〜詠 Side〜

荊州で教経と別れたボクは、交阯で南蛮に対する情報を収集した後宛へ戻ってきた。
南蛮の情報については、正直よく分からないと言うより他ない感じだった。別に南蛮でどういう政治が行われているか分からないという話ではない。王である孟獲に対して全く不満を持っていないらしい事は分かって居るし、今まで外征してこなかったことから見ても排他的ではあるがむやみやたらに攻撃的であったりはしないと思われる。。経済で言うと物々交換が主流、というよりは物々交換のみ行われており、貨幣は用いられない。物を売りに行った商人が、商売にならなかったとぼやいていた。そこまでは良い。
ボクが分からないのは、軍について。交阯にいた兵や素行の悪そうな連中から訊いた話。『猫のような格好をした子供が複数走ってきて、気が付いたら叩きのめされていた』とか、冗談としか思えない。密林の中を行軍中に襲われたということもあり、はっきりと相手を確認したわけではないとのことだったが、殆ど全ての人間が、アレは子供だったと証言している。頭を強く打たれすぎたんじゃないの?

ただ同時に、冗談や錯覚に過ぎないと言い切ってしまうのもどうかと思っている。今まで具体的な話が一切聞けなかったのに、交阯ではその内容は兎も角も具体的な話が聞けたのだから。現状、南蛮軍についての諜報活動は霧中を手探りで進んでいるような状況だ。見て居ないものを自分が信じられないからという理由であり得ないと決めつけることは良くない。ただでさえ見通しの悪い霧中を自ら目隠しをして歩くことと同義なのだから。ボクとしては、ボクが集めた情報を教経に全て報告して判断を仰ぐより他にないと思っている。

宛に帰還して自室で教経に報告する内容を纏めていると、風から話があるから広間に集まって欲しいとの連絡があった。風がこんな形で声をかけてくる以上、何か大きな謀があるに違いない。一体何の話だろうか。





「詠ちゃん、待っていたのですよ」

広間に行くと、現在宛にいる平家軍の主要な将がほぼ全て集まっていた。いつも高順と共に行動しているケ忠が、姉の横で参加していることがボクの目を引いた。

武官の参加者は、星、愛紗、琴、霞、雪蓮、百合、ケ忠、白蓮、華琳、春蘭、秋蘭。
文官からは、風、ボク、冥琳、雛里、吉里、桂花、司馬懿。

錚々たる面子が此処に揃っている。これでまだ、宛に居る全ての将が集まった訳ではないのだ。宛に居ない人間も含めて考えると、本当にとんでもない面子だと思う。その全てが仲睦まじいというわけではないし、それぞれがその胸に抱いている理想もまちまちだろう。だがその全ては、教経というたった一つの個性によって纏まっている。

初めて顔を合わせる人間も多く居たようで、最初は互いに真名を交換したり、これまでの経歴を話したりして交流していた。

「……こうやって全員が顔を揃えると、改めて平家、というか、教経はとんでもない人間だって思い知らされるわ」

曹独りごちたボクに、星が寄ってきて話しかけてくる。その後には冥琳も居るようだ。

「詠よ、今更何を言っているのだ。主の器量が優れていることなど、とうに分かっていただろうに」
「まあそう言うな、星。此処に集まっている人間を見れば、誰もが我が目を疑うに違いないだろう。この国に生きる才在る者の殆どが、一堂に会していると言っても過言ではあるまい」
「冥琳の言う通り、確かに目を疑うだろうな。碧、月、雪蓮、華琳、そして一応私。碧や月は兎も角、それぞれ勢力の長として平家と一戦交えたことがある人間が、それぞれ目的を果たさんとして教経に従っている。一勢力ならまだしも、五勢力の主を臣従させている訳だ。
例えばだけど、この戦乱が始まる前の華琳や冥琳に、先を知る者として私が面会してこの状況を説明しても、『あり得ない』の一言で終わってしまうような状況であることは間違いないよ」
「まぁそうでしょうね。まさか自分が教経に抱かれたりするとは思っても見ないでしょうから」
「華琳はそうかも知れないけど、私は共存できそうだと思っていたし、案外驚かないと思うんだけど?」
「……そう思ったから敢えて雪蓮じゃなくて冥琳と言ったんだけどな、私は」
「あ、成る程。意外に人を見る目があるのね?白蓮」
「もっと早くに色々と気が付いて居れば良かったんだけどな」

皆と談笑していると、風が階を登っていつも教経が座っている椅子の前まで移動して話を始める。

「皆静かにするのですよ。今日集まって貰ったのには理由があるのです。白蓮ちゃんが言った通り、嘗て勢力の主だった人間全てに集まって貰った理由が。お兄さんの独占を目論見ながら表面ではその素振りも見せずに牽制し合う、メス豚共の社交場を設ける為ではないのですよ」
「め、メス豚云々はおいておくとして……勢力の主、と言うことであれば、碧と月が居ないのでは?」
「それは大丈夫なのですよ、愛紗ちゃん。稟ちゃんと碧さんからは書状を貰っていますから。と言うよりも、その二人の連名で提案されたことについて話し合う為に、皆にこうやって集まって貰ったのです。月ちゃんからは、その内容に賛同する旨既に連絡を受けているのですよ」
「……それは何なワケ?」
「二番煎じのボクっ娘は気が付いて居るのではないですか?勿論、ボクっ娘の嚆矢たる詠ちゃんも」
「誰が二番煎じよ、誰が……気が付いて居るというか、此処に居る全員がその方向で動くのは分かってるんじゃない?僕はそう思うけどな」

そうでしょうね。ボクとしても、一旦落ち着いたこの時機にやっておいた方が良いと思うことがある。

「詠ちゃんはどうですか?」
「分かるわよ……正統性を確保してしまおう、ということでしょ?」
「……何の?」
「アンタだって分かってるでしょ、百合。……アイツが、教経が天下を統一する為には、最後に残った袁家を外交で従わせるか、武力でねじ伏せるか、何れかの方策を採る必要がある。そして教経は、恐らく力でねじ伏せる事を選ぶわ。
月も白蓮も華琳も煮え湯を飲まされているし、そして何よりアイツ自身が袁家を目の仇にしているから。そうでないと何かにつけて袁家の領内に対して物心両面で謀略を仕掛けたりはしないでしょう。とことん引っ掻き回す類の策で、かつ相手の領民のことはさほど考えて居ないわけだし、先ず間違いなく叩きのめそうと考えて居る。外交で従わせようとするなら、相手の領民に厭戦の雰囲気を蔓延させることが必須よ。それを行わないのだから、きっとそうするでしょう。
そうなると、大義名分が必要よ。ここまでの戦や謀略によってその地力を削いできたとは言え、現状で膠着させようとすれば膠着させることが出来るだけの底力を袁家は有していると思うわ。もしも、それで構わないと領民が思い始めたら。領民達の中で、教経が『自分たちに幸せをもたらしてくれる偉大な領主』から『平地に無用な乱を求める非道な領主』に転落することになるかも知れない。そうさせない為に、袁家を相容れぬ物として武力で征伐する大義名分が必要なのよ。つまり……」
「……平王朝樹立」
「……そういうこと。これを行う事には利点と欠点があるけど、この場合は樹立してしまった方が良いと思うのよね」
「?……秋蘭、皆何の話をしているのだ?」
「姉者、もう少しだけ様子を見よう」
「?ふむ」
「……誰もその役目を担いそうにないから私がそれを演じてあげるわ。……詠。あの全身白濁破廉恥漢が王朝を樹立する利点より、欠点の方が大きいと思うのだけど?」
「それは何ですか?桂花ちゃん」
「漢の正統は禅譲によって成立した麗が受け継いでいる、と人は思うわ。それと敵対しているから、という理由で勝手に王朝樹立を宣言するのは、袁術のように偽帝と呼ばれるのではないかと思うのだけど?別に私はあの男がどう呼ばれようと構わないけど、華琳様がそんな屑に仕えている不明の君だと言われるのは耐え難い屈辱だわ」
「詠ちゃんはどう思いますか?」
「それはボクが思うに利点になるのよね」
「……」
「……桂花ちゃん、最後まで演じないと意味がありませんよ?」
「分かってるわよ!……ったく、どうして私がこんな分かりきったことを訊かなければならないのよ……何故それが利点になるのよ?」

心底嫌そうに桂花がそう訊いてくる。
……それならその役割を自分から担おうとしなければいいじゃない……

「……麗王朝の首脳は、身の程を弁えずに王朝樹立を宣言した、偽帝・平教経を認めることは出来ない。つまり、外交によって屈服させることが出来なかった場合、力によって屈服させるしかないのよ。教経を外交で屈服させることが出来ないのが間違いない以上、戦によって教経を討伐しなければ新王朝の威信に傷が付くことになるわ。
それに、もしそれをせずに袁家を討伐しようとすれば、平家と袁家のいずれが漢王朝の正統を継ぐ資格があるのか、という点について争うことになる。それを教経が行うのはちょっと無理があるしね」
「……反董卓連合の折、教経は皇帝を洛陽に放置して長安に去った。その教経が『正統を継ぐ』などと言う資格はない、と言われるだろうな」
「その通り。だからこそ、皇帝として王朝を樹立することを宣言するのよ。漢の正統だの何だのという余計な価値観を取り払って、袁紹と平教経という二人の人間の内、どちらが覇者として相応しいかを純粋な力で競い合う為に」
「ふんっ……分かってるわよ」
「此処に集まっている者で教経を皇帝として戴くことに反対する人間って居るのかしら?」
「……まあ居ないでしょうね。孫家を代表する貴女は賛成なのでしょう?」
「ええ。袁紹には死んでも従いたくないけれど、従うのが教経なら文句はないわよ。約定が守られる限り教経に従う、という約束だしね。教経が皇帝になろうとなるまいと、そんなことはどうでも良いわ。華琳だって同じように思っているんじゃない?」
「私は皇帝になろうとなるまいといずれでも構わないとは思っていないわよ?」
「どういうこと?」
「教経は皇帝にならなければならないのよ。アレが理想としている世の中を現出させようとするならば、絶対的な権力が必要よ。劇的に社会構造を変革するには、絶対的な権威と権力を有する存在が必要になるわ。
そして人一人の人生程度の時間では、その全てを実現させることは出来ないかも知れない。平家の領内では殆どの民がその治世に満足しているけれど、教経はそれを継続するつもりがあるという意思表示を明確に示す必要があるわ。抱いている理想を実現させる為の変革が継続されるという事を、教経が皇帝となって子を為すことで示す必要が、ね。
漢でも麗でも構わないけれど、丞相というものは一代限り。その後同じような治世が継続されるか否かは分からない。でも皇帝が国是として何かしらの方針を定めれば話は別だわ。教経が絶対的な権力を以て方針を定め、それを引き継ぐ者が居る、となれば、民達も安心するでしょう。
権力の掌握と民達への意思表示の為に、王朝樹立と皇帝即位は必要だと思っているのよ」
「白蓮様はどう思っているワケ?」
「私も教経が皇帝になることには賛成だよ。今この世の中で天下を争う勢力の主は、教経と麗羽の二人しか居ない。その片方が皇帝なんだから、それに対抗する意味でも帝位に就くことを宣言するのは良いと思う。
第一、今まで教経がやって来た政や人材の登用方法、組織の組み立て方なんかは旧来のやり方を否定するものだ。旧弊を打破する人間が、旧時代を代表する漢の正統を引き継ぐと言う方が違和感が強いよ。真っ向から、旧時代を否定し新時代の幕開けを宣言するのに、帝位に就くのは一番有効だと思うよ」

月、碧、雪蓮、華琳、白蓮。各勢力(派閥?)の長が、全員教経が新王朝を樹立することに賛成している。まあ、改めて訊くまでもなく、皆賛成するだろうとは思っていたけど。

「……ねえ、風。皆反対しないと言っている訳だけど、態々集まって確認しなくても、明日教経の前で話をして帝位に就くことをアンタが要請すれば良かったんじゃないの?」
「詠ちゃん。問題は風達臣下にあるのでは無いのですよ」
「……どういうこと?」
「その場にいた詠ちゃんは知っていると思いますが、お兄さんは必要なら王朝を開いてやる、とはっきり言いました。但し、その『必要』という言葉は、お兄さんが自分の理想を追い掛けるのにどうしてもそれが必要になったら、という意味であって、周囲がお兄さんを帝位に就くことを望んだ結果として生じる『必要』のことでは無いのですよ。
お兄さんは、自分がそうしたいと思わない限りそうしないでしょう。幾ら風達がそうして貰いたいと言っても、言うことを聞いてくれない可能性が有ります」

……確かに、教経にはそういうところがあるかも知れない。その利点や必要性を理解していても、『他人に強制されている様な気がする』という理由で意固地になって断る様なところが。

「……要するに私達から教経に強く要請をしろ、と言っているのね?風」
「華琳様。それは風様が先に仰られたことと相反しているのではありませんか?それでは教経公は断る可能性が有るとのことでしたが」
「そんな事はないわ。いきなり教経の前で話をされたら、皆『まあ、良いのではないか?』程度の反応になるでしょう。今この場にいる人間が抱いている温度も、その程度のもののようだしね。それでは教経は動かせない。
だから、月、碧、雪蓮、白蓮、私。嘗て一箇の勢力の主であった人間が、教経に対して新王朝の樹立を正式に要望する形を取るのよ。その上で、麗羽と武力によって雌雄を決する為にはどうしても必要なことだ、ということを風が教経に言えば問題無いでしょう。教経からしてみれば、自分の望みを果たす為にも周囲の人間の要望を満たす為にも必要なことである、ということになるのだから」
「成る程。逃げ道を無くしてしまおうという訳ですな」
「端的に言ってしまえばそういうことなのです。その為に、皆に集まって貰ったのですよ」
「じゃ、後日教経にどういう形で話を切り出すか、考えましょう?早いほうが良いでしょうけど、纏まっていないうちに話を切り出したところで上手く行きそうにないし、細部まで詰めた上で話をしましょうか。ま、わたしは教経にそれを勧める役目を担うだけで、どうやるかについては冥琳達に任せるけど」
「ではまず最初に……」

此処に居る全ての人間が風の言葉に耳を傾ける。ボク達の要求に対して、教経がどういう反応を見せるか。如何にして望ましい反応を引き出すかについて、皆で話し合った。

さて、教経はどうするのだろうか。















〜教経 Side〜

風から、改まった話がある、と言われて向かった広間には、宛にいる全ての将が集まっていた。俺の護衛についているダンクーガ以外の全ての将が。

凄い光景だな、これは。
元の勢力毎に分かれて、俺の前に並んでいる。孫家の列が寂しいが、雪蓮と冥琳以外は全て揚州にいるのだから当たり前か。公孫家も四名しか居ないが、これも益州と荊州に分かれているから仕方がない。曹家の面子は全て揃っているだけあって、流石の威圧感だ。

皆俺が入室したのを確認して跪拝する。

「呼ばれてきてみれば随分と大仰なことになっているじゃないか」
「それはそうなのですよ、お兄さん。これから真面目なお話があるのです」
「真面目なお話、ねぇ……」

言われて皆の面を眺める。
星や雪蓮は相変わらずの様子だが、平家ではケ忠がカッチカチに緊張している様に見える。曹家では、凪が。公孫家では、雛里が。孫家は二人しか居ないが二人とも普段通りに見える。

「で、何だ?エラく緊張している人間が居る様だが、そんなに大層な話なのか?」
「人によっては大層な話なのです」
「勿体振らずにさっさと言って呉れよ、風」
「では話をさせて貰いますね。お兄さん、帝位に就いて下さい」
「……は?」
「帝位に就いて下さい」
「何でまたそんな事を言い出すんだ?」

そう言った俺に、雪蓮が話しかけてくる。

「簡単な話よ。教経がわたし達に約束してくれていることが、ずっと守られるという保証が欲しいのよ」
「……俺が約定を破る、と?」
「そうは言ってないでしょ?教経が死んでしまったら、どうなるか分からない、というだけよ」
「俺が死んだ後?」

雪蓮に聞き返すと、華琳が割って入ってきた。

「……教経。貴方が善政を布き、約定を守ることについては誰一人疑わないと思うわ。民もその殆どが貴方を信頼している。でも、それでは少し弱いのよ」
「弱いってのはどういう意味だ?」
「不安を覚えざるを得ない、ということ。貴方が現状善政を布いているからこそ、人は貴方にその治世がこの先もずっと、貴方が死んでしまった後も続くであろうという証を求めるのよ」
「だから帝位に就け、か?だが、俺に子が出来たとして、その子が俺と同様の政を行うかどうかなど分からんだろうに」

抗弁した俺に、今度は白蓮が話しかけてくる。

「確かにそうだと思うよ。でも、お前がどう思うかというのはこの際意味がないと思う。民がどう思うかが問題なんだ。そして民は、お前が至尊の冠を戴き、お前の血が後世に受け継がれることこそが、後々まで自分達の生活を保証してくれると考えるんじゃないか?」
「……何故そう言い切れるンだね?」
「歴史を見れば民というものがそういうものだってのは分かるだろう?自分達を保護してくれる、強力な権力者とその支配体制の継続を求めるものなんだから」
「ふむ……確かにそういうものかも知れないが、他人が要求するから帝位に就く、というのは少し気に入らないな」

その言葉に、得たりやと司馬懿が応じてきた。

「教経公。教経公は袁紹と力でぶつかり合い、雌雄を決したいのではありませんか?」
「そうだが、それと何の関係がある」
「教経公が帝位に就けば、先方へ挑戦状を叩き付けることになります。それも、挑戦を受けぬという結論を出すことが出来ない形で」
「皇帝だから、か」
「そうですな。思い上がりも甚だしく、同格であることを声高に主張してくる教経公を討伐しないことには、麗王朝の威光を示すことが出来ませんから」
「……確かにそうなるかもな。だが、俺が皇帝に『ならなければならない』という程のものかね」
「はい」
「何処にそれだけの必要性がある?」
「教経公は天下を統一する、と仰っておられますな」
「そうだ」
「失礼ながら教経公。天下人となるのであれば、ある程度は己というものを殺すべきです。無論、絶対に受け入れられぬ事を受け入れろ、という訳ではありません。風様や星様、華琳様など教経公のお側に仕える方々や、平家の領内に住まう民達の要望に応えるだけの度量が遇って然るべきではないか、と言っているのです」
「む……」
「別に皇帝になったからと言って、今とすることが変わるわけではありません。手に余る仕事などは私を始め多くの臣下に振ってしまえば構わないでしょう。必要なのは、今貴方が帝位に就く事によって、天下にその決意の程を知らしめることです。
……平家は、旧弊を打破し新時代を築くつもりであるという事を」
「……此処に居る全員が、同じ意見なのか?」
「同じ意見だからこそ、俺がこっち側に居るんですよ、兄貴」
「華琳様がそうしろと言っているのだから従え!」
「必要があれば王朝を樹立する、と言ってたじゃない。今がその時だと思うわよ?」
「御遣い君が何を考えて居るか知らないけど、臣下の期待に応えるのも主君の務めだと思うワケ」

皆の顔の上に視線を滑らせるが、誰一人この話に動揺している人間が居なかった。どうやら、きっちり打ち合わせをした上でこの話し合いに臨んでいるらしいな。

「……はぁ」
「どうしたのです、主?溜息など吐いて」
「お前さん達の計算通りの流れ、か」
「何を言っているのかよく分からないわね。確証があるなら見せてご覧なさい?」
「お前さんが勝ち誇ってそう言っていることが確証足り得ると思うがね」
「あら。誰もが確と目にすることが出来る形で見せて貰わないと、確証とは言わないのよ?貴方らしくもないわね、そんな妄言を吐くなんて」

全く。お前さんは口が減らない女だよ、華琳。

けどまぁ、司馬懿が言ったことは間違いじゃない。袁紹の馬鹿と俺の望む形で雌雄を決するには、皇帝即位が一番の策になるだろう。乗せられているのが気に入らないが、それもまた司馬懿が言う通りだ。天下を望むなら、自分の都合だけでは動けない。

「……是非も無し、か」
「お兄さん?」
「分かったよ。帝位に就こうじゃないか」

そう言い放つと、広間がざわめく。

「どうした?それを皆望んでいたのだろう?何を驚く」
「……もう少し愚図ると思って居たのだけれど、ね」
「愚図ったところで出る結果は変わらなかっただろう。その為に、皆で事前に打ち合わせをしたんじゃないのか?」
「……担ぎ出される覚悟は決まった、ということで良いのよね?教経」
「まぁ担がれてやるよ、雪蓮」
「そ。それなら問題無いわ」
「……では、董卓、馬騰、孫策、公孫賛、そしてこの私、曹操の五名の連名で、貴方を皇帝に推戴する旨全国に宣言するわ」
「俺が帝位に就くと宣言するんじゃないのか?」
「貴方は担がれて帝位に就くのよ。ここから先、教経を裏切ることは許さない。そういう楔にもなるでしょう。何より、帝位に就くにしても手順というモノを踏むべきでしょうからね」
「三回断れ、か?」
「そうよ。そして最後には受け入れる。そういう形を取るべきよ。
……にしても、よく分かったわね」
「俺ならそうするからな」
「ふふっ」

華琳は心底愉しそうに笑いやがった。

「ではお兄さん、然るべき手順を踏みますが、そういうことで良いですね?」
「逃げ場はないしな。皆が必要だというならその期待には応えるさ。それも頭領の務めだろう。……あまり勤勉な方じゃない俺には残念なことながら、な」

皆が一斉に跪拝する。

……幸いなことに、俺の前には轍が在る。権力という道を直走った挙げ句優秀な御者を失って暴走し終には横転した、『平家』という家が残した廃滅への轍が。
その轍を見ている俺は、同じ轍は踏まない。人をして心から頭を下げさせる事が出来るのは、徳だけだ。力では頭を下げさせることが出来ても、内心何を思っているか分かったモンじゃない。社会ってのがごく少数の身内と圧倒的多数の他人で構成されている以上、他人の反感や恨みを過度に買わないように心掛けるべきだ。

平清盛。俺は、アンタの子供のようにはならない。驕り高ぶって家を滅ぼす基を創るような、阿呆にはねぇ。