税率が下がっていても問題有りますまい」
「何を馬鹿なことを!」
逢紀さんが張コウさんに噛みつく。
「卿は私の話を聞いていなかったのか?ただでさえ物資が不足しているのだぞ?この上税率を下げたらそもそもの軍資金が底を突いてしまうぞ!?」
「卿も俺の話を聞いていなかったのか?来秋を無事迎えることが出来ないかもしれない、と言っている以上、下げるのは秋の租税についてのみだ。年頭に行う税の徴収に関しては下げよとは言っていない」
「そのようなことをして何の意味がある!?」
「逢紀、落ち着け。
……張コウ、卿は何を気にしているのだ?」
「分からんのか。価格が高騰するのは物資が不足しているからだ。それは民が困窮していることを表している。気にしなければならぬのは、まず民の生活でなければならないだろう。せめて来秋からでも租税が安くなることを知れば、それを希望として耐えることが出来る。そうでなければ暴動が起こりかねない状況だと思うがね」
「暴動が起こるだと?」
「そうだ。平家の領民と袁家の領民の生活を比較すれば、平家の領民の生活水準の方が高い。租税も安く、物価が安定している。暮らしやすいのは平家の方だ。『我らも平家の領民になりたい』と民が思い、平家と対峙している最中にその後背に当たる地域の民が一斉に蜂起したら軍はどうなる。
俺はそんな状況で軍を率いて戦に赴きたくはない。だからこそ、そうならぬように租税を下げておいた方が良いと言っている。大体、俺なら間違いなくそう煽動する。相手は平家だ。奴らなら間違いなくやってくるだろう」
張コウさんの言葉に、審配さんも逢紀さんも押し黙っている。それがありうる、と考えて居るのだろう。それであれば、備えなければならない。張コウさんの言う通り、税率を、租税の率を下げるしかない。何より、租税が安くなるのは良いことだと思う。それだけ民の生活が楽になるという事だから。
「……分かりました。租税の率を下げましょう。但し、庸と調については下げません。それでは立ちゆかなくなりそうですか、逢紀さん?」
「いえ、租税の率だけであれば何とかして見せます」
「ではそのようにしましょう。平家に何か動きがあったら、また話をしたいと思います。今日は一先ずこれで解散とします」
「はっ!」
皆が麗羽ちゃんに跪拝する。勿論、私も。
状況は確かに思わしくない。けれど、皆で力を合わせて頑張っているおかげで、平家は袁家に攻め込むことが出来ていない。
ただ、朱里ちゃん、田豊さん、沮授さん。一度この三人を召還して、話をした方が良いのではないかと思う。曹操さんに打ち克つ為の策を考えた朱里ちゃんとそれを実行した二人なら、思いも寄らない策を考えてくれると思うから。
〜霞 Side〜
経ちゃんを皇帝に擁立するという方針を確認してから初めての、経ちゃんと一緒に居る日。いつもとは違うて、経ちゃんはボーッとしとった。折角ウチと一緒に居るっちゅうのに失礼なやっちゃでホンマ。まぁ、いつも通り酒呑んどるだけなんやけど。
「ほら経ちゃん、何やっとるんや。折角ウチと二人でおるっちゅうのに、退屈なんか?」
「ンなこたぁ無いが……」
「ほな何でそんな不景気な面をしとんねん。折角の酒が不味なるやろ?」
「そんな不景気な面してるか?」
「しとるなぁ。どないしたんや?ボーッとしとったけど」
「ボーッとはしてない。ちょっと考え事をしてたンだよ」
「何についてや」
「……むぅ」
考え事をしとったと言うたから何について考えとったんか訊いたのに、経ちゃんは返事をしよらんかった。
「……女関係、やな?」
にこやかに訊く。
ホンマ、憎らしいなぁ?経ちゃん。
「はぁ……違うよ」
ちょっと溜息を吐きながら、そう答えよった。感じからすると、ホンマに女の事を考え取るわけや無いみたいやな。
「……ほな何について考えとったんや?」
「国号をどうするかについてだよ。皇帝になって王朝開くってンだから、考えて置かなきゃならないだろ?」
「あ〜、そう言えばそうやったな」
「……お前さん達が成れと言うから成るって側面もあるンだが?」
「あははは〜、ウチらに担がれたんが運の尽きやで。大体、雪蓮にしても華琳にしても、経ちゃんが墜とさへんかったらこういうことにはなっとらんはずや。要するに、自業自得やで?」
「チッ……憎らしいねぇ」
「ほな気分転換させたるよ」
「おいおい霞、まだ昼だぜ?」
……この好色一代男は。昼間っから何を盛っとんねん。
「この阿呆!そうやない。遠乗りにでも出掛けようやって言おうとしたんや」
「何だ、そういうことか……だが外は寒いぜ?山には雪も積もっていることだし」
「そんなこと言わんと。気分転換して貰わんとウチがかなわんわ。一緒に居るウチの気持ちも考えてくれ変と困るで?」
「……まぁこのままこうやって考えていても埒があかんか」
「そうそう。ほな行こか?」
経ちゃんの腕を取って、厩へ引っ張って行く。
あぁ、断空我、ケ忠。先に行って準備しとって貰えるか?そうそう、前に言うとった場所に、前に言うとったもんを準備しとってや。それから、ウチらを邪魔せん程度に付いてきて警護するのは構わへんけど、邪魔したらどうなるか、わかっとるやろな?
経ちゃんと一緒に馬を走らせる。初めて見た時から比べると、経ちゃんの馬術は随分上達しとる。流石にウチ程上手くはないけどそこまで望むんはちょっと酷やろうし、星や愛紗と同じ程度に乗りこなせとる時点で十分やろう。
最初は寒がっとった経ちゃんも馬を追っとる内に体が暖こうなったようで、額に汗まで浮かべとった。
「経ちゃん、馬乗るの上手うなったなぁ」
「先生が優秀だったからねぇ」
「星から教わっとったんやろ?」
「そうだが、本格的に馬に乗るようになったのは反董卓連合軍と戦った時からだ。あの時は此処まで乗りこなせていなかったさ」
「ほな、月のおかげみたいなもんか?」
反董卓連合との戦に勝ってから、ずっと月が経ちゃんに馬術を教えとったからなぁ。ああ見えて月の馬術はウチよりも上や。それに馬上から左右に弓を持って同時に射ることが出来る。どうやっとるんか訊いた時、月自身も上手いこと説明出来へんでちょっと困っとったのは可愛かったなぁ。
「そうだな。月や碧、翠のおかげだろうなぁ。ただ、一番は霞のおかげかも知れないな」
「そうか?ウチはあんまり教えてやれてへんと思うけどなぁ」
「いやいや。月はまだしも碧も翠も、『ここでガーっと行く感じでやるのさ』とか『えいやっっとやればこうなるからやってみろよ、ご主人様』とか意味不明なことを言ってきたからなぁ……」
「あぁ〜、そういえばそれが原因でウチが経ちゃんに色々教えたんやったっけ」
「そうそう。論理的で分かりやすかったから正直助かったンだよ。あのまま碧と翠に教わってたら訳が分からなくなって、頭がこう、パーン!って感じに弾けたかも知れん」
顔の前に右手を持ってきて握ったり拡げたりしながらそうおどけてくる。
「アレは横で聞いとっても酷かったからなぁ……面白かったけど、流石に口出しせぇへん訳にもいかんやろ」
「そのおかげで随分上手くなったと思ってるンだよ。有り難うな、霞」
そう言って真っ直ぐウチのことを見つめてくる。
「そ、そか。……なんや面と向かって言われると照れるわ」
「相変わらずこういうのに慣れないねぇ」
「う、うるさいわボケ!すれるよりはマシやろ!」
「確かにな。ま、霞らしい」
そのまま馬なりで歩を進める。
さっきまでええ感じに日が出とったのに、もう傾き始めとる。陽気で大分溶けたとは言え雪が残っとるし、これから先の季節はもっと積もるに違いない。まだまだ春は遠い感じや。
「で、霞。何処まで行くんだ?日が傾き始めているようだし、そろそろ馬を返すか?」
「いやいや経ちゃん、お楽しみはこれからやで?どうしても経ちゃんと行きたいところがあってな。きっと経ちゃんは気に入ると思うねん」
「ふむ、どうしても俺と、ね。なら楽しみにして付いていくさ」
楽しみにしとくとええよ、経ちゃん。間違いなく、経ちゃんは好きやろうからな。
「お〜、乙だねぇ」
「せやろ?気に入って貰えたか?」
「気に入るも何も、最高だぜ霞。極楽だわ」
「そかそか。そう言って貰えたらウチも連れて来た甲斐があるっちゅうもんや」
経ちゃんを連れて来たのは、山中にある温泉。湧き出た湯が川縁の岩で囲まれた窪みに溜まり、小川の水を少し入れてやるだけで丁度ええ湯加減になる。
経ちゃんが揚州に遠征しとる間暇で仕方がなかった時、今日と同じように遠乗りに出掛けて見つけた。断空我とケ忠に先回りして用意して貰っとって正解やな。
「いいねぇ。露天風呂があって、酒があって、良い女が居て。言う事ぁ無いなぁ」
経ちゃんが上機嫌でウチを後から抱き寄せる。後ろを振り返って経ちゃんに口付けして、また前に向き直る。湯の上に盆を浮かべ、その盆の上に酒を置いて。チビチビと酒を呑んどった。
「こういうのもええやろ?」
「あぁ、最高だねぇ」
「せやろ?風呂が好きな経ちゃんのことやから、きっと気に入ると思っとったんや」
「嬉しい心遣いだねぇ」
後から、ギュッと抱き抱えられる。ウチの右肩に顎を乗っけて。経ちゃんの左頬と、ウチの右頬がくっついて。何とも言えへん充足感が湧いてくる。
「なぁ経ちゃん」
「ん?」
「経ちゃんのこういうところ、皇帝になって変わってしもたら嫌やで?」
「エロいところか?」
「違うわボケ」
「ンじゃどういうところだよ」
「とっつき易いっちゅうか、付き合い易いっちゅうか。あんまり気取らへんところや」
「ハッ、そりゃ大丈夫だろ。地位が変わって好きな女との付き合い方が変わるとかあり得んよ。変わるのは肩書きだけだ。その肩書きで仕事をする時ならばいざ知らず、個人的な時間の個人的な人間関係にまでその肩書きを持ち込む奴は馬鹿さ。
皇帝と家臣としての場ではきっと皇帝として話をするし、そういう態度で臨むことになるだろうよ。けど個人的な時間にまでそれを持ち込もうとは思わん。俺と霞が一緒に居るのは、皇帝とその家臣だからじゃない。平教経と霞だから一緒に居るンだ。そこに肩書きの価値なんぞが入り込む余地はない」
「……相変わらず真剣な顔で女を口説くよなぁ、経ちゃんは」
「口説いてる訳じゃ無い。俺は霞の問いかけに対して自分なりに応えただけだろうに」
「その応え方が問題なんやけどなあ……っちゅうても分からへんか、自分には」
「?」
ホンマに分かっとらんのやろうなぁ、経ちゃんは。
「へ……へ……ヘックショイ!畜生め!」
「うるさっ!耳元で何かましてくれんねん!」
「正直済まんかった。だが後悔はしていない!」
「後悔せぇっちゅうの!」
右肩を跳ね上げて顎を叩く。
「あがっ!……いってぇな霞。舌噛み切ったらどうするんだよ」
「自分が阿呆な事言うからやろ?それこそ自業自得っちゅうもんや」
経ちゃんに悪態を吐いとると、空からチラチラと雪が降って来よった。
「へぇ、雪か。そりゃ冷えてくるわけだ」
「綺麗やなぁ」
「あぁ」
そのまま二人とも何もしゃべらんと、酒を呑んどった。言葉を交わさんでも、何と無しに経ちゃんが何を思っとるんかは分かる。今だけは、ゆっくりしたい。何も考えずに、ゆっくりしときたい。そう思っとるんやろ。
この時間は心地ええ。ゆっくりと時間が過ぎていく。
明日からはまた忙しくなるやろう。やる仕事が山程在るわけやない。経ちゃんは『皇帝』っちゅう新しい服を。ウチらは、『皇帝の家臣』っちゅう新しい服を。それぞれが色々と準備して、服が届いたらそれを着こなすのに苦労することになる。
「……そろそろ帰ろうか。雪の中で警護させるのも申し訳ないしな」
「せやな。帰ろか」
城に帰ってからウチの寝所で経ちゃんと共に過ごした。
……どうせするんやから、と思て折角サラシを取っとったのに、態々巻き直させるっちゅうのはどないやねんな。変態っちゅうんか?まぁ、経ちゃんがウチに首ったけなんが感じられるからウチとしては別にええんやけど。
経ちゃんに腕枕されながら、訊く。
「なぁ、経ちゃん」
「何だよ」
「今日、ちゃんと気分転換出来たか?」
「あぁ」
「それならええんや」
「どうするか、気にならないのか?」
「気にならん訳やないけど、問い糾そうとは思わへんよ」
「……そうか」
まあ、好きにしたらええと思うよ、経ちゃん。ウチはアンタに付いていくだけやから。
その思いは言葉にせず、ただ経ちゃんに抱きついた。そのウチを経ちゃんは優しく抱いてくれた。
……きっと伝わったんやろな。
確信はないけど、多分そうやろ。嬉しそうに笑っとったし、な。