〜蒲公英 Side〜

ご主人様が言っていた通り、右翼が反転して攻勢を掛けてきた。それをご主人様が見越して敢えて策に乗ったとは思っても居ないんじゃないかと思う。

「この猪!悔しかったら掛かって来なさいよ!」
「……クッ!ワタシは暴走する訳には行かないんだ!」

引き返してきた右翼に、あの猪が居た。猪を挑発して捕まえて、ご主人様の所へ早く行こうと思っているのに何度挑発しても挑発に乗ってこない。ちょっとは学習したみたい。

「ちぇっ、直ぐに片が付くと思ったのにな〜」
「そう簡単にはやらせないぞ!」

飽くまでも冷静に武器を振るってくる。蒲公英も本気でやらないと、ちょっと拙いかも知れない。

「そりゃ!」
「なにを!」
「えい!」
「でやぁ!」

何度も槍を繰り出すが、その度に猪の得物と打ち合うことになっている。

「はっはっは!どうしたどうした!その程度か!」
「猪の癖に!生意気!」
「何だと!」
「お馬鹿な猪!蒲公英に負けたの、もう忘れちゃったんだ〜?あ、馬鹿だから仕方ないよね?」
「ワタシを馬鹿にするなぁ〜!」

頭に血が上って大振りしてくる。これで……!

「……とでもやると思ったのか!」
「うわっ」

小さく、鋭く得物を振ってきた。
危ない、危ない。

「ちょっとは賢くなったみたいじゃない」
「此処で全てを台無しにする訳にはいかないんだ!」

……あ〜あ、ご主人様を助けに行くどころじゃなくなっちゃったみたい。

「じゃ、蒲公英が真面目に相手してあげるね、猪!」
「抜かせ!今回は前のようには行かないぞ!」

一撃の重さは猪。
手数は蒲公英。

何度打ち合っても猪はバテない。涼州から出てきたばかりの蒲公英だったら、負けてたかもね。
でも。

「お姉様達に比べるとまだまだだよね」
「余裕を見せていられるのも今の内だけだ!」
「どうかな〜?」

二回突いたら横に薙ぐ。右から薙いだら次は左から。その悉くを跳ね返されているけど、問題無い。
暫く続けることでこれに慣れて貰おう。慣れちゃったら、その時に思い知って貰うんだ♪

















〜稟 Side〜

教経殿の思惑通り、敗走していた公孫賛軍が再びとって返して攻勢を掛けてきた。

無駄なことを。
そう思う。教経殿は彼らの策を見抜いていた。そしてそれを見事に逆手に取って策を構築したのだ。完璧と思われる策を。勝敗は既に決している。後はこの場で足止めをしている公孫賛軍を掃討するだけだ。

「各隊に伝令を。教経殿の策が図に当たりました。これより公孫賛軍を掃討します。翠と蒲公英は敵右翼へ。愛紗と冥琳は敵左翼へ向かって下さい。蓮華と思春、それに私の隊は教経殿を追いかけることにします」
「はっ!」

伝令が駆け出して行く。
伝令が到着する前に敵右翼と翠達がぶつかっているようだが、先ず予想通りに行くだろう。敵右翼は魏延と馬謖。梓潼郡で打ち破った二人。その器量は見切ったつもりだ。痛い目を見て良い方向に変化していたとしても、戦場では翠と蒲公英の敵ではないと思う。敵左翼は張任。守勢に強いということだが、一度戦って勝った冥琳が軍師として付いている。将は愛紗だ。負けるはずもない。これで両翼を完全に押さえ込むことが出来るだろう。その間を縫って追撃を掛ける。公孫賛は既に後退している。

全て順調に行っている。
そう思ったが、何かが引っかかった。こういう時は必ず何か見落としている。私は何を見落としているのか。

もう一度最初から考える。
教経殿がホウ統の策を見破った。
敵右翼の魏延、馬謖に対して翠と蒲公英が当たる。
敵左翼の張任には、愛紗と冥琳が。
公孫賛は既に後退し、それを教経殿が追っている。
私と蓮華、思春がそれを更に追いかける。

やはり何か、見落としている。
その時、本陣のケ姉弟が居る陣屋が目の端に映った。
ケ姉弟は有能だった。たった一万で私達の攻勢を耐えて撤退戦を行ったのだ。退路が落石によって断たれなければ、きっと逃げ果せて手強い相手になったことだろう。ケ艾に拠れば、落石計を考案していたのは王平らしい。

……王平。王平が居ない!
何故今まで気が付かなかったのか。王平は無事に公孫賛に合流したはずだ。魏延と馬謖が将として戦っているところを見れば、当然王平もその地位は据え置かれたままにこの戦に参加しているはずだ。それなのに、その王平をこの三日間一度も見ていない。

落石計は失敗に終わったが、着眼点は良かった。魏延と馬謖を叩く際に本陣の足止めをしていたのは王平だった。寡兵ながら良く攻勢に耐えていた。攻勢を掛けていたのが愛紗であることを考えると、将として有能であると言って良い力量があるだろう。その王平が、居ない。

有能であるはずの王平を戦線に投入しない。それは、王平自身が負傷しているか、若しくは戦線に投入出来ない事情を公孫賛軍が抱えている為だ。では、戦線に投入出来ない理由とは何か。
……教経殿が危ないのではないか。
ホウ統の策を逆手に取ったと思っていたが、それを更に逆手に取ることを考えたら。

「本陣は教経殿を急ぎ追いかけることとします!急いで下さい!」
「は、はっ」

私の考えすぎであればそれに越したことはない。取り越し苦労で終わるなら問題無い。だが、そうはならなそうな雰囲気だ。恐らく、裏をかいたつもりで裏をかかれたのだ。そうなれば、教経殿が。

……急がなければならない。

「無事でいて下さい、教経殿」

思わず口にしながら、兵を急がせた。あふれ出る不安を押さえつけながら。

















〜蓮華 Side〜

「思春、教経達を追うわよ!」
「はっ!」

右翼と左翼が引き返してきて、後続の兵を押し止めようと逆撃を掛けてきた。右翼に対しては翠と蒲公英が。左翼にたいしては愛紗と冥琳が対応している。私と思春は教経を追いかけるべく部隊を急いで前進させている。教経が騎馬で蹂躙していったお陰で、今のところ一所で時間を取られることもなく教経を追いかけることが出来ている。

「蓮華様、前方に敵本陣の兵が待ち構えているようです」
「数は?」
「およそ2,000」
「遮二無二突っ込むわよ、思春。私達の方が兵数が多い。押し包んでこれを殲滅するより、一点突破した後私達の後背を突こうとする敵に対する備えを残してそのまま前進するわ」
「畏まりました。……全軍そのまま敵に突っ込め!突破したら3,000は此処に踏み止まって敵を防げ!戦い方は各小隊長に一任する!」
「「「「「お〜!!!!!」」」」」

部隊を一気に突入させる。
それなりに抵抗があったが敵陣を突破した。後方に備える為に残す兵を再編していると、本陣の一部の兵を率いて稟が駆け込んできた。表情に余裕が無く、慌てている様に見える。

「稟、どうしたの?貴女がそんなに慌てているなんて」
「蓮華、急いで下さい!教経殿が!」
「ちょ、ちょっと稟!?」
「早く、早く教経殿の元へ!」

稟が慌てていて、教経の身を案じている。
……まさか。罠にかけられたと言うのか。

「蓮華様、悠長に構えている時では無いようです。私が隊を率いて先行し、教経様の元へ急行致します」
「思春、急いで下さい!」
「分かりました」

思春が隊を率いて先行する。
思春の隊は斥候を務める者が多い関係で健脚な者が揃っている。あの疾さであれば直ぐに教経に追いつくことが出来るだろう。

「稟、一体どうしたというの?」
「蓮華、教経殿は裏をかいたつもりが裏をかかれた可能性が高いのです。私達も直ぐに追い掛けましょう。詳細は道中で話します」
「分かったわ。貴女がそう言うなら危急の時なのでしょう。
……全軍、これから全力で駆けるぞ!教経に追いついて彼の安全を確保するのよ!」

一斉に兵が走り出す。並んで馬を走らせる稟からおおよその事情を聞いた。
自分であれば教経を誘引した先に死地を創り出してみせる。ホウ統が噂通りに有能であるならば、同じ事をするだろう。そうなった時、教経達は騎馬の利点を生かせず兵数的に不利な状況で戦いに臨まなければならなくなる。教経のことだから、退かないに違いない。それでは教経が死んでしまうかも知れない。

そこまでを一気にまくし立て、後は一心不乱に馬を追っている。馬に乗り慣れていないからだろうが、空回りしっぱなしだ。が、必死になって馬を追っている稟を笑う気にはなれない。稟にとって、教経はそういう存在なのだろう。その稟を見て、私にも焦りのような感情が湧いてくる。もし、教経が死んでしまったら。

浮かんだその考えを振り払うように頭を振る。
……大丈夫。思春が急行しているのだから。きっと大丈夫よ。

馬を追う手に自然と力が篭もっているのに気が付かず、兵を急かし続けた。














〜教経 Side〜

「大将、大丈夫か!?」
「誰に口きいてやがる。俺ぁ平教経だぜ?」
「ちぇっ。気を遣ってやったんだよ!」
「放っておけ。テメェの後の方がアブネェぞ、っと!」
「オラァ!」

戦場はむせかえるような血の臭いで溢れている。眼前には、敵、敵、敵、敵……公孫賛だけでなく王平も乱入してきているらしいな。

「ダンクーガ、親衛隊は!?」
「まだ8割生きてるぜ、大将」
「2割も死んだのか」
「そりゃ仕方ないだろう。あいつらだって大将のために死んだんだ、悔いはないはずだ」
「……ちっ。俺が不甲斐ないばかりにな」

話に割って入ってきた無粋な雑兵を俺とダンクーガが同時に斬り伏せる。

「やるじゃないか、ダンクーガ」
「たりめぇだ!アンタに何度ぶっ飛ばされたと思ってんだ!」
「……三度位か?」
「その十倍はかたいだろうが!」
「ハッ、忘れちまったよ!」

再び迫ってきた敵の腕を斬り飛ばす。
こっちは残り1,200弱。あっちはざっと見て3,000。流石の親衛隊でも数の前には不利は隠せない。徐々に数を減らされている。

負傷しているからだろう、左側から槍を付けてくる奴が増えてきている。馬鹿め。戦が終わってアドレナリンが分泌されなくなったら痛くて堪らんのだろうが今はドバドバなんだよ、糞が。左にいた奴らを斬り伏せる。その間、右側はダンクーガが相手をしている。親衛隊は精鋭中の精鋭だ。まだ、持ち堪えることが出来るだろう。
今は全体的にまだ押している様だが、このままじゃジリ貧だ。

「おい、ダンクーガ」
「何だよ大将」
「親衛隊を纏めて王平に叩き付けるぞ」
「……了解。テメェら!集まりやがれ!」

周辺に散って戦っていた親衛隊が集結する。良く統制が取れている。

「大将と一緒に王平って奴の隊にぶっ込むぞ!やぁぁぁぁぁってやるぜ!」
「「「「「「OK!忍!」」」」」」

公孫賛の配下の兵を適当にあしらいながら王平の隊へ殴り込む。

「糞共!この俺の首が欲しいならもっと真剣に掛かってこい!」

どいつもこいつもおっかなびっくり槍繰り出しやがって。
俺を舐めてンのか?

「今だ!平教経を挟撃して捕らえろ!」

左右から伏兵が湧いて来やがった。その手には網を持ってやがる。
投網の要領で網を投げつけてくる。

「甘いねぇ。清麿は何でも切り伏せるぜ?」

上段に構えて一直線に斬り下ろす。網を両断し、空いた隙間から躍り出て敵兵を殺して廻る。
親衛隊の兵が幾人か網に囚われ、思うように身動き出来ないでいる所を殺されていく。

「生まれ変わったら漁師にでもなるんだな!」

網に囚われている親衛隊の奴らを救うべく近寄っては網を斬り破って周囲の敵兵を殺しているが、如何せん敵兵が多い。間に合わず、多くの親衛隊が死んでいく。

「糞!このままじゃやばいぜ大将!」

これ以上戦闘を続けた場合、本当に後退することが出来なくなるだろう。知恵比べで負け、そして今正面からぶつかって負けようとしている。
……糞が。この際俺のプライドなんざどうでも良い。生き残った奴らを纏めて後退するしかないだろう。コイツらを巻き込んで死ぬ訳にも行かない。力戦したが、及ばなかった。俺の器量ってのもこの程度だって事か。

「た、大将!」

ダンクーガが声を上げる。
後方を見て居るようだが殺気は感じない。

「甘寧の姐さんが来たぜ、大将!」
「思春が?」

言われて見れば、確かに思春の旗が風に靡いている。率いているのは500程度の兵だ。どうやら急行してきたらしいな。急に現れた増援に敵兵が動揺している様だ。これで、どうやら勝ち目が出てきた、か。正直助かった。自力で勝てなかったのが少し釈然としないが、ねぇ。

「ダンクーガ、行けるな?」
「この程度でへばるような柔な訓練させてないんだよ!テメェら、行けるんだろうな!?」
「「「「「おうよ!!!!!」」」」」

……頼もしいこった。

「逆撃を掛けるぞ!このまま前進して公孫賛の兵を駆逐する!死力を尽くせ!」

そう声を掛けて、敵中に突進する。親衛隊もしっかり付いてきているようだ。
前に出てきた敵は全部殺す。今は、何も考えない。天下のことも、今後のことも。何も要らない。今は、この剣を振るうことだけ考えれば良いンだ。

ただ、剣を振るうことだけを。














〜雛里 Side〜

平教経さんを後一歩という所まで追い詰めた。
ここで、彼を捕らえるべきだ。
そう進言し、白蓮様がそれを命じて彼を捕らえようとしたが彼は網を斬り破って尚も戦っている。宛ら修羅のようだ。返り血を前身に浴びて既に真っ赤になっているその相貌は、闘志に溢れている。

「まだ戦うというのか、あの男は」

白蓮様がそう独りごちる。
脅威的な体力と精神力だ。周囲に群がる兵を次々に屠っていく。その周囲にいる兵も剽悍で、とても一人では勝負にならないだろう。

だが、それもあと少しだ。いつまでも体力が続く訳はない。このまま寄せ続ければ、彼らの疲労は限界を超える。

「白蓮様、配下の全兵力で包囲して降伏勧告を致しましょう」
「……よし。では……」

白蓮様が号令を掛けようとしたその時、平家の増援が現れた。増援と言っても500程度の兵だが、徒にしてはその進軍速度が速い。それに気が付いたのか、平教経さん以下1,000名程が遮二無二突進してきた。

「白蓮様!」
「なりふり構っていられない様だ。騎馬をぶつけるぞ、雛里」
「はい」

騎馬をぶつけられた平教経さんの隊はその勢いが衰えたが、それ程負傷者を出していないようだ。元々あの兵は異常に強かった。戦いの中でその数を減らしたが、今残っているのはその中でも優れた者ばかりなのだろう。皆落ち着いて騎馬に対処している。対騎馬の訓練も十分に行っているのだろう。ぶつけた騎馬隊の勢いを完全に殺されてしまった。

……まだだ。敵増援と合わせても、まだこちらが有利だ。まだ、勝機はある。

そう思っていた私の目に、二度平家の援軍が映り込む。
その数は3,000。かなり急いでいるのが分かる。強行軍を行って3,000がやってきたという事は、時間が経過すればするほど不利になるということだ。遅れた兵達が続々とやってくるに違いない。右翼も左翼も、どうやら破られたと思った方が良いようだ。

平家軍を押し止める為に陣形を組み直してぶつかる。敵が合流する前に何とか平教経さんを捕らえる為に包囲しようとするが、包囲出来ない。兵をこれ以上進めることが出来ない。王平さんも連携して動いているが、どうしても包囲する事が出来ないで居る。まるで岩にぶつかっているかのようだ。私達の攻勢を跳ね返し続けて居る。

「白蓮様、駄目です。どうしても包囲出来ません」
「そうか」
「このままでは皆死んでしまいます」
「……そうか」
「増援によって逆に包囲されてしまう可能性が高いです。今この時点から後退することは出来そうにありません……白蓮様、申し訳ありません。ここから起死回生の策は……」
「……分かってる。どう扱われるか分からないけど、降伏しよう」
「……お供致します、白蓮様」
「……うん」

白旗を掲げさせて、軍使を送る。
私達の戦は終わった。人事を尽くし、諦めずに戦ってきたが勝利を掴むことは出来なかった。後は、天に全てを委ねるだけだ。

天の御使いに。