〜華琳 Side〜

「久し振りね、教経」
「あぁ、本当に久し振りだな、華琳」

函谷関近くの丘で、教経と逢い引きしている。
そういう言い方をしているだけで、決して甘い一時を過ごしている訳ではないのだけれど。

二人きりで逢いたい、と言った私に教経は了承する旨返事をしてきた。前回同様護衛は居るが、彼らは私達を遠巻きに取り囲んで警護に当たっている。私達の言葉を耳に出来るのは、私達だけ。そういう絶妙な距離感を保って警護している。その辺りは、流石秋蘭と言った所なのでしょうね。

「意趣返し、有り難うよ華琳。おかげさんで随分愉しませて貰った」
「そう。お役に立てたようで光栄だわ」

そう言うと教経は忌々しそうな顔をして舌打ちをした。
自業自得ね、教経。

「で、どうしたンだね?お前さんから俺に逢いたいと言ってくるなんて。俺に従う気にでもなったのかね?」
「あら。貴方こそどうして素直に逢いに来たの?私に従うつもりがあってのことじゃ無いのかしら」
「……ハッ。互いにそんなつもりは更々無いってことかね」
「……ええ、そうでしょうね」

互いの間に緊張が走る。この緊張感は本当に心地良い。
他の誰と話をしていても絶対に味わうことが出来ない感覚。自分と対等の器量を有するであろう存在と、こうやって向かい合って互いの胆を探り合うのは本当に愉しいわね。

そう思って教経を見れば、教経も愉しそうだ。

「教経。私達は似ているのかも知れないわね」
「似ている?何処が?」
「自分と互角に渡り合えそうな人間を前にして嬉しそうにするところが、よ。
存外、他にも似ているところがあるかも知れないわね。例えば……」
「……互いの理想もそれを実現する方法も異なるが、己の信じるところを貫いて自分が自分のまま自分らしく生きていこうとする姿勢とか、かね」

そう言ってニヤリと嗤う。
貴方は本当に得難い人間だわ、教経。口にしようとした言葉は違うけれど、言いたいことはそういうことだった。私の考えていることを言い当てた、というよりは、自分が思っていることをそのまま口にした、という感じだった。こんな人間がこの世に二人と居るはずもない。教経は私の好敵手にして、私の一番の理解者。私は教経の好敵手にして、教経の一番の理解者。敵として向かい合えばこそ互いのことが理解出来たのでしょう。

「貴方は本当に気持ちが悪いわね、教経」
「ひでぇ言いぐさだな、華琳。その割には随分と嬉しそうにしているがね。……お前さんだって気持ち悪いぜ?」
「ふふっ。まあ、いいわ。……私が貴方を此処に呼び出した理由、予測出来ているのでしょう?」
「……俺と不可侵の会盟でもするつもりなンじゃないかね?」
「流石に見るべき所は見ているようね」
「まぁな。お前さんに見事に踊らされている気もするがねぇ……劉表に公孫賛。お前さんが踊らせたんじゃないかね?」
「劉表はそうだけど、公孫賛は違うわ」
「ッたく、面倒臭ぇことしやがって」
「貴方だって、私の領内で糧食を買い占めたでしょう?お互い様じゃない」
「お前さんも見るべき所は見ているじゃないか」
「当然でしょう?私達は似ているのよ。さっき自分が言ったことをもう忘れているのかしら。その態で老化の兆しが見えているのかしらね。ちょっと女に現を抜かしすぎているんじゃないの?」
「放っておけ。俺は人よりちっと欲張りなだけなンだよ」
「少し、とは思えないわね」
「じゃぁ、かなり、と言い直すことにするさ」
「口が減らないわね、貴方」
「お前さんも負けず劣らずだろうがよ。さっきの言葉、そっくりそのまま返してやるよ。俺たちは似ているんだぜ?」
「貴方と話をしていると、本当に愉しいわね。いつまでもこうして話をしていたいけれど、そうも言ってられないの。先ずは用件を済ませないとね」
「お互いに、な」

ええ、その通りよ、教経。

「貴方が劉表と公孫賛に勝ち、私が麗羽に勝つまで。それまで、不可侵の約定を結ばないかしら」
「『勝つまで』、で良いんだよな?華琳」
「ええ、『勝つまで』、よ」

流石は教経ね。私の言葉が意味しているところを正確に把握している。
教経は少し考えていたが、意を決したような表情で私に向き直った。

「……良いだろう。その申し出を承けようじゃないか、華琳」
「そう。……正直助かったわ」
「……それもお互い様だろうさ」

互いの血を啜りあい、会盟を行う。

「……教経、私以外の人間に足下を掬われるなんて醜態、晒さないでね?」
「それはこっちの台詞だろうよ。……華琳、俺以外の人間に負けるなんて真似、やらかすんじゃねぇぞ?」

盟約が成ったことを天帝に報告した後、互いに似たような言葉を相手に掛ける。
何と言ってやろうかと考えていた私に、教経が続けて語りかけてきた。

「俺がお前さんの初めての男になってやるよ。愉しみに待っているんだな、華琳」
「なっ!」

いきなり何を言っているのよ。
まさか貴方、私のことを……?
でも残念ね教経。別の形で出遭っていたなら、そうなったかも知れないけれど。敵とそういう関係になるなんてあり得ないわ。
でも、そこまで私に執着しているなんて、ね。
全く。本当に仕方がないわね。












〜教経 Side〜

「俺がお前さんの初めての男になってやるよ。愉しみに待っているんだな、華琳」
「なっ!」

そう言った俺に、華琳は返す言葉もなく絶句している。
……意趣返し、きっちりさせて貰ったぜぇ?華琳。華琳が絶句して面白い顔をしているが、これはなかなかレアな光景なんだろうねぇ。普段からしっかりしていそうだからねぇ。

「俺がお前さんを屈服させる初めての男になってやるってことさ」
「良いわ。私を屈服させて見せなさい、教経。但し、私はそう簡単には屈しないわよ?」

間髪入れずに答えやがった。華琳もちっと恥ずかしかった、ということか?
まだ少し調子がおかしいが、相当に効果があったみたいだな。
少々恥ずかしかったが、やってやった甲斐があるってぇモンだ。

「そいつは俺も同じだ。前に言った通り、ね」
「それにしても、私に対してそんなことを言うなんて本当に良い度胸をしているわね」
「そいつはどうも」
「今の発言、貴方の周囲の耳に入るように伝えたら……」

そいつはヤヴァイがそう言う訳にもいかん。

「さて、どうなるかね」
「教経、顔色が悪いわよ?どうかしたの?」
「そうかね?普段と変わらないンだがねぇ」
「ふふっ。まあ、今回は許して上げるわ」
「……そいつはどうも」

見事にやり返された、か。

「次に逢うのはいつになるのかしらね、教経」
「さてな。そいつはお互いの当面の敵さん達にお伺いを立ててみないとわからんよ」
「意外に早いかも知れないわよ?」
「そうなるかも知れんし、そうならないかも知れん」
「全ては天のみぞ知る、という事かしら」
「……そういう言い方は好きじゃないな。俺の決定は俺のモノだ。そこから派生する全ての結果は俺の決断によって生じたモノで天とやらに決めて頂いたモノじゃない。
お前さんと俺がいつ何処で戦うのか。それはお前さんと俺の意志決定の下生じるモノであって、既に誰かに決めて頂いているモノじゃない。俺たちが、俺たち自身の責任において、それを選択した結果もたらされるモノであるべきなンだよ」
「あら、天の御使いがそんなことを言うのね」
「当たり前だ。天の御使いなンぞ関係あるか。これは俺の問題だっつっただろうが」
「まぁ貴方らしいわよ、教経」

華琳が笑う。

「……まぁ、こっちは意外に早く片が付くだろう、と思ってるがね」
「そうかしら。劉表は兎も角公孫賛はそれなりにやると思うわよ?」
「それなりどころかかなりやると思うがね。が、敗北するだろうな」
「是非その理由を聞きたい所ね」
「お前さんだって分かっているだろうに」
「それでも貴方の口から聞きたいのよ、教経」
「……まぁ、それ位は良いか」
「そうよ。仮初めとは言え一応不可侵の約定を交わした相手でしょう?親交を暖めれば、降ってくれるかも知れないじゃない」
「ハッ、よく言うぜ。そのつもりは更々無い癖に。
……公孫賛が敗れるに三つの原因がある。
一つ。奴さん達は急に膨張した。その膨張ぶりには目を見張るモノがあるが、一度立ち止まって自分たちと周囲との力関係をしっかり把握するべきだった。奴さん達には俺たち平家のことを詳細に調べる時間はなかったはずだ。敵を知らぬ者が勝ちを掴むことは難しい。戦うべき時と相手を弁えぬ者は敗れる他ない。奴さん達より俺たちの方が兵が多い。俺たちは将も民も皆心を一つに国を守ろうとするが、奴さん達はそうではないだろう。俺たちはこれあるを見越して準備をしてきた。漢中も南郷郡も、防戦に当たって参戦する事はあっても後から行って現地で将達が決めた戦術に口を出すつもりはない。奴らは己を知る時間を設けなかった。戦う毎に必ず殆ういわけだ」
「……『勝を知るに五あり。戦うべきと戦うべからざるとを知る者は勝つ。衆寡の用を識る者は勝つ。上下の欲を同じうする者は勝つ。虞を以て不虞を待つ者は勝つ。将の能にして君の御せざる者は勝つ。この五者は勝を知るの道なり。故に曰わく、彼れを知りて己を知れば、百戦して殆うからず。彼れを知らずして己を知れば、一勝一負す。彼れを知らず己を知らざれば、戦う毎に必らず殆うし』、ね」
「そうだ。流石だな、華琳。注釈書を書くだけのことはある。
二つ。決断が軽率すぎる。『怒りはまた喜ぶべく、慍りはまた悦ぶべきも、亡国はもってまた存すべからず、死者はもってまた生くべからず』。これを踏まえた上での決断とは思えないねぇ。そうでないと、よく知りもしないでこの俺に戦を仕掛けては来ないだろう。俺の器量は反董卓連合時にある程度知れたはずだ。敵対すれば敗亡することを覚悟せざるをえない程度には、ねぇ。それでも軽率に突っかかって来たンだ。戦っていく中で勝利を目指そうというのかも知れんが、それもまた敗因となるだろう。『勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む』、さ」
「貴方も中々造詣が深いじゃない。その意味するところを理解した上ですらすらと諳んじる事が出来る者はそう居ないわよ?」
「有り難うよ。まぁ、爺共にきっちり仕込まれたからな。
三つ。これが一番の原因だ。奴さん達はこの俺を見誤った。治世に市井の一市民として生まれたのならいざ知らず、この乱世に一勢力の長として存在するこの俺の真価は戦にある。無論治世においてもものの役に立つ人間ではあるだろうが、性格的に荒事にこそ本領を発揮する類の人間だ。軍略にも武勇にも自信がある。決して過信などでは無くな。
奴さん達は思い知ることになるだろう。平家の頭領というものがどういう者であるのかということを、骨身に染みて、ね」
「大したものね。貴方の言葉をそのまま返すわ。流石ね、教経」
「まぁ、お前さんだって似たようなことを考えていたンだろうが」
「ええ。……その貴方の目から見て、私は麗羽に勝てるかしら?」
「勝てるさ。お前さんほどの人間が負けるはずもない。なンなら勝因を挙げてやろうか?」
「興味があるわね。やってみて頂戴」
「はぁ。面倒臭いから一言だけな。お前さんと馬鹿とを比べれば、お前さんの方が水だということはわかりきったことだ。孫子に造詣が深いお前さんなら俺が言いたいことは分かるだろう?」
「ええ、十分よ教経。……ふふっ。本当に愉しいわね。
教経、南方を平らげてきなさい。私は北方を平らげるわ。そうしたら、決戦しましょう?天下を賭けて」
「その方が結果として民の被害が減る、か?……良いだろう。打ち破ってみせるさ」
「愉しみにしているわ、教経」
「互いに死力を尽くすとしようかね、華琳」
「……貴方、前も同じ事を言って立ち去ったのよ?」
「良く覚えているものだな」
「それはそうでしょう。貴方ほど私の心を捉えて話さない人間は他にいないのだから」
「それはお互い様だろうねぇ。お前さんほど俺が気に掛ける人間は居ないンだから」

互いにニヤリと嗤った。

「じゃあ、ね。教経」
「あぁ、華琳」
「「また逢う日まで、壮健で」」

期せずして互いに同じ言葉を発し互いの顔を再び見合わせた後、笑って踵を返した。
……愉しいねぇ。先が愉しみでしょうがない。

まぁその前に、きつく灸を据えてやるべき奴らが居るがね。
後顧の憂いはなくなった。動かせる全軍を以て粉砕してやる。

『動くこと雷の震うが如く』、な。