〜冥琳 Side〜

南郷郡の馴致を終えて、教経に面会しに行った蓮華様達と入れ替わるように長安へ入った。入れ替わるように、と言っても穏と明命だけが南郷郡へ帰ったのだが。蓮華様は長安で教経の政について見聞したいと希望しており、暫くは留まるようだ。元より戦より政に向いている訳だから、これは良い機会かも知れない。

だが、南郷郡は曹操と劉表に接している為軍事的にも政治的にも危険が高い。ここを崩されると困る、ということで碧と風が軍勢を率いて南郷郡に入ってくれた。あの二人が居れば大丈夫だろう。特に、碧が居るのは大きい。雪蓮より腕が立ち、騎馬を運用することにおいて霞と同等の力量があるだろうと教経が言っていたのだ。孫家には騎馬を有効に運用出来る将が居ないことが弱点と言えば弱点だったが、これで問題無くなった。領内の引き締めについても、風が居れば問題無いだろう。というより、風はそういった方面の専門家だ。他家からの煽動や工作を無力化していくことだろう。私でも、一歩譲るかも知れない。

長安に到着し、教経に挨拶をしようと訪いを入れたのだが、生憎と不在だった。
……私が来る、ということは前もって書状で知らせておいたのだが。まぁ、あれは忙しい男だ。仕方がないのだろう。

今日は教経と周囲を取り巻く状況について話をしたかったのだが、居ないというのであれば仕方がないだろう。町へ繰り出して、長安の現状を把握した方が良いかも知れない。

そう思って町を歩いている。
これ程の活気に溢れた町は、この大陸には他にないだろう。商売をするに当たって、売り上げに対する税さえ納めれば店を出すことに問題はない。勿論、どこででも店を構えて良い訳ではない。
教経は、商店をその扱う商品の種類毎に区画を分けて配している。あちらの区画は衣類、こちらの区画は飲食。何処に行けばどの系統の店があるかが直ぐに分かる。また、類似した商品を売っているので、商人達が価格を抑えて競争し、結果として民達はより良いものをより安く手に入れる事が出来るようになっている。

以前長安にいる時に話を聞いた時、教経はこう言っていた。
『価格ってのは国が決めても良いことは何一つ無い。糧食が不足しているにも関わらず必ずこの値段で売れ、と安い価格で売ることを強要すれば、商人は寄りつかなくなる。逃げ出すことが出来ない商人は利益を出すどころか損害しか無くなる為、店をたたむしか無くなる。その結果、経済力が落ちる事になるンだからねぇ。
それよりは、自由に価格を決めて構わない、ということにすればいいのさ。隣の店で同じようなものが安く売っていたら、それよりも高い値段では売りにくい。必然的に、価格は抑えられる。勿論、談合は許さない。やった奴は死罪。但し、民の生活の為に安く抑えよう、といったものに関しては逆に助成してやるから言ってこいと言ってある。
全ては、按配というものが大切なのさ。こうすれば、モノの価格は民達の需要が決めてくれる。需要と、欲している物資の総量の割合に応じた価格というモノに自然と落ち着くモノだ。天の見えざる手によってねぇ』

聞いた当初は、そのようなことがあるのだろうか、と思ったものだ。
だが、実際にそうなっているのを目にすれば、教経が正しいことを認めざるを得ない。塩などの生きていく為に必須となる物資については、教経が積極的に余所から買ってきては溜め込み、不足していれば蔵を開いて供給し、溢れていれば買い上げてまた溜め込む、という形で総量をしっかりと管理している為に価格が一定となっている。

良くこのようなことを思い付くものだ。主君としての器量も武人としての力量も策士としての知謀も、そして政治家としての手腕も一流。自分が好いている男がそういう男であることが誇らしい。
……教経について、穏が興奮気味に身をくねらせながら話をしていたのが少し心配だが。雪蓮は孫家の人間に対して、教経を籠絡して子を為すように、と宣言した。やめろと言ったのに止められなかった。蓮華様達に渡すように言われた書状にも、きっと同じ事が書かれているのだろう。焼き捨ててやろうかとも思ったが、流石にそれは拙いだろう。

こうなれば、私が先手を打つしかないのだ。
誰かに先を越される、というのは御免被りたい。少なくとも、孫家の中では教経が一番好意を寄せてくれているのは私だという確信がある。まぁ、自惚れに近いものだとは思うが。

町を一回りして城に戻ろうとした私の前に、人だかりが出来ていた。
何事かと思い覗いてみれば、どうやら黄巾の残党共が民家に押し入り、狼藉を働いて出てきたところを官兵が囲んでいるようだ。制圧しようにも人質が居るようで、官兵のとりまとめをしている男も迂闊に手出し出来ないと判断しているようだ。膠着状況に陥っている。

……私も平家の軍師なのだ。知恵を貸してやった方が良いだろう。

「どういう状況なのだ?」

近寄ってそう話しかけると、男が振り向いて私を見、少し驚いた顔をしている。
……たしか、断空我、と言ったか。

「……あぁ、アンタか。黄巾の馬鹿共が押し入り強盗を働きやがったからぶっ飛ばしてやろうと親衛隊連れて来たんだが、どうやら人質がいるみたいなんだよ。子供を人質にしていて、近づいたら殺す、と言っていやぁがる。いつも俺をフルボッコにしてくれる餓鬼共だ。そのこと自体は胸くそ悪いんだが、アイツらが死んじまったら寝覚めが悪すぎるだろうが。なんとか、助けてやりたいんだが……俺は頭が悪いから良い案が思い浮かばないんだ。……なんかないかな。アイツらが死ななくて、糞共をぶっ飛ばしてやれる、妙案はないか?」

言葉遣いがなっていないな、この男は。
だが、民の子供だから死んでも構わない、と考えず、何とか助けてやりたい、と考える所は好ましい。黄巾の残党共を殺さずに罪に服させることを考えている点もまた同様だ。
流石に教経に見込まれて親衛隊の隊長を務めるだけのことはある。頭がちょいとアレな感じだ、と教経は言っていたが、頭が悪かろうと物事の本質を漠然とでもつかめる人間はそういないものだ。この場合に必要とされる対処についてしっかりと把握して居るこの男の器量は、中々のものだと言わざるを得ない。
だが……

「……妙案、と言ってもな。そう簡単にはいかぬのではないか?注意を子供から逸らすことが出来れば良いが、自分たちの命が掛かって居る状況で余所見をするほど間の抜けた奴らではあるまい」
「……糞ッ!何か無いのかよ!」

手詰まり、という奴だ。
賊共は道を開けろ、と言っている。追っ手を差し向けなければ子供は解放してやろうと言っているが、果たして約束を守るような人間がこのような狼藉を働かなければならぬ身分にまで落ちぶれるだろうか。

「待てぇい!」
「な、何だ!?」

この声は、教経か?
そう思っていると、周囲から『パピ☆ヨン☆様だ!』という声が上がっている。
……なんだそれは。

「無法の嵐が吹き荒れようと、くじけぬ心あるならば、
 いつか嵐は凪となり、静けさが戻る。
 災いは必ず去るもの……
 人、それを禍福という……!」
「き、貴様、何者だ!?」
「貴様らに名乗る名前は、ないっ!」

そういって屋根の上から飛び降りてくる。
……教経、お前は何という格好を……
そのまま、賊の一人に蹴りを入れて子供を一人確保する。
その格好と登場に呆気にとられていた賊共は、全く動けないようだ。

「ヌハハハハ!」
「な、何だ!?まだ変態が居るのか!?」

今度は何だ?

「屑共、そこをどけぇい!この儂、蝶野爆爵が、マスターアジアが貴様らの心に巣くう悪を討ち滅ぼしてやろうと言うのだ!……む、間違えたか……まぁ良いわ!そりゃぁッ!」

そう言って、教経同様屋根から飛び降りてくる。

「酔舞!再現江湖デッドリーウェイブ!!」

何という気だ。身のこなしからして、相当な武術の達人であろう。

「ばぁくはつ!」

子供を人質に取っていた賊を一撃でのした。
……爆発?
まぁ、良い。兎に角、子供は解放されたのだ。だが、後二人いる。それはどうするのか。正気に戻る前に、もう二人を救わねばならない。その内の一人には、剣が突きつけられているのだ。

「下がれ下衆!」

……まだ、何か来るのか……

「アァイテムなぞぉつかってんじゃぁぁNEEEE!!」

いきなり宙を舞い、剣を突きつけていた賊の後ろに回って羽交い締めにし、そのまま後へ放り投げた。賊は、壁にめり込んでいる。
……子供は無事なようだ。

「あっはっはっは!あっはっはっは!」
「こ、今度は何だ!?まだ増えるのか!?」
「可憐な花に誘われて、美々しき蝶が今、舞い降りる!
 我が名は華蝶仮面!混沌の都に美と愛をもたらす、正義の化身なり!」

……星、お前もか……

「悪人よ、悔い改めよ!」

これまた同様に屋根から飛び上がり、賊に槍を突き出した。
……星よ、手加減しないと賊が死ぬぞ……

「グフィ!」

……よく分からない声を発して賊が倒れる。
子供は全員解放されたようだ。

「テメェ!何モンだ!」
「……むっ、その槍、サンライトハートか!?」
「はぁ?大将みたいなこと言ってんじゃねぇ!」
「……俺の名前は蝶野攻爵!いや、蝶人・パピヨン!見ての通り、善良な一市民だ!」
「怪しさ爆発じゃねぇか!」
「て、テメェら!なんて格好をしてやがる!この変態が!」
「ぬぁんですってぇ〜!」
「この美しさが理解出来ないとは、貴様らには相応の報いというモノが必要なようだな……」
「フハッ!だぁ〜から貴様らはアホなのだぁ〜!」
「パピヨンよ!一気に決めてやろう!」
「了解だ!行くぞ!必殺技だ!」

だから、殺しては拙いだろう……

「行くぞ華蝶仮面!」
「任せよ!」
「石破!ラぁぁぁブラブ!天驚ぉぉぉぉぉけぇぇぇぇぇぇぇん!!」

……何だこの桃色空間は……むかむかするな……

「ぬぅ、合体技とは美味しいところを持っていくつもりじゃな!?こちらも負けておれん!行くぞサムソン!ぬおりゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「夫婦仮面に負ける訳にはいかないわねん!行くわよアドン!!はいぃぃっぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「撃てぇい!サムソン!」
「はいッ!師匠!」
「超級ッ!!覇王ッ!!」
「「でんッえいッだーんッ!!」」

あぁ……町が……長安が……
賊共は全て気絶している。どうやら、手加減はしたようだ。
見物していた長安の民達は大歓声をあげている。

「「蝶・サイコー!」」
「見よ!東方は、紅く燃えているぅぅぅぅぅ!!」
「ぶるぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

勝ち名乗り、なのだろうか。
気勢を上げて喜ぶ四人を目の前にして、目眩がして来た。
雪蓮、お前を越える頭痛の種が出てきたようだ……コレに、私が惚れているなんて……何かの、そう、何かの間違いだ。コレはきっと夢なんだ、そうに違いない……!

「では、さらばだ!皆の者!」
「待ちやがれ!蝶野攻爵!」
「……なんだ、武藤カズキ」
「……俺の名前は武藤カズキじゃない!」
「……なんだ、武藤カズキ」
「……テメェ、なんて格好をしてやがる!長安の治安を乱すテメェを俺が倒す!」
「……フン。俺を倒してどうする?ホムンクルスになった俺は元には戻れないし、この活動を止めるつもりもない。さぁ、お前は俺をどうする?」
「すまない、蝶野攻爵」
「……嗚呼――俺の名前……謝るなよ 偽善者」
「おらぁぁぁぁぁ!」

断空我が槍を持って教経に突っ込むが、教経はそれを躱して断空我を殴りつけた。

「ブベッ」
「人間・武藤カズキを蝶・サイコーの俺が斃す。これが俺の望む決着だ」

最早何を言っているのか全く分からん。

「では、さらばだ!武藤カズキ!次に逢う時までに、もう少し力を蓄えておけ!」

そういって教経と星、変態二人は去っていった。

「糞ッ!糞ッ!オレは多くの人を、みんなを守りたい。そう思って戦の鬼になったのに!
天帝も照覧あれ!必ず!いつか必ず貴様の首をこの手にしてやるからな!だが、今は駄目だ。俺と奴との力の差がありすぎる。だが、いつか必ずこの手にしてみせるからな……!」

……もう、いい。放っておいてくれないか。
頭が痛い……はぁ、アレが教経の悪い病気か……断空我よ、そのノリでついて行けるからこそお前は親衛隊長に成れたのかも知れないな……理由は存外そんなものかも知れない……

忘れよう。
今日は、良い日だった。何もなかったのだ。
そうだ。そうしよう。それが良いんだ。それが良いに決まっている。

そう思って、用意された自室に戻って寝ることにした。

兎に角、何もなかったのだ。うん。
教経の政を改めてこの目で確認出来た、本当に良い日だった。