〜思春 Side〜

50,000の兵を率いて蜀の桟道を抜け東広漢へ至った私達の目の前に公孫賛軍が布陣している。斥候の報告に拠れば、その兵数は25,000。益州北部攻略戦で敗れた張任が左翼、先の梓潼側で行われた戦闘に敗れた魏延と馬謖が右翼を纏め、本陣を公孫賛自身が率いている。

夜が明ける前、教経様から翠と蒲公英以外の将全員に対して本陣に集うように命令があった。恐らく、最終確認の意味で軍議を開き、その意図するところを共有しようというのだろう。翠は公孫賛軍に対する保険として前線で警戒の任に就いている。

「夜も明けぬ内から済まんな」
「それは構わん。策を披露しようと言うのだろう?教経」
「そうだ。方針を共有して一貫した行動が出来るようにしておくべきだろうからねぇ」
「教経殿、宜しいでしょうか」
「あぁ」
「では、軍議を始めたいと思います」

稟が宣言する。

「先ず敵の布陣について、思春の調べた内容を報告して下さい」
「……はっ。現状私達は桟道の入り口に布陣しており、その先の開けた平地に公孫賛軍が布陣しております。その数は25,000。左翼に張任、右翼に魏延、馬謖。本陣に公孫賛という布陣となっております。兵数は左翼・右翼共に8,000、本陣に9,000。その兵の構成ですが、騎馬が全軍併せて8,000存在しているようです。本陣に4,000、左翼に2,000、右翼に2,000配置されております。掴めた敵情は以上です」
「この情報を元に、どう戦術を構築するかについて話をしたいと思います。教経殿から話をして頂き、それについて各々が意見を述べる形で進めたいと思います」

その稟の言葉を受けて、教経様が話し始めた。

「……軍を進めるに当たって、暫くは馬鹿正直に右翼、左翼、本陣の三方へ広がるように進んで行くことにしようと思っている。同時に戦線に投入できる兵は少ないがその分こちらの陣には厚みを持たせることが出来る。その圧力を受けて崩れてくれればそれで良し。崩れないなら崩れないで構わない。先ずは、小手調べだ」
「小手調べ、ですか?教経様」
「あぁ。兵力差を考えれば奇を衒う必要はない。一人一殺してもまだ25,000の兵が居ることになる。ただ前進して攻撃を加える、というのは何の工夫もないが一番やられると嫌なやり方だろうよ。真正面から愚直にぶつかってくる相手に奇策は通用しないだろうからねぇ」
「そう言い切れる物かしら……冥琳、貴女はどう思う?」
「ふむ……何らかの策を以て数的優位に対抗する必要がありますが、倍する敵を殲滅するだけの策を考えつき、かつ相手がその策に踊ってくれなければ数で押し切られてしまうでしょう。近い内に援軍が見込めない現状で彼女らが考案する策の方向性としては、二通り考えられます。
一つは、我らを死地へ誘い込んでこれを殲滅する策。周囲を山に囲まれた窪地や足場の悪い沼地などに我らを引き摺り込んで機動力を奪い、四方八方から攻勢を仕掛けることでこれを殲滅することを目的とします。私であれば山に引き込んでこれを包囲し、火計を以て数的優位を失わせしめるか小さくした上で決戦します。
もう一つは、敵将、この場合教経になりますが、敵将をその率いる兵から引き離してこれを討ち取る策。どうやって教経を兵から引き離すかが問題になりますが、教経は基本的に前線に立つ訳ですから引き離すことは容易であると思うでしょう。佯敗して誘い込み、精兵を以て後続の兵との間に打ち込む楔とし、孤立させて一気に討ち取る。この程度の事は考えていることでしょう」
「公孫賛軍がもしそうしたとして、教経はどうするつもり?」
「桟道出口で抑えている現状では冥琳があげた二つの方策のいずれも実行することは難しいだろう。此処は道であるから多くの人間が踏み固めてきた土地であり、足場が悪い場所ではない。何より山に誘い込んで火計を行うつもりであれば最初から山上に陣を取るだろう。まぁ、もしそうしていたら30,000の兵で取り囲んで置いてこれを無力化し、その間に蜀の地を征服してやっただろうがね。今から山へ退いたとしても、火計の可能性が有ることが分かった現時点で山に退いた敵を追撃することはあり得ない。やはり同じように兵で囲んで無力化し、蜀攻略を進めることになる。ホウ統ならそれくらいの事は分かって居るだろう。
俺が逆の立場なら、佯敗して誘い込む策を採用するだろう」

既に想定済みであった、ということか。
では、その場合どうするのか。それに興味を惹かれ、訊ねる。

「……敵が佯敗した場合教経様はどう為されるおつもりでしょうか?」
「全軍崩壊の契機としてやるべく攻勢を掛ける。こちらにも少ないながらに騎馬を用意してある。たったの4,000だがこの4,000は蜀の桟道を通過してきた、恐れを知らぬ馬だ。これに俺の近衛を乗せる。佯敗した時機でこれを率いて突出し、後続と切り離す為に兵を俺の隊の後ろに回した時点で手薄となった敵本陣を打ち破る。俺が討ち取られるのが早いかそれとも公孫賛を討ち取るのが早いかの競争だねぇ」

そう言って嗤う。恐れを知らぬ馬に親衛隊が乗るのだ。尋常ではない突破力を有しているだろう。それを考慮すれば、佯敗する策はかなりの危険を伴うことになるだろう。

「教経殿。私達に勝つ事を考えれば冥琳が言うような策を考えていると思いますが、負けぬ事だけを考えているならば話は違ってくると思います。このまま私達をここに釘付けにしておいて援軍を待ち、私達が撤退するのを根気よく待つということも考えられますが。相手の軍師は有能で有名なホウ統殿です。破綻無く押し合いを続けることは可能であると思います」
「先ずは小手調べ、と言ったはずだぜ?稟。
……三日。三日の間先に述べた方策で戦闘を行う。が、四日目は違う。騎馬を率いて一気に本陣へ殺到してやる。気付いて本陣の援護に向かおうとするだろうが、それを後続の兵で追えば良い。両翼が俺を追いかける兵と後続を押し止める兵とに分かれるだろうが、後続の兵は左翼から受ける損害を無視して右翼に全て叩き付けてやれば良い。三日間で受けた圧力を基礎にモノを考えてしまっている可能性が高いだろうからな。左翼を無視して殺到してくるとは思わないだろう。予測していたとしても、それを支えきるだけの兵力はないンじゃないかね?
そうして右翼を突破すれば、後は兵力差で押し切れるはずだ」
「敵本陣を襲撃した教経様が左翼と本陣に囲まれて孤立する可能性が有りますが」
「それは心配要らないよ、愛紗。敵が佯敗した場合とは違って、馬鹿正直に敵本陣を襲撃するつもりはないんだよねぇ。途中で敵右翼の後背を突いてやるべく方向転換して右翼に吶喊するさ」
「数に劣る敵を更に分断する、と言うのだな?」
「そういうこと。そうしたら残った敵を更に半分ずつに分断し、一方を包囲。これを殲滅する。最後に本陣を包囲して殲滅してやる。公孫賛軍の全軍を相手に押し合いをするのは最初だけだ」
「相手が佯敗した場合とこちらから本陣を突く場合で、そこまで展開の差はないと思うのだけど。相手が佯敗した場合に突出した貴方が大丈夫だという理由は何なのかしら」
「心配してくれているのか?蓮華」
「そ、それはそうでしょう。貴方は私達の旗印なのだから」
「ははっ。まぁ、大丈夫だ。
先ず佯敗する場合は、その目的は俺を突出させることを主目的にしている。突出したら右翼・左翼・本陣の兵に取り囲まれることが必至である、という状況で飛び出す奴は中々居ない。であれば、今本陣を突けば右翼と左翼の兵がたどり着く前に本陣を蹂躙出来るかもしれない、という餌を俺の目の前にぶら下げる必要がある。だが、俺がそれなりに有能だって事は反董卓連合時に分かって居るはずだ。であれば、その俺を突出させる為に奴さん達はそれなりの危険を背負った状況を作り出す必要がある。有能な人間が、行ける、と思う程度の危険な状況をねぇ。詰まるところ、簡単に前後から挟撃することが出来るような態勢を整えておくことは出来ないンだよ。策の性質上な。
それから、佯敗すること自体がかなりの危険を伴っている。佯敗によって生じる間隙を突かれ、徹底的に叩かれたとしよう。そうすると佯敗ではなく敗走になってしまう可能性がある。突出した俺に続く兵の勢いは何としても押し止める必要があるンだ。自分たちが後退して空いた間隙に勢いよく突撃してくるであろう兵を押し止めるには、やはり両翼の全兵力を以て対応させなければならないと思う。そうでないと、そのまま敗北、という事態に直結する可能性が高いからねぇ。
要するに、自発的に俺を誘うからこそ右翼や左翼との効率的な連携によって俺を討ち取ることを考えることは許されないンだよ、蓮華」
「良くそこまで考えられるわね」
「俺ならどうするか、を考えているだけだ。自分の思い通りに相手を動かそうとするならば、相手にその欲するところが達せられると思わせることが必要だ。この場合は、俺の隊だけで突出して本陣を蹂躙してみせること。それが達せられると思わせる必要があるンだからねぇ」
「……先の益北制圧といい今回といい、良くも此処まで策を思い付くものだな」
「それが教経殿ですから。私達の役割は教経殿が気付いていない危険性や、知恵者がどう思ってそれに対処するかを提示して教経殿の策の完成度をより高めることですよ、冥琳」
「常勝不敗の所以が分かった気がするよ」
「俺個人、それにこだわる積もりはないがね。戦う前に勝つ事を考えてきた結果そうなっているだけのことだ」

これだけ知恵が回る上に、面会した時に見せた武芸の腕がある。
嫉妬しても良いようなものだが、此処まで来るといっそすがすがしい。

「何か他にあるかね?」
「あ〜、大将。平家の軍議にどうして俺と姉貴が参加しているのかが疑問なんですが」
「それは簡単だ。お前さん達の身柄を拘束させて貰うことを宣言する為だ」
「ここに来てですか?」
「ここに来ればこそだ。自由にさせておく訳には行かないンだよ」
「……内部から崩壊させるべく画策する、とでも?」
「俺はそうは思わんが他人はそうはいかないだろう。不安要素は除いてやっておくものだ」
「……問題無い」
「まぁ、姉貴は大人しくしておくみたいだから別に構いませんがね」
「一朝事あった時に一突きで殺されても困るだろうから腕は自由にしておいてやるさ。お前さん達を信頼しておく。世話を焼く為に兵を残しておくから不自由があれば言うが良い。公孫賛軍に合流したい、とか言わない限りは対応するように言ってある。
……あぁ、勿論俺の信頼を裏切ってくれても構わないがね?」
「……で、大将に殺されるって訳ですか」
「まぁ、そうなるだろうねぇ」
「そいつは御免被りたいですね。折角拾った命ですから」
「……大丈夫」
「それならいいさ。大人しくしておいてくれれば悪いようにはしない」
「……うん」
「他にはあるか?無いようならこれで軍議は終わりだ。思うのと違った展開になった時は改めて話し合うことにしよう」
「はい、教経殿」
「そろそろ夜が明けますね、教経様」
「あぁ……では、勝たせて貰いに行くとしようか」
「御意」

教経様に皆が拝礼する。拝礼せずには居られない。それ程の自信と覇気だった。














〜瑛 Side〜

「退くな!敵はその兵力を生かし切れていない!この場においては我らの方が数が多いのだ!押せ!押し返してやれ!」
「焔耶、後方から一斉に矢を放ちますからその機に逆撃を」
「分かった。ワタシも前線に出るぞ」
「兵の指揮は私の方で執っても?」
「ああ、頼む」

焔耶が前線に出て行く。

「弓兵!一斉に矢を放つのだ!」
「はっ!矢を放て!」

一斉に矢を放って敵の後続の兵の勢いを殺す。

「今だ!ワタシ達の力を此処で発揮して見せろ!塗れた恥辱を振り払う為に死力を尽くせ!」
「「「「お〜!」」」」

前線に焔耶が躍り込んで敵を押し止める。押し止めるだけでなく、押し返そうとしている。
これで戦線は落ち着くだろう。

「焔耶達が引き返してくる際に援護の為に騎馬を敵に突っ込ませます。その用意をしておいて下さい」
「はっ」

今回私達に要求されているのは、戦線を如何に膠着させるか、だ。白蓮様が専守防衛と仰った以上、益州内で兵をかき集めて居るであろう桔梗様や李厳の到着を待つ可能性が高いだろう。後で焔耶と話し合った際、二人でそう結論付けた。であれば、突出して戦線崩壊させるような危険を冒す訳にはいかない。互いにそう戒めあった。
左翼、本陣共に敵と当たっているが、一度に当たる兵が少ない為ある程度の余力を持って対応出来ている様に見える。

「馬謖様、敵前線の兵が交代するようです。『揚羽蝶』の旗が前線に来ます!」
「怯んではなりません。此処が好機だと思いなさい。が、無理をしてはなりません。隊伍をしっかりと組み直して対応するのです。矢も間断なく射掛けて下さい」
「はっ」

平教経。遮二無二突進してくる。再び押され始めるが、何とか踏み止まることが出来たようだ。
……こんなものではないはずだ。噂に拠れば、その武勇は家中でも随一と言って良い程のものだというのだ。様子見をしている、ということだろう。綻びを少しでも見せれば、そこを突かれるに違いない。

「油断してはなりません。気を引き締めなさい。これで終わりではないはずです。隙を見せればそこを突かれるのは目に見えています」

焔耶の率いる前線の兵の動きが鈍くなりつつある。ここで騎馬を投入して敵を一旦押し返し、焔耶達を引き上げさせるべきだ。

「騎馬隊を突撃させます。焔耶と騎馬隊に連絡を」
「はっ」

伝令が走ってゆく。
……焔耶はちゃんと後退するだろうか。

騎馬隊が前線に向かって移動する。土煙を上げて近づいて来る兵を見て、敵兵が騎馬隊であることに気が付いたようだ。その攻勢が一旦弱まったその時に、焔耶は兵を纏めて後方に退こうとしている。縦列で進む騎馬と入れ替わるように後退し、騎馬隊はそのまま敵に突入した。

「……瑛、助かった。あのままだとこちらの兵が多く討たれていただろう。そうなればワタシは頭に血を上らせてしまっていたかも知れないからな。取り返しが付かなくなる前に対処してくれて助かった」
「いえ。指揮を預けられましたからね。この程度の事は私でも出来るようです」
「謙遜をするな。大したものではないか」
「大したものではありませんよ。私も焔耶もそれは実感したはずです」
「まぁ、そうか」

自分の身の程を知って初めて冷静になれた気がする。今までの私であれば、私達の兵で勝利を確実なものとする為に色々と無茶なことをやったに違いない。自分の都合の良いように敵を推し量って。だが、もう二度とそのような真似はしない。敵は私達よりも優れた才を有する人間であることは間違いない。雛里様があれ程警戒していたのだから。

「騎馬隊を後方へ退避させます。空いた場所を敵に取られぬよう、再度兵を前に押し上げますよ、焔耶」
「分かった。先ず矢を射掛けて勢いを殺しておいてぶつかる、でいいな?」
「ええ」

今のところは大丈夫だ。そしてこれからも大丈夫だろう。相手を抑えられる、ということではなく、私達が身の程を弁えて暴走しないで居られる、という意味で。

「皆、疲れているでしょうがもう少しで日が暮れ始めます。あと少し耐えましょう。張任様も白蓮様も、きっと同じように耐えていらっしゃるのです。私達だけがここで音を上げる訳にはいきません」
「「「「「お〜!」」」」」

平家の兵を相手にして、何とか負けぬ戦いが出来ている。
これで、ある程度兵の士気も揚がるだろう。私達は負けっ放しだったのだから。その相手に何とか食らいつくことが出来たことは明日以降の戦いに良い影響を与えてくれるだろう。
前線から騎馬隊が離脱を始める。

「今です!押し返して下さい!」

焔耶と共に右翼全体を前進させる。
今日敵に押されて後退した分を何とか取り返すことは出来そうだ。

明日以降も同じように耐えて見せる。
白蓮様と雛里様が勝てないまでも負けぬ方策を考えて下さるに違いないのだ。
私達はそれを信じて命じられたことを淡々とこなせばいい。

それが私達の役目なのだから。