〜白蓮 Side〜

南海郡から会稽郡へ攻め込んだ私達は、散発的な抵抗を排除しながら呉郡、建業を目指している。今のところ、抵抗をしているのも賊でしかなく、劉表軍は影も形も見えない。

その事を不審に思うが、同時にまたそうだろうとも思う。長沙に一旦集結していた訳だから豫章やハ陽で備えるのは当たり前で、臆病な劉表の性格からするとその数も大した事はないだろう。自分の手元に大軍を置き、それに囲まれて安心感を得ようとするに違いない。

「白蓮。何を考えて居るのだ?」
「ああ。これから先の事だよ」
「先の事?」
「そう。教経が攻め寄せるであろう建業に劉表軍が集まっているんじゃないかと思ってね」
「な、何!?」
「これだけ侵攻しているのに、抵抗するのが賊だけってのもおかしいと思うし。多分それであってると思うんだけどさ。雛里はどう思う?」
「大凡は、白蓮様の仰る通りだと思います。きっと劉表さんはご主人様を大いに恐れていると思うのです。蔡瑁さんの死に様から考えて、自分も碌な殺され方をしないと思っているでしょうから。だからこそ、建業周辺に兵を集めている可能性はあります」
「では一刻も早く教経様に合流しなくては!」
「愛紗さん、大丈夫ですよ。私は大凡、と言ったのです。幾ら劉表さんが馬鹿でも、蓮華さんと白蓮様を足止めをしなければならないことは分かっているはずです。双方に1万程度の兵を割り振り、残りを建業付近に配しているに違いありません。少し目端の利く者がいれば、長江を下ってくる軍があることを予測してそこにも備えるでしょう」
「尚更教経様が危険ではないか!」
「いいえ。川を下ってくるのがご主人様であるとは思わないでしょう。幾ら戦いを嗜むとは言え、敵中に孤立しかねない部隊を自ら率いるなど、彼らの理解の外にあるはずです。そういった人物が居るということを想像出来ない人間に、それを察知することは出来ません。ですから、安心して居て良いと思います」
「雛里が言うことも分かるけどさ〜、そもそもそんな風に分散するのかな?たんぽぽなら全部纏めて敵が少ない所から撃破して廻ると思うけど」
「僕達も最初はそう思ったけど、それはないだろうって結論付けたのよ」
「なんで?」
「そもそも先の荊州攻略時に、劉表自身が戦場に出てきていないでしょ?状況から考えると、今よりも前の方が遙かに守るに易い状況なワケ。それなのに配下の将に任せっきりにしてた。自分が戦場に出るなんて願い下げだってことじゃない?そもそも劉表は武将と言うよりは文官だしね。
そうなると、自分が信頼出来る人間に兵を預けてそれを行わせるって事になるワケ。でも雛里が言った通り、劉表は御遣い君を恐れているワケだから自分の手元に兵を置いておきたいと思うでしょ?そうなると劉表軍が取り得る戦略ってのは、来もしない袁紹軍の援軍を当てにして時間を稼ぎましょうってものになるワケ。だから雛里が言ったように、兵力を分散して時間を稼ごうとするでしょうね。
……この場合はそれだけじゃないと思ってるけど」
「『御遣い君』とは誰のことだ、誰の!」
「?『御遣い君』は『御遣い君』だけど?」
「ま〜ま〜。愛紗、落ち着きなよ〜。どうせご主人様が『俺の事は好きに呼んで構わない』とか言ったんだから」
「そうそう。御遣い君、ちょっと格好付けながらそう言ってた」
「あはは。格好付けてる訳じゃ無いと思うけどな〜。ご主人様は誰にでもそう言うから」
「ふぅん。誰にでも言うんだ」
「お前達、ちょっと気が緩みすぎじゃないか?」
「白蓮様の仰る通りです。少し気が緩んでいると思います」
「そんなことないよ〜。たんぽぽ、結構気を張ってるよ?」
「僕だってそうだよ、雛里。見くびらないで貰いたいワケ」
「……で、このままの速度で進む、ということで良いのか、白蓮」
「ああ。ただ、行く先で困窮している人間が居たら、許せる限りの助力をしようと思う」
「そんな時間があるかな。僕は反対だね」
「吉里。そうは言っても揚州の人間は私達を通して教経を見ることになる。困窮している人間をそのままに放置して進むことを、決して快くは思わないだろう。それをすれば教経の評価が墜ちると分かっているのに敢えて為す理由はないだろう?」
「でもそれが向こうの思う壺なんじゃないかと思うんだけど?」
「どういう事だ?吉里」
「要するに、焦土作戦展開してるんじゃ無いかって事。行く村行く村糧食が無くて困ってるとか普通ならあり得ないワケ。劉表軍が無理矢理徴発したに違いないと思うんだよね」
「私達が施さない訳にはいかないということを見抜いて、か」
「そうそう。文官やってただけあって、陰湿な策を思いつくよね本当に」

……それならそれで構わないだろう。

「それならそれで構わない。それに乗っかろう」
「白蓮?」
「但し、私達は止まらない。足止めが1万程度という見込みなら、こちらは25,000居れば問題無い。25,000が余裕を持って建業までたどり着けるだけの糧食を準備してくれ。それ以外の糧食については、5,000の兵を護衛に付けて私達の後を進ませればいい。そいつらが糧食を配る。何も全て一緒に行動することはないだろう」
「成る程。それならば行軍が遅れぬし、教経様の評判も墜ちないな」
「1万が僕達じゃなく5,000の方を襲ったら?」
「そうさせない為に斥候を放つんだよ。雛里とお前が居て、捕捉出来ないなんてことはないだろう?」
「白蓮様……お任せ下さい。必ず捕捉して見せます」
「……上等じゃない。僕が絶対に捕捉してやるから」

まあ、この二人なら大丈夫だろう。私なんかより遙かに有能なんだから。





「白蓮、劉表軍が動き出したみたいだよ〜」
「ああ。そうみたいだな。雛里、全軍に通達を。敵が愛紗たちに食らい付いたらその後背から突き崩して奴らを包囲殲滅せよ、とね」
「あわわ、分かりました、白蓮様」

あの後、劉表軍に対して敢えて情報を与えることで、私達が軍を二分したことを知らせ、多くの糧食を守備して居るのはたったの5,000であることを認識させた。
その5,000を捜して移動する劉表軍の前を、私達が20,000の兵を率いて通過した。それを隠れてやり過ごし、今通過しようとしている後続の5,000の部隊を襲おうというのだろう。

「……こんなに簡単に引っ掛かってくれると張り合いがないんだけどなぁ」

そう。これは雛里と吉里の罠だ。
私達は劉表軍が隠れていたことなど見通していた。その前を敢えて通過して、奴らの後背に埋伏したのだ。そして、後続の5,000は愛紗が率いる精鋭中の精鋭。ご丁寧にダラダラと進む様な真似までしている。アレが運んでいるのがただの土塊だと知れば、敵はさぞかし悔しがるに違いない。

「まぁそう言うなよ、吉里。楽に勝てるだけマシじゃないか」
「まあね。『勝つべくして勝つ』のが最上の兵法だとは思うけど、やっぱり面白くはないワケで」
「そう言うな……どうやら始まったな」

劉表軍が一斉に立ち上がり、愛紗の指揮する5,000に掛かって行く。愛紗の側でも擬態を脱ぎ捨て、気勢を上げて迎撃に出ている。

「行くぞ!再編した公孫家の白馬義従の力を思い知らせてやれ!」
「おぉ〜!」
「突っ込め!」

完全に不意を突いている状況で、区々たる用兵など必要ない。当初の予定通り、散々に叩いてやればいいのだから。
白馬義従が一斉に弓を放ち、敵を更に混乱させる。

「雛里、白馬義従の指揮は任せた!」
「あ、ぱ、白蓮様!」

雛里に白馬義従の指揮を委ねて敵陣に切り込む。

「そこを退け、下衆!」

目の前で混乱している兵を、二刀で斬りつける。
右から突き出される剣を、右の、田楷の宝剣でいなし、その刃の上を滑らせながら体を捻り、左の、関靖の宝剣を鎧で覆われていない脇の下に宛がって斬りつける。

「どうした!私程度の将も討ち取ることも出来ぬのか!」
「こ、このアマ!ぶっ殺してやる!」

二人が私に向かって掛かってくるが……遅いよ。
二人が突き出した槍を前に出ることで躱して、そのままの勢いで二人の傍らを駆け抜ける。当然、宝剣を左右に振るって。

「白蓮、凄いじゃん!」
「私はまだまだだよ、蒲公英」
「謙遜しなくても良いのに。蒲公英より強いと思うよ?白蓮は」
「そうか?」

雛里がどうしているかを見る。
ちゃんと後に控えて白馬義従の指揮を執っているようだ。その前には、吉里。撃剣を使うことは知っていたが、かなりの遣い手みたいだな。あの様子なら大丈夫だろう。

「待て蔡中!その首おいていけ!」

愛紗がもの凄い勢いで敵中を突破している。……あれは規格外だな、やっぱり。私には真似出来そうにない。

「愛紗を援護しろ!」
「しょうがないから蒲公英が行く手を阻んであげよっと」

蒲公英が兵を率いて行く手に向かう。雛里も白馬義従を移動させているようだ。よく見ているな。

「死n……」
「……危ないなぁ。余所見してたら死ぬよ?白蓮様」
「吉里がこっちに来たのには気が付いて居たからな。凄い撃剣の遣い手だって知ったから、安心してたよ」
「やれやれ。僕は試されたってワケ?」
「そういうことだな」
「僕がやれなかったらどうしたのさ?」
「まだ間に合ったよ。ギリギリで何とかするつもりだったから」
「ふぅ……もう危ない真似はしないこと。良いよね?」
「ああ、分かってる」
「なら良いけどさ。それより、そろそろ終わるみたいだよ?」

そうだろうな。愛紗がさっきから動いていないから。

「敵将、蔡中!教経様が臣、この関雲長が討ち取ったり!」
「吉里」
「はいはい。……敵を殲滅しなさい!容赦は無用!情けも不要!思い知らせてやりなさいよ!」

……意外に早く終わったな。やっぱり雛里も吉里も優秀だ。その上で愛紗と蒲公英が居たんだし、勝って当たり前だったんだろう。

宝剣を鞘に収めながら、思う。

これが終われば、漸く麗羽の奴と対峙出来る。あと少し。あと少しで、お前達の仇を討ってやれる。
関靖も田楷も、きっと復讐なんてしなくて良いと言うだろう。でも、お前達は分かってないよ。私がどれだけお前達を掛け替え無く思っていたかを。お前達を喪ったとき、どれだけ辛かったのかを。

「……仇を討ってやる。必ず、な」

覚悟をしておいて貰おうか、麗羽。
私は絶対に許さない。お前から、全部奪ってやるんだ。

全部。