〜朱里 Side〜
「孔明殿、例の件、どうやら接触に成功したようです」
「そうですか。それで、曹操はどのような様子でしたか?」
「最後まで旗幟を鮮明にしなかったようですが、先ず成功したと言って良い感触であったと報告がありました」
「……旗幟を鮮明にしないのは当然でしょうが、何を以て『良い感触であった』と言っているのでしょうか」
「はい。どうやら石苞は直截的な表現で平教経を裏切るように勧めたようです。それに対し曹操は石苞を殺すそぶりを見せましたが、石苞が全く動じていないことを確認して矛を収め、即断は出来ぬということで後日の再会を約したそうです」
「使者として彼を選んだのは正解であったようですね。それで、後日というとどの程度でしょうか」
「石苞は、一月後と言っておりました。考える時間が必要だとしても少々時間を与えすぎだとは思うのですが、それを待てないと言えばこの企謀自体が露見する可能性が有る為に受けざるを得なかった、と」
田豊さんの言っていることも尤もなことではあるが、ここは石苞の言うことが正しいだろう。曹操の決起を待ち、此処しかない、という機会をしっかり見極めて独立を勧めにやって来た人間が、今更一月程度待たされるぐらいで動じたりはしないものだ。この機を待つ事が出来たはずの者が殊更に早期の決断を迫るのは、その裏側にある謀を察知されることになりかねない。
それに、平教経はまだ揚州に攻め入っていない。彼が揚州に攻め込み、引き返すことが容易に出来ない状況で兵を挙げることを考えて居るに違いない。若しくは石苞を完全に信用していないが故に、彼を調べる時間を確保したのかも知れない。他者から勧められ、与えられた状況を鵜呑みにして起つような女ではないのだから。
いずれにしても曹操の選択肢の中に、『独立する』という選択肢を紛れ込ませることには成功したようだ。
「劉表に書状を送って建業に籠城して援軍までの時間を稼ぐように、と言ってやって下さい。平教経を出来るだけ長い間揚州に引きつけておくことで、曹操が独立しやすい環境を整えましょう」
「孔明殿。果たしてそれで曹操が乗ってくるでしょうか。状況が良すぎる為に、却って何か裏があるとは思いませぬか」
「そうかもしれませんね」
「では何故?」
「裏があろうと無かろうと、これを逃せば彼女が独立勢力としてこの乱世に再び起ち、天下を窺う機会は失われてしまう可能性が高いのです。平教経ある限り、平家の治世が揺らぐことなど無いでしょう。そして袁家にも私が居ます。いずれの形で大勢が決したとしても、その時では既に遅いのです」
「しかし我らにとって望み通りに独立した曹操が、平教経ではなく先ず麗に対して攻め込んでくることはないでしょうか。先の戦の意趣を返す為に」
「それもないでしょう。公孫賛と劉表を見れば分かる通り、平教経は己に刃を向けた人間には必ず報復して居ます。曹操もそれは承知の筈です。曹操という人は現実家です。それも、徹底的な。だからこそ、独立直後の彼女が袁家に攻め入ってくることはないと思います。無論、その後は別ですが」
「……確かに、そうかも知れません」
この策が結実すれば、平教経は外征どころでは無くなる。
態勢を立て直すに十分な時間を稼ぎ出すことが出来るだろう。
「引き続き曹操への調略を行います。その配下の将達に対しても手を打っておき、曹操が悩んで居る際にその背中を独立に向けて後押しする必要があるでしょう。そちらは貴方に任せます、田豊さん」
「畏まりました。そちらへの調略はこの私にお任せ下さい」
「ええ。頼みます」
打てるだけの手は全て打つ。
此処まで周到に策を施して失敗するということはないだろう。
もし失敗するとすれば、それは運がなかったとしか言いようがないのだ。
〜秋蘭 Side〜
石苞が教経様への反乱と独立を華琳様に対して勧めにやって来てから一月が経過した。
恐らくは諸葛亮の企画によるであろう誘いを受けて、華琳様は改めて私達を集めて教経様を裏切ることは絶対に無いと仰った。その際桂花が教経様のことを『孕ませ無責任男』と表現していたが、相変わらず口の悪いことだと思う。
が、華琳様はどうやらその言葉に引っかかりを覚えたらしく、暫く黙って居た。
「……桂花。教経は誰か女を孕ませたの?」
「は?」
「良いから答えなさい。誰か教経の子を授かったの?」
「い、いえ、華琳様。今のところあの男は誰も孕ませてはおりません」
「本当でしょうね?」
「は、はい」
「……華琳様、如何なさいましたか?」
「……別に何でも無いわ。それより桂花、最近貴女の所へ幾度か訪いを入れてきている女は何なの?」
「か、華琳様!誤解しないで下さい!私は華琳様ひと筋です!他の女には興味はありません!」
……誤解も何も、そういう意味で訊いた訳ではないと思うのだが。
「……誰がそんな事を訊いているのよ。あの女はどういった人間で、一体何を目的に貴女に接近しているのかしら?」
「し、失礼しました。あの女は石苞の商店の下女で、私に情報を提供して呉れている女です。表向きは、ですが」
「どういう事かしら?」
「内実は、恐らく私から華琳様に反乱を勧めさせるべく諸葛亮に遣わされた、袁家の密偵だと思われます」
「そう。何故そう思うの?」
「毎回新しい情報を少しずつ持ってきます。聞いた限りでは何気ない日常の話であったりしますが、そこからは様々な情報を読み取ることが出来ます。例えば、最近揚州に実家がある店員の家族が大挙してやって来て大変そうだった、という話をしていましたが、それは裏を返せば揚州ではあの男がそれ程慕われていない、という事を意味しています。それを更に深く読ませれば、揚州は平家にそう簡単には靡かないのではないか、という考えを持たせることが出来るでしょう。無論、私は自分で諜報網を使って情報は手に入れておりますし、冥琳とある程度は話をしていますからそのような希望的観測を致しません。
兎に角、毎回持ってくる情報の中に私の思考を誘導出来るような情報が紛れ込んでいます。華琳様とあの男の関係を知らなければ、独立することが現実的なものであるように思えるような情報が。そして決起すれば独立が成功するだろう、と思うことが出来る様な情報が。それが毎回、というのは流石に出来すぎでしょう。私が幾らあの男を嫌っているとしても、それはあの男自身を嫌っているのであって、華琳様の主としてのあの男を殺してやりたいとは思いません。勿論、華琳様が許可して下さるならば直ぐにでも処分してしまいたいですが」
……はっきりと殺してやりたいと言っている気がするのは、私の気のせいなのだろうか……
「?要するに殺したいのか?」
「そんな事一言も言っていないじゃない!相変わらず頭が悪いわね!」
「何を!私に喧嘩を売っているのか!」
「じゃあアンタに訊くけど、華琳様はどうすればいいか答えてみなさい!」
「そんな事も分からないのか!」
おお、姉者。ひょっとして名案を考えついているのか?
「教経様を華琳様『だけ』のものとする為に、華琳様は頑張られるのだ!」
「……は?」
「教経様を華琳様だけのものとするのだ!その為に我らも出来ることをするのだ!」
「貴女何を言っているのよ!誰もそんな話して無いじゃない!」
「いや、待て桂花」
「何よ秋蘭」
「少し姉者と話をしてみようと思ってな。姉者、少し良いか?」
「?」
「華琳様は、教経様から独立して再び乱世に起つべきだとは思わないのか?」
「?何故その必要があるのだ?華琳様はあの男と一緒に居たいが為に長安に着いて行ったのだし、華琳様の望みはあの男と共に在ることではないのか?
乱世に再び起つことではなく、あの男を独占することこそ華琳様の望みであろう。だから我らはその事だけ考えていれば良いのだ。我らは華琳様の家臣なのだからな」
成る程。華琳様にこうあって欲しいという我らの思いより、華琳様が教経様に抱いている想いこそが優先されるべきだ、ということか。
「?私は何かおかしいことを言ったのか?秋蘭。笑っているが」
「いや、流石は姉者だと思ってな」
「うむ!当然だ!」
「……さて、桂花。春蘭はこう言っている訳だけど、貴女はどう思うかしら?」
「……もし華琳様が望まれたとしても、独立することは現実的ではありません。もし全てが上手く行くことが約束されているのであれば、独立しても良いかも知れません。但し、この場合の『全てが上手く行く』というのは、華琳様があの男を下男として臣従させることも含みます。それを考えたとき、独立して再び争った際にあの男の配下、特に深い仲にある女を殺してしまった場合、それは絶対に叶わないことであることは間違いありません。あの男はその仇を討つべく死ぬまで戦い続ける、そんな姿しか思い描けません。
春蘭も言っていましたが、華琳様が今一番望まれていることはあの男と共に歩むことでしょう。現状それが叶う立場にあると思いますが、独立した場合それが永遠に失われてしまう可能性が高いと考えます。ですから独立などは考えず、このまま平家の下に在って王としての地位を望み、華琳様が理想とされる国をそこに現出なされば良いと思います。
あの男は非常に気に入らない白濁種馬男ですが、君主として、また領主としての器量は忌々しいことに非常に優れていると思います。その理想とする世界は、華琳様の理想とそう大した違いはありません。それであればあの男に助力をし、あの男を通して理想を実現なさるのが最良の選択であろうと思います」
「そうすれば私の理想と、そして私の夢との両立が叶うと、そう言う訳ね?」
「はい」
華琳様の理想は、乱世を終熄させて全ての民に平穏な生活を保障してやること。
華琳様の夢は、教経様と共に平穏な日々を送ること。
それを読み取っている辺りは、流石に桂花といったところだな。
「私は良い家臣を持ったわ。これからもお願いするわね、春蘭、秋蘭、桂花」
「はっ」
「ではこれからどうすべきかしら?」
「華琳様もそう考えていらっしゃると思いますが、決起の用意をする、ということにして軍備を整えましょう。その資金を石苞から提供させ、袁家に備えると言って練兵を繰り返して新規に徴発した兵の練度を上げましょう。あちらからすれば、兵を新規に徴発する訳には行かない華琳様が、未だ十分に平家の郎党としての自覚がない兵を取り込む為に練兵しているように見えるでしょう。その実その言葉通りですし、先に石苞の書状の写しを渡している為、宛に残っている風達にも断りを入れて練兵を行う事が出来ます。私達だけで練兵することも簡単に受け入れてくれるでしょう。
こうすれば袁家の財を以て袁家に備えることが出来ます。武具や騎馬なども提供させれば猶宜しいかと。練兵によって20日程度の時間を更に稼ぐことが可能でしょう。その上で、最終的な回答をしてやれば宜しいのです。
『私は平家を裏切る気など毛頭無い』、と」
「そうね。それが一番でしょう。では桂花、引き続き私を独立させるべく動く女から情報を提供されておきなさい。それに拠っていち早く揚州の教経の様子も分かるでしょうしね」
「御意」
諸葛亮は、最後の最後まで華琳様を踊らせることが出来ると思っているに違いない。
舐めないで欲しいものだ。
我らが主である華琳様は、一度苦杯を舐めさせられた相手に二度も後れを取るような真似はなさらない。華琳様を見誤ったことがどういう結果をもたらすか、しっかりと理解して貰う事になるだろう。
〜華琳 Side〜
桂花の献策に基づいて、石苞から資金や武器、騎馬を提供させ、練兵を行う事で更に時間を稼いで麗羽に備えることが出来た。最後に受けた桂花からの報告では、教経は既に建業を取り囲んで落城寸前まで追い込んでいるということだったし、もう十分でしょうね。先の戦で見事に負けたことの意趣返しは出来たと思うわ。
決別を告げる為に石苞を呼び出すと、例によって『家宰』が付き従っていた。私が考えて居ることを実行するのに都合が良いわね。
「良く来てくれたわね、石苞」
「はい。曹操様にもご機嫌麗しく」
「平家が新規に徴発した兵の掌握も十分に出来たし、その練度も満足のいくものになったわ。私の言うことを良く聞いてくれることでしょう。貴方に提供して貰った資金を用いて冀州で兵糧を買い求めることが出来たし、武器も騎馬も十分にある。秋は到ったと言って良いでしょう」
「では平教経に対し、反旗を翻して決起為される訳ですか」
「いいえ」
石苞は相変わらずその感情を表情に出さない。無表情に私を眺めて居る。
だが、その後に控えている『家宰』はそうはいかなかったようで、驚愕の面持ちでこちらを愕然と見ている。
ふふっ。いい気味ね。
「私が教経を裏切るなんてあり得ないわ」
「……その理由をお伺いしたいものですな」
「家宰はどうか知らないけれど、貴方自身は知っているのではないかしら?石苞」
「さて、私にも分かりません。差し支えなければご教示願いたいものです」
「そう。ではそういうことにしておいてあげる。私が教経を裏切る訳がないのはね、私が教経の女であるからよ。教経は私を愛してくれている。そして私もまた教経を愛している。その私が教経に対して反逆するような真似をするなんて、在りうることではないでしょう?」
やはり、石苞はその感情を表情に出さない。とうに知っていた、と言うことでしょうね。一体どうやってそのようなことを知るのか分からないけれど、市井にあってそれを知るというのはやはり尋常な人間ではない。教経が還ってきたら、この男を推挙しましょう。きっと役に立つでしょうからね。それにしても、陳留にこれだけの男が居たのであれば、私の目に止まっても良さそうなものだけれど。
家宰は、はっきり言えば失格ね。
演技が出来ない役者というもの程見苦しいものはない。家宰であれば主からその胸の内を打ち明けられているものであるのだから、主と同じ態度であるべきでしょうに。まあ後に控えているから仕方がないのかも知れないけれど、ね。
「成る程。では先程貴女様が仰った到った『秋』とは、とどのつまり袁家に己の考えを告げる秋、ということですか」
「ええ。そして貴方の身柄を拘束し、私を謀ろうとした罪をその身に得て貰う秋でもあるわ」
「そうですか」
「そうよ。そこの家宰、いえ、諸葛亮の手の者よ。諸葛亮に告げなさい。
『曹孟徳は同じ相手に二度負けることはない』、とね」
「な、何を仰っているのか分かりかねます」
「そう。それならそれで構わないわ。諸葛亮に曹孟徳から言伝がある、と言って伝えておきなさい。貴方は見逃してあげるわ。
……一日待ってあげる。それを過ぎたら貴方を殺しに刺客を放つからさっさと逃げなさい?」
そう言って微笑んでやると、家宰は蒼惶として立ち去っていった。あの程度の者を使わざるを得ない所が袁家の内情がどういうものであるかを示しているわね。
「私を拘束して如何なさるおつもりですか?既にご存じでありましょうが、私は家族の為に此処にやってきたのです。家族の身があちらの手の内にある以上、私としては陳留に還らざるを得ませんが」
「そうね。でもそれは諦めて貰うしかないわ。貴方には教経に仕えて貰う。貴方の家族の身柄については、私の方で何とかしましょう」
「その必要はないのですよ」
風がやって来ていた。いつも通りの様子で。
「風、貴女何を言っているのかしら」
「華琳ちゃん。この人が石苞さんですかー」
「そうよ」
「お初にお目に掛かります。風は程cと申します」
……私を無視して話を進めないで貰えるかしら。
「私は石苞と申しまして、陳留で商いを生業にしている者で御座います」
「嘘はいけませんねー」
風はそう言って飴を咥えて黙って石苞を見ている。
「……嘘、ではありますまい。少し説明が不足していただけのことで」
「その不足している説明を華琳ちゃんにしなければ、華琳ちゃんは分かりませんよ?」
「風、どういうことかしら?」
「それは石苞さんから直接聞くのが良いのですよ」
「……石苞、どういう事か説明してくれるかしら?」
「……要するに、私は郭嘉様に前々から遣わされていた密偵である、ということです。教経公が太原にあった頃に命じられて陳留に赴き、そこでずっと郭嘉様の為に情報を収集しておりました」
郭嘉。鉅鹿で教経の側にあった、あの眼鏡の女ね。既にあの頃から、この男を陳留に派遣していたとは。私がこれだけの才在る人間を見出すことが出来なかった理由が分かったわ。
「風は知っていたのね?」
「はいー。稟ちゃんからお名前だけは良く聞いていましたからねー。稟ちゃんの諜報網の束ねをしているのですよ。風の方でもお世話になっています。まあこれでその任は解かれることになる訳ですが」
「……私の家族はどうなりますかな」
「その点は大丈夫なのです。風の方で使っている人間には、袁家の中にそれなりに権限を有する人間が居るのですよ。まあそれも知っていることでしょうが。彼らに、任を果たすことが出来なかった石苞の家族を生かしておく必要はない、ということで既に身柄を拘束して死んで貰って居るはずなのですよ」
「成る程。既に別人としてこちらに向かって来ている、という訳ですか」
「……流石ですねー。稟ちゃんが言っていた通り、有能な人なのです。やはり、貴方には死んで貰う必要がありますねー。そうでないと、この先困るのですよ」
「左様ですな。漸く教経公に直接仕える事が出来る訳ですし、そのように致しましょう」
「まあ元々石苞などという人は居ませんから、元に戻ってくれれば良いのですよ。かなり時間が掛かりましたが、漸く貴方の才と功績に相応しい役職に就いて貰う事になるのですよ」
「風、どういうことかしら?」
「この人は、石苞さんですが石苞さんではないのです。名を捨てて、石苞として今まで働いて貰っていたに過ぎないのですよ。あの頃、密偵の束ねを出来る有能な人間となると、他に人が居なかったのです。既に石苞として陳留、つまり華琳ちゃんのお膝元で諜報活動をして貰っていましたが、全土から集まる情報が多すぎて風達では捌ききれなかったのです。ですから稟ちゃんは彼にお願いして集まる情報の一次的な切り分けをやって貰っていたのですが、稟ちゃんが思っていた以上に彼が有能で在った為、ずっとその役割を市井で果たして貰っていたのですよ。ある時からは直接彼がその場で密偵に指示を与えて諜報活動をするようにしていたのです。本来であれば優秀な間者が増えた時点で彼を召還すべきであったのですが、既に華琳ちゃんの膝元で完璧な諜報網を築き上げていましたから彼を戻す訳にはいかなかったのです。
今回石苞さんがあちらの目に止まってその存在が明るみに出たことで、漸くその任を解いて平家の中枢に迎え入れることが出来る様になったのです。なので、改めて仕えて貰う必要はないのですよ。既に仕えて貰っていますから」
「そういうことです、曹操様」
平家には本当に人が多いわね。これだけの人間を密偵として使っていたなんて。まあ、風が言っていた通り、当初はそこまで有能な人間であるという認識を持っていなかったのでしょうけれど、ね。
「では貴方の本当の名前を聞かせて貰おうかしら。これから同僚となるのだから、知っておかなければ不自由でしょうしね」
「……私は、姓は司馬、名を懿、字を仲達と申します。真名はありません」
「知っているでしょうが、私は姓は曹、名は操、字は孟徳。真名は華琳よ」
「真名を授けて頂けるのですか?」
「ええ。貴方にはそれに相応しい才覚があるわ」
「では、華琳様、とお呼び致しましょう。これから宜しくお願い致します」
「宜しくね、仲達」
「仲達さん。風は、姓を程、名をc、字を仲徳。真名は風なのです。風のことを呼ぶときは、奥様でいいのですよ」
「……はあ。それは構いませぬが、色々と困るのではありませんか?」
「別に困らないのですよ。いつでも奥様と呼ぶと良いのです」
……風。貴女、何を考えて居るのかしら。私がそんな事を認めるはずがないでしょう?
「仲達。私のことも奥様と呼びなさい」
「……華琳ちゃん。一番最後にお兄さんの妾になったのですから、身の程を弁えた方が良いのですよ」
「……既成事実を作ろうとしてもそうはいかないのよ、風」
「……教経公は、公人としても私人としても、誠に大度な人であることだ。奥向きのことについては、関わらぬ方が身の為であろうな」
兎に角、これで麗羽と諸葛亮を出し抜くことは出来たはず。
これだけの時間を稼ぎ出せば、教経の方も建業を落とす事が出来ているでしょう。
この後は南蛮を攻略し、そして麗羽と天下を争うことになる。
それが終われば、漸くこの戦乱の世が終わることになる。
まあ、新しい戦いが勃発することは目に見えているけれど、それは仕方がないわね。
精々苦労するが良いわ、教経。この件に関しては、誰にも譲る気がないでしょうから、ね。