〜瑛 Side〜
一先ず処罰が先延ばしになった私達は、東広漢側の桟道出口に布陣している。ケ艾もケ忠も王平も、誰一人帰って来ていない。
……私が、独断専行なんてしなければ。
こうなって初めて、雛里様が何を思い描いていたのか、その全貌に思いを致すことが出来るようになった。東広漢を攻略したら、今と同じように桟道出口にいつでも軍勢を展開出来るように細作を密に放って平家の侵攻に備える。それと同時に、会談を申し込んで時間を稼ぎ、国内を掌握する。その後は白蓮様次第だが、戦になったとしても今のように後一戦で滅亡、という所までいきなり追い詰められることはなかったはずだ。余力を持って平家と戦い、地の利を活かして抗戦することで戦線を膠着させ、和睦を行う事だって出来たはずだ。
それを、私がフイにしてしまったのだ。全ての企謀を。幾通りもあったはずの未来図を。
それだけではなく、ケ艾達を失うことになってしまった。これだけ待っても桟道から逃げ出してこないということは、要するにそういうことだろう。この戦の原因を作った私が生き残って、それに巻き込まれた人間が死んだ。しかも、私が生きているのは彼らに逃がして貰ったからなのだ。厚顔無恥も此処まで来れば立派な物だろう。特に王平は、私を何度も止めた。それを悉く無視した私を逃がす為に殿を買って出たケ姉弟の案内役として残って共に戦う、と言って残ったのだ。
「瑛!桟道内から兵が出てきたぞ!」
焔耶に言われて見てみれば、誇りに汚れた鎧を纏った一団がこちらに向かって駆けている。旗印は、『王』。……王平だ。
「焔耶、敵が追尾して来ている可能性が有ります。軍を展開し、中央部を開けて王平達を通過させた後暫く此処に留まって様子を見ましょう。追尾して来ているならこれを迎え撃ちつつゆっくりと後退し、張任様が率いる左翼と挟み込めるように動いて敵の警戒心を喚起してその攻勢を弱めます」
「分かった。此処まで生きて逃げてきた王平達を死なせる訳には行かない。……例え、ワタシ達が死ぬことになろうとも、だ」
「ええ」
「魏延隊、前に出るぞ!王平達を援護する!」
「馬謖隊も前に出ます。魏延隊と連動していつでも戦闘行動に移れるように用意を」
隊を前に進める。
王平隊の後には敵兵はまだ見えないが油断は出来ない。道を通ってこちらに来るとは限らない。林間を縫って襲いかかってくることも視野に入れた布陣をしておく必要がある。
「中央部を開けろ!王平達をそのまま通過させるんだ!前方の警戒を緩めるな!」
「同じく中央部を開けておいて下さい。私達は左右の林に対して警戒を」
開かれた中央部を王平隊の兵が駆けていく。その中には、王平の姿もあった。
……良かった。これで王平を死なせたのでは、申し訳なくて生きていることなど出来そうになかったから。
「全軍此処で待機しておけ!王平達が本陣に駆け込むまではこのまま此処で警戒を続けるぞ!」
王平達が通過した中央部をすぐさま埋めて兵を再編する。ぴったり追尾して来ている兵は居なかったが、今この時機に攻め掛かられたら戦線維持が出来ないだろう。兎に角、早く兵を再編して布陣することだ。
「方円陣を!何処から攻め掛かられても対応出来るようにしておくのです!」
兵も機敏に行動している。皆、共に梓潼から逃げてきた。王平達のお陰で死なずに済んだのだ。ここで怖じ気づいて碌に行動出来ないような情けない真似を晒す訳にはいかないのだ。命を捨てて助けた甲斐があった。そう思って貰える人間であらなければならない。実際は違っていようとも、せめて彼らの前でだけでは。
そのままの陣形で様子を見る。
桟道から敵兵が出てくる気配はないようだ。
「……瑛、どう思う」
「……油断は禁物、でしょう。特に、それで失敗している私達は」
「そうだな。……このまま此処で待機して平家の兵が来るのを待ち受けてこれを叩き、しかる後に後退する、というのはどうだろうか。油断無く備えておけばあれ程無様に負けるようなことはないと思うのだが」
私達は桟道入り口前に突出している形となっている。焔耶の案も普通であれば妥当だと思うが今は普通の状態ではない。あちらの兵が多く、こちらが少ない。その上私達の兵は一度平家に打ち破られている為士気も奮わない。万が一私達が打ち破られて混乱した兵達が本陣に雪崩れ込むようなことがあれば、そのまま全軍崩壊に繋がりかねない。
……王平達の後退を支援する、という当初の目的は達成したのだ。目的を達した以上、後退すべきだろう。蛇足を描くような真似は二度としてはならないのだから。
「……左翼の張任様がやや前に出てきていらっしゃる様です。恐らく、私達が後退する際にその後背に平家の兵が到着した場合のことを考えて、それに対応出来るようにする為だと思います。
焔耶、私は張任様が備えてくれているこの機会に後退するのが良いと思います。徐々に後退することを考えないでもありませんが、時間が過ぎれば過ぎるほど平家の兵が桟道から飛び出してくる可能性が高まるのです。王平の後退を支援するという目的を達した今、一端後退した方が良いでしょう。もし後を取られるようなことがあっても、張任様が備えてくれているのですから心配は要りません」
「……」
「焔耶」
「……よし、分かった。瑛が正しいと思う。魏延隊、後退せよ!」
「馬謖隊も同時に後退します!」
後退を始めた私達を援護するように、張任様が指揮する左翼が歩を進める。いつでも反転出来るように後方に注意を払っているが、平家の兵は見えない。
……そのまま、自陣へ帰還出来た。終わってみると独り相撲を取ったような形になったが、これはこれで良い。最悪の事態を想定して軍を動かすべきなのだ。学んだことは二度と忘れてはならない。
「瑛、白蓮様が王平を引見するだろう。私達も行こう」
「ええ。兵に指示を与えたら私も直ぐに行きます」
桟道内に斥候を放っておくべきだろう。敵を発見したら早く戻ってくることが出来るように、開けた場所まで馬で行かせた方が良いだろう。そうするように指示を出して斥候を複数放ち、本陣へ向かった。
ケ艾達はどうしたのだろうか。
本陣に行くと雛里様と焔耶が白蓮様の脇に立ち、王平を迎えていた。丁度白蓮様が質問をするところだったようだ。場を乱さぬように注意しながら、焔耶の横に立った。
……王平はやつれて見える。肉体的にも精神的にも疲れ果てているように見受けられた。
「王平、良く無事に戻ってきてくれた」
「……はっ」
「それで、百合達は今どうしている?」
「……申し訳ありません。私の策が破れた事でケ艾様達を死地へ追いやってしまいました。それだけでなく多くの兵も喪ってしまいました」
どういう事か、と訊くと王平が用意していた落石計を平家に見破られ、罠を無力化しようと迫ってきた平家軍に動転した兵が落石計を発動し、桟道を破壊してしまったという。
「……王平、ケ艾達は……死んだのか……?」
「……桟道を破壊してしまった後山上に暫く踏み止まって様子を窺っておりましたが、ケ艾様達は兵を纏めて平家軍に向かって逆撃を掛けられました。退路が無い以上、残されていた選択肢は二つしかありませんでした」
「『降伏か死か』、か」
「……はっ。ケ艾様達は強かに平家軍を叩かれた後兵を収めて降伏されたようです」
「生きているのだな?」
「……おそらくは。見せしめとして殺したのなら、それを喧伝してみせるでありましょう。その報せが届いていない以上、生きておられるのではないかと思います」
「……そうか。生きているのであれば良い。お前も良く生きて戻ってくれた」
「……有り難いお言葉ながら、ケ艾様達が敵に囚われる契機を作ったのは私です。私には労いの言葉ではなく罰をお与えになるべきです」
「ちょっと待った!白蓮様、王平が罰を受けるなら先ずワタシが先に受けるべきでしょう!」
「それを言うなら私もです。白蓮様、そもそもこの事態を招いたのは私達二人が独断専行したことに因ります。王平はそれを諫める側であり続け、主将の権限によってその口を封じられるまで事ある毎に追撃を中止して帰還するように言っていた者です。謂わば彼は私達に巻き込まれた被害者の一人に過ぎず、彼に非はありません。彼は自分が置かれた立場と状況で常に最善を尽くしたのです。その努力が実らなかったのは偏にその献言に耳を傾けなかった主将たる私達にあります。彼の献言に従っていれば、ケ艾達を失うような事態にはならなかったのです。
彼が賞せられるべき人間で、私達が罰せられるべき人間であることは明白です。彼の様な人間を罰することは白蓮様にとって無益であるばかりか有害であるとさえ言えます。彼を罰せぬよう、お願い致します」
「瑛の言う通りです。ワタシ達こそが罰せられるべきなのです」
そういった私達に、白蓮様は一つ頷いて雛里様に声を掛けた。
「雛里。王平は罰せず賞することにしようと思う」
「それが宜しいでしょう。彼のような人間は得がたいものです。きっと社稷を支える臣となってくれるでしょう」
「ああ、私もそう思う。焔耶と瑛も、そうなるだけの器があると信じて居る。二人が犯した過ちは取り戻すことは出来ない。だが、過ちを犯さぬ人など居ない。大切なのは二度と同じ過ちを犯さぬ事だ。
焔耶、瑛、努めよ。いや、私と共に努めよう。己の才や器量といった物に満足して歩みを止め、驕ることがないように。謙虚に歩み続ければ愚かな私達でもきっといつか蒙を啓く時が来るに違いないのだから」
その言葉に、焔耶も私も王平も平伏した。
白蓮様が愚かなはずもない。この方は、蒙を啓けばこそ再びこの戦乱の世に起ったのだ。それを私達と共に努めると仰るのだ。まだ、不足だと。愚かだと。そう仰るのだ。
もし次の戦を生き長らえてその機会を得られたならば、きっと努めてみせる。いつか、この方のような考え方が出来る人間になってみせる。
「……焔耶、瑛。貴女達への罰は白蓮様と共に在り続けることとします。いついかなる時も白蓮様に背くことは許しません。勝手に死ぬことすら、許しません。それを罰とするのだ、と白蓮様から言われていますから。本当は、厳罰を与えるつもりでしたが白蓮様たっての願いです。白蓮様を主に戴く果報に感謝することです」
その言葉を聞きながら決意する。
焔耶を見る。焔耶も私を見ている。どちらからとも無く頷きあう。
私達は、必ず報いてみせる。必ず応えてみせる。
この主の恩に。この主の期待に。
……そして、必ず守ってみせる。
この素晴らしい主の命とその美しい夢を。
〜翠 Side〜
桟道の修復を終え、東広漢へ到着したところで眼前に軍が展開していた。その数は25,000程度。対する私達が率いる兵は50,000。2倍の兵数を有している。それを率いているのがご主人様である以上、あたし達に負けはないだろう。恐らく、開戦は明日になる。こちらもあちらも様子を見ているようだから。
ご主人様とあたしの陣屋で一緒に居る。今日は、あたしの番だった。
……戦にならなくて良かった。
事が終わった後、寝台でご主人様と横になっている。
ご主人様の腕を枕に、向かい合って裸で抱きついている。ご主人様はそんなあたしの髪を撫でながら、優しく包み込んでくれている。あたしは、この時間が一番好きだ。そのままご主人様と話をしている。
「ご主人様、一気に片を付けるのか?」
そう訊いたあたしに、ご主人様は笑って答える。
「一気に片が付くほど楽な相手じゃないだろうよ」
「そうかな?梓潼じゃ話にならなかったけど。稟も『高が知れている』って言ってたんだぞ、ご主人様」
「『高が知れている』のは魏延と馬謖だろうに。ホウ統と張任が居る。公孫賛だって無能じゃない。それにな、翠。朔は高が知れていたはずなんだがねぇ」
あ〜、そういうことか。
先の失敗をきちんと反省出来ていたら、どう変わっているか分かったもんじゃない。しかもこの場合は良い方向への変化しかあり得ないだろうし。油断して居れば足下を掬われてしまうかも知れないんだ。
「気をつけるよ、ご主人様」
「そうしてくれ。それで怪我したり死んだりしたら嫌だ」
「嫌だって……子供じゃあるまいし」
「嫌なモンは嫌なンだよ。翠、お前さんが居なくなるなんてのは御免だ。理屈じゃないんだよ」
そう言ってあたしを抱き寄せる。
他に沢山可愛い娘がいるけど、ご主人様はあたしのことを大切に思ってくれている。それを実感出来る。愛おしくなって、胸板に口を付ける。
「……翠?」
そのまま、強く吸う。
……以前、首筋が紅くなっていたことがあった。ご主人様に訊くと、お母様に付けられた、と言っていた。強く吸われて跡が付いたのだ、と。後日お母様に訊いたら、これは私のものだって証を残してやったのさ、と軽く笑いながら言われた。
吸うのを止めて口を離す。見れば、あの時と同じように紅くなっていた。
「……俺はお前さんの物だ、ってか?」
ご主人様は苦笑している。
「その、駄目だった?」
「んな顔されて駄目だったなんて言える訳無いだろうが。……俺に執着してくれるのは嬉しく感じてるよ、翠」
「……そっか」
腕に力を込めて抱きつくと、ご主人様も抱き返してくれた。
「なあ、ご主人様」
「ん?」
「公孫賛、どうするつもりなんだ?」
「さて、な。奴さん達次第だろう。何を思って再び戦いに身を投じようとしているのか。先ずはそれを確認することだな。その後力を示して貰う。俺に勝てば良し、勝てなくとも力があるなら認めても良い。俺と異なる理想を抱いてこの世に存在する事をね。但し、その理想が俺の価値観を通してみた時に廃滅させるべきモノだと思わない限りにおいて、だがね」
ご主人様は誇り高い人間が好きだ。自分がそういう人間であるからだろうけど、何か譲れない想いのような物を抱いている人間を好む。ケ姉弟を助けてやったのだって、姉は兎も角弟の姉に対する愛情を見ての事に違いないんだ。
そのご主人様を納得させるだけの人間であるかどうか。それは分からない。
「まぁ何にせよ、明日から戦だ。頼りにしてるよ、翠」
「分かってるよご主人様。ただ……」
「……んっ……もう一度、か?」
「……うん」
「……おいで、翠」
明日から、頑張ろう。あたしのご主人様の為に。
ご主人様に抱かれながら、そう思った。