〜亞莎 Side〜

「これより軍議を始めます」

司会役の稟様がそう宣言し、平家の軍議が始まる。
平家の皆さんと真名を交換した私達に対して、教経様はこのまま滞在して群議に参加していくように、と仰った。平家の軍議がどのようなものであるか興味があったようで、蓮華様は二つ返事でそれを了承し群議に参加している。

「先ず諸侯の状況について、それぞれ説明をします。
先ず最初は袁紹殿について。……詠、説明をお願いします」
「分かったわ。
……袁紹についてだけど、公孫賛を滅ぼして後顧の憂いを無くし、南下の兆しを見せているわ。ただ、今年も教経の指示通り糧食を買い漁ってやったからその糧食は決して潤沢とは言えないわね。更に今年からは鉄や塩、馬の買い占めも行っているから軍備を整える事にも影響が出てくるはずよ。
あと、南下しようにもその後背を烏丸と鮮卑が狙っているようで、国境に兵を集結させているわ。その為、思い切って南下することが出来ない状況になっているわね。
それからこれは家中の話だけど、雪蓮達に国を追われた袁術と張勲が袁紹の家臣として仕える事になったみたいよ。それと、諸葛亮と仲の良かったホウ統が出奔したらしいわ」
「へぇ。そいつは重畳」
「教経殿?」
「ホウ統ってのは、鳳の雛と言われる程の軍師だ。軍才なら諸葛亮を超える。そう言われている人間なんだよ。……詠、ホウ統がどこに行ったか分からないか。もし寄る辺がないようなら、平家に迎えたいンだが」
「……可愛い女の子だから?」
「……逢ったこともないのに可愛いかどうかなんて分からないだろうが」
「ふん、どうだか……残念ながら、ホウ統の行方は不明よ。ただ、最期に確認されたのは合肥だったらしいから、揚州にいるかもね」
「そうか……詠」
「分かってるわよ。一応捜索させるわ。……ったく、どうしてボクはコイツに……」
「済まんな、詠」

平家は変わっています。主君にああいう口を利く事が許されていて、教経様もそれを当たり前のこととして受け入れています。臣従した雪蓮様や蓮華様に呼び捨てにされることを問題視しない人なので不思議ではないですが。これも教経様の器量というものだと思います。

「で、詠。袁紹軍が領内の兵を尽くして攻めてきた場合、最大でどの程度の兵力があると思う?無理をしてかき集めたら、という想定で答えて欲しい」
「無理をしてかき集めたら、ね。補給とかは無視して良いのね?」
「あぁ」
「……30万乃至35万程度かな」
「……とんでもない数だな」
「でもこれ位の動員力はあると思うわよ?何せこの国で最も口数が多いであろう地域を押さえているし、幽州、冀州、青州、徐州の4州を支配下に置いているんだから」
「やっかいなことだな」
「だが、我らとて負けておりますまい。主」
「無理をすれば、な。だが無理は禁物だぜ?星。どうしても仕方がない時以外は民に負担を掛けるつもりはない」
「分かっておりますとも」
「袁紹の状況については、こんな所ね」
「そうですか。では、次に参りましょう。……風、お願いします」
「風からは曹操さんの状況を説明させて頂きます。
現在曹操さんはエン州、司隷州、并州を領有しています。袁紹さんが公孫賛さんと争っている時に司隷州、并州を攻略して版図を広げたのです。その為、袁紹さんが南下する際に最初に標的とするのは風達ではなく曹操さんだと思います。まぁ、油断は禁物なのですが。
曹操さんの方でもそれは理解出来ているようで、現在募兵と練兵に明け暮れているようです。また、個別に新皇帝の劉虞さんに接触しているようで、何やら画策していると思われるのです。烏丸と鮮卑に金穀を遣わして袁紹さんの後背を扼しているのは曹操さんです。その事から考えて、新皇帝に対する働きかけは風達に対して何らかの策を施す為のものであると思われます。
領内の統治については流石と思わせるもので、付け入る隙が中々ありません。時間が経てば経つほど勢力としての地力が増すことは間違いないのです」
「風。風は華琳の策がなんであるか、予想出来るかね?」
「申し訳ないのですが、分からないのですよ」
「まぁ、策を巡らせようとしている、ということが分かっただけ良しとしようか」
「はい〜」
「で、華琳の所の最大兵数はどの程度だと思う?」
「今すぐ動員出来る数、という話なら6万が精々だと思うのです。今領有している領土が落ち着きを見せ、統治が上手く行ったという仮定の下であれば、12万程度になるのではないかと思うのですよ。袁紹さんの時と同じように無理をするという前提なら20万程度は可能かと」
「やはりエン州と司隷州を押さえているのが大きいか。并州だと4万が精々だろうしな」
「その通りなのです。曹操さんの状況に関しては、以上なのです」
「では、最期に私からその他の諸侯の動向について、気になっていることを説明します。
まず青州の孔融殿ですが、袁紹殿に従うのを止めようとしておられます。が、明確にその意志を表示すれば、公孫賛殿同様攻め滅ぼされることは確実でしょう。難しい舵取りをすることになると思います」
「……稟、孔融様はどうなると思いますか?」
「……はっきり言えば敗亡する事になると思います。諸葛亮殿は既に孔融殿の動きを察知しているようで青州を完全に袁家の支配下に置く為に軍旅を催そうとされています。
また、徐州の陶謙は公孫賛殿に呼応する形で袁紹殿を圧迫しようとしていたようですが、冀州に沮授殿が兵を以て備えて居た為にそれが敵いませんでした。一時的とはいえ敵対的行為を取ろうとしたことを諸葛亮殿は問題視しているようで、袁家に対する忠義を示させる為に孔融殿の討伐を命令しているようです」
「……そうですか……」
「琴、孔融殿については成り行きを見守ることしかできないと思います」
「……分かって居ます。母上が長安に来られていることだけで満足すべきなのでしょうね」
「琴、恐らくだが孔融を殺しはしないだろうよ」
「何故でしょうか、お屋形様」
「孔融は孔子の子孫だろうが。領地を確保する為に攻めることは仕方がないと世人に思って貰えるかも知れんが、殺したとなると仕方がないとは思わんだろうよ。まぁ、孔融が反乱でも起こせば別だろうがな」
「そう願います、本当に」
「……他で気になるのは、荊州の劉表です。最近頻りに練兵を行っており、軍事行動を起こすのは間違いないでしょう」
「稟、練兵することは別に不思議ではないと思うが」
「頻度が増えているのですよ。事なかれ主義の劉表が突然練兵を繰り返す。おかしいとは思いませんか?愛紗」
「ふむ……確かに、きな臭いな」
「ええ。狙いは分かりませんが、私達平家を相手に軍事行動を起こそうとしているのではないかと思います」
「その根拠はなんだい?稟」
「荊州は今まで周辺諸侯と何とか折り合いを付けて戦乱らしい戦乱を経験することなく此処までやってきました。そのこれまでの実績から考えて、私達以外の勢力とは戈を交える必要はないはずです。先ず交渉し、それが決裂してから剣を取る。そういう流れになるはずです。が、今回周辺諸侯に対して何らかの通達や交渉を行った形跡はありません。であれば、今まで交流の無かった周辺諸侯に対していきなり剣を用いようと画策しているのでしょう。周辺諸侯で今まで交流がなかったのは、私達だけですから」
「成る程、私達に喧嘩を吹っ掛けてくる、という訳だ。……阿呆だねぇ、劉景升は」
「私もそう思いますが、隣人が器量に優れていないことは歓迎すべきでしょう。既に一人、時代の寵児とも言うべき人が居るのですから。これ以上は御免被りたいものです」
「稟の言う通りだろうよ。華琳の他にもう一人、有能な人間を敵対する隣人として抱えるのはゾッとしないからな」
「はい。それから、益州の劉璋ですが、先の教経殿の益州侵攻で嫌気がさしているようです」
「嫌気?」
「はい。攻め滅ぼされるくらいなら何処かで富豪宜しく隠居したい。そう考えているようですね」
「……どうやってそんなことを知るんだね?」
「それは色々、としか申し上げられませんね、ここでは」
「じゃぁ、後でゆっくり聞くさ、稟」
「……はい」

稟様は嬉しそうに微笑んでいるけど、どうしたのでしょうか。

「……以上が、現状私達が把握して居る周辺諸侯の状況です。これに対し、私達平家がこれから先どう立ち回るかについて教経殿の存念を承りたいと思います」

皆が教経様を見る。よく見えないけれど、教経様は笑っているような感じだ。

「前々から言っている通り、俺たちはこれから力を蓄える為に内政に励むことになる。梓潼郡、巴西郡、新城郡、南郷郡、南陽郡、そして京兆府。ここに兵を籠めておいてそこから内側で安定した治世を現出し国力を高める。戦に巻き込まれない地域を創り出すことで、そこを目指して逃げてくる人間も増えるだろう。そうやって人口増加と経済力の向上を目指す。
同時に異民族の懐柔を行い、純粋な国力以外の力も得ようと思う。彼らの有している力は大きい。束ねることが出来れば更に大きな力にすることが出来るだろう。匈奴と鮮卑、烏丸については月に任せてある。月なら信頼を得られるだろう」
「成る程。元々接触があった訳ですから適材適所と言えるでしょうね」
「そういうことだ。その他は俺自身が対応する」
「教経様御自身が、ですか?」
「そうだ。友好関係を結びたいなら、先ず誠意を見せるべきだろうからねぇ。だから俺自身がやる」
「畏まりました」
「それから領内の道の整備を大々的にやるぞ」
「と、言いますと?」
「これまで棒道とも言うべき直線的な道を作って来たがそれを繋いでより大きな道に拡張する」
「経ちゃん、それはちょっと拙いと思うで。そんな事したら攻め込まれた時一気に踏み込まれる」
「攻め込まれた時、棒道が布いてある所まで攻め込まれている時点で負けだと思うがね。稟や風、詠のように警戒してくれる有能な軍師やお前さん達のように優秀な家臣がいる。更に、俺が善政を布いている限り、そこに至るまでに必ず民達が一報を入れてくれることだろう。その双方を欠いた時、あっという間に滅亡することになるだけだ。却って好都合だとは思わんかね?有能で忠義の心に富んだ家臣を登用出来ず、民から疎まれるような家は滅んでしまうが良いンだからねぇ。
それなら、滅びやすい国にしてやっておいたほうが良いだろうよ。俺自身がそうならぬように気をつければ良いし、もし俺が平王朝を開き、子が出来て家を継いで行くなら尚更にだ。平家の頭領たるべき器量のない屑が、ただ平家の御曹司であるからといって俺の持つ権力を世襲するなど許さん。
この世でもっとも醜悪で卑劣なことはな、実力も才能もないくせに相続によって政治権力を手にすることだ。それにくらべれば、簒奪は一万倍もマシな行為だ。少なくとも、権力を手に入れるための努力はしているし、本来それが自分のものでないことも知っているのだからな。だから奪いやすいように用意してやっておくが良いのさ。滅びたくなければ有能な家臣を集めて善政を布け。それが出来ぬ奴に天下を統べる資格はない」

……教経様は、何という誇り高い人なのでしょうか。
人の上に立つに値しない人間が権力を持つことは、例えそれが御自身の子孫であっても許さない。簒奪させた方がマシだ、とは。有能な人間が世を治めた方が良いに決まっているが、それでも自分の子孫は可愛いものだと思う。それを、世の為に斬り捨てようというのだから。
横を見ると、蓮華様も穏様も思春様も明命も、じっと教経様を見つめている。強烈な自負心に打たれ、言葉もないようで。『覇者』の威厳とは、こういうものなのでしょうか。

「今のは俺の偽らざる本心だ。だから、問題無いんだよ、霞」
「……それならええんや、経ちゃん」

驚いている私達とは異なり、元より平家の将であった皆さんは頷いている人が大半だ。そうでない人は嬉しそうに微笑んでいるか、私達と同様にじっと教経様を見つめているようだ。

「政はそれくらいだ。後は、謀略だな」
「誰に何を仕掛けましょうか、教経殿」
「袁紹に対してだな。……風、幽州の民を煽動しろ。公孫賛はそれなりに善政を布いていたと聞く。その家風に染まった人間も多くいるだろう。不穏な雰囲気が立ち上る程度に煽動し、反乱に備える為に兵を割かざるを得ない状況を現出してくれ」
「分かったのです」
「教経殿、曹操殿は放っておくのでしょうか?」
「いンや。稟、エン州と司隷州で糧食を買い集めてくれ。少々値が張っても構わん」
「成る程。そちらで嫌がらせをしようという訳ですね」
「そうだ。奴さんとて俺に策謀を仕掛けてきているんだろうからねぇ」
「ボクには何もない訳?」
「あるぜ?袁家の家中で文官共が権勢を競い合っているらしいじゃないか」
「……分かったわ」
「……分かるかね?」
「ええ……ホント、アンタって良い性格してるわよね」
「まぁな。……狙いは、分かってるよな?」
「ええ……諸葛亮、田豊、沮授、でしょ?」
「ま、そういうことだな」
「やり方はボクに任せて貰うわよ?」
「あぁ。信頼してるよ、詠」
「……ふん」
「教経様。軍は動かさない、ということで宜しいのですね?」
「あぁ、それで構わん。が、いつでも動けるように準備だけはしておいてくれ」
「はっ」
「差し当たって、こんな所だろう。何か他に良いことを思いついたなら、俺に直接言って来てくれ。課題がある場合も同様だ。皆、頼むぞ」
「御意」

軍議は終了しました。
広間を立ち去る教経様に、稟様が付き従って共に下がります。

雪蓮様も素晴らしい主君だと思いますが、教経様も素晴らしいお方です。雪蓮様が従おうと思ったのも良く理解出来ました。

……ただ、まだお顔がよく分からないのですが。
眼鏡を変えないと、駄目かも知れません。

今度、眼鏡を買いに行こう。
軍議に出て、教経様の器量に圧倒されて、出した結論が眼鏡を買うというのはちょっと変かも知れないですけど。兎に角、眼鏡を買いに行きます。一度、きちんと拝見したいですから、ね。