〜亞莎 Side〜

先に伝令で知らされていた通り、教経様が2万の兵を率いて襄陽にいらっしゃいました。久し振りに逢った教経様は、相変わらず眩しいお顔をなさっておられました。

これから私達は揚州を取り戻す為に軍を発します。敵は劉表。先代である孫堅様を殺し、辱めた憎い敵です。彼を孫家ゆかりの土地である揚州で討ち果たす事に、不思議な気持ちがします。図らずしてこうなったことは分かっていますが、元々こうなることが決まっていたかのような、そんな気がするのです。亡き孫堅様がそう導いて下さったのかも知れない。そんなことも考えてしまいます。

雪蓮様も蓮華様も同じように感じていらっしゃる様で、感慨深いお顔をなさっておられました。お二人とも、漸く仇が討てるのです。

「漸く劉表のドカスを殺すことが出来るわね」
「……姉様、その、『ドカス』というのは教経の?」
「そ。良い言葉よね。わたし、気に入っているのよ」
「はあ……まあ姉様と教経は気が合うだろうとは思います」
「あら。蓮華とも合うんじゃない?」
「……戦の時の教経は、姉様のようですが」
「蓮華はもうちょっと素直になった方が良いわよ?」
「わ、私は別に教経のことは何とも思っていません!」
「ふ〜ん?わたし、『教経をどう思っているの?』とか一言も言ってないんだけどなー?」
「ね、姉様!」
「あはははっ」

雪蓮様や冥琳様だけでなく、蓮華様までも教経様を。
……胸が、少し痛いような。少しムカムカするような。そんな感じがする。

「どうしたの?亞莎」
「いえ、何でもありません。遠征の準備がありますので、これで失礼致します」
「亞莎?」

何故か居たたまれなくなって、雪蓮様達の御前から下がってしまった。
私は、どうしたのでしょうか。





「やっほー亞莎」
「あ、雪蓮様」
「今ちょっと良いかしら?」
「はい」

部屋で一人兵学の勉強をしていると、雪蓮様が態々私を訪ねていらっしゃった。

「ね、亞莎。さっきの事なんだけど」
「はい?」
「ほら、わたしと蓮華が教経の話をしていた時のこと」
「……はい」
「どうしたの?亞莎。暗い顔というか、怖い顔をしていたけど」
「怖い顔、ですか?」
「そうよ。自分で気が付かなかったみたいだけど」
「……申し訳ありません」
「別に良いわよ。わたしも蓮華も気にしないから。それより、貴女のことが気になるのよ、亞莎。一体どうしたの?」
「……胸が、少し痛いような。少しムカムカするような。そんな感じがしたのです」
「……そっか」
「雪蓮様。これは一体何なのでしょうか」

そう言った私に、雪蓮様は苦笑いをしていた。

「……それはね、亞莎。貴女が教経のことを好きだから、よ」
「え?」
「自覚がなかったみたいだけど、教経のことが好きなんじゃない?貴女」
「好き……ですか?」
「そう。教経のことを考えると嬉しくなったり、でも切なかったり。教経が周囲から際立って見えたり。そんな事はないかしら」
「あ、はい。教経様はいつも眩しいです」
「……それ、恋してるからだと思うわよ?」
「こ、恋……」
「あははっ。照れちゃって。可愛いんだー、亞莎」
「そ、そんな、私なんて……」
「自信持って良いと思うんだけど?教経だって亞莎のこと口説いてた訳だし。亞莎を見る目も家臣と言うよりは、女の子を見る目だったしね」
「そ、そうでしょうか」
「そうよ。教経にちゃんと話をしてみたら?きっと受け止めてくれると思うけど。貴女の想いを」
「で、でも雪蓮様や冥琳様に……」
「……申し訳ない、とか言わないでね?亞莎。教経を籠絡しろって言ったのはわたしだし。まあこの場合は籠絡された訳だけど。どちらにしても、教経の子を為してくれれば良いのよ。そうすれば孫呉は平家の天下においてもそれ以降においても、蔑ろにされることはないでしょうからね」
「……」
「だから遠慮する事なんて無いのよ、亞莎。貴女がやりたいようにやりなさい」
「……はい、雪蓮様」
「……うん。気持ちに整理が付いたみたいね?」
「はい。有り難う御座いました」

お礼を述べたわたしに対して、ひらひらと手を振りながら雪蓮様は部屋を出て行かれた。
……機会を作って、教経様にお願いしてみよう。教経様がどう思っているのか分からないけど。















〜朱里 Side〜

「平家軍が動いた、と言うのですか?荊州に?」
「はっ。南蛮を攻めるなら直接益州へ向かうと思うのですが、平教経自らを将帥とする部隊が襄陽に向かったとの情報があります。既に益州で備えている軍とは別に、交阯辺りから南蛮へ攻め込むつもりなのでしょうか」
「……まさか、揚州に……」
「は?何でしょうか?」
「平家軍は揚州を攻略しようというのでしょう」
「まさか。後背に位置する南蛮を手堅く攻略するのではありませんか?」
「平教経自身はそう考えると思いますが、その配下には多くの軍師が居ます。彼女達はいずれも一流の軍師です。特に、郭嘉、賈駆、周瑜、そして雛里ちゃんは軍略において非凡なものを有して居ます。彼女達の誰かが、この時機に揚州を攻略することを献策しても不思議ではありません。そしてその軍師の意見を聞き入れるだけの器量が平教経にはあります。襄陽に向かったとすれば、間違いなく狙いは揚州にあるでしょう」
「で、では直ぐにでも兵を揚州に派遣しなければ」
「……それは無理です。糧食が不足していますし、何よりも私達が動くことを彼が考えないはずがありません。私が掴んだところでは、平家は新たに徴兵を行ったようです。その数は5万。練度はまだまだでしょうが、その意気は天を衝くものであるとの報告を受けています」
「この短期間にどうやってそれを為し得たのでしょうか」
「それは分かりません。が、彼はここまで徴兵を積極的に行ってきませんでした。その領地にはかなりの余力があったはずです。その余力の内のいくらかを此処で切り崩した、ということでしょう。
それだけの兵があればこれを留守の兵力とし、現在宛付近に展開している平家軍8万と弘農に駐屯している3万、計11万の精兵を以て攻め掛かってくることは疑いありません」
「しかしそうと決まった訳では」
「……田豊さん、私は言ったはずです。『予断を持って事に当たってはならない』と」

現実から目を逸らせばその現実を回避出来るのであれば、私だって目を背けたかった。でもそうではないからこそ、今私がこうして袁家で、袁家を利用して、未練がましくも夢を追い掛けている。私にそれを強いた貴方達が、現実から目を逸らすなんて絶対に許さない。

「……申し訳ありません。先に見た光に、少し拘りすぎていたようです」
「いえ。私こそキツい言い方だったかも知れません」
「孔明殿。現状で我らが出来ることといえば、最早調略のみということですな?」
「そうです。手筈は整えてあります」
「な、なんと」
「当たり前のことです。策を口にした時点で、それを如何にして為すかを想定していないような人間はものの役に立ちません。貴方にしても、策を口にするときは漠然と道筋は描けているはずですよ?」
「た、確かにそうですが、孔明殿程明確に道筋を描き、そして迅速に用意出来そうにはありません」
「大した事はありません」
「策は、どのように?」
「陳留を本拠としていた商人が居ます。彼を利用することを考えて居ます。私達袁家に対して従う旨、誓書を入れてきました。但し、内密に、です。そのようにさせたのです。表向きは曹操を慕い、陰に日向に袁家に抵抗をしているように見せかけています。その方が陳留で商売をするには都合が良いのです。中々骨が折れましたが、やはり家族の身の安全には換えられなかったようですね。
……彼から、資金と情報を提供させます。必要であれば人数も集めさせましょう。決起に向けて、準備は整っている、という状況を目の前にぶら下げてやれば良いのではないかと思います。
揚州に間をおかずに攻め込まれ私達は不意を突かれている状況ですが、それはつまり曹操が降ってから時間が殆ど経っていないということでもあります。この短期間に曹操軍の将兵を掌握することなど不可能でしょう。私達はそこを突きます。まだ天下への野心も失っていないでしょうし、この話の裏に何か感じたとしても、敢えてそれに乗ってくるだけの自信を己の才覚に持っているでしょうから。
『平教経の後背を襲い、エン州を回復して再び天下を目指して頂きたい。我らは曹操様の下でしか生きることを望まぬ者で御座います』とでも言わせれば良いでしょう。それなりに時間は掛かると思いますが、まさか揚州全土を攻略するに一月で、という訳にもいかないでしょう。その時間で曹操を焚きつけて独立させることが出来れば、袁家はまだ天下第一の兵数を誇る、第一勢力足り得るでしょう」
「……よくぞこの短期間にそこまでの用意をなさいましたな。それを為すだけの時間は無かったように思われるのですが」
「時間がなければ創り出せばよいのです。目的を果たす為に邪魔なモノは全て排除すれば問題ありません。それが自分の睡眠時間なら、それを排除するだけのことです」
「……孔明殿。睡眠をとらねば思考が硬直する、と申しますし、何より激務続きでありましょう。この田豊や沮授を、それこそ小間使いのように使って頂きたい。策の全貌を知らせる必要はありません。我らの才で叶うであろう事については、我らに投げて報告させれば宜しいではありませんか。全てを御自身一人で為されるには、敵が大きすぎます。孔明殿がこの先をどのように思い描いていらっしゃるのか分かりませんが、それを描ききる為にもご自愛下さい。今孔明殿が倒れられることは、袁家が倒れることと同義でありましょう」
「……」

そうは言っても彼らと私とは目指すところが異なる。おいそれと関わる訳にはいかないのだ。私が思い描いていることを、彼らが察知して危険視する可能性は高いのだから。

「……最終的に目指すところが異なっていようとも、その道が重なっている内は良いように利用なされば宜しいではありませんか。私にしても沮授にしても、上手く利用すれば孔明殿が望む結果が得られる程度には有能でありましょう。
利用なされよ、孔明殿。それこそが、貴女がなされるべき事だ。己が夢を実現させる為に、利用出来るものは全て利用なされよ。敵味方の区別無く」

……この人は、気が付いて居るのか。私が袁家を利用して夢を実現し、もしそれを妨げるようであればその障害はどのような手を用いてでも排除することを考えて居ることを。例えそれが、彼らの主であろうとも排除しようと考えて居ることを。

互いの目をじっと見つめる。目を背けることもなく、さりとて私の心を覗き込もうとしている訳でもなく、ただじっと私に『見つめられている』。
……何も裏がないように見える。心底そう思っているのか、この人は。

「……分かりました。考えておきましょう」
「……では、私はこれで」
「ええ。御苦労様でした」

執務室から出て行こうとした田豊さんが、一度立ち止まり、前を向いたままもう一度言った。

『……利用なされよ、孔明殿』、と。















〜教経 Side〜

襄陽に到着した俺は、蓮華達に今後の方針について説明した。
蓮華にしても思春にしても、俺が主攻軍2万を率いて敵中に攻め入ることを危険視し、それをせぬようにと諫めてきた。俺は自殺志願者じゃないからちゃんと策は考えてある、と説明したが、それでも納得が行かないようだ。

「そこまで心配してくれるのは有り難いが、一番効率が良いやり方を採ろうってだけだ。第一、劉表如きに後れを取る俺かよ。雪蓮も冥琳もいるし、親衛隊も新撰組も付いてくる。
益州でのことが頭に残っているンだろうが、今回は大丈夫だ。俺たちが何処に上陸するかってのは、俺たちが決める。向こうが決めることではない以上、雛里がやって見せたような芸当は無理だ。心配することはないんだよ」
「教経様、少し宜しいですか〜?」
「ああ。どうしたンだ?」

蓮華達に説明した俺に、穏が声を掛けてくる。穏は穏で気になっていることがあるって事だろう。
……しかし相変わらずでかいな、この乳は。魔乳か?

「あのですね〜、水上でなら待ち受けることは可能だと思うのですが、その辺りについてはどうお考えですか〜?」
「……呉の水軍には、面白い艨衝があるって冥琳から聞いたんだが?」
「……先に巨大な鉄針を付けた艨衝ですか〜?」
「そう、それだ。その舳先を切り離せるよう改造するように真桜に言ってある」
「切り離す……」
「そう。俺が何を考えて居るか、お前なら分かるだろう?穏」

何せ三度の飯より放火が好きな陸遜様だもンなぁ?

「……『火』、ですかぁ」

流石放火魔。『諸葛亮先生!』とか言いながら容赦なく放火して廻るだけあるわ。

「ご名答」
「はぁ〜ん、良くそんな事を思いつかれますね〜」

思いついた訳じゃ無く、史実で冥琳がかましたからねぇ。
見よ!赤壁は、赤く燃えているぅ〜〜〜〜〜!!

……ん?『はぁ〜ん』?

「やっぱり教経様は凄いですね〜♪」
「……おい、穏。ちょいと近すぎると思うンだが?」
「そんなことはないですよ〜」

穏が俺ににじり寄ってきている。どころか、腕を取られてその胸に挟まれている。この魔乳眼鏡め!俺を誑かすつもりだろうがそうはい神崎ィィィィッ!
……良いねぇ。俺は眼鏡が好きなんだよねぇ。そして麦茶属性持ちなンだよねぇ。

「麦茶を前にすると萌えて萌えて……って違うわぁ!」
「?どうしたんですかぁ〜?」

余りにデカくてやぁらかい乳に、アイデンティティが崩壊しかけただろうが。

「……穏。貴女、何をしているのかしら?」
「……穏、教経様から離れて貰おうか?」
「……の、穏様?どうなさったんですか?」
「……あ、あの、穏様。まだお昼ですから……」

蓮華と思春、明命はまぁ、良しとしよう。
亞莎?問題なのはお昼だからじゃないんだよ?分かるかね?

「やぁ〜だぁ〜。困ってる教経様も可愛いですぅ〜」
「……明命。容赦なく頼むわ」
「は、はいっ」
「あふ〜」

ゴッっという音共に、穏が崩れ落ちる。
……やばかった。堤防決壊して襲いかかるところだったンだぜ?

「と、兎に角そういう訳だから心配しなくても良い」
「……分かったわ」
「出立の準備、しておいてくれよ?軍を発したら、一気に屠ってやるつもりでいるンだから」
「御意」

……二月。二月で終わらせてやるよ、ドカス。
それまで精々恐れ戦いているが良い。今まで散々好き勝手やってきたんだろ?だから今度はお前さんが好き勝手される番だ。

因果は、巡るのさ。