〜蓮華 Side〜
教経から招集を掛けられて陣屋に赴き、蔡瑁達と話をし始めて直ぐ、女性陣には聞かせられない話があると言われて外に出された。愛紗達が抗議しようとしたが、姉様が何か囁くと不承不承ながらに陣屋の外に出た。教経が何を話すのか興味があった私は、声が聞こえる場所を捜して陣屋の周りを移動し、遂にその場所を見つけた。
そのまま陣屋の外で話を聞いていたとき、中から信じられないような話が聞こえてきた。怒りに体が震えた。教経にうまうまと騙されたと思った。裏切られた気持ちだった。
いつの間にか後に居た姉様を見ると、姉様は笑っていた。心底愉しそうに。声を上げて詰問しようとした私の口を手で押さえて、少し離れた場所に連れて行かれた。
「姉様!教経も鬼畜であることが分かったのに、何故平然としていられるのです!」
手が口から離れた瞬間、姉様に強い口調で詰め寄ると、一瞬吃驚したような顔をした後笑い始めた。
「何が可笑しいのです!」
「あははっ。だって蓮華、もの凄くキツい顔してるんだもの、あはははっ。アレはね、演技よ、演技」
「とてもそうは聞こえません!」
「間違いなく演技よ。だって私にそう言ったんだもの。
『引っかからないかも知れないが、やってみる価値があるだろう。雪蓮達の仇が誰で、何人いるのか。それを出来れば明らかにしたいンだ』って。教経は私達の為にやってくれてるのよ?蓮華」
教経がそんなことを。私達のことを考えて、敢えてあんな卑劣漢を演じているのだとすると、少し申し訳ない気持ちになる。教経が私が思っていた通りの人間なら、反吐が出るような思いをしているに違いないのだから。
「……いつそんな話をしたのです」
「ん?教経に抱かれた後だけど?」
……え?
「ね、姉様。今、何と?」
「教経に抱かれた後だけど?」
「……姉様と教経が、そういう関係だったなんて……」
「あ、さっきそうなったばかりだから蓮華が知らないのは当然なのよ」
「さっきって……」
「つい2刻ほど前。教経はわたしのこと、好きだって言ってくれたわよ?我ながら不思議な感覚だけど、嬉しかったわ。こう、居ても立ってもいられないような、誰かに言いたくて堪らないような充足感があって」
冥琳が教経とそういう関係になったのは分かっていたけど、まさか姉様までそんな関係になるとは思いもしなかった。
「ま、蓮華も抱かれればいいじゃない。気になってるんでしょ?教経のこと」
「わ、私は別に!」
「そ。じゃ、思春、頑張ってね」
「は、はあ……」
「否定しないんだ?」
「……それがご命令であれば、子を為して見せます」
「ふぅん。ま、いいわ。話の続きを聞きましょうか」
再び元の場所に戻って話を聞いていると、蔡瑁達5人が5人共に母様を汚した人間であり、劉表を含めた6人が恐らく復讐すべき相手であることが判明した。その時点で教経に呼び返された姉様に付いて陣屋に入る。
……目の前に居るこの卑劣漢共を、何としてもこの手で殺してやりたい。
私や姉様のその気持ちを察してだろう。教経は、生き延びる権利を自身の手で掴む機会を呉れて遣る、と言って立ち合いを行うように取りはからってくれた。何としても、この手で殺してやる。その罪に相応しい罰というものを与えてやるのだ。
立ち合いの結果から言うと、私も姉様も仇を自らの手で討つことが出来た。姉様は兎も角、私の方は危なかったかもしれない。
呂公に母様を犯した時の事を得意げに語られ、我を忘れて斬り掛かるところだった。もし教経が止めてくれなかったら、そして呂公を挑発して冷静でいられなくしてくれていなかったら、あれ程楽に殺すことは出来なかっただろう。
立ち合いが終わり、夜まではまだ時間が余っていたので教経を陣屋に誘って話をしてみる。
「教経、有り難う。おかげでこの手で母様の仇を討てたわ」
「まだ終わってないだろうに。劉表が残っているンだから」
「ええ、そうね」
「……我を忘れて突出するなよ?蓮華」
「……そう言えば、あの時何故私を助けてくれたの?立ち合いだから黙ってみているものだと思っていたのだけれど」
「ハッ。俺ぁ尋常に立ち合ってやるとは一言も言ってないぜ?俺は俺が好ましいと思う人間が目の前で殺されるなんて御免被りたいンだ。だからちょっかいを掛けたし、ブラックジャック先生と凱に待機して貰っていたンだからねぇ。
俺が望む世界にとって害をもたらす、ああいった屑は全て排除する。直接手を下すか、法によって捌くのかが違うだけでねぇ。今回はどうしても蓮華や雪蓮に仇を討たせてやりたかったからこうしただけだ。俺が制御出来る範囲内でなら、安心して居られるからな」
「そうだとしても、私を抱きしめて止めることはないと思うのだけど」
公衆の面前で、ああいう事をするのはちょっとどうかと思う。別に嫌な訳ではないけれど、その、恥ずかしいのだから。
「まぁ別に良いじゃないか。あれで正気に戻れただろう?」
「それはそうだけど、もうちょっと考えて欲しいわ」
「……口付けとかの方が良かったか?」
「の、教経!」
「はははっ。冗談だよ、悪かったな」
私の顔は、今真っ赤になっているだろう。昼間姉様から教経に抱かれれば良いじゃない、と言われたこともあって、教経のことを男性として意識してしまっている。
「何だ蓮華。照れてるのか?」
「う、うるさい!」
「ま、そういうお年頃だからな。ちょっと俺が無神経に過ぎたか」
「そうよ!他に人が居たのだから、もっと気を使ってくれるべきだったわ」
「……今の言葉を深読みするとだな、他に人が居なければ別に良かったって事になるンだがね?」
あ。
「わ、私がそうして欲しい訳ないでしょう!?」
「はいはい、分かってるさ。言ってみただけだからそうムキにならなくても良いだろうに」
「全く」
言ってみただけ、と言っているけど、教経は私と抱き合いたかったのだろうか。
……駄目だ。真面目に考えるとどうしても恥ずかしくなって、何かを殴りつけたくなると言うか、寝台に潜って奇声をあげたくなると言うか。兎に角、平静では居られそうにない。
「……蓮華、また頬が朱くなってるが」
「放っておいて!」
「やれやれだぜ。
……蔡瑁が宅配された頃に軍を動かすから、準備はしておいてくれよ、蓮華」
「分かったわ」
「じゃ、な。蓮華。お休み」
「……ええ、お休みなさい、教経」
教経は羽織の中、懐に両腕を収めて私の陣屋を出て行った。
……私は、姉様の言う通り教経のことが気になっている。それは認めざるを得ない。教経も私も、『家』というものを無条件に背負わされる星の下に生まれてきた。私にとってそれは重圧以外の何物でもなかったけれど、既に平家を背負って立っている教経と話をすることで随分と楽になった気がする。
『蓮華は蓮華のままで良いンだ』
この言葉にどれ程救われたか分からない。今日にしても、教経が落ち着かせてくれなければ私は死んでいたかも知れない。教経が居れば、私は私のままで居られる気がする。
……『抱かれればいいじゃない』、か。
〜教経 Side〜
蔡瑁を襄陽に宅配するように頼んで二日経った。そろそろ襄陽にダルマが登場した頃だろう。一応ピザーラの店員っぽい服を着せて送ることになったから張繍と呂公の首をトッピングしてやったンだが、アシュラマン的な存在になっちまった。あれを見てどういう反応をするのかねぇ。ケ忠の奴は引き籠もるだろうって言ってたが、さてどうなるかね。
「教経殿、そろそろ襄陽に向かって進発しようかと思うのですが」
「そうだな。俺もそれが良いと思う。愛紗、雪蓮。兵の再編状況は?」
「全て完了しております、教経様」
「こっちも終わってるわ。後は号令をかけるだけよ」
「よし。進発する。目標は襄陽。目的は劉表の首だ」
「はっ」
伝令が走って各将に進発を伝える。
さて、最後に残った屑を掃除に行こうかね。
軍を発してから3日、明日には襄陽の城壁を眺めることになるだろう、というところまで来た。百合に頼んで城の地図を持ってきて貰い、それを前にして様々な状況を想定して話をしている。
「城門は立派なモンなのか?」
「……うん」
「そうなると籠城された場合、どうやって門を開くか、が問題になるな。劉表の性格は?」
「……臆病だと思う」
「臆病、ね。……こりゃ引き籠もられたら簡単にはいかないか。水は何処から?」
「……それはこっち」
百合はまた違う地図を出し、俺に示してくる。
「水路があるな。ここから城内へ入れないか」
「大将、それは無理ですよ。そもそも人が入れるような広さがない」
「……力押ししかないのか」
「俺はそう思いますがね」
「……坑を掘れば?」
「時間が掛かりすぎる。糧食が持つかどうかが分からないンだ。途中で岩盤にぶち当たって必要とする時間が延びることを考えると、十分だと言えるかどうか」
「……長沙」
「ん?」
「ああ、そうか。大将、長沙には紫苑様と吉里、珂瑛が居ますよ」
「いざというときはそこから、という訳か」
「……うん」
「……それ以外に手立ては無さそうだな。一応そういうことがあるかも知れないと知らせておいて貰えるかね」
「了解ですよ」
「これで何とか目処は立ったか」
「……うん」
「じゃあ大将、俺は使者を用意しに行ってきます。姉貴と二人っきりでいちゃいちゃしてて下さい」
「そうかね。何となく物言いに不穏なものを感じるが、そうさせて貰うさ」
「……姉貴、多分ここから先暫くこういう機会は無いからな?上手くやりなよ?……
「〜〜〜〜」
ケ忠が百合に何やら耳打ちをすると、百合の顔が真っ赤になった。
……相変わらず萌えるねぇ。これでもし眼鏡掛けてたら某七つの傷を持つ男のように服が破れる感じになるところだ。
ケ忠が出て行った後も、百合は頬を染めてモジモジしていた。
「百合、どうしたンだ?」
「……わ、私……」
「どうした?」
俯いている百合の肩を片手で抱えながら、下から顔を覗き込んだ。
「……うぅ……」
もの凄く照れているねぇ。おずおずとこっちを見て、目が一瞬合うと恥ずかしそうに俯いて視線を外す。それを繰り返している。……萌えるぜ。
それは置いておいて、話があるみたいだな。
「百合、話があるんだろ?言ってみてくれ」
「……質問」
「何だね?答えられる限り答えるが」
「…………そ、その、あれ、本当……?」
あれ?あれってなンだ?
「あれ?」
「…………その……お、お嫁さん……」
もの凄く小さい声で、それこそ囁くように一言言った。
……あ〜、あの時の話か。
面と向かって訊かれるとかなり照れるな。しかも、『お、お嫁さんにしてくれるって本当?』って訊いてくるんだぜ?出川じゃないが、やばいぜ?可愛すぎる。なンだこの最終兵器は。
遇った時から相性の良さってのは感じてたし、まぁその、百合に関して感じてたことは自惚れじゃなかったって事なんだろう。ケ忠がやたら百合と絡ませようとしてきたのも、そういうことなんだろうしな。ッたく、あの重度のシスコンは。
「……本当だよ、百合」
「……あ……う、ん……」
正面から百合を優しく抱きしめると、身を固くして遠慮がちに俺の背に腕を回してきた。
「……でも、吃音……」
……よっぽど酷い目に遭ってきたらしいな。これだけの器量好しだから、当然周囲からやっかみもあっただろう。吃音ってのはそいつらが百合を口汚く罵るに格好の材料だったに違いない。
「……怒るぜ?百合。それは個性みたいなモンだ。今まで生きてきた中で他の連中がお前さんに何を言ってきたのか、ある程度予想は付くがね。俺は気にならないし、そんな物はどうでも良いンだよ」
「……うん……」
百合は泣いていた。
こんなコンプレックス感じるようになる程叩きまくったってことだろう。そう思うと口汚く罵ったであろう奴らを叩っ斬りたくなってくる。それと同時に、百合が可愛くて、いじらしくて、守ってやりたいって気持ちが強くなる。
「百合。他の連中がどう言おうと、俺はお前さんは綺麗で可愛いと思うぜ?吃音ってのはその綺麗さや可愛さを損なわせるモンじゃない」
「……本当……?」
「本当だとも。現に俺は今お前さんのことが愛おしくて堪らないんだぜ?」
「……ん……」
目を閉じて、こちらに唇を向けて。
証明して欲しいって事なんだろう。……悪いな、皆。俺はどうしても百合は守ってやりたいンだ。
「……んん!……ぴちゃ……ちゅ……ん……」
いきなり深い奴から行ったから吃驚したンだろうが、直ぐに受け入れて夢中で口を吸ってきた。
「……分かったかね?」
「……う、うん……」
さっきまでと違って、しっかり俺に抱きついて来る。前々から思ってたけど、かなり胸大きいよね、百合は。しっかり抱きつかれて分かったけど、弾力があるのにもの凄く柔らかいンだよねぇ。
……それを考えたのが悪かった。その、下半身が、ねぇ。100%中の100%!って感じになっちまったンだよねぇ。
「……あ……」
百合に気付かれた。
「あ〜、その、何だ……」
「…………嬉しい」
「……は?」
「……私、魅力あったから」
「……最初っから言ってるだろう。お前さんは綺麗で可愛いンだよ。女性としての魅力に溢れてるンだ。周囲の口さがない奴らはそれを妬んで色々言ってたに過ぎないンだよ、きっとな」
「……あ、あの……ね……?」
「うん?」
「……その、そういうこと、して欲しい……」
……する前に、ちゃんと言っておかないとな。
「……なぁ百合。俺には他にも情を交わす女の子が居るし、百合を嫁さんに貰うにしても全部片が付いてからのことになる。それでも俺で構わないと思うなら、俺と一緒に居て欲しい」
「……うん……嬉しい……」
それから後は、まぁ、ご想像にお任せするが。
百合は初めてだったのに、全く痛くなかったみたいだ。むしろ気持ち良過ぎたみたいで、声を上げないように必死に堪えていた。百合の声は可愛いンだから聞かせて欲しいって言ったら、顔を真っ赤にして、良い声で啼いてくれた。
あれだけ胸が大きいのに、全く垂れてなかったのにも感動した。普通寝っ転がったらかなり潰れると思うンだが、美巨乳ってのか?多少は潰れたが、ツンと上を向いて自己主張してた。その胸で、本で色々知っては居たみたいで、奉仕すると言って色々とやってくれた。ぎこちなかったけどそれがまた一層可愛らしくて。
何度か健康的に汗を流した後、百合を抱きながら寝台に寝そべっている。
「……百合、気持ち良かったか?」
「……うぅ……」
「初めてだったのに、百合はちょっとエッチな娘なのかな?」
「〜〜〜〜」
こういうことになったのに、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいらしい。
「……好きだよ、百合」
「……ん……」
その日何度目かの口付けを躱していると、ケ忠が陣屋の中に入ってきた。
おいおい、ダンクーガは何やってやがるよ。
「あ〜!?姉貴の純潔を大将が!?これは責任を取って貰わないと困るなぁ〜!?」
……何だよそのいかにも用意してましたって感じの台詞は。
百合は吃驚して慌てて布団を被り、俺に抱きついて顔を真っ赤にした上で『う〜う〜』言っている。……良いねぇ。これ俺の嫁さんになるのか?最高じゃないか。
「……色々言いたいことはあるが取り敢えずどうやって入ってきた」
「高順に『大将に、姉貴について話があるからそこを退けろ』って笑顔で話したら後ずさって道を開けてくれましたが?」
あぁ、スーパーシスコン人になってる訳か。ダンクーガじゃ手も足も出ないだろうな。
「で、大将。姉貴をどうするんです?返答次第じゃ大将と雖も……」
大暴走中じゃねぇか、このシスコンは。
「……はぁ。百合は俺の嫁さんになるンだよ」
「……姉貴、本当か?」
「……う、うん……」
百合が返答すると、スーパーシスコン人はただのシスコン人に戻った。
「……それなら良いんですよ。ちょっと寂しいけど、そろそろ姉貴も弟離れをすべきでしょうからね」
「……誰がどう見てもテメェが姉離れすべきだと言うと思うンだが」
「まさか。そんなことある訳無いじゃないですか。な、姉貴」
「……忠、姉離れ」
「そ、そんな……あんなに素直だった姉貴が兄貴に抱かれただけでこんな事に……」
あぁ?今なンか変なこと言いやがったな、このシスコンは。
「……誰が兄貴だ、誰が」
「へ?だって姉貴と結婚するでしょ?だったら俺の兄貴になるって事じゃないですか」
「姉貴が兄貴に抱かれるとか言うと背徳的だろうが」
「……でもそれが良いんでしょ?」
「……分かってるじゃねぇか」
「でしょ。いい義弟だと思いますよ、俺は。義弟の鏡ですよ」
「そうか。ならさっさと出ていけ。これ以上邪魔したら、テメェの大事な姉貴に嫌われちまうぞ?」
「まさか。姉貴が俺を邪険に扱うはずが無いじゃないですか」
「……忠、邪魔」
「ば、馬鹿な……」
ケ忠はがっくりと項垂れて陣屋から出て行った。
……学習しないンだな、シスコンって。
ところで、俺ぁ戦に出かける度にこっちの方でも戦果を上げてないか?いや、別に良いンだがちょっと気になって……そのうちに戦に出かけたら女が増える奇跡の男とか言われないかな〜とか思って、さ。
「ちゅ……」
碌でもない事を考えていた俺の頬に、百合が口付けしてくる。
……まぁいいか。これだけ可愛い女の子が俺の事を慕ってくれるってのは正直嬉しいし、な。
「どうした?」
「……ん……好、き……」
……ッたく。これじゃ収まり付かないだろうに。もう少しだけ、良いよな?
百合を抱き寄せてそう囁くと、頬を朱に染めて頷いてくれた。
〜ケ忠 Side〜
大将が兄貴になった明くる日、俺たちは襄陽に入城した。
劉表はどうやら心底肝を冷やしたらしく、全部投げ捨てて逃げ出したらしい。ちょっと脅しすぎた、ということだろう。だが、ただ逃げ出しただけじゃない。劉表は江夏の兵も纏めて連れて行き、揚州を荒らし回っているらしい。兄貴に聞いた限りでは揚州には大して兵が居なかったみたいだから、そこを奪ってやろうということなんだろう。
「糞が。逃げ出した上に揚州に攻め入るとはねぇ」
兄貴は苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。
ちなみに、兄貴の頬桁は腫れてご丁寧に鼻血まで出た跡が付いている。将が集まった時点で姉貴とそうなったことを姐さん方に認識して貰う為に、敢えて大将を『兄貴』と呼ぶと、ちょっとお話が、とか何とか言われながら陣屋から連れ出され、外から鈍い音とくぐもった声が聞こえてきた。
いやぁ、良かったね兄貴。俺が兄貴の言葉として、『もし百合とそうなったとしたら、何だかんだ言って裏切った気持ちがして仕方がないだろう。一人一発ずつ殴って貰いたい』って言ってたって伝えておいたから、一発で済んだんだよね。つくづく俺って義弟の鏡だと思うよ。決して昨日姉貴に邪険に扱われたからじゃないんだ。そこの所は理解して頂ければ幸いですよ。
「で、教経。どうするの?」
「どうするもこうするもあるか。劉表の屑は櫓櫂の及ぶ限り追い掛けて殺す。霞、翠。騎馬隊の進発準備を。出来る限り早く追いついて殺すぞ?」
「了解や」
「分かったよ、ご主人様」
こういう時の兄貴は、見ていて気分が高揚してくるものがある。
「で、兄貴。誰を連れて追い掛けるんです?」
「……しれっとした顔しやがって……後で覚えてやがれよ……
先行する将は霞、翠、蒲公英、雪蓮、白蓮、俺、ダンクーガ。軍師は稟とホウ統だ」
「……何というか、豪勢ですね」
「雪蓮以外は皆騎馬の指揮に長けている。軍師に関しても、速戦と奇計じゃこの国一番だろう。これで確実に劉表を殺してやるンだよ、ケ忠」
「あ、俺を呼ぶときは忠でいいですよ、兄貴」
「……ッたく。後で百合に言いつけてやるからな」
「兄貴の護衛は誰が務めるんです?」
「私が務めますよ、ケ忠」
「……太史慈の姐さんなら大丈夫か」
「あ、あと百合も借ります」
「それはまた何でです?」
「百合は剣が得意なそうですね?丁度良いので新撰組に入って貰おうかと」
「新鮮組?野菜栽培か何かするんですか?」
「新撰組です。お屋形様に願い出て、親衛隊とは別にもう一組、お屋形様の剣として『悪・即・斬』を貫く為の隊を新設するのです。……次に巫山戯たことを言ったら牙突ですよ、ケ忠。分かりましたか?」
「……はい」
おっかねぇ。前から思ってたけど太史慈の姐さんは兄貴のことになるとちょっと、いや、かなりぶっ飛んだ人になる。……怖いねぇ。俺はもっとおしとやかな人が良いね。兄貴の番は皆別嬪さんだけど、気が強いのが多すぎだと思うぜ。
「……琴、その、新撰組というものには空きはないのか?出来れば私も……」
「……愛紗、駄目だろ。愛紗には俺が居ない際の全軍の指揮を執ってもらわないと駄目なんだから」
「う……し、しかし琴ばかりずるいです!」
「あ〜、ちょっと待て。落ち着こうか。この話は後ですれば良いだろう?今は劉表に追いつくことが先決なンだからね」
「……帰ってきたら一番に私の所に来てくれますか?」
「分かってるよ、愛紗。必ずそうするから」
「……そ、それなら宜しいのです」
「あ、あとケ忠は親衛隊の副長やって貰うから」
「はぁ!?」
「いや、ダンクーガは頭がほら、アレだろうが」
「……ああ、成る程」
「……ちょっと待てテメェら。大将、俺だってちっとは勉強してるんだよ!ケ忠!テメェ何納得してやがる」
「いや、ねぇ。琵琶丸に鍼打ち込んで貰ったら改善するかもよ?」
「そうかな……じゃねぇよ!大体何処に鍼打ったら頭が良くなるんだよ!」
「こめかみ?」
「死ぬだろうが!」
「そこはほら、高順だから」
「……どうやら先にテメェを教育する必要があるみてぇだな」
「悪いな高順。俺にはそっちの気はないんだ。諦めてくれ」
「テメェ!やぁぁぁぁってやるぜ!」
「だから俺にはそっちの気はないんだって!」
「テメェらいい加減にしやがれ!とっとと準備して来い!」
「チッ……ケ忠、後で覚えてろ」
「だから俺には……」
「忠!もう良いから行ってこい」
「了解ですよ、兄貴」
高順と肘で互いを小突き合いながら陣屋を出ようとしたところに、伝令が駆け込んでくる。
「申し上げます!宛の馬騰様より使者が参っております」
「碧から?……直ぐに通せ」
「はっ」
南陽郡の抑えとして残されていた馬騰からの使者、か。一体何だろうな。
「ダンクーガ、忠。お前らもちょっと残ってろ」
「分かったよ大将」
「了解ですよ」
元いた場所に戻ると、使者が陣屋に入ってきた。
「明命か。久し振りだな」
「はいっ。お久しぶりです、教経様」
「で、どうしたンだ?」
「官渡の戦いに決着が付きました」
……曹操と袁紹の争いか。
「そいつはまた厄介な時機に終わりやがったな。でもまぁ大丈夫だろう。華琳とは約定を結んである。俺が南を、華琳が北を斬り従えてから決戦しようって事になっているンだからねぇ」
用意周到だねぇ、兄貴。だが、余裕さえ見せている兄貴に対して、使者が何か言いたそうにしている。
「それがその……」
「ん?まさか華琳が宛に攻め込んできたのか?」
「いえっ、そうではありません」
「どうしたンだ?」
「……官渡の戦いで、袁紹が曹操を破りました」
「……今、何て言った……?」
「袁紹が官渡の戦いに勝ちました」
「……馬鹿な……」
兄貴が愕然としている。全く予測していなかったってことなんだろうが、それにしても動揺が激しいな。……兄貴、アンタひょっとして曹操の事気に入ってるのか?何故だか真名を預けられて居るみたいだし。
「ちょ、ちょっと待て。麗羽が曹操に勝ったって言うのか?」
「そうです」
「……ねえ明命。その情報に訂正の余地はないのね?」
「はい、雪蓮様」
「……教経、いつまで惚けているの?」
「……あぁ、済まない。ちょっと信じられなくてな」
「で?」
「とは?」
「このまま劉表を追い掛けるの?」
「……済まん雪蓮。無理だ。一旦兵を纏めて情報収集しなきゃ話にならない」
「でしょうね。このまま先に行ったら碌な事にならないって勘が言ってるわ。今回は此処まで。次に持ち越しましょう」
孫策の姐さんは無念そうな顔をしたが、直ぐに気持ちを切り替えたみたいだ。こういうところは流石だね。名将ってのはそうでなきゃいけない。
「教経殿。兵を纏めると言っても荊州の抑えが必要でしょう。誰に委ねるのです?」
「……蓮華、白蓮。お前さん達二人に任せたい」
「二人だけで務まるとは思えないんだが。私と蓮華である程度は馴致出来るけど、荊州は広いんだ。軍事的にも政治的にも人手が足りないぞ?」
「その辺りは配下を付ける。白蓮には徐庶と馬良をつける。蓮華には雛里を。将は黄忠を白蓮に付ける。蓮華には思春と明命を。差し当たってこれで問題無いだろう。落ち着いたら益州から張任と厳願を荊州に移しても良いし、星や愛紗達を行かせてもいい。差し当たって二月三月はこれで何とか耐えてくれ。
兵は30,000残していく。荊南にいる兵と合わせれば60,000近くにはなるだろう。数だけだろうが30,000を核にして軍を構成すればそこらの軍には負けないはずだ。それから、蓮華と白蓮では蓮華が上位とする。いいな?」
「私に文句はないよ。蓮華を補佐すれば良いんだろ?」
「あぁ、頼む」
「任されるよ」
「……教経、私で大丈夫なのかしら」
「蓮華。大丈夫だ。お前さんを長安からずっと見続けてきて、きっと務まると思ったから托すンだ。暫く、頼む」
「……分かったわ。貴方の言葉だもの、信じてみるわ」
「あぁ。……直ぐに出立するぞ。稟、冥琳。残していく兵を選別しておいてくれ。雛里は稟の補佐をして、俺たちが撤退する際に引き継ぎを。慌ただしいが解散だ。直ぐに用意しろ」
やたら慌ただしくなって来やがったな。
横に立っている高順を見ると、高順は直ぐに親衛隊を呼びつけて指示を出していた。慌ただしく準備をしている最中のごたごたに紛れて、兄貴の命を奪おうとしてくる可能性が有る。何があっても不逞な輩に指一本触れさせてはならない。厳しい目でそう言い、300ずつの小勢に分けて兄貴が動き回るであろう周辺を徹底的に草刈りを行うことを命じた。
「おい高順、警戒しすぎなんじゃないか?」
「……今までに3度、大将の命を狙って刺客が紛れ込んでいたことがある」
「……そんな話は聞いてないぜ?」
「そりゃそうだ。大将は知らなくて良い。大将は大将の理想を邪魔する奴を排除する事だけを考えてくれていればいい。俺はその大将を排除しようとする奴を排除してやる。差し違えてでも、だ。
ケ忠。親衛隊ってのはそういう人間だけが選ばれて、血反吐を吐くまで鍛錬し、大将の前に立ちはだかって盾になる為だけに自分が生まれてきたんだって思える奴だけが集まる隊だ。お前に務まるのか?」
「馬鹿にしてんじゃねぇよ。兄貴には俺の大切な姉貴の旦那になって貰わなきゃ困るんだよ。何が何でもな。それを邪魔しに来る奴は皆殺しだ」
「なら良い。お前に50、配下を付ける。太原からずっと一緒に大将と戦ってきた、一番信頼出来る奴らだ。俺たちが50ずつ率いて交代で大将を常に警護する。大将の目に付かないように、しかし大将を必ず護れるように、だ。いいな?」
「任せとけよ。姉貴を泣かそうとする奴はどんな奴でもぶっ殺してやる」
その言葉に高順は頷いて歩いていった。早速警護を始めるのだろう。
……ちょっと見くびってたかな。心構えってもんが違う。俺はどうやらアイツに敵わないらしい。だが、俺にだって意地がある。幼い日に立てた、姉貴の幸せを護ってやるって誓いを必ず守る。
兄貴の命を狙う奴がもし居たら、高順と俺で必ず殺してやる。必ずな。