〜教経 Side〜
黄祖を殺した俺たちはそのまま行軍を続け、劉表が立て籠もっている建業を囲んでいる。あちらに届けてやった爺さんの首を見て恐れを抱いたのか、随分と警戒しているようだ。蓮華と白蓮も合流し、長沙を出発した全ての軍が建業に集結している。後は建業を落とすだけだ。
「教経。元気そうね」
「あぁ。お前さんも元気そうで何よりだ、蓮華。随分早かったな」
「まあね。途中で蔡和が道を阻んで来たけれど、思春があっという間に首にしたわ。あまりに手応えがなかったから何か在るかと思って慎重に軍を進めて来たのよ。だからこれでも時間は掛かった方だわ」
「へぇ。やるじゃないか、思春」
「……はっ」
相変わらず良い尻と良い褌だねぇ。
「で、そっちも早かったな、白蓮。お前さんの軍が一番行軍距離が長いはずなのに」
「こちらもそれなりに時間は掛かったけど、雛里と吉里が居たからな。苦労せずに此処まで来れたよ」
「あわわ、そ、そんな事はありません」
「僕が居るんだから当然でしょ」
「当然、ねぇ」
「……何?御遣い君には異存がある訳?」
「……その『御遣い君』ってのはどうにかならンのか」
「好きに呼べばいいって言ったのは御遣い君だよ?自業自得じゃない?」
「業って程大層なモンかよ」
「さぁ?僕に聞かれても分からないよ。御遣い君の事なんだしね」
斜に構えやがって、この僕っ娘め。
「で、教経。状況はどうなっているの?」
「見ての通り。亀宜しく逼塞してるよ。問題は、どうやって首を出させるか、だ」
「先着してからお屋形様と冥琳が色々と試してはいるのですが、全く反応がないのです」
「あ、あの、ご主人様。どのようなことをなさいましたか?」
「挑発もしたし、門前で酒盛りかましてやったりしたな」
「愉しかったわよね〜、酒盛り」
「お前さんは飲み過ぎだ」
「そんな事無いわよ。全然しっかりしてたでしょ?教経だって『芸を見せてやる』とか言いながら弓で城壁の上の歩哨を射倒していたじゃない」
「俺は常識的な量しか呑んでない。お前さんとは違うんだよ。うわばみって言うんだ、お前さんみたいなのを」
「なら霞と星もね」
「策殿。そろそろ真面目になされよ……で、次はいつやるんじゃ?」
「あら、遅かったわね、祭。もうやっちゃ駄目なんだって」
「むぅ……蓮華様に付いてきたのは失敗じゃったか」
「……失敗、という言葉は頂けないわね、祭?」
「あ、いや。そういう訳では」
「無駄口叩いていないで策を考えるのが先でしょ。全く、御遣い君がもっとしっかりしないからこんな風にグダグダになるんだよ?そこんとこ分かってるワケ?」
『そこんとこヨロシク』って宇崎竜童だっけか?まぁどうでも良いが。
「はいはい。私が悪う御座いましたよ」
「気持ちが篭もってない!」
「そりゃ俺が悪い訳じゃ無いからなぁ」
「……なあ愛紗。教経っていつもこんな感じだよな」
「……まあそれが教経様だからあまりに酷くない限りは好きにして貰っているのだ、白蓮」
「教経。そろそろ軍議を真面目にしようか」
へいへい。分かっておりますとも、冥琳様。
「落ち着いたところで何か話しときたい事がある奴は居るか?」
「は〜い♪」
「穏か。何だね?」
「実はですね〜、劉表軍から糧食を奪ってきたんですよ〜」
「へぇ。どれくらいだ?」
「3万の軍勢が一月行軍出来るだけの量ですよ〜」
「そいつは結構な量だな。有り難いことだ」
「はい〜。毒が入っている、という点で、確かに有り難い事だと思いますね〜」
「……毒か」
「はい♪」
愉しそうだなこの娘は。
「それで〜、教経様がこれをどうするのか、お伺いしたいんですよ〜」
「毒ってのは、即死するような毒なのか?」
「亞莎ちゃんに調べて貰いましたが、即効性の痺れ毒であって致死毒ではないようですね〜。ただ、痺れ毒といっても生半可なモノではなくて、二、三日身動きが取れなくなるような悪質なモノですけどね〜」
「なら丁度良いかな。劉表に呉れて遣ろうじゃないか。態々用意してくれていたようだが、残念ながら俺たちには十分な糧食がある。あちらはそうではないだろうし、長期間籠城するにはどうしても必要だろうからねぇ」
俺がそういうと、穏は嬉しそうに笑って……太股を擦り合わせてクネクネしていた。
「流石は教経様ですね〜。やっぱり私達の相性は最高だと思うんですよ〜」
そりゃお前さんは眼鏡を掛けているから相性は良いと思うがね。
「穏、落ち着け。……で、教経。呉れて遣ると言っても、どうやって呉れて遣るつもりだ?」
「そうだな。門前で盛大に炊き出しでもやるか。一日目はそれなりに警戒しながら、俺たちが持ってきた糧食で飯を作って上手そうに喰らってやろう。二日目以降は警戒感がまるで無い感じで、劉表軍が呉れた糧食全てを門前に持って行った上で炊き出しをする。但し、喰らうのは普通の糧食な。糧食を奪いに来たら、算を乱して逃げ出せば良いだろう」
「今すぐにそれをやるのか?」
「いいや。暫く放っておいて、糧食の蓄えが少なくなってなってからやろう。それまではこうして囲んでおけばいいだろう」
「ふむ。目安としてはあと10日程度後、と言ったところか?」
「さぁ。雛里はどう思う?」
「わ、私もそれで良いと思います」
帽子を両手で引っ張りながらそう答える。
……かぁいいねぇ……こう、父性的なモノを感じるねぇ……
「んじゃ吉里は?」
「僕もそれで良いと思うよ」
「穏も亞莎も同じ、か?」
「はい〜」
「は、はい」
「ならそれで行こうか。向こうが乗ってきてくれるかどうかは分からないが、事前の10日間でもう一度挑発したり酒盛りかましたりすれば、その延長線上の行動だと思ってくれるだろう。油断が過ぎる、と襲いかかってきてくれれば御の字だ。皆そのつもりで居てくれ」
「それは良いけどさ。それが失敗したら時間を無駄にしただけって事になると思うんだけど。その辺はどう思ってるワケ?」
「あぁ、それは大丈夫だ。な?冥琳」
「ああ。既に向こうの森から地下を掘り進めている。その工事の音を隠す為に、声を張り上げて挑発を繰り返したり宴会をしたりしていた訳だからな。音を出すことを気にしなくても良いから、もう随分と進んでいる」
「へ〜。流石は孫呉の知嚢だね」
「これは教経の案だがな」
「嘘でしょ。御遣い君がそんな事思いつくワケ?この顔で?」
「……失礼なペタだな」
「……御遣い君、今、何か言った?ちょっと話をする必要があるみたいだね?」
「いやぁ。別に必要ないと思うよ、うん」
話したところでペタが解消する訳じゃ無いしねぇ。
〜亞莎 Side〜
全軍で建業を囲んでから4日が経ちました。その間、何度も挑発行為を繰り返していますが、相変わらず劉表軍は城から打って出てこようとはしません。夜間も変わらず工事を続ける為に、交替で城門まで寄せていって銅鑼を鳴らし続けたりしています。向こうからすれば、安眠を妨げようとしているようにしか思えないとは思いますが。
「あ、あの、教経様。今少しお時間宜しいでしょうか」
「あ〜、良いよ。入ってきてくれ」
今晩は、教経様の所には誰もいない。
先程雪蓮様がいらっしゃって、私にそう教えてくれました。頑張りなさい、と笑っていらっしゃいましたが、私はそれからドキドキして、どうにも落ち着かなかったのです。
「し、失礼します」
教経様の陣屋に入ると、教経様は地図を眺めていらっしゃいました。
「どうした?亞莎。珍しいな。こんな時間にやってくるなんて」
「あ、はい。教経様、それは?」
「あぁ。百合が作ってくれた地図さ。黄祖の爺の陣立てを確認していたのさ」
「今、ですか?」
「そ。ちょっと簡単に勝てすぎた気がしてねぇ」
「雪蓮様から経緯は聞いていますが、そんなに楽に勝てたのですか?」
「あぁ。黄祖直属の兵以外には目立った抵抗もなかったし、あっという間に半数以上の兵が撤退したしな。恐らくだが、黄祖は最初から死ぬ為にやって来たんだろうさ。これだけ堅固な陣を構えていて、こっちの死者は500程度の数だったンだ。本気で抵抗したら、2,000程度は道ずれに出来ただろうさ」
「いつもこうやって戦のことを考えていらっしゃるのですか?」
「いつもじゃないさ。気が向いたらという程度だ。他にやりようがあったんじゃないかとか、相手はどう思ってこう動いたのかとかは、終わってから考えてみるとよく分かることが多いからな。そうやって振り返ることで、自分の引き出しを増やしておくのさ」
「引き出し?」
「あぁ。『もし自分がこういう立場になったら』、と考えておくことは必要だと思わないか?それを考えておけば、自分がその状況に置かれた時に少なくとも一つだけは選択肢が用意できているわけだからねぇ。多少は慌てるンだろうが、身も蓋も開く慌てたり茫然自失って事にはならないはずだ。算多き者が勝つってのは正しいのさ」
「孫子ですね」
「流石によく知ってるじゃないか」
「あの、教経様は孫子を修めていらっしゃるのですか?」
「修めるって言う程のモノじゃないとは思うけどな。誰かについて伝授を受けた訳じゃ無い。まぁ、自分なりには消化出来ていると思うが」
孫子を自分なりに消化出来ている、と言えるのは凄い事だと思います。
「教経様が孫子の兵法で最も印象に残っているのはどの件ですか?」
「そうだな……『夫れ兵の形は水に象る。水の行は高きを避けて下きに趨く。兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝を制す。故に兵に常勢なく、水に常形なし』、かな。先人である老子の思想をしっかりと踏襲しているような、そんな気もするからねぇ」
「老子ですか?」
何故此処で老子が出てくるのでしょうか。
「あぁ。老子に曰く、『上善は水のごとし。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居るは善く地、心は善く淵、与うるは善く仁、言は善く信、正すは善く治、事は善く能、動くは善く時。夫れだた争わず、故に尤なし』。
最善のモノは水のようなモノだ。水は全てのモノに恩恵を与えて争うことがなく、皆が嫌う低きに下っていく。だから『道』のようなモノだ、とね。この場合の争うってのは、何かに固執してぶつかり合うことがないって意味だろうな。一所に留まらず、自己主張が激しく無く。だから角が立たないし無理がない。そんな意味だろう。俺はこれは真理を衝いている、と思う。全てのモノは須く落ち着くべき所に落ち着く、というのが俺の持論でね。その意味で、老子の思想ってのは面白い。そして恐らく、孫子はこの思想に影響を受けていると思うよ」
「……」
「どうした?亞莎」
「……教経様は凄いです」
「俺が凄いんじゃない。孫子や老子が凄いってだけだ。俺は彼らが残してくれた遺産の上に胡座を掻いているに過ぎないンだよ、亞莎。賞賛されるべきは彼らであって俺じゃない」
「それでも、凄いとも思います」
「……何か照れるな」
教経様はそう言って、顔を人差し指で掻いていらっしゃいました。
「で、亞莎。何か用があったんじゃないのか?」
教経様のお話に夢中になっていて、忘れていました。
その、どうしてここに来たのかを。
「あ、あの……」
「ん?」
「の、教経様。私……教経様のことが、その、好きみたいなんです」
「クスッ。好きみたい、か」
「あ、は、はい……」
「どうしてそう思うんだ?亞莎は」
「そ、その、教経様のお顔を見るといつも輝いて見えて、雪蓮様や冥琳様と一緒に愉しそうになさっているのを見ると、その、胸が痛くなって。教経様は皆の教経様だから、仕方がないと分かっているのに、でも私ともっとお話しして欲しいと思ったりして」
「……亞莎」
「この間、雪蓮様に私の様子がおかしいと言われてお話をしたときに、私が教経様に恋をしているのだ、と言われました。その時、あぁ、そうなんだって、そう思えたんです。だから間違いじゃないと思うんです」
「そうか」
「それで、その……」
「亞莎」
「は、はい」
「俺はさ、亞莎も知っての通りで他の女の子とそういう関係な訳だけど、その辺りはどう思う?」
「それはその、仕方ないことだと思います」
「仕方ないって……」
「教経様はご立派な方で、そんな教経様に他の女性が惹かれるのは当たり前だと思いますし、その、雪蓮様も私達孫呉の将には教経様の子を為せと仰っていますし……」
「……雪蓮。お前さん何言ってるンだよこんな純真な娘に……」
「だからその、構わないと思います。……私では、その、駄目でしょうか」
「……駄目なんて事はないよ、亞莎。亞莎は可愛いんだから」
「……本当ですか?」
「本当だよ。亞莎は可愛い」
教経様は私の側にいらっしゃって、私を優しく包み込んでくれた。
「あ、あの、の、教経様……」
教経様の腕の中から、教経様の顔を見上げると、教経様はちょっと変なお顔をなさった。
「どうかなさいましたか?」
「い、いや。別に何でも無いよ亞莎。ちょっと我慢が利かなくなりそうになっただけだからさ」
「?」
教経様に抱かれているのは少し恥ずかしい。けれど、教経様の鼓動も早鐘を打っているようだ。教経様は、私のことを女の子として意識して下さっているんでしょうか。
「教経様、その、私のこと、女の子として見てくれていますか?」
「あぁ。見てるよ」
「そ、そうですか」
恥ずかしくなって、ついいつものように顔を袖で隠してしまう。
「亞莎。それだと亞莎の顔がよく見えないから隠さないで貰いたいな」
「は、恥ずかしいです」
「かぁいいねぇ……亞莎。俺は亞莎の顔が見たいんだよ。見せて欲しいな。亞莎の、可愛い顔をさ」
「〜〜〜〜」
恥ずかしすぎて、耐えられなくなって、教経様の胸に顔を埋めて顔を隠してしまった。
「……亞莎。そんなに抱きつかれたら我慢出来なくなりそうなんだが」
そう言われて、教経様のその、状態に気が付いた。
「あ、あの、教経様。私、覚悟は……出来ていますから」
「覚悟って亞莎、お前さん……」
「その、お、お願い、します……」
「……分かったよ、亞莎。出来るだけ優しくするから、さ」
「は、はい……」
そこから先は、あまり覚えていません。
最初もの凄く痛かったと思うのですが、途中からそんな事はなくなって、むしろその、き、気持ちが良かったです。
全部終わって、教経様に抱かれながら寝台で一緒に寝ています。
「あの、教経様」
「うん?」
「……私とこうなったことを、後悔なさっていませんか?」
「……馬鹿だな、亞莎。するわけないだろ?」
「本当ですか?」
「あぁ。言ったろ?俺の持論はさ、『全てのモノは須く落ち着くべき所に落ち着く』ってものだって。亞莎と俺は、なるべくしてこうなったんじゃないかね?」
「落ち着くべき所、ですか」
「そ。互いに互いが落ち着くべき所だったからこうなってる訳で、ね」
「……はい」
「疲れたろう?もう寝ようか、亞莎」
「あ、はい。では……」
少し名残惜しいけど、教経様にご迷惑を掛ける訳にも行かない。そう思って起き出そうとした私を、教経様は引き止めた。
「ちょい待ち。何処に行くつもりだ?亞莎」
「?いえ、その、自分の陣屋に……」
「今日は亞莎は俺と一緒に此処で寝ることになってるんだよ」
「え?」
「だから、俺と一緒に寝るのさ。嫌かね?」
「い、いえ。そんな事ありません!」
「なら良かった。じゃぁ寝ようか、亞莎」
「……は、はい」
改めて教経様の腕に抱かれて、その日はそのまま一緒に眠りにつきました。
私は、幸せだと思います。
教経様とこうなれて、本当に幸せだと。
お休みなさい、教経様。