〜蓮華 Side〜

「……この度は態々時間を割いて頂き有り難う御座います。私は姓は孫、名は権、字は仲謀と申します」
「遠くから御苦労様。俺が平教経だ」

孫家が漸く袁術の支配から独立した。
袁術の旧領の殆どと呉郡を手中に収め、これから揚州全域をその支配下に収めようというまさにその時に、平家に臣従する事になっていた。姉様と冥琳が実際に平教経に逢ってそう決めたようだ。

姉様と冥琳が二人揃ってそうすると言っている以上、その決定は絶対だ。これまで姉様の勘と冥琳の知謀が同じ結論を出す時、その決定に誤りはなかった。だから今回も誤りではないのだろうと頭では理解出来る。

平教経とその一党。
黄巾賊を寡兵を以て廃滅させ、反董卓連合に敗れたとはいえほぼ互角に渡り合った。姉様に言わせると予定通りの撤退であって実情は反董卓連合の完敗だったらしいけど。いずれにせよ、独立したばかりの私達では歯が立たない相手だったことには違いない。
だた……一戦もせず降るなんて。私達以上に力があるとしても、戦いもせずに降るなんてどうかしていると思う。姉様は言い出すと聞かない人だし、何より遠く離れていた為に諫めることは出来なかったが。

「で、俺に何を訊きたいんだね?」
「……はっ」
「遠慮無しに、思っていることをそのまま訊くと良い。訊かずにわだかまりを抱えているより、暴言を吐こうと罵ろうと最終的に納得出来た方が良いンだからねぇ」
「では……なぜ揚州から引き上げるように命令したのですか?十分に保持出来ると思うのですが」

私の質問に、思春が頷いている。姓は甘、名は寧、字を興覇。私に仕えてくれている、信頼の置ける武人だ。今回随行しているのは、思春、穏、亞莎、明命。祭は、態々面語する必要はない、と随行してこなかった。その器量の程は分かって居るつもりじゃ、と言って。

独立戦が一段落した後、揚州から南陽郡へ移動するように、という連絡を受けた。
折角手に入れた揚州を手放す様な真似をすることに納得が行かなかった。もし他勢力に攻め込まれ、敵わないと判断したらば降伏して構わない、と言ってやった上で移動してこいと言っているのだ。
私達は孫家の旧領を回復することを悲願としてこれまで耐えてきたのではなかったのか。そう姉様に問い詰めたが、姉様の答えは変わらなかった。『兎に角、移動して来なさい。教経がそう言っている以上、それに従うべき立場にあるのよ、私達は』。そう手紙が来ただけだった。

「……雪蓮、お前さん、本当に何も説明してないのかよ……よくそれで従うな……」
「存念を承りたいのですが」
「……俺たちはまだ体力のない子供のようなものだ。確かに手足はあるが、思いのままに動かせるほど成長している訳じゃ無い。足目掛けて食器が落ちてきてもそれを己の手で払うことは叶わない。まだそれだけの力が備わっていないンだからねぇ。もし足に痛手を負うことを避けようとするなら、足をその手で保護出来るように体に力を入れ続け、いつでもその手で払えるようにずっと緊張しているか、足を安全な場所に退避させるしかないとは思わんかね?」
「そこまで無力ではないと思いますが」
「そうかね?兵力を各地に分散している状況で呉郡に袁紹の馬鹿が10万の大軍で寄せてきたら、援軍が到着する前にやられちまう事になると思うンだが、そうは思わないかね?」
「実際にそうなっていないではありませんか」
「それは結果論に過ぎんよ。雪蓮が俺に従ったあの時点では北と南のどちらに寄せるか、予想は出来なかった。幸いにも定石通り北から攻略して後顧の憂いを無くすことを優先したようだが、戦に勝てるのなら揚州にいきなり攻め込むのは上策だ。俺たちを奔命に疲れさせることが出来る。常時軍を展開していないと成らない状況に追い込むことが出来るんだよ。
あの時は司隷州はまだ袁紹が領有していた。その袁紹軍に備える為に、どうしても函谷関に兵を籠める必要があった。それも、余裕を持たせてな。その上で呉郡を始めとする揚州も確保するとなると、10万から15万の軍勢を広く薄く配すか何箇所か拠点を定めてそこに重点的に兵を籠めておくことになる。容易に領土を分断されることが嫌だったこともあるが、一番嫌だったのはそれだけの軍勢を常時展開しておかなければならなくなる点だ。
それに暫く耐えられるだけの金穀は蓄えてあったが、蓄えがなければ絶対に叶わない程の物資を消費するだろう。物資だけでなく、精神的にもきつい。いずれ衰弱死することは間違いない。
それに民達に間違いなく不満が蓄積していくだろう。いつ戦になるか分からないという緊張感に耐え続けることが出来る程、人間は強くない。先ず心から荒み、いずれ行動に現れることになる。暴動なり反乱なりといった形でな。そういう状況を避ける為の決定だ」
「では、教経さんは袁紹軍が攻めてきた場合、一戦もせずに揚州を放棄するということですか〜?」
「そうだ。……お前さんは誰だね?」
「失礼しました〜。わたしは、姓は陸、名は遜、字を伯言。真名は穏と申します〜」
「……いきなり真名を預けるのかね」
「冥琳様が見込んでいる人ですから〜」
「……俺は、姓は平、名は教経。字も真名もない。好きに呼んでくれれば良い。先に全員に言っておく」
「わかりました〜。……一戦もせずに放棄する理由は何でしょうか〜」

穏は相変わらずのんびりとした口調だが、しっかりと器量を計ろうとしているようだ。

「さっきも言った通り、状況からして俺たちが揚州までの領土を確保することは難しい。余裕を持って領有する事が出来るのは汝南郡くらいまでだ。余程のことがない限り、それを保持し続けることは難しいのだよ。いずれ失うことになると分かって居るものに執着して、無駄に郎党共を死なせる訳にはいかないだろう。死なせるなら、それを納得して死んでいけるだけの理由ってのを呉れて遣りたい。それが人を死なせに行かせる俺が心掛けておくべき事だろうと思う。
……揚州を取り敢えず確保する為に死ぬことを納得させることは出来ない。いずれ失うことを覚悟しているのだから。そう判断したのさ。だから最初から無いものとして考えるのさ。敵わないと判断したら降伏しろと言っているのも、無駄死にさせたくないからだ」
「なるほど〜、よく分かりました〜」

付き従う者達を無駄死にさせたくない、か。
領地よりも付き従う者達の命の方が大切だ、ということらしい。
移動してくる際民達に与える糧食を準備していたことから考えても、民を慈しむ心は持っている。呉郡を始めとした揚州を放棄するような真似をしたのも、決して弱気や平家のみが良ければそれで良いという考えから来たのではなく、戦略的な視点から見て現実的ではないという判断をしたからということが分かった。

この話題については、これで十分だろう。














〜教経 Side〜

質問に答えると、孫権は何か考えているようだった。
まぁ、絶対に訊いてくると思っていたからねぇ。しっかりと考えておいたンだねぇ。

しかし、陸遜って。時代が違うだろうに。
それより何より、あの胸はどうなってンだ?でかすぎるだろう。だが、申し訳程度に乗っている眼鏡は……まぁ、アリか?アリかな……うん、アリだ。あの乳とセットなら許容しようじゃないか。俺は眼鏡愛好者の神だ!全ての眼鏡を受け入れてみせようじゃないか!

「教経様、私は姓は呂、名は蒙、字は子明。真名を亞莎と申します。質問、宜しいでしょうか……?」
「あぁ、構わんよ」

呂蒙、ね。大人しそうな娘だな。視線がきっついけど。
そりゃそうだろうねぇ。気に入らないには違いないンだから。
しかし片眼鏡とは。やるねぇ。俺はどんな眼鏡でも構わないで喰っちまうんだぜ?
……いい男になりそうだからこれ以上考えるのは止めとこう。

「人主として、そして一人の人間として、そのお心掛けを簡潔に表現して貰えないでしょうか」
「心掛けを簡潔に、かね?」
「はい。是非、伺ってみたいのです」

ふむ。そう考えている俺の目に、今日俺の護衛に当たっている琴が入ってくる。
……そういえば、『お屋形様ぁ!〜』『幸村ぁ〜!』のオッサンが良いこと言ってるな。

「……先ず人主としては、だ」
「はい」
「『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』、かな」
「……どういう意味でしょうか」
「どれだけ城を堅固にしても人の心が離れてしまったら世を治めることはできない。情けは人を繋ぎ止め結果として国を栄えさせるが、仇を増やせば国は滅びる。そういう意味さ」
「……では、人としては」
「『悪・即・斬』。これに尽きる」
「『悪・即・斬』……」
「そうだ。それがただ一つの正義だとは言わんがな」
「……成る程。有り難う御座いました」
「……あの、済みません。私は姓は周、名を泰、字を幼平。真名を明命と申します。教経様、教経様は類い希なる武勇をお持ちだと雪蓮様から伺っております。その、尋常でなく早く動けるとのことですが、どの程度のものなのでしょうか」

……背中に背負ってるのは、日本刀か?
格好からすると忍者っぽいな。早く動ける、ということは瞬動に興味津々だ、と。そういうことか。好奇心に溢れたつぶらな瞳をしている。純真なんだろうねぇ、きっと。期待に応えるのが名優ってモンだ。応えられる期待には応えようじゃないかね。

「ふむ……先に言っておく。絶対に動くなよ?」
「え?」

瞬動を行う。明命の目前まで顔を寄せ、直ぐに横から背後に回り込む。後ろに立ち、首筋に刀を突きつけて。

「!」
「わっ、はわっ」
「……この程度のものだ」
「す、凄いです!尊敬します!」

糞爺、良かったな。尊敬して貰えるそうだぜ?

「そうかね。そいつは重畳だ」
「はいっ!」

……素直な娘だな、この娘は。琴みたいだ。

「お屋形様、刀を突きつけるのはちょっと……」
「……まぁ、そういうモンだろ、こういうのは」
「はぁ……」

まぁ、一瞬孫権の後に控えている褌が反応しそうになっていたがね。先にああ言っておいて良かった。殺すつもりはないってことは分かるだろうからな。

「……もう、良いかね?まだ訊きたい事があるなら今訊いておいてくれ」
「……最期に、訊かせて貰えるでしょうか。貴方はこの乱世で、何を望んで戦うのです」

そう褌が言ってくる。

「俺は越えられぬ苦しみのない、皆が『平凡な人生』を送れる世の中を作りたい。俺が望むのはそれだけだ。その為に、必要なら戦う。非情にでもなってみせるさ」
「『平凡な人生』とは?」
「ありふれた日常に満ちあふれた人生だ。過分な幸福がない代わりに、耐えがたい苦難もない。これ程有り難いことはないだろう。非常な人生を送らざるを得ない民達に、平穏で平凡な人生を送らせてやりたい。今を生きる者の一人として、次代を担う餓鬼共にそんな世界を残してやりたい。そう思ってるンだよ」
「……成る程。私は、姓は甘、名は寧、字を興覇。真名を思春と申します、教経様」
「思春」

孫権が驚いた顔をして思春の顔を見ている。
驚かざるを得ないほど反感を持っていたのだろう。

「……他に、何かあるかね?」
「……私の真名は蓮華と申します、教経様」
「……雪蓮と同じで、呼び捨てで構わんよ、蓮華。孫呉の未来を担うのは蓮華。そう言っていたからな、雪蓮は。言葉遣いも、対等にしてくれて構わない」
「……ではそうさせて貰うわ、教経」
「それでいい。その方がらしいぜ?蓮華」
「と、兎に角、期待以上の答えは頂いた。後は貴方の思うその世の中を顕現させる為に微力を尽くさせて貰うことにするわ」

照れながら不良中年みたいな事を言うな、お前さんは。
『永遠成らざる平和の為に』、が抜けてるぜ?

「まぁ、これから宜しく頼むよ、皆」
「ええ」
「御意」

何とか、なったかな。
家中はこれで纏まりを見せるだろう。
これからどうするのか。皆を一度集めて話をする必要があるな。