〜雛里 Side〜
平家と東広漢側桟道付近でぶつかってから二日目の戦が終わった。日が暮れるまで押し合いを続けて居た各部隊から報告を受けている。こちらが兵を退く時機に平家軍は追撃して来ず、本陣が退くのとほぼ同時に後方へ退いていった。
気味が悪かった。本陣が退く時機が分かった、ということだろう。今回はその機に我が軍と同様に後退したが、次もそうとは限らない。一気に突撃してくる事も考えられる。
右翼、左翼、本陣。その全ての兵で押し合いをすることで平家軍を此処に釘付けにして戦線を一旦膠着させる。その後、佯敗して見せて平教経さんを誘い込み、これを捕らえる。討ち取ってはならない。討ち取れば、その配下の将が復讐の為に全兵力を以て雪崩れ込んでくる可能性が高い。そうなれば間違いなく蹂躙されることになる。それでは白蓮様も私も大願を果たすことが出来ない。だから討ち取るのではなく、彼を捕らえた上で今回の事について正式に謝罪をし、その上で友好的な関係を築きたい旨伝える。同盟か、不可侵の約定。それを取り付けることが目標だ。
そういう絵図を描いていた。
初日の戦いぶりを見て、佯敗せずともこのまま押さえ込むことが出来るかもしれないと思ったりもしたが、あれを見せられるとそれは望み薄だと思わざるを得ない。開戦前に私が考えていた通りに撃破されてしまうかも知れない。
開戦前、私が平家の軍師ならどうするかを考えてみた。兵力差を考えれば、あちらは損害をある程度無視出来るだけの余力があるはずだ。ある程度敵の軍勢を減らした時点で本陣と左翼を無視して一旦全軍を右翼に振り向けてこれを叩くことを考える。再編されたとは言え梓潼で為す術無く打ち破られた兵達だ。脇目もふらず自分たちを目指してくる平家軍を前にして、平静では居られないだろう。それに、現状のようにずっと均等に兵を分けて前進しようとして居たものが突然右翼に集中すれば、予想を遙かに越えた圧力を受けて痛手を被り、戦線が混乱する可能性が有る。そこを突いて右翼を突破しようと考える。
勿論、それをさせまいとして本陣と左翼の兵を差し向けるだろうが、そちらに最低限の兵だけ差し向けて時間を稼ぎ、右翼を兎に角撃破してしまえば良いのだ。一時的に後続と分断されてしまっても、右翼を壊滅させれば半包囲陣形が崩れることになる。そこまでにかなりの損害を出すことになるかも知れないが、それでも私達を上回る兵力を保持して居るであろうことは容易に想像出来る。そこから兵力を活かした戦をすれば負けることはないだろう。これが、私が考えた平家軍が採れる最上の策だった。
平教経さんは、それをもっと効率的にやろうというのではないか。もし本陣が後退した時機にそれを突き崩すべく突出してきたら、右翼も左翼もその突出してきた部隊に対処することを第一に考えてしまうだろう。若しくは、兵を二分してその内の一つを本陣の救援に向かわせるかも知れない。どう対処するにせよ、一時的に混乱が生じる事になるだろう。その状況で右翼か左翼に残りの全兵力をぶつければ。いや、双方にぶつけても良いかもしれない。私が考えたように整然と隊伍を組んでいる相手に策を仕掛けるより遙かに容易く打ち破ることが出来るだろう。損害もより少ないもので済むに違いない。
平教経さんは兵を無駄死にさせることを嫌う。その為人について、そういう報告があった。だから、彼はそうしようとしているのではないか。そうすれば兵が多く死ななくても済むから。
……かなりの危険を伴うが。
やはり当初の予定通り佯敗して彼だけを誘い込み、虜囚とすることを考えた方が良いだろう。このまま戦が推移すれば、予想通りに打ち破られてしまう可能性が高い。
「将の皆さんを呼んできて下さい。別件を頼んでいる王平さんも呼んで下さい」
「はっ」
「雛里、どうしたんだ?」
「当初の予定通り、策を実行します」
「順調に行っているじゃないか。このまま押さえ込むことだって出来るかも知れない、と私は思っていたんだけどな。それとも、現状のまま行くことは出来ない、ということか?」
「そうです」
「……分かったよ。私よりお前の方が先を見通しているに違いない。そもそもこの戦の段取りを考えたのはお前なんだ。最後までお前に任せるよ」
「有り難う御座います」
白蓮様と言葉を交わしている内に、将達が集まってきている。焔耶、瑛、張任さん。最後に王平さんがやってきた。足が泥にまみれている所を見ると、どうやら私の言った通りにしてくれているらしい。
「ホウ統殿、皆を集められて何の話でしょうかな?」
「明日の戦についてお話があります」
「明日の?……では当初の予定通り?」
「はい。佯敗し、平教経さんを誘引します。右翼・左翼共本陣と連携することは考えず、眼前の敵を押し止めることだけを考えて下さい」
「……雛里様、宜しいでしょうか」
「何ですか、瑛」
「危険ではないでしょうか。私も焔耶も梓潼で平家の兵と戦って敗れましたが、その際彼らの強さは身に染みております。現状の彼らの攻勢は、らしくなく目に映っているのです。彼らの強さはこのようなものではありません。誘引したは良いが、食い破られてしまうのではないでしょうか」
よく見ている。己の才に慢心することはなくなったようだ。
「その懸念は尤もです。ですから、備えをしてあります」
「備え、ですか?」
「ええ。
……王平さん、白蓮様が後退し、平家軍を迎え撃つ地点に構築するようにお願いしておいた陣の出来はどうですか?」
「仰せの通りのものが出来上がったと思います」
「そうですか。御苦労様でした」
「雛里?」
「実は事前に王平さんに頼んでおいたのです。周囲を山に囲まれたすり鉢状の盆地に、柵を立てた陣を構築してあります」
「……果たしてそれで平家軍を押し止めることが出来ましょうかな。恥ずかしながらこの張任めも痛い目を見ておりましてな。一筋縄ではいかぬと思いますが」
「分かっています。これだけではありません。近くの山から湧き水を引いて、一部を除いて足場が悪くなるようにしてあります」
「成る程。死地を創り出そうというのですな」
「ええ」
「……よくこの短期間に準備出来たな、王平?」
「ホウ統様が既に用意されていらっしゃいましたので、我々はただ工事するだけでした」
「ともあれ、私達が佯敗することを見抜いているとしても、逃げ込んだ先で人の手で死地を創り出しているとは予想しては居ないでしょう。これに、勝負を賭けます」
「……賭け、か」
「天と人とが争うのであればいざ知らず、私達は人でしか在りません。そこに完璧を求めることは出来ません。人が人に打ち勝とうというのですから。ましてや私達の形勢は不利なのです。賭けるしかないでしょう」
一度目を瞑った白蓮様が再び目を見開く。
「それで行こう」
「白蓮様」
「雛里が考え出した、最も勝つ可能性が高い策なんだ。私はそれを信じるだけだ」
「……白蓮様がそう決められたのであれば、儂などに口出しする余地はありませぬ。与えられた役目を果たすべく死力を尽くすのみです」
焔耶も瑛も悩んで居たようだが、最終的には全面的に策に従うことを了承した。
「話はこれで終わりです。皆、明日に備えておいて下さい」
「「「はっ」」」
打てる手は全て打った。後は、明日を待つばかりだ。
「雛里、勝てるかな?私達は」
「最後の瞬間まで勝とうとしなければ勝てぬものですよ、白蓮様」
「……そうだな。勝つ為に足掻くとしよう。最後まで」
白蓮様に言った言葉は、自分に向けた言葉でもある。
人事を尽くした上で勝つべく努力を惜しまぬものにしか勝利はもたらされない。
諦めずに足掻くのだ。
勝利を信じて。
〜教経 Side〜
「大将、敵本陣が後退を始めたぜ!右翼も左翼も同時に後退し始めた!俺たちの勝ちだ!」
「落ち着けよダンクーガ。まだそうと決まった訳じゃ無い」
三日目、公孫賛軍が後退を始めた。確かに一日目、二日目よりも強めに兵をぶつけた。それによって奴さん達を随分と押してやったし、前線が混乱しているように見受けられる。早めに見切って再起を図る事に決めた、と見ることも出来るが、相手はホウ統だ。予想通り、佯敗しているンだろうねぇ。
「どうしてだ大将!奴らは俺たちに押されて混乱しているじゃないか!」
「良いから落ち着け。これから敵さんのお誘いに乗って本陣強襲するンだ。冷静さを保て。思わぬ所で思わぬ事態を迎えた時に対処出来ないぜ?」
「何でそんなに冷静でいられるんだよ」
「冷静さを欠けば死あるのみ、だ。死にたいのか?ダンクーガ」
「嫌だね。アンタを殴りつけるまでは死なないって決めてるんだ」
「じゃぁ、お前さんはずっと死ねないねぇ」
「言ってろ!いつかぶっ飛ばしてやるからな!」
「普段通りのお前さんに戻れたみたいじゃないか」
「あぁ!?」
「自覚無しかよ……まぁ、何よりだ」
「で、どうするんだよ大将」
「予定通りさ。騎馬4,000で追撃する。兎に角本陣に追いすがって捕捉する。敵大将を討ち取れば俺たちの勝ち。俺たちが囲まれて討ち取られれば俺たちの負け。単純で分かりやすいだろうが」
「よっしゃぁ!テメェら、いつも通り気合い入れてけ!やぁぁぁぁぁってやるぜ!」
「「「「「「OK!忍!」」」」」」
ちゃんと説明していたはずだがねぇ。まぁ、お前らしいっちゃお前らしいがね。
「前を塞いでくる兵は最低限相手にしてやれ。追撃速度が落ちぬ程度にな。
……征くぞ!風の如く戦場を駆け抜けよ!」
馬を駆って勢いよく追撃を始める。敵の右翼、左翼共に反転して後続の兵を押し止めるべく動いているようだ。やはり見込み通り佯敗だったらしいな。追撃する俺たちの前には、本陣の兵の一部が足止めすべく立ちふさがっている。
槍をその手に持ってトロンベを突こうとしているが、コイツはその程度じゃどうにもならんよ。頭が良いのか馬としての能力が高いのか分からんが、何も言わなくても自分から躱すからねぇ。
オイタをかまそうとしてくれたお前さんにはご褒美が必要だろう……この日の為に鍛冶屋のオッサンと作り上げた斬艦刀が終に日の目を見る時が来た!準備してて良かった!斬艦刀のお陰で彼女が出来ました!気障な食通とも知り合いになれて今本当に幸せです!
「征くぞ友<トロンベ>よ!今が駆け抜ける時!
奥義!斬艦刀・逸騎刀閃!!」
「大将に!」
「断てぬ物無し!」
フッ……決まったな。ダンクーガに仕込んでおいて良かった……!
その場に踏み止まって抗戦する敵を騎馬で蹂躙し、敵本陣を追いかける。練金戦団と化した親衛隊の皆も後を付いて来ている。それ以外の兵も何とか遅れずに付いて来れているようだ。
目の前に敵陣が見えてくる。柵を巡らせているようだがねぇ。敵さんと一緒に雪崩れ込んでやれば問題無いだろう。逃げる敵はやや右から迂回して陣に駆け込もうとしている。一直線に進めば敵兵と共に陣内へ雪崩れ込むことが出来るだろう。
トロンベを駆る。あと少し。もう少しで敵陣に雪崩れ込める。
そう思っていた。突然トロンベの行き足が衰えて体勢を崩すまでは。
「っと!?何だ!?どうした、トロンベ!?」
トロンベを見ようと下を見ると地面がぬかるんでおり、それに足を捕られているようだ。
「のわっ!?」
ダンクーガが空を飛んだ。どうやらダンクーガの馬も足を捕られたらしい。トロンベよりも深く足を突っ込んだに違いない。後続の兵も同様で、ぬかるみに足を捕られて進めなくなったり足を折ったりする馬が続出した。
「落ち着け!馬から下りろ!今すぐにだ!」
そう声を張り上げて伝える。それと同時に、矢が風を切る音が聞こえてくる。
「矢に気をつけろ!致命傷を避けるんだ!」
言いながら飛んでくる矢を弾く。トロンベは馬鎧を着けているから無事だったようだ。兵達を見るが、かなり負傷者が出たようだ。
……読み違えた。死地に誘い出すか、佯敗するか。そのどちらかだと思っていた。
だが答えは両方だった。周辺の地理については稟と冥琳が調べ、死地たり得る場所は分かっていた。そこから外れたこの場所は安全だと思い込んでいたのが間違いだったということだ。まさか作り替えるとは、ねぇ。
「大将!どうするんだ!?」
「当初の予定通りだ。罠があったが咬み破れば問題無い」
斬艦刀を肩に背負ってゆっくり敵陣に歩を進める。
こうなれば仕方がないだろう。どちらが強いのか。正面からぶつかり合って白黒付ける他に道はない。
「……いつも通りで安心したぜ。行くぞテメェら!やぁぁぁぁってやるぜ!」
「「「「「OK!忍!」」」」」
敵陣に向かって駆ける。間断なく矢を放ってくるが、俺が取り敢えず無事に柵に近づければその後は何とかなるだろう。俺が、柵をぶっ壊してやるよ。
「ご招待、ありがとう、よ!」
柵に近づいたところで斬艦刀を思いっきり投げつけてやる。目一杯に回転させて。
「うわぁ!」
柵の一部を破壊出来たようだ。清麿を抜きはなって敵陣に飛び込むべく駆け始める。
「オラァ!大将に負けてらんねぇぞ!」
「おう!」
「俺たちもやれるって所を見せてやるんだ!」
ダンクーガが威勢良く敵陣に飛び込んで次々に周囲の敵兵を薙ぎ払っていく。親衛隊の人間がそれに続いている。兵数にどの程度差があるのかは分からんが、兎に角殺して廻るしかない。
周囲に群がってくる敵兵を斬る。練度が低い。連携もして来ない。この分なら敵陣の一角を制圧出来るだろう。
左後方に殺気。振り向きざまに清麿を左上に斬り上げる。槍を切り飛ばした。
危ないねぇ。直ぐに斬り下げてそいつを殺す。その横にいる奴が繰り出してくる槍を躱して近寄って胸を蹴り付け、仰向けに転かして胸に清麿を突き立てて殺す。直ぐに引き抜いて前の敵の腹を突き、そのまま払って脇から清麿を抜くままに横にいた奴の首を飛ばす。
「どうしたンだね?俺の首を挙げたいならもっと頭を使って掛かってこい」
「ひぃっ!バケモノだ!」
失礼な奴らだ。算を乱して後退した奴らを追いかけず、一旦部隊を掌握する為に立ち止まる。
「ダンクーガ!状況は!?」
「親衛隊も何人かやられてるが、それ以外の奴らが問題だぜ大将!付いて来れた奴は少ないし、それ以外はまだどうして良いか分からないで居るみたいだ」
「……チッ。奴ら、戦が終わって生きてたら調練三昧な日々を送らせてやる」
「そうしてくれ!」
周辺から敵兵が退いたことで、再び矢を射掛けてきた。
「……糞が」
「大将!」
左肩に、矢が突き刺さった。矢を根本からへし折って、鏃は付けたままにしておく。抜いた瞬間に血が出ることはわかりきっている。このままやるしかないだろう。
周囲から敵兵が押し寄せてくる。
大体、4,000位か?『公孫』の旗も向こうに見える。
「……征くぞ!この期に及んで後退はない!生中に死あり死中に生あり!死中に活を見出せ!いいか、必ず生きて帰れ!死には何の意味もない!目の前の敵を倒し、生き延びることだけ考えるンだ!見苦しかろうと何だろうと、生に執着して最後まで足掻けよ!」
「「「「「「お〜!!!!!!」」」」」」
「俺に続けぇ!」
こちらに向かってくる敵兵の群れに向けて駆けて行く。
……良いねぇ。今俺は生きている。それが実感出来る。男子たる者一度はこういう状況で己の腕を存分に振るいたいモンだろう。男子の本懐ここに極まれり、だねぇ。
「周りは敵ばかりだ!どう槍を振るっても敵に当たるぞ!殺って殺って殺りまくれ!」
ダンクーガが俺の横で槍を振るっている。致命傷はないが怪我はしている。他の連中も似たり寄ったりの状況だ。早い内に公孫賛を討たなければ、そのうち疲労が限界を超えて討たれるに任せることになってしまうだろう。
この状況、何とかしなきゃならないんだがねぇ。
生憎俺の知恵の井戸は涸れちまったらしい。何の策も思い浮かばないんだからねぇ。
「退くことは出来ん。やれるだけやってみるさ」
皆と共に死中に活を見出す為に清麿を振るう。
俺たちだけでやってみせるさ。
俺たちだけで。