～鄧忠 Side～
「兄貴、上手くいったな」
「あぁ。期待通りってヤツだ。これで奴さん達は負けるしか無くなった訳だ」
劉表軍が用意していた毒入りの糧食を、劉表軍に呉れて遣る。その策が成功した。酒を飲んでいるだけだと罠であった時の危険を考慮すると失うものが多すぎるという判断をしていたようだが、やはり目の前にぶら下げられたのが糧食となると話は別だったみたいだ。籠城をより長く続けるのに必要となる糧食を得ることが出来るかも知れない、というのは流石に罠を考慮しても打って出てみる価値があると判断したんだろう。
俺たちも襲いかかられたときに算を乱して思い思いに逃げ出したが、アレは面白かった。周瑜の姐さんは、『全く、ウチの兵達は逃げる演技ばかり上手くなって……』とぼやいていたが。そんな事はないと思うんだけどな。練度で言えば大陸一だと思うし。元々平家の郎党だった奴らは特にそうだ。人死にが少なかった分実戦経験も豊富だし、長い軍属生活で十分な訓練を積んでいる人間が多くいるからな。
「で、大将。どうなると思う？」
「そうだな。早速張り切って炊いてあった分を食べて、悶絶してくれることだろう。その時に、恐らく打って出てくる奴が居るはずだ」
「何でだ？」
「ダンクーガ。相手の身になって考えてみろ。お前さんが籠城していて、喰った糧食に毒があって痺れて動けないヤツが出たとする。それも結構な数な。で、お前ならどうする？」
「どうするって……あぁ、そういうことか」
「そういうことだな」
「このままじゃジリ貧だから、まだ余力がある内にってことですかね。劉表を逃がす為に」
「多分そうなるだろう」
「面倒なことになりそうですなぁ」
「オッサン。籠城されっぱなしの方が面倒だろうが。矢は城壁をすり抜けて飛んでいくモンじゃないしな。それに、城内には民達も多くいるだろう。籠城が長引くのはあまり良くないンだよ」
「このような時まで民のことを考えておられるとは……流石は御遣い様！思い起こせば太原で……」
あ、始まりやがった。
「……よし、オッサンはほっといて余所に行こうか」
「……大将に同意」
「……撤退の決断が早いのは名将の条件だよな」
「……で、ありましたからなぁ。本当に御遣い様は……」
全て遠き理想郷に旅立ったオッサンをおいて、陣屋を後にした。
「教経」
「お、蓮華か。どうした？」
「冥琳達が軍議を、と言っているのだけれど」
「成る程。同じ事を考えていたのかな。一緒に行こうか、蓮華」
「ええ」
孫権の姐さんと連れだって歩いて行く。
「ねえ、教経」
「ん？」
「同じ事を考えていた、と言っていたけど、どういうこと？」
「多分だが、劉表軍が出てくるだろう、と思っているんじゃないかなと。そう思ったンだよ」
「そう。それならこれで終わり、ね」
「そうだな。これで終わりだ」
「戦が終わったら、話がしたいのだけど？」
「あぁ、良いぜ。戦が終わったら訪ねる事にする」
「え、ええ」
……また、かな？これは。そう思って高順を見ると、高順は肘で俺を小突いて前を顎でしゃくった。放っておけ、ということなんだろう。数日前の呂蒙ちゃんと言い、遠征の度に増やすよなぁ、兄貴は。俺の方が外見は遙かに良い筈なんだけど、この差はどこから来るんだ？
そんな事を考えていると、いつの間にか将が集まっている陣屋にやって来ていた。
「先日の戦闘で、思い描いていた通りに劉表軍に教経の言うところの『贈り物』を届けることが出来た訳だが、恐らく奴らは打って出てくるだろうという予測を全ての軍師が立てている。よって恐らくそうなると思うが、それに対してどう対処するか、教経の意見を聞きたいと思ってな」
司会役として、周瑜の姐さんが口火を切る。
それに対して、孫策の姐さんが挙手して発言を求めた。
「雪蓮、何か在るか？」
「私も出てくると感じているけど、やっぱり劉表を逃がす為にってこと？」
「まあそうだろうな」
「そう思う人間が残っているのか？私は居ないと思っているのだが」
「愛紗さん。そう決めつけるものでは無いと思います。ご主人様から伺った、黄祖さんの最後は見事なものだったと思います。そういう人の配下であった人に、一人として同じような思考をする者が居ない、と言えるでしょうか」
「……言えないかも知れないな」
「だから私達は出てくるだろうと考えて居るんですけどね～。教経様はどうお考えですか～？」
「俺の方でもそう考えてたからな。ここは突破は絶対に無理だってことを示す必要があるだろう。幸いにして兵は十分にある。全軍を20,000程度に分け、各門から出てくるであろう劉表軍に備える。東門は蓮華。西門を雪蓮。南門は白蓮。北門を俺。それぞれ分かれてやろう。凪達は雪蓮の配下として動いてくれ。それで将の割り振りもほぼ均等になるだろう。4分の1の数を突破出来ない、となれば脱出に絶望してくれるはずだ。そうすれば、こちらが無理をしなくても落城する可能性が高い」
「お屋形様。どういう事でしょうか」
「……内応」
「まぁ、そういうことになるだろう。こちらが望んでもいない商品を高く売りつけようとしてくる商魂たくましいヤツはいつの時代にも居るものだ。恥知らずにも得意げに、な」
「醜悪です」
「そうだ。だからそういう屑は斬り捨てる。『悪・即・斬』の下に、な」
「はい、お屋形様」
「俺の方針に問題点があるようなら指摘して貰いたいンだが？」
「無いと思います」
「……まあ無いだろうな」
「じゃぁ方針はこれで良いな？それぞれ備えておいてくれ。戦はこれが最後だろう。恐らくだがな」
「御意」
一番出てくる可能性が高いのは、北門だろうな。何せ直ぐ向こうは徐州だ。逃げるなら北からの方が良いに決まってるんだから。まあ、俺たちを相手に選ぶならきっちり相手をしてやるさ。親衛隊は伊達じゃないってのを教えてやる。
～吉里 Side～
「白蓮様。ご主人様からの伝令です。劉表軍は北門から出て来たようですね」
劉表を逃す為に打って出てくると予想してそれに備えていた僕達に、北門から突出してこれを突破しようと劉表軍が建業から打って出てきた、と報告を受けた。御遣い君からは『援軍には及ばない。こちらが囮という可能性を考慮して全軍待機しておくように』、との伝令が来たみたいだ。
格好付けちゃって。失敗したらどうするつもりなのかな？窮鼠と化した劉表軍に正面からぶつかることになる。油断していたら、痛い目を見ると思うんだけどね。
「そうか。それはまた災難だったな」
「はい」
「……どういうこと？僕はちょっと油断しすぎている気がするんだけど？」
「あはは。それは吉里が教経のことを知らないからだろうな」
「雛里。雛里も白蓮様と同じ意見なワケ？」
「うん」
「過信なんじゃない？たいしたことないと思うんだけど」
「フッ……教経様を見くびりすぎだな、お前は」
愛紗が余裕綽々に私を見て笑っている。ムカつくんだよね、その余裕の笑みは。
「そうかな。まぁ向こうには琴と百合が居るから心配要らないって事なんだろうけどさ」
「吉里。教経は万全なら恐らく平家で一番強いと思うぞ？」
「まさか」
「8,000の兵で囲まれた1,000の兵。壊滅させるのにどれくらい時間が掛かると思う？私が8,000を指揮し、雛里が軍師として付いていたとして」
「1刻要らないんじゃない？」
「そうか。だけど教経は耐えきったよ」
「嘘でしょ？」
「それが嘘じゃないんだよ。なぁ、雛里」
「はい。ご主人様は私が立てた策に嵌ったのに、それを耐えきって後続を待ち、私達に負けを認めさせましたから」
「……そんなに凄いワケ？」
「吉里。私も星も霞も、教経様には勝ったことがない。勝ったことがあるのは唯一恋、あの『呂布』だけだ。そういう人間が、琴と百合、高順に鄧忠を率いて待ち受けている。私なら絶対に北門は選ばない。選ぶなら、西か南だな」
「蒲公英なら西かな～」
「私なら南一択だな」
「私は西です」
「で、でもそれは個人の武勇だよ？個人の武勇で戦の勝敗が決するなら、今頃董卓が天下を獲ってるよ？そうでないからこうなってるんでしょ？確かに平家の兵の練度は圧倒的だと思うけど、死兵を相手にして余裕を持って相手が出来るとは思えないんだけど？」
「それは私達が率いて居る郎党は、だな」
「そうそう。高順が纏めてる親衛隊はちょっとおかしいのが集まってるもんね～」
「おかしいって？頭がおかしいのは知ってるよ？」
「あははっ♪そうじゃないってば。そうだな～。吉里は愛紗の練兵見たことあるよね？」
「うん、あるよ」
あれはかなり厳しいものだと思う。練兵が終わった時、殆どの兵がその場から動けない程に疲弊していたから。だからこそ、平家の郎党は皆剽悍なんだろうけど。
「高順はね、アレが終わった後に親衛隊だけ連れて鍛錬続けるんだよ？」
「……は？あれが終わった後で？」
「そう。といっても一日交替で半分ずつだけどね。でも高順達親衛隊の上層部はずっとやってるんだから。たんぽぽはちょっと付き合いきれないかな～」
「あれだけの体力と武技を備えた人間達が、『一兵卒』として控えているのが親衛隊だ。並の兵なら10人は軽く殺してみせるだろうな。余所に出せば、ちょっとした部隊の部隊長くらいは務まる人間ばかりだろう」
「実際に剣を交えた私達から見て、異常だったからな」
「騎馬を投入してもびくともしませんでしたから」
「あれで崩せないとは思わなかったからなぁ……」
「そ、そんなに強いワケ？」
「異常だ」
「異常だよね」
「異常だな」
「異常だと思います」
これだけの人間が異常だって口を揃えて言う以上、間違いなくおかしいんだろうね。
「だからまぁ災難だって言ったんだよ」
「申し上げます！」
「何だ？」
「周瑜様より伝令で、各方面から一人ずつ教経様の後詰めとして兵を送ろう、とのことです。突破されることは先ずあり得ないが、後学の為に見ておいた方が良いだろう、と」
「ご苦労様」
「はっ。失礼致します！」
「後学の為、ということなら、此処はたんぽぽだよね？」
「いや、私が行こう」
「愛紗は駄目だよ～。南門の主力なんだから」
「それを言ったらお前だってそうだろう」
「……じゃあ僕が行くね。此処には雛里が居れば十分だと思うし、君たちが言っていることが本当かどうか確かめてみたいし」
「そうだな。それが良いかもしれない。愛紗、たんぽぽ、そういうことで良いか？」
「え～」
「むぅ……まあ、仕方がない、か」
「という訳で、吉里。よく見てくると良いよ」
「じゃあ僕が行って来るね」
そんなに言う程凄いなら、見せて貰おうじゃない。
「あ、徐庶殿。お疲れ様です」
「吉里で良いってば。凪が来たんだね」
「はあ。見てこい、と言われたものですから」
「はわっ、凄いです」
「そっちは明命か」
「それにしても凄いですね、教経様は。あの辺りから全く敵が前に進めなくなっています」
凪が指を差した辺りにあったのは、『高』の旗。高順が率いる親衛隊の中でも最精鋭の部隊だ。此処に居ても声が聞こえてくるってどういう声してるのよ、アイツ。
「テメェらぁ！こっから先は親衛隊の面目に懸けても行かせるんじゃねぇ！俺たちを敵として選んだことを後悔させてやるんだ！やぁぁぁぁぁぁぁってやるぜ！」
「「「「「「OK！忍！」」」」」」
「……本っ当に暑苦しいね」
「そうか？私は凄いと思うが」
「皆さん強いですね」
さっきまで押し込まれていた筈なのに、あっという間に戦線を押し戻し、今や門に迫ろうという勢いだ。御遣い君は馬上でそれを悠然と眺めて居たけど、突然剣を抜いて頭上で回した。
「む。あれは？」
「さあ？どうするんでしょうか」
そのまま眺めて居ると、左右からダンダラ模様の羽織を着込んだ部隊が一斉に敵中に飛び込んでいく。その先頭には、琴と百合がそれぞれ居る様だ。剣を振るって道を開き、そこに次々に新撰組の人間が切り込んでいく。その勢いは鋭く、兵の動きは速い。
「流石は琴様です。思春殿みたいです」
「百合様も凄いですね。春蘭様が敵を斬り飛ばしているような感じです」
……白蓮様や雛里が言っていたことがよく分かったよ。これを向こうに回して戦うなんて、悪夢以外の何物でもないと思う。
「ガハハハッ！御遣い様の為に道を開きに行くぞい！儂に続けぇ！」
また特徴的な声が聞こえてくる。親衛隊の実質3番手と噂されている、魏越とかいうオッサンね。副長をやっている鄧忠は、御遣い君の身辺を警護して居るみたいだ。
「あ、あれ？門が閉まっていきます！」
「馬鹿な！まだ味方が外にいるんだぞ！？」
「……劉表って屑だって聞いてたけど、その噂に違わぬ屑っぷりね」
門が閉まっていく。門近くにいた敵兵が我先に門へ殺到している。
完全に閉じてしまわないように門扉を抑えていた敵兵を、城内にいる兵が斬り殺して門を閉めようとしている。
「何を考えて居るのだ！」
「酷すぎます」
「……反吐が出るわ」
外にいた兵を完全に見捨て、城門は無情にも閉められてしまった。外に残された敵兵は、2,000に満たない程度だった。
「御遣い君の所に行きましょう。流石にあれを殺すっていうのはちょっとどうかと思うし」
「教経様がそうなさるとは思えないが」
「兎に角行きましょう」
城外に残っている人間をどう扱うのか。それで御遣い君の器量も知れるよね。
～教経 Side～
北門を突破しようとして正しく奮闘していた敵兵の全てを見捨て、劉表は城門を再び閉めやがった。残された敵兵の顔には、『絶望』という名の仮面が貼り付けられている様に見える。
……ドカスが。何を考えて居やぁがる。テメェを逃がす為に命を懸けて戦っていた奴らを、見捨てるだと？しかも門を閉める際に、それを阻もうとしていた奴らを斬り殺しやがった。
「……兄貴、俺は心底劉表ってヤツが憎い」
「憎いなんて言葉じゃ表現しきれねぇよ。……ぶっ殺してやる」
「外にいる兵をぶっ殺すってワケ？御遣い君の器量もたいしたことないね」
鄧忠を話をしていると、いつの間にかやってきていた吉里が俺にそう声を掛けてきた。その後には、凪と明命も居る。
「馬鹿が。ぶっ殺してやるのは劉表のドカスだ。今目の前に居る奴らは黄祖の爺さんと同じような奴らだろう。己が主の為に命を懸けて戦っていた、勇者と呼ぶに相応しい者達だ。俺は勇者の遇し方を知らない訳じゃ無い」
「言うに事欠いて馬鹿とは何よ！馬鹿とは！」
「……吉里、ちっと黙ってろ。俺ぁ今機嫌が悪いンだよ」
「吉里、ちょっと抑えろ」
「吉里さん、落ち着いて下さい」
「鄧忠」
「何だい、兄貴」
「前線に行く。敵将と話をしてみる」
「……降るかな」
「……さあ、な」
……黄祖の爺さんと同じなら、降ることはないんだろうな。
「お屋形様……」
「琴か。敵は？」
「抗戦の構えを見せていますが、隊士達は彼らと戦いたくないようです。私も、正直戦いたくありません」
「だろうな。俺だってそうだ。話をしてくるが、どうなるか分からないから備えておいてくれ」
「……大丈夫？」
「大丈夫だよ、百合。勇者は卑怯は行わないモンだ」
その言葉に、百合も、そして琴も頷いた。二人とも、彼らを敵ながら認めているのだろう。
「そっちの大将を出せ！俺は平教経だ！話がしたい！」
俺が呼びかけると、敵の中から一人将らしき人間が出て来た。
「貴方が平教経か。私は文聘。字は仲業だ」
「お前さんが文聘か」
「……私を知っているのか」
「……まあ、ね。俺は天の御使いだ。ある程度の人物は知っているつもりだ」
「そうか。それで、話とは何だ」
文聘が俺の目を見てくる。
……これは、駄目だ。コイツも死ぬつもりだ。自分を裏切った主に、忠義を尽くすというのか。あの屑には、その忠誠を捧げられる資格はない。何としても、止めさせなければならない。あんな屑の為に、死ぬ必要なんて無いんだから。
「文聘。お前さんは十分にその忠を尽くしたはずだ。劉表がお前さんを裏切ったことで、お前さんが劉表に忠を尽くさなければならない義理は無くなったはずだ。俺に降って仕えよとは言わん。命を惜しんで投降しろ。復讐するにせよ再起を図るにせよ、命あればこそだろう」
「そうは行かん。私は黄祖殿と約束をしたのだ」
「約束？」
「そうだ。黄祖殿は先に死ぬことで家に忠義を尽くす。私は生きて最期まで家に忠義を尽くしてから死ぬ。そう約束したのだ。
死んだ人間と交わした約定を一方的に破り捨てることなど、私には出来ない。それでは不公平に過ぎる。黄祖殿は私に文句を言う事すら出来ないのだからな。死者と交わした約定は絶対だ。それを破るような屑に、私はなりたくない」
「黄祖もお前も、何故そう死に急ぐ。人は人に従うべきであって、家や思想に従って生きていくべきじゃない。そんな枠にはめることが出来る様な生き物じゃないンだよ。人間ってのは、基本的に感情で動く生き物だ。家や思想には感情は通わない。人であればこそ、お前さん達の想いが通うンだよ。あの屑にはその忠誠を捧げられる資格はない」
「貴方が言うことは分かる。だが私達にはこういう生き方しか許されなかったのだ。今更それに文句を言うつもりはないが、貴方に私達を憐れと思う気持ちがあるなら、私達の生き方を否定しないで貰いたい」
「今お前さんが言っているのは生き方じゃない。家の為に生きるのは良い。それは俺だってそういう面が多分にある。俺も平家を背負って生きている訳だからな。家の為に生きている部分は間違いなくあるンだよ。
だが、死に方となると話は別だ。お前さん達は、命を賭しても構わないと思う誰かの為に死ぬべきであって、家の為に死ぬべきじゃない。それが大丈夫の死に様というものだろうが」
「『大丈夫の死に様』、か。……黄祖殿の死に様は、立派であったか？」
「……立派な訳が無いだろうが。最期まで抗って抗って抗い続けてみせるのが『立派な死に様』だ。望んで死ぬような真似をしやがったあの爺の死に様を、俺は絶対に立派だなンて言ってやらない」
「フッ……」
「何が可笑しい」
「いや、黄祖殿が思い描いていた理想の敵手だと思ってな」
「どういうことだ？」
「黄祖殿は戦場で死にたがっていた。その最期の相手として、知勇を兼ね備えた、仁義に篤い人間が相手であればこれに勝る誉れはない、と言っていた。『儂の名は仁義に悖る者に荷担した愚者として残るだろうが、残せるだけの名があるだけマシというものじゃ』、とな」
「何がマシなものかよ。さっきも言ったが、生きていればこそ浮かぶ瀬もある。ヤツは早々にそれを放棄した不心得者だ」
「そうか。では私もその不心得者になるらしいな」
「馬鹿な。今更死ぬ必要が何処にある。貴様を裏切ったんだぞ、あの屑は」
「確かに屑だろうな。だが、仕える主を選んだのはこの私だ。このような最期を迎えることになったのは、私自身が積み重ねてきた選択の結果に拠るものだ。誰を恨もうとも思わない」
「何を言っている。仕える側がその主を見抜けないのが悪だとしても、その主が極悪非道な振る舞いをした責任を臣下が全て背負うなどということがあって良いはずがないだろうが！
むしろその逆なんだよ。臣下の行いがもたらす結果は、全てその主の責任だ。その逆はあり得ない。あってはならないンだよ！」
「そう考えることが出来る人間だと、そう信じて居たんだがな。どうやらそうではなかったらしい、ということさ。それにさっきも言ったがな、黄祖殿が先に逝って待っている。私も逝かねばならぬだろう」
文聘はその剣を抜き放ち、己の首に宛がった。
「ま、待て文聘！まだ話は終わっていない！」
「私の方から話すことはもう何もない。これ以上貴方と話をしていたら、決意が揺らいでしまいそうだからな。
……最期に貴方と話が出来て良かった。私の生涯で、最も充実した会話であったろう。貴方にこの愚者を憐れむ気持ちが僅かでもあるのなら、我が愚息のことを宜しく頼む。父は立派に果てたと。そして強く生きよと。そう伝えて欲しい」
「待て！」
俺が制止するのも聞かず、文聘は自刎して果てた。
文聘に付き従って居た兵達も、次々に自刎して居る。
「止めろ！貴様らはもう十分戦い、忠義を尽くしたじゃないか！これ以上あの屑に従う必要なんてない！止めろ！死ぬ必要なぞ無いじゃないか！」
ダンクーガも鄧忠も魏越も、動かなかった。
「お前ら、何をやっている！今すぐ止めろ！」
それでも動かない奴らを放っておいて自ら止めに行こうとする俺に、琴と百合とか抱きついて止める。何で邪魔をするんだ。このままだと、あいつら全員死んでしまうだろうが。
「……大将。あいつらが選んだことなんだ。俺たちには止める資格はないよ。此処で止めても、きっとあいつらは死ぬ。大将だってそれは分かって居るんだろ？それなら此処で、主将と一緒に、立派に死なせてやった方が良い」
「馬鹿なことを言うな！死ぬことに立派も糞もあるか！死んだら皆同じなんだよ！」
「兄貴。此処で生き残った奴らは、きっと死んだまま生きていく事になるんだぜ？そんな人生を、兄貴は強要するってのか？」
「何だと？」
「あいつらは劉表の屑の為に死ぬんじゃない。文聘の為に死ぬんだ。それを止めて、生きながらにして死ねと、そう言うのか？兄貴は。俺たち親衛隊はあいつらの気持ちはよく分かるつもりだ。もし兄貴が同じようにして死んだなら、俺たちだって同じ死に様を選ぶだろう。兄貴はそれを理解してやれないってのか」
「……馬鹿め……馬鹿め！」
「……御遣い様……泣いておられるのですか」
「……泣く訳がないだろうが。馬鹿共の為に泣いてやろうとは思わん。
琴、百合。もう良い……もう、誰も生きていないから」
最期まで文聘に従っていた奴らは、皆自刎して果てた。こういう奴らがいるのに、その期待に応えてやらなかったばかりか盛大に裏切りやがった屑が憎い。頭がおかしくなりそうな程、あの屑が憎い。コイツらは、犬死にじゃないか。何の為に生まれてきたってンだ。あの屑に裏切られて死ぬ為に、生まれてきたってのか。
「あ、あの、教経様。彼らの遺体を収容して埋葬してやりたいのですが」
「……あぁ。そうしてくれ。全員の遺品を集めておいてくれ。家族に渡してやりたいから」
「わ、私も手伝います」
「俺たちも手伝おう」
「そうだな」
「そうするとしよう」
死んでいった奴らを収容している皆を見ていると、吉里が側にやってきた。
先刻、コイツに対して暴言を吐いちまったな、そう言えば。
「……さっきは済まなかったな。暴言だった」
「いいよ。僕の方も無神経だった」
「で、何だ？」
「あいつ、名を残したいと思って居たと思うけど、残させてやるの？愚者としてでもその名前を」
「……馬鹿め。誰が愚者としての名を残させてなどやるものか。誠忠の士として祀り上げてやる。男児たる者かく生きるべし、とな。精々あの世で恥ずかしがるが良いさ。文句は言わせないし、言えないだろうよ。死んじまってるンだから。とっとと死んだあいつらが悪い。様を見ろってンだ」
「……そっか」
それがお前さん達にはお似合いだよ、黄祖、文聘。