〜雛里 Side〜

「荊州から良く来てくれたな、ケ艾、ケ忠」
「「はっ」」

ケ艾さんが荊州からやってきた。
白蓮様と拝謁する前に面語したが、彼女は確かに得難い将だと思う。今後の展望について聞いた際に平家に対する対応を訊くと、ただ一言『不戦』と答えたのだ。
言葉数が異常に少ないところが変わっているが、その目は確かな知性を宿したものだった。一軍を預かる将として十分な器量を有しているだろう。ケ忠さんはケ艾さんの弟で、ケ艾さんの言葉を補って話をしてくれる。何故分かるのかが不思議だが、姉弟だから、と笑って答えるだけだった。だが、ケ艾さんの言葉を補って話が出来ると言うことは、彼自身もかなりの器量を有しているということになるだろう。理解が及ばないものを補足出来るはずはないのだから。

「知っていると思うが私は公孫賛。字は伯珪、真名は白蓮だ」
「……ケ艾、士載、百合です」
「私はケ艾、字は士載、真名は百合です、白蓮様。宜しくお願い致します、と姉貴は言ってます。俺はケ忠といいまして、姉貴の弟です。字も真名もありませんから、そのままケ忠とお呼び下さい」
「分かった。これから宜しく頼むよ。百合、ケ忠」
「「はっ」」

ケ艾姉弟の目通りが終わり歓待の為の宴を行おうとしていると、申し継ぎのものが慌てて駆け込んできた。……その足音は不吉を孕んでいるように聞こえる。

「申し上げます!魏延様、馬謖様、梓潼郡にて平家軍と激突致しました!」
「何だって!?」
「どういうことですか」
「その、王平様から使わされた伝令はそれだけ伝えると意識を失ってしまったので詳細は不明です。が、錯乱していた訳でもありませんし、言っていることに誤りはないと思われます」

そんな馬鹿な。
瑛には、ちゃんと言い聞かせてきたのに。
最悪な時に、最悪な相手を選んで独断専行するなんて。

「……見捨てる訳にはいかない。私に仕えてくれているんだ。家臣の不始末は私の責任だろう。雛里、出陣しよう。責めるにせよ叱るにせよ、生きていればこそだ。行って焔耶と瑛を叱って、それから平家と話をしよう」
「白蓮様、話をすると仰いますが、聞いてくれるとは思えません。どちらから仕掛けたにせよ、難しいでしょう。あちらから仕掛けてきたのであれば、戦をする理由があちらにはあることになります。戦は避けられないでしょう。こちらから仕掛けたのであれば、今更何の話をするのだ、と言われるのが関の山です。これも同様に、戦は避けられないと思います」
「だが、何もしないという訳にはいかない。どうやっても戦が避けられないのなら、焔耶達を助けに行こう。彼女達がそうしたのは、彼女達を向かわせた私の責任だろうから」
「……行きます」
「私もお供致します、と姉貴は言っています。……俺が言うのも何ですが、姉貴が居れば目も当てられないような敗北はしないと思います。姉貴は、戦に掛けては天才的ですから」
「百合さん、ケ忠さん。兵2万を率いて先行して貰えますか。白蓮様は私と共に兵を率いてその後を付いていきましょう。桔梗さん達には、残って民の動揺を鎮めて貰います」
「それがしもお供致しましょう。防戦には自信がありますでな」
「しかしだな張任。お前がおらぬでは民が言うことを大人しく聞くか?」
「桔梗よ、しかしも糞もあるまい。言う事を聞かせてみせい。否応なく戦になる。国元には最小限の将が残っておれば良い。今大切なのは、出来たばかりのこの勢力を如何にして保つか、ということであって先のことを考えて民を慰撫しておる場合ではない。投入出来る戦力を限界まで投入すべきなのじゃ」
「ふむ……まぁ、お主が正しかろうが、それでは私が行くべきではないのか?」
「益州の将で最初に殿に従うことを決めたのはお主じゃ。そのお主がおらぬでは困ろう。それにお主は攻めに向いておる将であって、防戦には向かぬ。此処は儂が適任じゃろうて」
「……まあ、仕方あるまい」
「では張任、頼む」
「御意に御座います」

戦をするに、梓潼郡で戦うなどあり得ない。東広漢の桟道入り口で抑えきることが出来るかどうか。それで勝敗が決まるだろう。もし抑えきる事が出来れば、和議に持ち込むことが出来るかもしれない。抑えられなければ、白蓮様は再び領地を失うことになる。私の望みも叶えられなくなる。

「では出陣するぞ。基本方針は専守防衛だ」
「御意」

4万の兵で何処まで出来るか分からないが、最善を尽くそう。
私達の未来の為に。



















〜翠 Side〜

蜀の桟道付近に展開していた愛紗と稟から、公孫賛軍と交戦した旨連絡を受けて現地に急行した。蒲公英と付近を巡回していて良かった。これが武都郡などを巡回していたのであれば、駆けつけるまでにかなりの時間を要しただろうから。

「翠、早かったな」
「当たり前だろ?あたし達は騎馬隊率いてるんだからあの程度の距離なら直ぐに駆けつけられるよ」
「これで万全の態勢を整えられましたね」
「稟、状況は?」
「平家に庇護を求めてきた劉循を討ち取ったことで満足して帰還するかと思ったのですが、どうやら初戦で積極的に叩かなかったことが却って徒となったようです。平家恐るるに足らず、ということでしょう。兵数に勝る私達に対して攻勢を掛ける為に態勢を整えている所ですね」

これから本格的な戦になる、ということか。
それにしては稟も愛紗も余裕があるな。

「稟、あたしの目には余裕綽々に見えるんだけど。何か必勝の策でもあるのか?」
「必勝の策がある、というよりは、悲観する要素が全くないのです」
「どういうこと?」
「敵の帥将は掲げている旗から見て、魏延と馬謖でしょう。それなりに有能だとは思いますが、それなりでしかないことが証明されましたからね。私の予測を超えるような策を施してくる人間であったり、私の予測越えた武勇の持ち主であったりすることはないでしょうから」
「ねぇねぇ。どうしてそう言い切れるのかなぁ〜って蒲公英には不思議なんだけど?」
「そうですね、きちんと説明しましょうか。
彼女達の戦略的な目標は劉循を討ち取ることであったはずです。その過程で平家と戈を交えることになりましたが、平家の兵もあちらの兵も損害は微弱です。それは、あちらの戦略目的が那辺にあるのかを私達が洞察しており、互いに引っ込みが付かなくなるような状況を回避する為にこちらから積極的に撃ち掛からなかったから、という理由に因ります。それを見抜くことが出来ていない点が、先ず彼女達の器量が底の知れたものであることを表している、と言えるでしょう。
次に、戦略目的を果たしたにも関わらず兵を退かないこと。これが彼女達の器量が大した事ではないと断ずる最大の理由です。翠、反董卓連合と対峙した時の教経殿を思い出して下さい。決戦すれば必ず勝つ、という状況を捨ててまで、戦略目的を果たす為に動いたのです。あれこそが名将の決断というものです。あの時の教経殿に比べれば、今彼女達の目の前にぶら下げられている餌は殆ど魅力的には見えないものです。魅力的に見えないどころが、破滅への可能性を大いに孕んだ危険な罠のようなものです。戦って勝ったとしても、大して意味がないのですから。まあ確かに、不敗の軍である平家に勝ったという風評は得がたいものでしょうが、その風評を得る為に、また得たが為に国を喪うことになったのでは目も当てられません。その辺りを考えて、戦略目的を果たした後直ぐに撤退すれば良いものを、そうしないのですからね。高が知れている、というものです」
「成る程〜、蒲公英でも分かることが分からないなんて、向こうは馬鹿なんだね」
「有り体に言ってしまえば、そう言うことになりますか」

蒲公英の言葉に、愛紗も稟も苦笑を浮かべている。
けど、あたしも同感だ。
目の前にご主人様が居て、それを討ち果たせる状況なら分かるけど、そうでないのだから目的を果たしたら撤退すべきなのに。

「まあ、そういう訳で我々の負けはないだろう。私達には、援軍も来るしな」
「え?」
「教経様に既に使者を出してある。暫くは持ちます、と。このままでも十分だとは思うが、教経様は確実を期す為に必ず援軍を差し向けて下さるだろう。あの方はそういう人だ。それが平家を不敗たらしめているのだから」
「そっか。ご主人様自身が援軍に来るなら、絶対に勝てるって気がするもんな」
「ご主人様の前で頑張って、蒲公英、可愛がって貰うんだ〜♪」
「こら、蒲公英!何言ってるんだよ!」
「ニシシ。お姉様だってそう思ってる癖に〜」
「う、うるさいぞ!」
「いっ…………たぁ〜い!お姉様、蒲公英が馬鹿になったらどうするのよ!」
「もう馬鹿なんだから変わらないよ!」
「あ〜!絶対に許さないんだから!」
「やるか!?」
「ふふっ」
「ん?」
「翠、蒲公英。お前達も余裕綽々に見えるぞ?」
「それはご主人様が援軍に来てくれるって思ったらさ……ああ、そういうことか」
「まあ、そういうことですね」

何だ。結局皆ご主人様が来てくれるだろうからこんなに気持ちに余裕があるのか。
巫山戯ている時はアレだけど、真面目な時は本当に頼りになるからなぁ……

「翠?」
「あ、駄目だよ。お姉様はこうなったら全く話を聞いてないんだから。ご主人様のこと、本当に好きなんだな〜ってちょっと感心しちゃう位なんだから」
「稟と同じか」
「私はこうは成らないと思いますが」
「妄想している時はもっと酷いし結果も酷いぞ」
「……」

ご主人様、早く来ないかな。
でもその前に、突っかかって来てくれた公孫賛軍にお礼しなきゃ。
お陰でご主人様に会えるんだし、ね。
















〜焔耶 Side〜

瑛の策に基づいて、平家の兵を相手にしている。
桟道の出口付近から先の開けた場所へは絶対に行かないこと。瑛はそう言っていた。そんなことはワタシでも分かる。兵数が異なるのだ。将の質で勝っているとは言え、多数を相手に立ち回るのは危険を伴う。だからこそ、この出口付近で戦っているのだが。

「隊の状況は?」
「既に3割を失っております!魏延様、これでは……」
「弱音を吐くな!そんな暇があったら敵を屠ってやれ!」
「は、はっ!」

周辺から寄せてくる平家の兵が突然強くなった。何処かに精兵を隠していたようだ。軽く捻ってやるつもりで平家の兵の群れに躍り込んだワタシ達を次々に屠っている。当初こちらに油断があったとは言え、数度の交戦で此処までの損害を出すとは思ってもいなかった。卑怯にも敵は3人で一人を相手にするように動いている。ワタシ程の武人ならばまだしも、雑兵では太刀打ち出来ない。

「糞!王平は何をやっているんだ!」
「王平殿は敵本隊を足止めしておられます!寡兵を以て大軍を押し止めるべく奮闘されておられるようです」
「そうか、そうだったな。では、瑛は?」
「敵右翼に攻め掛かっておられましたが、その勢いは既にありません」
「……そうか」

兵の質に劣る平家を、ワタシと瑛とで左右から撃破し、中央で本隊を押し止めている王平と合流して一気にこれを破る。そう考えていたが、左翼を破るどころか押し返されそうになっている。
これは、敵を見誤ったのではないか。
桔梗様からよく言われていた。慢心しすぎだ、敵を侮るな、と。

「……一旦戦線を縮小しよう。桟道の中で戦うべきだ。相手にする兵を少しでも減らしたい」
「撤退出来るでしょうか?」
「大丈夫だ。なに、ワタシが殿を務めよう」
「魏延様、伝令です!馬謖様、王平様、共に戦線維持が困難と判断し桟道内に後退する、とのことです。魏延様も共に後退されたし、とのことです」
「分かった。我が隊も撤退するぞ」

副官に兵の指揮を預けて前線へ出向く。
左右に飛び出してきた雑兵を鈍砕骨でぶん殴る。

「どうした!平家の力はこんなものか!」

そう言った私の前に雑兵が次々に群がってくるが、所詮雑兵だ。その全てを鈍砕骨で粉砕し、更に名乗りを上げる。これで、時間を稼ぐのだ。

「誰か!ワタシを殺せる奴は居ないか!」
「ここにいるぞ〜!」

そう言って、いきなり後から斬りつけてきた奴が居た。
かなりきわどかったが、何とか躱せた。もし相手が声を上げなかったら、ワタシは死んでいたかも知れない。

「ちぇっ。お馬鹿をやっつけてご主人様に褒めて貰いたかったのになぁ〜」
「馬鹿とは誰だ、馬鹿とは!」
「アンタ以外にいると思ってるの?あ、馬鹿だからそんなことも分からないんだ〜」
「貴様〜!」
「えい!」
「うわっ」

話をしている最中にいきなり槍を繰り出してきた。
速い。かなり槍を使うようだ。中々の将が出てきたじゃないか。これが関羽か?腕は確かだが卑怯だ。

「卑怯者め!武人としての矜持もないのか!」
「獣と向かい合っているのに矜持も糞もある訳がないじゃん。アンタは猪相手に武人だ何だとか言う訳?あ、ケダモノ同士だから話が出来るのか〜」
「何だと〜!」
「とりゃ!」
「ぐっ」

ぶん殴ってやろうと近づいたワタシに、またしても不意打ちをしてくる。
……コイツは嫌いだ。

「馬鹿に出来るのも今のうちだ!身の程を思い知るが良い!」

鈍砕骨を横に薙ぐ。この間合いでは、後には躱せまい。
そのか細い槍で防ぐことは不可能だ。これを防ぐことは出来るのは、桔梗様と張任様だけだったのだからな。

「ほいっと」
「なっ」

必殺の一撃だったはずだ。それを地面に伏せることで躱しながら、すぐさま反撃してくる。

「死んじゃえ♪」
「うわっ」

死ね、という言葉と共に槍を繰り出してきたから、胴を突いてくると思っていたのに。
いきなり足を払われてこけてしまった。

「ばっかなんだ〜♪蒲公英がそんな素直に突く訳ないじゃん」
「〜〜〜〜!」

屈辱だ。
こんな小娘に良いようにあしらわれているなんて。
直ぐに立ち上がって構える。
認めようじゃないか、コイツは態度は悪いが強敵だ。

「……ワタシは、魏延。魏文長だ。貴様は?」
「蒲公英はね、馬岱って言うんだよ?あとちょっとだけの人生だけど、覚えておかなくても良いからね?」
「抜かせ!」

関羽ではなかったようだが、今はその事は関係ない。
馬岱に向けて鈍砕骨を振り回すが、全く捉えることが出来ない。確かに、鈍砕骨を振るう度にだんだんと馬岱の体に近づいてはいるが、全く表情を変えない。変えないどころか余裕のある顔付きに変わりつつあった。
……それが、癇に障る。

「……それなりの武人だって言ってたけど、それなりどころでもないかな〜」
「何だと!?」
「これでお終いっと」

ワタシが鈍砕骨を突いた瞬間、それを交わしてワタシの腕の付け根を突いてきた。前身が前のめりになっていたワタシは慌てて躱そうとして足を滑らせ、汚泥の中に顔から突っ込んでしまった。

「あらら、外れちゃった。でもまあ、これで終わりだよね♪」

慌てて身を起こしたが、既に馬岱が目の前に居た。
……尋常に勝負をすれば、こんな小娘に負けるはずはないものを。
槍を繰り出す馬岱に対して何とか対応しようとするが、とっさのことで体が動かない。目を瞑ってしまったワタシの頭に、衝撃が走った。槍の柄で、思いっきり殴られたようだ。

「あははっ♪目を瞑っちゃって。面白いんだ〜。ご主人様が来たみたいだから、ご主人様の前でアンタをやっつけることにするんだ〜。ちゃんとご主人様の前で蒲公英に突っかかって来てよね、猪」
「き、貴様、ワタシを侮辱するつもりか!?」
「?生かして貰えるのに喜ばないの?ま、いっか。兎に角蒲公英はご主人様の前でアンタ戦おうと思ってるの。ワザとやられそうになったら、ご主人様助けてくれるかなぁ〜?協力してよね」
「ま、待て!」
「じゃ〜ね〜。ちゃんと蒲公英目指して来ないと駄目なんだからね?」

馬岱はワタシを置き去りにして立ち去った。
……巫山戯るな。ワタシを、ダシにしようというのか。引き立て役としか考えていないのか。
貴様を必ず後悔させてやる。必ずだ。

耐え難い屈辱に塗れながら、桟道の中へ帰還した。