〜亞莎 Side〜
教経様から命じられた、袁家の動向についての調査が終わりました。
稟様も風様も既に調査を終えられているとのことでした。私は一人遅れてしまっていたみたいです。今日、私の方の調査が終わったことを稟様に報告すると、三人で教経様に報告にあがることになりました。
広間に入ると、既に教経様は椅子に座って居られました。
その前まで行って跪拝します。
「教経殿。命じられていた袁家の調査、終了致しました」
「ご苦労さん。で、どうだった?」
「それよりも先ずお兄さんに報告しなければならないことがあるのですよ」
「?何だ?」
「漢王朝が滅亡したのです」
そうです。漢王朝は最後の皇帝である劉虞が袁紹に禅譲を行った事により、滅亡しました。袁紹さんは国号を『麗』と定め、初代皇帝となることを宣言したのです。
「ふぅん。で?」
「……お兄さん、驚かないのですか?」
「いやいや。前から言ってたじゃないか。袁紹の目的は禅譲だってねぇ。ちっと遅すぎるくらいだ。俺は官渡の戦い以前にやるべきだと思っていたンだからねぇ。華琳に負けるに違いないと思っていたから、せめて皇帝として無様な死を迎えて貰いたかったンだが。
……後は用済みの搾り滓を処理するだけだろう。生かしておいても碌な事はしない。強欲な奴は与えられた条件に慣れて『もっともっと』と強請ってくるンだから。直ぐに処理されるに違いないさ」
当たり前のことを言っている、という表情でそう仰います。
「それにだ。言ったろう?董卓を助けようとしなかった時点で漢王朝は終わりだ。そんなゴミ屑に払う敬意は持ち合わせていないンだよ。生ゴミを有り難がって頭から被るような真似を良くするな、あの馬鹿は。
『私が神聖生ゴミ王国の皇帝で御座いますわよ!あ〜ほっほっほ!あ〜ほっほっほ!』とでも言っているンじゃないかね?」
「それがそのようなこともないようです、教経殿」
「と言うと?」
「袁紹殿は周囲の人間の忠言に一切耳を貸さない愚昧を形にしたような人でしたが、最近、というより官渡の戦いで撤退して以降、周囲の人間の意見に耳を傾けるようになっているようなのです」
「そんなことがあるかよ。影武者か何かじゃないのかね?世良田次郎三郎的に考えて」
「せらだ……?」
「いや、こっちの話だ」
「お兄さん、本当に変わっているようなのですよ。今まで幾ら献策しても通らなかった領内の交通網整備案が袁紹さん自身の判断によって採用されたらしいのです。周囲の人間にその有用性を説明して貰わなければならなかったようですが、それでも自分で採用したのです。変わっているに違いないのですよ。さらだ2乗3乗的に考えて」
「……風。俺が言ったのは『世良田次郎三郎』な。それだと腹一杯サラダ食える様になるだけだから」
「風にはよく分からないのです」
「またかよ」
教経様と風様は偶によく分からない会話をなされます。
「……官渡の敗戦で人生観でも変わったか?劇的に」
「そうとしか思えません」
「ふむ……俺の注意を喚起したってことは、要するに袁紹軍は俺たちに備えている、ということか」
「はい。私の方で確認した限り、陳留攻略軍の指揮官であった麹義殿が兵30,000を率いて諸葛亮殿に合流した模様です。これでエン州に60,000の袁紹軍がいる事になります」
「……蹂躙出来ない数じゃない気がするがね。大体糧食の問題は解決していないだろう」
「袁家は先帝を隠居所に移動させました。元々先帝が治めていた代には随分と糧食と財が溜め込まれていたようです。それら全てを接収した模様です」
「……成る程。劉虞の強欲さが俺の邪魔をしてくれる訳だ」
「そうなりますね」
「有り難くて涙が出てくるねぇ……糞が」
そう忌々しそうに吐き捨てられました。確かに、もしそうでなければエン州に攻め込んでこれを奪うことくらいは出来たと思います。
「……風の方はどうだ?」
「袁家の国力の変化について調べてきたのです。今秋の収穫高は、前年比で1.4倍程度になると思われます。口数については1.5倍になると予測しているのですよ」
「1.4倍ってのは本当か?華琳が治めていたエン州は兎も角冀州は結構荒廃していると思うンだが」
「お兄さんは冀州がどれ程豊かか分かっていないのです。冀州はこの国で一番の物成があるのです。軍に徴発する兵で言えば、冀州だけで30万乃至35万が見込めます。当然それを養うだけの糧食を得ることが出来るからそれを見込めるのです。荒廃しているのと、お兄さんが色々と仕掛けた為に20万程度養う量しか収穫できなかっただけなのですよ」
「20万でも大した数だがね。経済戦争仕掛けたらどの程度減らせる?」
「17万が限度、という程度には制限出来ると思いますね〜」
「それでも17万か」
「お兄さん、今年は1.4倍になるので袁紹さんは24万養えるだけの糧食を得ることが出来るはずなのですよ。7万も外征出来ない状況に出来るだけ、お兄さんの策は秀逸なのです。7万もあればもう1軍作れるのですから」
「……それもそうか」
「はい」
「ンじゃ、亞莎の方はどうかね?」
……私の番が来ました。私が調べてきたことに教経様が満足して下さると良いのですが。
「わ、私は諸葛亮について調べてきました」
「へぇ。何か分かったかね?」
「済みません。分かった事はさほどありません。布陣している場所で多くの書状を書き付け、それを孟獲と士燮、そして劉表に送っていること位しか分かっていません」
「ふむ……亞莎はそれをどう見る」
「私は、これは牽制の為の準備だと思います」
「何の牽制だね?」
「……恐らく、曹操を滅ぼすべく司隷州に向けて軍を進発させた際に、教経様にその後背を突かせたり本国に攻め入って来させぬ様にする為の牽制です。南蛮、交阯、揚州から兵を発することによって身動きを取れぬようにしておいて、一気に曹操を滅ぼすつもりだと思います」
「……」
私の答えを聞いて、教経様は目を瞑って黙っていらっしゃいました。
……やっぱり、私には稟様達のような才能は……
「……亞莎」
「……は、はい……」
「お前さん、やっぱりやれば出来るンじゃないか」
「え?」
「恐らくお前さんの言う通りだろう。諸葛亮の奴が俺を野放しにしておくはずがないンだからねぇ。自分で言うのも何だが、華琳に対して軍旅を催そうと思えば先ず俺を封じ込めておくことを考えるべきなのさ。だからお前さんが調べてそう思ったのは間違いじゃない。
……南蛮に、交阯に、揚州、ねぇ。これでこの国で平家に属していない勢力の内、華琳以外の全てが俺の敵に回る訳だ」
そう言って、教経様はカラカラと笑い始めた。
「はははっ……面白いじゃないか。俺は俺に刃を向けてくる奴に対して容赦をしようとは思わない。もし奴らが諸葛亮の思惑通りに攻めて来るなら、奴らにはそれ相応の報いを呉れて遣る」
「の、教経様。同時に攻められた場合、如何為されるのでしょうか」
「幸いにも亞莎のおかげで奴さん達の動きは読めたわけだ。それと知っているのに態々奴らが行動を始めるのを待って対処をすることもあるまい?今の内から奴らに備え、強烈なしっぺ返しをくらわせてやる。
益州に碧と翠と稟、荊州に愛紗と祭と蒲公英をそれぞれ移動させる。益州に5万、荊州に7万。これだけの兵で待ち構えておいてやれば十分だろう。三方から攻めれば勝てると思うなら攻めてくるが良いのさ。遠交近攻大いに結構。だが袁紹の馬鹿と連携するには些か遠いンだよねぇ。認識が甘いって事を、身を以て思い知らせてやる」
稟様と風様を見ると、お二人とも教経様を見て頷いて居ました。
私も、教経様のご期待に応えることが出来たと思います。安心したのは勿論ですが、教経様から言われた言葉がとても嬉しかったのです。
『やっぱりやれば出来るンじゃないか』
私も、これで少しは自信が持てると思います。
そう思わせてくれた教経様にお礼を述べようとお顔を見ると、何とも言えない気持ちになって直ぐに俯いてしまいました。動悸が激しくなって、お顔をまともに見ることが出来ません。
「今回は袁紹を攻めることは見送ることにする。残念だがね。袁紹だけでなく、攻めてきそうな3勢力についても情報を集めておいてくれ。攻めて来ることが分かった時点から、皆忙しく動くことになる。それまでは足元をしっかり固めることにしよう。いずれ駆け出すその時の為に、な」
拝礼をしつつ、教経様のお顔を改めて見ます。前からそうでしたが、より一層眩しく見えます。
それが何故なのか。その理由を知るのには、もう少し時間が掛かったのです。
〜秋蘭 Side〜
「どうした、夏侯淵。その程度か?」
「くっ……」
平家に保護されてから、既に一月が経過している。
最初、黒男とかいう医者と琵琶丸なる鍼師が付きっきりで私の訓練に付き合ってくれていたが、ある時点から平教経が付き合ってくれるようになった。
体の回復を早める為には、先ず己の体が如何なるモノかを知る必要がある。そう言った黒男に対して、彼がそれを教えよう、と言ったのだ。
今私は覚束なくも立ち上がり、そして歩こうとしている。その私の足、怪我をしていない右足を平教経はいきなり払い、私に何度も地面を舐めさせてくれている。
「何度言ったら分かる。きちんと自分の体を意識しろ。今までのように、意識せずとも動くモノではない。何故、立っている事が出来るのか。何故、足は動くのか。何故、腕を振るうことが出来るのか。それら全ては生まれた時から物心つくまでに自得しているモノであり、人は皆その経験の上にあぐらを掻いて生きているに過ぎん。
お前さんはそれでは駄目だ。己の体がどういうモノなのか。それをもう一度、今度は理性を通して獲得しなければならん。そうでなければ例え復帰したとしても万全とは言い難い」
「分かっているッ……!」
「そうか。その割には全く進歩がないな。諦めてしまった方が良いンじゃないかね?別に生きていくだけなら、何とでも成るだろうに。お前さん程の器量があれば、どんな男も思いのままだぜ?何なら俺が囲ってやっても良いンだ。諦めろ。その方が楽だ」
「……巫山戯るな。私は華琳様の為に再びお役に立たねばならんのだ。このような処で貴様に囲われるなど願い下げだ」
「それならば早く立て。時間は誰にでも平等に過ぎていくものだ。こうして居る間にも袁紹が華琳を攻め滅ぼすべく画策をしている。お前さんは何の役にも立たないただの木偶で終わるつもりか」
「ぐっ……」
「……ふん。立てるじゃないか。立てるなら勿体振らずに早く立て。早く先生の所まで歩いて行って見せろ」
私の訓練に付き合うことになった時、血反吐を吐くが早く回復する道と、それなりの苦労を伴うだけで済むが回復にそれなりの時間を要する道といずれを選択するか迫られた。私は当然前者を選び、そして『血反吐を吐く』とは言葉通りの意味であって『血反吐を吐くような思い』をするのではないことを最初に思い知らされた。
今日のようにいきなり足を払われた時、私は思わず彼を罵ってしまったが、彼が何をしようとしてくれているのかが分かってからは文句どころか感謝の念さえ湧いてくる。こうして訓練をしている最中は、その態度にむかっ腹が立つし、『貴様』などと言ってしまうのだが。
彼が訓練に付き合うようになってから最初の二日間は、紛れもない殺意を抱いていたものだ。だが、見かねた趙雲が私に色々と教えてくれた。趙雲は、平教経に何故このような事をさせるのかを問い糾し、それを私に教えてくれたのだ。
聞けば、彼自身がその剣の師から様々な事をさせられていたらしい。
関節を外した状態から己の体の状態を把握して元に戻す。
特殊な薬によって五感を狂わせ、また体の一部が痺れた状態で普段と何ら変わらぬように剣を振るう。
足一本、腕一本、偶にその両方。それを縛り上げられて師と剣を持って向かい合う。
その訓練は、己の体が如何なるモノで如何に使うべきであるかをしっかり認識させてくれた。今私の体、左足と右腕については思い通りに動かすことが出来ないが、もし自分躰を動かすということをしっかりと理解した上で出来る様になれば、今までと同じどころか遙かに効率良く体を使うことが出来るだろう。だから、これと同じような事をやるのだ。そう言っていたそうだ。
それにこの男は、無闇やたらに私の足を払っている訳ではない。
この訓練を始めてから、既に何度か所定の位置まで足を払われることなく移動したことがあるのだ。要するに、平教経は私が躰を動かす際に、どう動かすか、どう動くのかを意識せず、ただ漫然と動かそうとした時に足を払うのだ。
「一体何処を見て足を払うか否かを判断しているのか」
思わずそう口に出していた私に、平教経が少し考えてから話し始める。
「……そろそろ分かった頃だろうから言葉で伝えておいてやる。
ちゃんと意識して動かしている場合、体幹は常に均衡が取れている。前後左右に揺れ動くことはない。重心の移動は水が流れるが如く為される。意識する、というのは、常に注意を払っておくということだが、それに拠ってある一点の筋肉を強ばらせたり余計な箇所に力を入れることがあってはならない。
己を俯瞰しろ。体は己の意志で動かすモノだが、しかし意志のみで動いている訳ではない。全ての事象に因果があるように、体の動きも須く因果から逃れることは出来ない。己が思うままに因果を生じせしめろ。その理を理解しろ。そして己に従わせて見せろ。
分かったらさっさと歩け。もう日が暮れるぞ?」
「分かっているさ。だからこうやって歩いているッ……!」
再び歩き出した私の足を、平教経は払ってこなかった。
己の体がどう動いているのかを意識し、体幹がブレぬことだけに集中して歩いた。そして気付けば、所定の位置まで歩ききっていた。
「……ある程度掴めてきたみたいだな」
「……はぁ、はぁ……」
「凱、頼む」
「任せておけ」
琵琶丸が私に鍼を打つ。これで、今日の訓練は終わりだ。
琵琶丸が私に鍼を打つことで回復力を高め、寝て目覚めた時に疲労が回復しているようにしてくれているのだ。その代わりに、疲労が一気に吹きだして来るような感覚に襲われ、抗いがたい睡魔に敗れて意識を失うのが、最早日課となっている。
……平教経は、どうやら私が華琳様の大事に間に合うように、出来る限りのことをしてくれているのだろう。恐らくは、華琳様の為に。
平教経と接するようになってから、この男が華琳様と良く似ていることに驚かされる事が多い。どちらも誇り高く、醜悪なものを憎む。どちらも人に求めるところが高い。どちらも少々独善的である。どちらも素直ではない。どちらも、実は心優しい。そしてどちらも、満たされぬ孤独感を抱えている。華琳様はその孤独を埋める為に姉者や私などと閨を共にしている面がある。平教経も、その孤独を埋める為に女と閨を共にする面があるのではないかと思う。
はっきりとは気が付いていらっしゃらないようだが、華琳様は平教経に単なる興味以上の感情を抱いている。恋、というようなものでもない。まるで喪われた自分自身の半身を求めるかのような切実さを感じる。そして恐らく、平教経も華琳様に己自身を見出しているのだろう。
残念ながら姉者や私ですら、華琳様の全てを理解することは叶わない。だが、この男なら華琳様の全てを理解してみせるかも知れない。そして華琳様も、この男の全てを理解してみせるかも知れない。
この男が華琳様と共に在ったなら。
華琳様がこの男と共に在ったなら。
それを思いながら、意識を手放した。
〜華琳 Side〜
「華琳様、烏丸と鮮卑に向かわせた使者が帰ってきました」
「そう。それで首尾は?」
「……申し訳ありません。協力を取り付けることは叶いませんでした」
「……そう。仕方がないわね。もう良いわ。下がって休みなさい、桂花」
「……はい、華琳様」
陳留での敗戦から3ヶ月。収穫を終えるまでに、打てる手は全て打った。けれど、何一つ上手く行かなかった。冀州で煽動を行ったが、小火程度の騒ぎで鎮圧されてしまった。異民族との連携を行おうとしたが、全て断られた。それだけでなく、軍兵が少しずつ逃げ始めていた。元々私に従っていた者達は、最後まで付いて来てくれる様だけれど。
落ち目の時というのは、こういうものかも知れないわね。高みに登っていればいる程、足を踏み外した時に落ちる幅は大きくなる。今まで上手く行っていただけに、上手く行かなくなった時の動揺は大きい。春蘭達でさえ動揺はしているでしょう。それが兵であれば、尚のこと動揺しているでしょう。そして、それに耐えられる程強くもないでしょう。
調べたところでは、麗羽がいよいよ私を討ち果たさんと軍旅を催そうとしている。それと同時に南蛮、交阯、揚州に働きかけて教経の動きを封じようとしている。今までの麗羽であれば、数に物を言わせるだけでそのように複数の策を巡らせるような真似はしなかったでしょう。
我が軍は20,000程度しか戦力として計算出来ない。対する袁紹軍は60,000。教経に備えつつ用意出来る限界の兵力を投入してくるとの情報を得ている。主将は麹義。軍師に沮授。将として蒋奇と孟岱が従軍している。
将の質でも軍師の質でも私達が勝っている。ただ兵数のみで劣っており、そして覆せそうにない。水関で防戦することを考えているけれど、水関が抜かれれば後はない。虎牢関は半董卓連合時に教経が火を掛けたことによって木材部分は全て焼け落ちており、また麗羽と袁術が忌々しい思い出しかないから、と言って壁を破壊した後修復されていないのだから。
水関で防戦している最中に河が凍れば、当然渡渉してくるでしょう。そうなれば、水関に篭もったまま洛陽を落とされることになる。それは敵中に孤立することを意味している。といって、後退してもこの兵力差を覆す事が出来そうな、防戦に適した場所が存在しない。
……覚悟をしておいた方が良いかも知れないわね。
「華琳様!敵が河を渡渉しようとしている模様です!」」
「……春蘭、一旦洛陽まで後退するわよ」
「……華琳様」
水関に寄せてきた袁紹軍は、事前の調べ通り60,000を越える程度だった。水関を盾にして迎え撃っていたけれど、当初の危惧通り河が凍ってしまい、敵に簡単に渡渉を許してしまう状況に陥った。
今私の目の前に見えている道は二つ。
援軍の見込みのない水関に篭もって戦ってじわじわと死んでいくか。
それとも、後退して兵を再編し、最期の決戦に臨んで死ぬか。
いずれの道も、もたらされる結果は変わらない。
「まだ終わった訳ではないわ。洛陽で兵を再編し、弘農へ退く。そこで最期の決戦に臨むわよ、春蘭」
「はっ!」
「桂花、兵達の様子は?」
「此処まで残っている兵に動揺はありません。皆、覚悟は決めております。最期の最期まで華琳様に付いていく、と申しております」
「……そう」
次が最期になる。それはあちらも承知の上でしょう。
……でもね、楽に勝たせてはあげないわ。最期の一兵になるまで戦う。諦めれば、そこで全てが終わるのだから。
袁紹軍と激しくぶつかり合う。皆、これが最期の戦いになるのは分かっている。一人でも多くの敵兵を殺す。その先に待っているのは自分の死以外にはないことを知りながら、それでも皆戦っている。
本陣も例外ではなく、既に何度も敵兵に進入されている。
右翼を務める凪達と左翼を務める春蘭達、そして本隊を率いて居る私。その中間に敵兵は橋頭堡を確保してそれぞれを分断している。
「敵大将曹操見参!大人しくその首を寄越せ!」
「欲しければ実力で奪って見せなさい。そう易々とあげるつもりはないわ」
何度目かの乱入者を、絶で斬り殺す。
「流石は曹操殿。やるようですがそれも此処まで。この私の出世の糧となって頂きましょう」
「躾がなっていないわね。そういう時は先ず名乗るものよ?」
「これは失礼。私は蒋奇。貴方を殺して出世する、時代の袁家を担う者です」
「貴方には出来ないかも知れないわよ?試してみるかしら?」
「試させて頂きましょう。但し、尋常な勝負は致しませんがね!」
敵の将と思われる男が配下の兵に命じて次々に私に襲いかからせる。私の体力を奪い、確実に仕留めることが出来る様になるまで弱らせようと考えて居るのでしょう。
突き出された槍を絡め取って横にいる敵兵の腹に突き刺す。それと同時に、絶を一閃させて正面で槍を構えていた雑兵の腹を切り裂く。もう数え切れない程敵を斬り捨てた。それでも猶、敵の攻勢は弱まりそうにない。
「しつこいわよ!」
目の前に迫ってきた敵将を斬り殺すべく、絶を振るった。確かに斬り殺すことが出来た。……彼が盾とした雑兵を。そのまま前進して来て、抱えていた雑兵をこちらに投げつけてくる。それを避けた先には、血溜まりがあった。
血溜まりを踏んで足を滑らせた私の前に、蒋奇が立っている。
「曹操!その首、頂戴する!」
とっさに絶を構えて防いだが、絶をはじき飛ばされてしまった。
「……今度こそ、最期だな」
蒋奇が剣を振り上げる。
これで、私は終わり、ね。足下を血に掬われるなんて不運に見舞われること自体、終わりを意味している気がするしね。
今際の際にはそれまでの人生が走馬燈のように巡ると言うけれど、本当なのね。
旗揚げをして、鉅鹿で黄巾賊を討伐した。
反董卓連合では、危うく全軍崩壊するところだった。
官渡の戦の前に、教経と決戦することを約束した。
そして、官渡の戦いに負けた。
駆け巡った走馬燈。その殆どに教経が関わっているなんてね。
振り上げた剣を振り下ろしてくるのを目にし、目を瞑って痛みに備える。一瞬で死ねると良いのだけれど。
……秋蘭の声が聞こえた気がする。
秋蘭、やっぱり貴女、生きていたのね?出来れば春蘭達を纏めて、何処かへ落ち延びなさい。教経なら、きっと貴女達を厚遇してくれるでしょう。
……教経。
叶うならもう一度貴方に逢って話をしたかったのだけれど、それも叶いそうにはない。
……貴方は、私の分まで頑張りなさい?きっと貴方が思い描く理想は、私と良く似たようなものでしょうから。なにせ、私達は似ているのだから。
「……教経」
「呼んだか?華琳」
あり得ない人の声を耳にして目を開くと、目の前に、居るはずのない人が居た。
逢いたいと、最期に願ったその人が。