〜雛里 Side〜

独断専行した焔耶と瑛の軍が桟道の出口から出てきている。酷い有様だ。だが、散々に打ち破られた、という感じではない。ケ艾・ケ忠の二人が残って殿を務めてくれているのだろう。
……死ななければ良いのだけれど。
白蓮様は、家臣を死なせることを肯んじないだろう。もし、平教経さんとの戦で彼女達が命を落とすようなことがあれば、きっと戦って仇を討ってやろうとするだろう。分限も弁えずに、家臣が死んだ程度で見苦しい。そう言う人も居るだろうが、私は白蓮様はそれで良いのだと思う。白蓮様が今の白蓮様になったのは、あの二人を喪ったからなのだから。もう二度と、喪わない為に。それを強いられる世の中で無くなるように。その為に戦っているのだから。

敗兵を収容し、焔耶と瑛から報告を受ける為に軍議を開いた。

「焔耶、瑛、無事で何よりだ」
「……はっ」
「……申し訳ありません」
「……瑛、何故平家とぶつかったのです。私は、言いましたよね?」
「……返す言葉も御座いません。全ては、私の独断に拠ります。王平は反対しました」
「ワタシにも責があります。瑛だけではなく、このワタシも敵を侮って与しやすいと考えて」
「……白蓮様、この二人を許せば軍紀を正す事が出来ません。処断することをお考え下さい」

これは、誰かが言わなければならないことだ。それなら、私が言うべきだろう。
そう思って処断することを口にした私に、張任さんが話しかけてくる。

「嬢。それはどうかと思うがの。今、この時に処断する必要はあるまい?これから、平家の鬼共が桟道からわらわらと出てくるに違いないのだからのぉ。士気が却って下がるじゃろう。それでは防戦は覚束ぬよ。それに、こ奴らは過ちを犯したが有能じゃ。得難い才を持っておるじゃろう。今回の事、大きな財産となるはずじゃ。
喪った兵は多いが、喪って得たものがある。その得たものまで捨て去るような真似をするのは感心できぬ。
若いということは、愚かだということだ。その愚かさを生きていく上で掴んだ何かで研磨することでマシな人間になっていくものじゃ。人が一人前に使えるようになるまでに20年は必要だ。それが有能な人間であるならば、より一層の時間が必要になるじゃろうな。死んでいった者達を無駄にせぬ為に、こ奴らを生かして活かす必要がある。儂はそう思うがの」

よく、言ってくれた。
益州閥の長である張任さんがそう言ってくれれば、その他の家臣達は従ってくれるだろう。その辺りも分かった上での発言だろう。私の顔を見て、頷いていたのだから。

「焔耶、瑛。処罰は追って沙汰する。それまでは、今までと変わらぬ形で動いてくれ」
「御意」

これで成長してくれれば良いのだけれど。そうでないと、死んでいった者達は本当に犬死にしたことになるのだから。

「雛里、これからどうなると思う」
「正直に申し上げれば、現状は極めて厳しいと言わざるを得ません。平家の将はこの国で一、二を争うほど充実しています。またその兵の練度は、非常に高いと思われます。軍師として名を連ねている人間も一流です。そして何より、主君である平教経さんの器量の底はまだ知れていません。これを向こうに回して戦う、というのは無謀であるとしか思えません。
しかし、彼らを打ち破るのではなく共存する為に臣従しても構わない、というのであればまだ光明はあると思います。孫策が一戦もせずに平家に臣従した際、彼は理想を掲げるに足る力を有していることを示せば自分に付き従う一国の主として認めてやる、と言ったそうです。勿論、掲げる理想が彼の理想とかけ離れていない物であれば、という前提があると思いますが、白蓮様が抱いている理想は、彼が抱いている理想と相反する物ではないと思います。董卓さんを助けた所を見ても、彼の心根は義や仁といったものに根ざしていると思われますから。
義や仁という思想と矛盾しているようですが、一戦して力を示すことで私達が彼に付き従うに相応しい力量を有している事を示すことが出来れば、誇りを喪うことなく私達の勢力を存続させることが出来ると思います」
「そう上手く行くものかの?」
「上手く行かせるのです。それが最低限、私達に求められることでしょうから」
「やれやれ、戦はどうあっても避けられそうにないの……じゃが相手に不足はない。存分に働いてくれようぞ。過日の借りも返さねばならぬしの」
「では、このままここで陣を布いて平家を待ち受ける。ケ艾達も運が良ければ合流出来るだろう」
「御意」

次の戦で、私達の命運が決まる。
……絶対に負けられない。死力を尽くすしかないのだ。


















〜桃香 Side〜

朱里ちゃんが徐州へ内政官として赴いた後、郭図さんや審配さんを中心に冀州内で猛威を振るっていた黒山賊を討伐する為に軍旅を催した。朱里ちゃんは、そんな賊など放っておいて曹操さんを討ち滅ぼすべきだ、と言っていた。確かに曹操さんは脅威かも知れないけれど、民を苦しめる黒山賊を討伐するのは決して間違いではないと思う。郭図さん達と朱里ちゃんでは、ただその優先順位が異なるだけだ。

黒山賊と言えば、白蓮ちゃんと戦った際に幽州にもいた。その白蓮ちゃんは遠く益州で勢力を広げているらしい。生きていて、本当に良かった。一時敵対することになってしまったけれど、きっと白蓮ちゃんもいつか分かってくれるだろう。仕方がなかったのだ。最初から従ってくれていれば、あんな事にはならなかったのに。

「麗羽ちゃん、黒山賊討伐、上手く行きそう?」
「上手く行くに決まって居るではありませんか!」
「そっか、そうだよね」
「ええ。当たり前ですわ」

麗羽ちゃんは自信満々でそう言った。
けど、現地に行かなくてもいいのかな?戦争では何が起こるか分からない。此処にこうして居るだけでは、変化する情勢に対応出来なくなるかも知れない。まぁ、全部先生の受け売りなんだけど。

「申し上げます!」
「はいはい、なんですかぁ〜?」

申し継ぎの人にのんびりとした口調で答えたのは、七乃さん。姓は張、名を勲。美羽ちゃんの懐刀的な存在だ。美羽ちゃんは、姓は袁、名は術、字を公路。麗羽ちゃんの従妹だ。麗羽ちゃんと美羽ちゃんは本当に仲が良い。いつも一緒に居るし。

「曹操殿が黒山賊討伐中の部隊の後背を襲いました!」
「え?」
「なんですって!?」

曹操さんが、賊徒と結びついている?
……民のことを全く考えていない。賊に苦しめられている民が沢山居るのに。何故、その賊を助けるような事をするのか。

「麗羽ちゃん、曹操さんを討伐しないと。皆が苦しんでいる賊に荷担するような人を、野放しには出来ないよ」
「その通りですわ!顔良さん!田豊さん!今すぐ軍旅を催しなさい!」
「麗羽様、これから更に兵を集めて戦をするなんて危険です」
「何を言っているのですか!こちらには桃香さんも居ますし、美羽さんもいるのですよ?負けるはずがないではありませんか!」
「……一応窺っておきますけど、その理由は?」
「名門袁家の二人と、皇帝の血に連なる桃香さんがいるのですよ!?正しく高貴連合と呼ぶに相応しい、華麗な陣容ではありませんか!これで負けるなどあり得ませんわ!」
「はぁ……」
「な、なんですの?」

斗詩さんがこちらを向いている。
うぅ……何か言ってくれっていうのは分かるんだよ?でもね……

「桃香さん?桃香さんならこの連合の華麗なる勝利、疑う訳は御座いませんわよね?」

……これを諭すのはいくら何でも無理だよ斗詩さん……自分で華麗なるとか言っちゃってるんだし……

「あ〜、きっと勝てるんじゃないかな〜とは思うけど、条件が一つだけあるの」
「それは何かしら?」
「田豊さんの策を受け入れれば、勝利間違いないと思うの」
「まぁ。田豊さん、本当かしら?」

田豊さんはもの凄く困った顔をしている。

「……田豊さん、なんですのその面白い顔は?」
「はぁ」
「ほら、何とか言ってみなさいな」
「……麗羽様が勝てるよう、微力を尽くします」
「ただ勝つだけでは駄目ですわよ?私は『華麗な勝利』を目指しているのですから」
「あ、あはははは……」
「あ、あははは……」
「は、は、はははは……」
「お〜ほっほっほ。お〜ほっほっほ」
「のう、七乃?ひょっとして妾達はとんでもない所へ逃げてきたのではないかの?」
「……美羽様、今頃……?」

兎に角、麗羽ちゃんが方針を決めてしまったのだからそのように動かなければならない。
……朱里ちゃんに、手紙を出しておかなきゃ。状況が大きく動きそうな時は、必ず手紙を下さい。そう言って朱里ちゃんは徐州へ旅立ったのだから。朱里ちゃんの為に、今の私が出来る唯一のことだから。今日のお話の内容を全て書き留めて送ってあげることにした。

これで、朱里ちゃんが何か策を考えてくれたら良いんだけど。














〜華琳 Side〜

「騎馬隊を。敵の後背を一気に突かせなさい」
「伝令!騎馬隊に敵後背に襲いかかるように伝えろ!」
「はっ」

黒山賊討伐中の袁紹軍を、後背から不意打ちした。
この私を全く警戒していないなんて。巫山戯るのもいい加減にして貰いたいものだわ。まあ、そのお陰でこの初戦の勝利は確約されたような物になったのだけれど。
田豊を麗羽と切り離せなかったのが心残りだけれど、諸葛亮と沮授は幽州に居て身動きが取れない。残っている軍師も、田豊だけを警戒しておけば問題無いことは桂花から聞いた袁家の軍師の情報からして間違いないでしょう。郭図、審配などの軍師では、この私の敵足り得ないのよ。

教経と不可侵の約定を結んだことで、戦線に投入出来る兵の数が飛躍的に増えた。教経も、自由に動かせる兵を得たことで梓潼郡と南郷郡へ援軍を増派した。
……ここからよ。これからが教経との勝負になる。不可侵の約定は、お互いがお互いの敵に勝つまで。その状況が現出した瞬間に、不可侵の約定は失効する。早めに当面の敵を討ち滅ぼしたら、後背を突くべく準備することも出来る。その可能性は、低いとは思うけれど、ね。
教経と、最後に交わした会話を思い出す。
私は北を。教経は南を。それぞれ平定して、その上で決戦しよう。そう言った私に、教経は不敵に嗤って了承する旨伝えてきた。

麗羽を打ち倒して、教経と天下を賭けて決戦する。
これ程に愉快なことはない。

「華琳様、敵は急な襲撃に混乱しているようです」
「そう。それじゃ、一気に決めるわ。春蘭、秋蘭」
「「はっ」」
「二人はそれぞれ兵10,000を率いて敵を殲滅してきなさい」
「「御意」」
「凪、真桜、沙和」
「「「はっ」」」
「貴女達は兵15,000を率いて各隊の連動が上手く行くように動いて頂戴」
「「「御意」」」

これで、初戦は勝てるでしょう。
問題はこの後ね。麗羽は、全軍を以て私を討とうとするかも知れない。普通の神経をしていれば、至る所から兵を引き抜いて再編したりはしないと思うけれど、麗羽は普通ではない。それだけに、常軌を逸したことをやらかすことがある。それが麗羽にとって破滅への道を約束してくれるような選択であれば良いけれど、あれで居て麗羽は今までその手の選択が悪い面に出たことがない。

「桂花、この後はどうしようかしら」
「……袁紹軍を引き付けつつ、防衛陣地が構築してある官渡でこれを迎え撃ちます」
「そうね。それがいいでしょうね」

官渡。周辺を河に囲まれたこの地に防衛拠点を構築してある。城周辺はただの平地だけれど、そこ以外は沼地の様になっていて足場が非常に悪い。もし官渡を囲むなら、麗羽達は孫子の兵法で戒められている沼地へ陣を構築することになるでしょう。そうなれば、私の勝機が更に高まるというものだわ。

戦場を見れば、既に敵は敗走に移っている。
脆いわね。このまま逃がしてあげても良いのだけれど、どうせ国元に帰った後官渡に攻め寄せてくるのでしょう?それであれば、ここで叩けるだけ叩いておいた方が得策ね。

「桂花、春蘭と秋蘭に伝令を」
「はっ」
「5里、思うがままに追撃しなさい、と。そう伝えなさい。それが終わったら、戻ってくること。暫くこの辺りに留まって黒山賊達の兵を吸収した後、官渡へ移動するわ」
「御意」

……教経。私の方は順調よ?貴方はどうかしら。まぁ、負けるなんて思えないけれど、ね。
麗羽を下したらその所領を掌中に収めて……それから教経と決戦して教経を屈服させる。

『俺がお前さんの初めての男になってやるよ。愉しみに待っているんだな、華琳』

そう言った後何か言っていたようだけれど、そんなことはどうでも良い。教経、待っていなさい。私が屈服させてあげる。その上でなら、考えてあげても良いわよ?それ程までに私に恋い焦がれているのなら、ね。