〜麗羽 Side〜

官渡から猪々子さんと桃香さん、審配さんに逢紀さんと共に逃げ帰った。逃げている最中、桃香さんから言われた事がずっと頭から離れなかった。

『袁家が、無くなってしまうかも知れない』

他の誰でもない、私のせいで。
こうなって初めて、袁家という家が永遠に続くものではなく、それを束ねている私如何で繁栄も衰退もするものであることに思い至ったのです。袁家は名門であり、それを周囲の者は崇めてくれている。そのこと自体当たり前であると思い、またこれから先もずっと変わらぬものであると考えていました。
ですが、それは間違っていたのです。周囲の者達は私に何も言ってくれませんでした。いえ、疎ましく思っていた田豊さんと沮授さんは、遠回しにそういうことを言っていたかも知れません。猪々子さんと斗詩さんも、今思えば私に対してそれを考えさせようとしていた時期があったかも知れません。審配さん達にしても、私が言うことに忠実であろうとしていただけで、私がそうあることを決して望ましくは思っていなかったのかも知れません。

周囲の者に『名門袁家の袁紹』としての私を期待され、それを演じているうちにそういう人間に成り変わっていた。こうなることを思いもしなかった。このまま私のせいで袁家が無くなってしまっては、ご先祖様に申し訳が立たない。ですが私にはもう何も出来ないのです。斗詩さんと田豊さん、張コウさん、鈴々さんが何とかしてくれるのをただ待っている事しかできない。
待っている間、私は自分が針のむしろの上に座しているかのような、そんな居たたまれなさを感じ続けています。『お前が名門袁家を滅ぼしたのだ』。周囲の者達が私に向ける視線が、私にそう言っているように感じられて仕方がありません。

「申し上げます!」
「……何ですの」
「陳留にて我が軍が曹操軍を破りました!」
「そ、それは本当ですの!?」
「はっ!たった今諸葛亮様から使者が!」

朱里さんから?

「麗羽ちゃん、朱里ちゃんは袁家の為に策を考えてくれていたみたいだね」
「桃香さん」
「……朱里ちゃんは独断専行したけど、許してあげて欲しいの。麗羽ちゃんの事を思ってそうしたんだと思うから」
「……許すも何も、もし朱里さんが居なければ私は桃香さんが言う通り袁家を滅ぼしていたでしょう。今回朱里さんが行った独断専行については全て不問とした上で、改めて賞することにしますわ」
「そうして貰えると嬉しいな」
「……麗羽様。まだ終わった訳ではありません。田豊から言われた通りに、兵と糧食を集めましょう」
「審配さん、逢紀さん。出来ますか?」
「民には耐えて貰うしかありません。ですが、この秋の収穫まであと僅かです。それまで、何とか耐えて貰うしかありません」
「……そうですか。田豊さんの言った通りになさい」
「はっ」
「麗羽様。あたいは残っている兵を再編します」
「ええ。『頼みます』」

そう言うと、猪々子さんは目を見開いて驚いていた。
思えば、誰かに何かを頼んだことは無かった気がする。私は名族袁家の袁紹。だから人は私の言うことを聞いて当たり前。そう考えて命ずることしかしてこなかった。

それでは、駄目なのです。これまでと同じ事をやっていたのでは、私はいずれ袁家を滅ぼしてしまうに決まっているのですわ。『名族袁家の袁紹』では、袁家を滅ぼしてしまうのです。それであれば、私は私として、袁本初として生きていかなければならないのです。それに気が付いて改める機会をこうして得ることが出来たのですから、今からでも改めるべきなのです。

「麗羽ちゃん。皆麗羽ちゃんの為に一生懸命にやってくれてる。大変だと思うけど、きっと大丈夫だよ」

桃香さんが私にそう笑いかける。
もし桃香さんが私にああいってくれなければ、私は撤退することはなかったでしょう。桃香さんが居なかったら。もし桃香さんが私と友達でなかったら。私は『名門袁家の袁紹』として袁家を滅ぼしていたでしょう。それを思うとゾッとします。

「……桃香さん、感謝致しますわ」
「え?」
「よく、私を見捨てずに友人で居てくれました。よく、私にああ言ってくれました」
「見捨てるわけないよ、麗羽ちゃん。私は麗羽ちゃんとお友達だもん。
その、あの言葉はね、朱里ちゃんからああ言うように言われたから言っただけなんだ。でも、もしあそこで撤退しないって言うようなら、多分違う言葉になったと思うけど絶対に諫めたと思うの。田豊さんや張コウさんが一生懸命麗羽ちゃんのことを考えて居たのは分かっていたし、あの人達は自分が麗羽ちゃんの下で出世したいって思って動いている訳じゃ無かったから。
……自分で考えて、ああ言ったんだったら良かったんだけど、ね」

そう言って桃香さんは笑った。

「……桃香さん、これからも私と友達で居てくれますか?」
「当たり前じゃない。私は絶対に麗羽ちゃんを見捨てたりしないよ」
「……有り難う、桃香さん」
「も〜、湿っぽいのはこれで終わり!いつも通り、笑い飛ばすと良いと思うよ、麗羽ちゃん。ちゃんと分かった上で、ね」
「……お〜ほっほっほ」
「小さいんじゃないかな〜?」
「お〜ほっほっほ!お〜ほっほっほ!」
「そうそう。その調子その調子」

笑い出した私に猪々子さんも審配さんも逢紀さんも驚いていましたが、直ぐに柔らかい表情になってこちらを見ていました。
……私は彼らに支えられている。それを今まで全く考えて来ませんでしたが、それでもこうして私について来て、私を支え続けてくれようとしています。

『名門袁家の袁紹』ではない私に何が出来るかは分かりませんが。せめて、彼らを裏切るような真似をしないようにしようと思うのです。私は彼らに支えられてこその私であることを忘れないようにしようと思うのです。

『袁本初』として。















〜田豊 Side〜

軍を再編して司隷州へ撤退して行く曹操軍を追撃しているが、殿を務めている夏侯淵に手を焼いている。この苦境にあって大崩れすることなく後退していく。よくこの軍勢に勝ったものだと思う。

「孔明殿。此度はどのように致しましょうか」
「次に彼らが時間を稼ぐべく攻勢に出てきた際、退路を断つべく兵を動かします」
「包囲出来ますかな」
「包囲する必要はありません。多くの兵を逃がす為に敵将は長く戦場に留まることを決意するでしょう。それこそが狙いです」
「成る程。それによってあわよくば夏侯淵を討ち、曹操の力を更に減らしておこう、という訳ですか」
「そうです。右翼を張コウさん、左翼を田豊さん。本隊を私が率いて殲滅します」
「……その後は如何なさいます」
「河南郡に入るところまでは曹操を追います。河南郡と陳留郡の州境に至ったら一旦進軍を止めるつもりです」

恐らくは、平家を警戒してのことだろう。

「……平家、ですか」
「そうです。もし平教経が宛へ兵を返すようであればそれに備える必要があります」
「止められますかな、彼を」
「恐らくは」
「何故そう言えるのです?曹操に勝ったとは言え、袁家も無傷ではありません。それどころか今50,000程度の兵を率いて来られたら、それに対抗する為の兵を十分に用意出来ない我らは負けると思うのですが」
「ええ。そうかも知れません。来たりなば、ですが」
「孔明殿。では孔明殿は平家は出兵して来ない、と考えておられるので?」
「はい」
「そこが今ひとつ理解出来ません。攻め掛かれば勝てると漠然であろうとも分かっていて猶攻め掛からぬ理由があるでしょうか」
「……平教経という人は兵法に明るい人です。彼は急速に自勢力を伸張させましたが、新しく勢力に組み入れた領地を把握出来ていないことを自覚しているはずです。先ず己を知ろうとすることは間違いありません。その上で、曹操が負け、袁家が勝ったことによってそれぞれの家や領地にどういう変化があったのかを知ることに努めるでしょう。
己が置かれている状況を把握せずに兵を起こしても碌な事がありません。必ず彼は一度立ち止まって領地の慰撫と情報収集を行うはずです。漠然とした情報や己の勘を頼りに攻め寄せるような愚かな真似はしないでしょう。そういう人間であればこそ、彼は手強い相手なのです」
「情報収集の結果、こちらに対抗するだけの兵力がないことが判明した場合、攻め寄せてくると思いますが」
「そうでしょうか。国元で出来る限りの兵と糧食を集めて貰っているはずですが、そうするように伝えなかったのですか?」
「いえ。伝えました」
「それであれば大丈夫でしょう。袁家の余力というものを今ここで全て吐き出してでも、平教経に付け入る隙を与えずに曹操を滅ぼしておく必要があります。その為に兵を集めて貰うのです。
袁家が兵をかき集めている、という情報を得た平教経が、直ぐに攻め入ってくることはないでしょう。今までの彼を見る限り、彼は連戦を嫌うようです。それに、益州と荊州を平定するに足る糧食を用意していたのでしょうが、そこから更に袁家を相手に戦をすることを想定した量を集めては居ないはずです。平家の存亡を賭けた戦でもないのに無理をするとは思えません」
「……立ち止まると考えておられるのであれば、このまま追撃していても良いのでは?」

そう言った張コウ殿に、静かに頭を振りながら答える。

「こちらに備えがない、となれば瀬踏みをしてくるに違いありません。備えていればこそ、立ち止まって状況を把握しようと考えるはずなのです」

今回の戦を描ききった孔明殿がそういうのであれば、それで間違いないのだろう。手強い相手、というのもその言葉通りであるに違いない。どの程度手強いのかが今ひとつ実感出来ないが。

「手強い、とのことでしたが、曹操と比べてどちらが手強いでしょうか」
「君主の才で考えれば、両者は拮抗しているでしょう。が、その臣下の質と量を考えれば、平教経の方が遙かに手強い相手であるのは間違いありません。彼らに対して対応を誤れば、僅かな綻びさえも滅亡に繋がりかねません」
「それ程に危険ですか、平教経は」
「ええ。一応刺客を放ってありますが、今回失敗したら後は戦で決着を付けるしかありません」
「既に手を打っておられたのですか」
「当然です。将来萌芽するであろう危険に対して、事前に手を打てるのであれば打っておくべきです。しかもこの場合、平教経が袁家にとって障壁となって立ちはだかることは目に見えているのですから。その障壁を事前に取り除こうと考えるのはごく自然なことです」
「成る程」
「……そろそろ敵が攻勢を掛けてくるでしょう。先程話した通り、包囲するように見せかけてこれを殲滅します」

これが成功すれば曹操は暫く身動きが取れなくなるだろう。そして恐らく成功するだろう。
あれだけの練度の兵を失えば、再び同等の力を得るにはかなり時間を有するはずだ。その間に袁家を立て直す。平家がどう動くかが分からないが、孔明殿が居る限りそこまで酷い状況にはならないだろう。恐らく、その事も見通しているに違いないのだから。















〜教経 Side〜

襄陽から昼夜兼行して宛に入った。宛で防備に当たっていた碧達に状況を確認すべく招集を掛け、遠征に参加していた将を交えて話をしている。

「じゃあ麗羽自身は負けたのか?」
「戦場を官渡だけに限れば曹操さんが勝利している訳ですし、そう考えて良いと思うのです。現状から考えて、勝ったのは諸葛亮なのですよ。もし彼女が居なければ、今頃は曹操さんが河北を併呑していたに違いないのです」
「その勝利した状態から、一体どうやって負けたンだね?風から見て勝利したように見えたンだろう?お前さんがそう断じた状況から負けることは難しいと思うンだが」
「今情報を集めているのですが、詳細がよく分からないのです。兎に角突然陳留を袁紹軍が占拠したのです。それを取り返すべく行動していたのは間違いないと思いますが」
「碧。どう思う?」
「……まあ、油断していたというよりは、純粋に数に負けたんだと思うよ」
「数ならほぼ互角の状況まで持ち込んでいたようだが?」
「官渡ではね。全体で見れば、戦に投入した兵は袁紹の方が遙かに多かったんだろうさ。それに本拠である陳留の留守を預けることが出来る将が居なかったのが大きいだろうね」
「……将、ねぇ」

『将』について言及されて初めて、稟と風、霞が俺に仕えているという事実に思い当たった。郭嘉、程c、張遼。本来であれば、三人とも華琳に仕えていたはずの人間だ。それぞれが対袁紹戦において重要な役割を担っていたはずだったのだ。優秀な三人を欠いたことが、この結果をもたらしたのかも知れない。

「主。主はどうするおつもりなのです?」
「どうする、とはどういう意味だ?星」
「どういう意味も何もそのままです。エン州と司隷州の州境に展開している袁紹軍を駆逐すべく兵を動かすのですかな?」
「袁紹軍の数は?」
「斥候に拠れば、約30,000だそうですが」
「ふむ……稟。稟はどう思う?」
「……曹操殿を打ち破る程の才覚を持つ人間が、私達より遙かに劣る兵数であるにも関わらず迎え撃つべく用意をしている。こう言うと何か企んでいるような気もしますが、あからさますぎるので何の策もなく陣を構えているだけ、という可能性もあります」
「将が偵察に赴くしかない、か」
「それが一番確実だと思います。その上で対応を考えるのが上策かと。思わぬ所で足下を掬われる可能性がありますから」

流石にこの状況で俺が行く訳には行かないだろう。何が起こるか分からない。万全に備えておく為には、宛で報告を待っていなければならないだろう。

「星、お前さんから見て……」
「お任せあれ」

俺の言葉を途中で切って笑っている。
星から見て、誰を偵察に派遣するのが良いと思うか?と聞くつもりだったが、どうやら星は最初から自分自身で偵察することを考えて居たようだ。

「……分かった。星に任せるさ」
「はい、主」
「星だけで大丈夫か?」
「そうですな……出来れば稟か冥琳に同行して貰いたいですが」
「ならば私が同行しよう」
「……良いのか?冥琳」
「ああ、構わない。私自身、この目で確かめたいからな」
「そうか。宜しく頼む」
「では主。我々はこれで」
「あぁ。二人とも気を付けて、な」
「分かっておりますとも」

星達が帰ってくるまでに、軍を再編しておいた方が良いだろう。どうなるか分からないからねぇ。

「あ、あの!」

一先ず解散を命じようと思っていたところに、亞莎が発言を求めた。
……珍しい事があるモンだ。亞莎は自分から積極的に発言したことは今まで無かったが。

「どうしたンだ、亞莎」
「あ、あの、教経様。星様達とは別に、袁紹が今何をしているのかを把握する必要があるのではないでしょうか」
「袁紹が何をしているか?」
「正確には、袁家が何をしているのか、になるのですが。一旦矛を収めて内政に専念しようとしているのか、それとも引き続いて曹操、若しくは教経様と戦う為に準備をしているのか。それを確認しては如何でしょうか」
「ふむ……確かに必要な情報だろう。稟、風。調べておいてくれ」
「はい。畏まりました」
「分かったのですよ」
「二人とは別に、亞莎も調べてくれ」
「わ、私がですか?」
「あぁ。亞莎の提案だし、孫家も独自に諜報網を持っているンだろう?」
「ええ。冥琳が纏めているものがね。袁紹の所にも潜り込ませているわ」
「ンじゃ、調べておいてくれ。出来るだけ多角的に、より多くの情報を得た方が良いだろう。洗う時は徹底的に洗わないとな。たった一つの情報を逃した為に負けることなどざらにあるだろうからねぇ」
「で、でも私にそのような役目が務まるのでしょうか」

袖で顔を隠すようにして、自信なさげにそう言った。
少し自分のことを過小評価しすぎなンじゃないか?霞から聞いた限りじゃ、頭の回転が速くて着眼点も秀逸らしい。俺が言った通り、立派に軍師が務まると思う。そう言っていたンだが、本人はそうは思っていないらしい。

「……亞莎。いきなり完璧にやってみせろ、とは言わないさ。亞莎は亞莎として精一杯務めてくれればそれで良い。俺が亞莎なら出来ると思ったからこそ亞莎に命じるンだ。亞莎は俺が言うことが信じられないかね?」
「い、いいえ。教経様のこと、信じています!」

力強くそう宣言されると結構恥ずかしいンだねぇ。

「亞莎、自分を過信しないことは良いことだが、自分を信じないのは良くないことだ。どうしても自分が信じられないなら、亞莎を信じる俺を信じろ」
「教経様を……」
「そうだ。俺を信じてやってみろ。きっとやれるだろうから」
「……わ、分かりました。やってみます」
「ん」

亞莎に頷いてみせる。亞莎の顔は相変わらず下半分が袖で隠されているが、目が潤んでいるように見える。

「教経、公衆の面前で亞莎を口説くのは止めて貰いたいんだけど?」
「……今のをどう見たら口説いているように見えるんだよ、雪蓮」
「流石は一流の女誑しさね。寝ても覚めても口説いて廻るんだから」
「失礼なことを言うんじゃねぇよ。俺がいつ口説いたってンだ」
「……自覚なしに口説くんだな、兄貴って。姉貴のこと、早まったかなぁ」
「ま、それが大将だから仕方ない。刺されて死ねば良いのに不思議と刺されないんだよ、これが。一流ってのはそういうモンらしい」

……テメェらは後で教育してやる。

「兎に角、そういうことにする。解散だ!」

ッたく。まぁ兎に角、結果待ちだな。







宛に臨時に確保して貰った執務室で、軍の再編について風から報告を受けている時、申し継ぎの者がやって来て風に何やら耳打ちをした。

「御苦労様、なのです」
「はっ」
「何かあったのか?風」
「お兄さん、星ちゃんが帰って来たのですよ」
「早いな。何かあった、か」
「はい。お兄さん、ぶらっくじゃっく先生と琵琶丸を呼び出して欲しいのです」
「……おい、風ッ!」
「違うのですよ、お兄さん。星ちゃんも冥琳ちゃんも無事なのです」
「……そうか」

一瞬、星か冥琳が怪我をしたのかと思った。それも、重傷と言える程の。そうでなければ先生と凱を呼び出せ、なんて言わないだろうからねぇ。

「で、どうしたンだ?」
「詳しい話は星ちゃんから聞くと良いのですよ、お兄さん」
「ふむ……分かった。で、星は何処に?」
「診療所にいるようです」
「ンじゃ行ってくるわ」
「はい。行ってらっしゃい、なのです。お兄さん、日が落ちるまでに帰ってくるのですよ?」
「……何処の幼児だよ、俺ぁ」
「……今日は風の番なのです」
「……ちゃんと分かってるよ、風。日が落ちるまでに帰るから」
「それなら良いのですよ」

ちょっと頬を朱に染めて、そっぽを向いて歩いていった。
やれやれ。でもまぁ、可愛いから良しとしよう、うん。







「あ、主」
「星、お疲れさん。で、何だってンだ?言われた通り先生達を連れてきたが」
「先ず治療を。その間に話しますから」
「ふむ……先生、頼むぜ」
「む……これは酷い刀傷だな。琵琶丸、どう見える」
「もう暫くは持ちそうだが、一度俺が気を送り込んで活性化させてから黒男が治療した方が良いだろう。その後で再度俺が鍼を打つ」

二人とも患者を前にして即座に治療を始めた。

「で、星。一体何処の誰を連れて帰ってきたンだ?戦に巻き込まれて死にそうになった民でも居たのか?」
「……主。私が見つけたのは夏侯淵です」
「……何処にいた?」
「ここから北へ20里ほど行った、小川の側にある茂みの中で倒れておりました」
「良く見つけたな」
「冥琳が気付いたのです。野犬が集まっており、様子を窺っておりましたので何かあるのだろう、と兵で包囲して確認すると、彼女が倒れていた訳でして」
「……夏侯淵から話が聞けるかも知れないな」
「そう思ったので一先ず引き返してきたのです。傷が深かった為、引き連れて共に偵察などしている猶予がない様でしたので、応急処置を施して戻ってきたのです」
「そんなに酷かったのか」
「酷いという言葉では少し簡潔に過ぎる、そう思える程の負傷ですな」

夏侯淵が瀕死の重傷を負う程の相手が居た、ということか。それとも、袁紹軍の兵がそれ程多かったということだろうか。何にしても、宛近辺で見つかったことから考えて、夏侯淵が殿を務めたのかも知れない。司隷州ではなく、荊州側へ敵を誘導すればそれだけ華琳の安全が確保出来るだろうからな。

「我が金鍼に全ての力、賦して相成るこの一撃!俺たちの全ての勇気、この一撃に全てを賭ける!もっと輝けぇぇっ!賦相成・五斗米道ォォォォォッ!」

凱が暑苦しい台詞を叫びながら、鍼を打ち込む。

「げ・ん・き・に・なれぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

室内が光に溢れ、やがてその光が収束していった。
……これの原理ってどうなってるンだろうな?深く突っ込んだら負けなのは分かるンだが、突っ込まずには居られない。

「……これで大丈夫だろう。2、3日もすれば意識を取り戻すはずだ」
「琵琶丸、やったな」
「あぁ。お前の治療が良いからだろう。俺が一人で鍼を打ち込んだ時よりも遙かに患者の生命力が高まるのを感じた」
「お前さんも私も、その道の医者としては超一流だ。その二人が揃っているのだから、この結果がもたらされるのは必然だろうさ」
「……先生、凱。ご苦労さん」
「あぁ。暫く休ませてやった方が良いだろう」
「分かってるさ。医者の言うことは素直に聞くモンだからな」
「目覚めた時に滋養があるものを取らせてやってくれ」
「そいつも了解だ。蜂蜜なりを呉れて遣るさ」
「うむ。では私はこれで失礼するぞ。負傷した兵の治療がまだ終わっていないからな」
「俺も同じく、だ」
「あぁ。忙しいところを済まなかった」

夏侯淵が意識を取り戻したら話を聞くことにして、診療所を後にした。
彼女の話と、稟達が調べた結果を合わせれば大体の事は把握出来るだろう。