〜朱里 Side〜

徐州で来たるべき曹操との戦いに向けて準備を行っている。
周到な準備を行う為に、私と沮授さんの行方を意図的に眩ませた。情報を漏らさぬようにするのではなく、情報を過度に与えることによって。幽州、青州、徐州。この三州の何れかに私と沮授さんがいる事になっている。噂に曰く、『諸葛亮は軟禁されているらしい』。これを、三州でまことしやかに噂させている。但し、噂をする人間の数と範囲をそれぞれの州で異なる様にして。

幽州では、易京にいる官吏の間でのみ密やかに噂させている。
青州では、郷里の長たちを含む、州の実力者の間でのみ噂させている。
徐州では、町を歩いているのを見たという噂が立っている。

……これらの噂の内、どれがより真実に近いと思うか。
幽州での噂は、信憑性が高いと感じるだろう。秘密というものは知るものを限定しておかなければならない。知るものが増えれば増えるほど、それが漏れる可能性が高くなる。その意味で、噂をしている人間が非常に限られている幽州での噂の信憑性は極めて高い。
青州での噂も、それなりに信憑性がある。軟禁されているとしても、州の実力者と会って動向を把握しておく必要があるからだ。何故なら、名目上は内政官として派遣されていることになっているのだから。臨シを訪れたことのある者だけが噂している点で、信憑性を持っていると言える。
徐州の噂については、私が実際に町を歩いて立てさせた。だが、これについては論外だろう。軟禁されている人間が町を自由に歩き回れるはずはない。通常、監視者がそれを許すはずがない。それでは軟禁していることにはならない。

こうしておけば、例え幽州や青州にいないことを掴んだとしても、徐州にいる、という真相にたどり着くまでに多大な時間を費やさせることが出来る。そして恐らく、曹操にはその真相にたどり着くまでの時間的猶予はないはずだ。国内に黒山賊という反袁家の勢力が存在すればこそ、対峙する兵数を限定することが出来る。もし袁家が黒山賊を討伐するようなことがあれば、袁家の兵を集中して叩き付けられることは目に見えている。だから黒山賊討伐が完了する前に、袁家と事を構える必要がある。

「孔明殿、宜しいでしょうか」
「なんでしょうか」
「仰せつかっていた物資と兵を揃えました。それと、兵を率いる将として幽州から麹義殿に来て頂いております。これで孔明殿の企謀を為す為の最低限の準備は整った、と思います」
「そうですか。御苦労様でした。兵は言いつけ通りにしてくれましたか?」
「はっ。仰せつかった通り、農民の態をさせて国境付近の農村に散らばらせて農耕をさせております」
「……麹義さんは何をしていますか?」
「……共に田畑を耕して苦労を共にしてやるのが将たる者の勤めであろう、と申して共に農民に扮して農耕をしているようです」
「軍令を無視することが多い人ですが……麹義さんを選んで正解だったようですね」
「……はっ」
「曹操の兵力は今どの程度ですか?」
「60,000程度でしょう。司隷州と并州を確保するなら、戦闘に投入できる兵は30,000程度でしょう。司隷州だけ確保出来ればよい、と考えるならば、50,000は投入出来るかと」
「何故60,000の内から50,000も投入出来ると思うのです?背後には平教経がいますが」
「……その平教経は、漢中を侵した公孫賛軍と対峙する為に長安を出立した模様です。曹操に対する備えとして、長安に董卓軍と武将の張遼を残していったようですが、念の為、という程度のものであって函谷関に篭もって守ることは出来ても打って出ることはないと思います。それを考えれば、曹操が思い切って50,000の兵を投入してきても不思議では無かろうかと」
「成る程……きっとそうなるでしょう」
「はい」
「対して集めた兵数は?」
「……20,000。これ以上は各郡から守備兵を抜いたことが明らかになってしまうと思いましたので、これだけ集めるに止めました」
「良くやってくれました。沮授さんの言う通りでしょう。それ以上は事が露見する恐れがありますから」

私の策の準備は整った。後は獲物が罠に掛かってくれるのを待つだけだ。さぞや美味しそうな餌がぶら下がっているように見えているに違いない。袁紹さんも桃香様も、曹操さんについて楽観しすぎているきらいがある。その配下で軍師を担おうと狙っている人達も、そう大した知恵を持っている人間は居ない。強いて言えば田豊さんがいるが、彼には既に私の企謀は明かしてある。より曹操を油断せしめるように、桃香様達を誘導してくれるはずだ。
……君主を餌として、害を取り除くのだ。人は私のことを悪し様に罵るだろうが、そんなことは痛痒にも感じない。必要なのは結果であってそれを導き出す過程など顧みる必要もないのだから。

「申し上げます!」
「何だ!」
「曹操軍が黒山賊討伐中の我が軍を襲撃した模様です!抗戦したようですが何しろ突然の事でありましたので奮戦虚しくお味方は後退した模様です!」
「……孔明殿」
「わかっています。伝令、御苦労様でした」
「はっ」

とうとう始まった。が、まだ私が出張るには早いだろう。

……袁家を滅亡させるべくその背中を見せた、その時。
全てを賭けて勝負を挑む。全ては、抱いた夢の為に。













〜教経 Side〜

落石計により桟道を破壊された為、桟道の修復作業を行っている。訊けば、ケ艾がこれを考えたのだそうだ。当初は桟道に落とすのではなく地面に落とす事を考えていたそうだが、桟道に落とした方が時間が稼げるということで変更させたらしい。ッたく。面倒くさい事をしてくれたモンだ。

そう思って横に立っているケ艾を見る。

「……?」
「何でも無い。気にしなくていいさ」
「……変」
「いや、俺は別に変じゃないだろうが」
「……変」
「……どこが変なんだね?」
「……処罰ない」

ケ艾とケ忠を捕虜とした時、稟も冥琳も斬刑に処すべきだ、と言って聞かなかった。これ程有能な人間が再度敵対する可能性が有る状況で生かしておくなどあり得ない、と。それを聞いたケ忠がなりふり構わず助命を行った事と、俺の個人的な捕虜なんだから俺の好きにさせてくれ、と俺が希望した事で一先ず保留ということに落ち着かせることが出来た。

「処罰して欲しかったのか?」

そう訊くと、顔を横に振る。

「俺たちを殺さない理由ってのは何です?その辺りが姉貴も理解出来ないんだと思いますが」
「……うん」
「理由ねぇ……お前さん達を殺すより、生かしておいた方がこの国の為になるだろうと思ったから、かねぇ。天で伝えられているケ艾ってのは、軍事にも優れているが何よりも先ず民政の手腕に長けていた人だ。民の為になる政を行える。その一点だけでもお前さん達の命を救う価値があると思うがね」
「確かに姉貴は政にも非凡なものを見せると思うけど」
「……敵?」
「そりゃ敵だが、俺がいつまでも生きている訳も無し、天下統一の事業の中でいつ命を落としてもおかしくはないだろう。俺達が戦に負けて皆死んじまった時に、後に残されているのが民のことを考えることも出来ない屑ばかりでは困るンだよ。お前さん達みたいなのが残っていれば、死んだ時に心残りはあるだろうがそれから先の世の中を悲観して死ぬことだけはないだろうよ」
「……やっぱり変」

ケ艾はそう言って笑っている。

「そんなに変わっているかねぇ」
「変わっていると思いますよ。大体、俺たちの武器を取り上げていないし、その俺たちを伴って工事の進捗を見に来るなんてのは不用心に過ぎると思うですがね」
「……うん」
「ハッ。こちとら個人の武勇じゃ負けるとは思ってないンだよ。更々なぁ」

瞬動を行って、ケ艾の後ろに回って首筋に清麿を宛がう。

「……疾い」
「……それ、最初に突撃してきた時にもしてましたがね。失礼ながら人間ですか?」
「残念ながら人間だよ。刺されれば死ぬし、病に罹っても死ぬただの人間だ」
「そうは思えないから聞いてみたんですが」
「自分で目にした事実を否定するなんてのは阿呆のすることだぜ?ケ忠」
「……恥ずかしい」

む。後から密着している態勢だったからな。
少し配慮が足りなかった、な。

「済まんな、ケ艾。俺の配慮が足りなかったようだ。お前さんは女の子だもんなぁ」
「……うん」
「大将、気をつけて下さいよ?姉貴はそういうのに慣れてないんだから」
「だから、悪かったよ。もう二度とせんさ」
「……なら良いんですがね」

慣れてない、ねぇ。こんなに可愛いのに。勿体ないモンだ。

「……何?」
「可愛いのに勿体ないモンだ、と思ってな」
「〜〜〜〜」

そう言うと、ケ艾は頬を赤く染めて俯いた。
……萌えるねぇ。

「……まあ、程々にお願いしますよ」
「程々なら良いのかよ」
「良しとしますよ」
「はぁ。まぁ、これで免疫付くならってことか」
「そういうことです。こんな姉貴を見るのは初めてでしてね。こっちも結構楽しめてるんですよ」

そう言ってケ忠はニヤニヤ笑いやがった。
良い性格してるぜ、お前さんは。

「それにしても、問題無いんですか?」
「何が?」
「俺たちとこうやって愉しげに話をしていて問題ないのかってことです」

はぁ?

「何処に問題が在るんだね?」
「いや、普通敵とこうやって愉しげに話すなんてしないと思うんですが」
「……うん」

お、ケ艾が復活した。
ケ忠のケツを抓ってるみたいだ。ケ忠の顔が歪んでいる。
……自業自得だな、ケ忠。

「それとこれとは話が別だろうねぇ。敵でも好きな奴ぁ好きでいいンだよ。敵だから憎まなければならないなんて訳はないンだから。尊敬出来る、好敵手みたいな奴だって居るだろうが。それとは逆に、味方でも憎らしくて堪らないって奴もいるだろう。人に拠るのさ。そんなことをいちいち気に掛けるほど暇じゃないんだよ、俺ぁな」
「……変わってる」
「……アンタは変わってるよ大将」

失礼な姉弟だな。

「ま、もうちょっとで桟道の修復作業は終わる。お前さん達が戴いた公孫賛がどんな人間であるかを確かめさせて貰うさ」
「……戦う?」
「あぁ。どうしても必要なことだ。前に言った通り、己の主張を認めて貰いたいなら先ずその力を示せ。話を聞いてやっても良いと思わせることすら出来ない奴に用はない。俺がお前さん達を捕虜にして殺させなかったのだって、それが一番の理由なンだからねぇ。お前さん達は力があることを示して見せた。それと同じだ。君主だろうと武将だろうと、俺が望むことはただ一つ。『理想を追うに相応しい力量を示せ』。ただそれだけだ」
「……うん」
「ご納得頂けたようで何よりだ」

さて、しっかり語り合おうじゃないかね。
戦という、最も凄惨な手段によって、ね。