〜教経 Side〜
荊州北部、そして益州北部を手中に収めたことで戦略目的を達成した俺たちは長安へ帰還した。
不在の間溜まった案件を処理し、新しい領地の経営をどうしていくのか、今後の戦略を那辺に定めて政を行うのか、その事を話し合おうと思っていたンだが。
溜まった案件を処理しようと本格的に政務をしようとしたその時に、宛に帰還した雪蓮から孫権を始めとした孫家の人間が面会を望んで居ると連絡を受けた。孫権達は俺が外征を行っている間に無事南陽郡に到着したらしい。
……雪蓮。お前さん、まさか孫家が平家に臣従するということについて、俺と直接話し合わせることで一人一人を説得する面倒を避けたんじゃないかね?
恐らく間違いないとは思うが、会いたくないなんて言う訳にも行かないだろう。のっけから俺の器量を疑われかねない。それに、孫権という人間には興味がある。耄碌するまでは魏を相手に臣従したり反抗したりして、孫呉の主体性を失わずに領地を保持した英傑だ。
雪蓮と話をした際に、雪蓮は妹が居るから揚州を確保出来るのではないか、と言ったのだ。袁紹のように、史実とかけ離れた馬鹿であるはずはない。その器量を自分の目で確かめてみたい。
面会を望んで居る人間に会うことを了承する旨雪蓮に連絡した。
都合が付けば、長安に来るだろう。今からその時が愉しみだ。
で、溜まった案件を処理しようと机に向かった訳だが。
「……風、何処で何をしているのかな?風は」
「お兄さんの執務室で、猫を観察しているのですよ」
「猫を観察ねぇ」
まぁ確かに、猫を観察している。置物でも泥棒猫でもない、普通の猫が俺の執務室の片隅で寝ている。そしてその猫と意思疎通を図るべくにゃ〜にゃ〜言いながら反応を確かめては何ぞぶつぶつ言っている。それは認めようじゃないか。
だがね、お前さん。四つん這いになってお尻をこっちに向けているのは良くないと思うんだよねぇ。先刻からチラチラチラチラと下着が見えそうになっていてだね。お兄さんは弘道お兄さんみたいに紳士じゃないのでくそみちお兄さんになってしまいますよ?……おっと、俺はノンケだ。喰っちまわないンだぜ?
「お兄さん。お兄さんは何処を見ているのですか?……お兄さんはいやらしいのです」
「……風、ワザと見せようとしているんじゃないのかね?」
「何を、ですか?」
「下着を、だねぇ」
「見たいなら見せて欲しいと言ってくれれば良いのです」
前々から分かっていることだが、風は色恋沙汰に関して肝心なところで自分の気持ちをはぐらかす娘だ。その事を理解出来ている俺から見て、風のこの態度が何を意味しているのかは分かっているつもりだ。
「……風、長い間離れていたから寂しかったのか?」
「別にそんなことはないのですよ」
そう言いつつも、少し嬉しそうな表情をした。まぁ、そんな気がするだけなンだがね。
周囲の人間は、風の表情からその感情を読み取ることが難しいらしい。確かにぼ〜っとしていたり寝ていたり突然電波を発信したりで、何を考えているのか分からないところはあるが、何となく分からないものかねぇ。
俺が風の感情に気付いたことが嬉しかったのだろう。そう思う。
構って欲しい癖に構ってくれと言わない。
女の意地ってのか?
俺にはよく分からないが、風には風で思うところがあっての態度だろう。
……全く、仕方がない娘だ。
「お、お兄さん、まだお昼なのです」
「分かってる」
「分かっているのに昼間から風に抱きついてくるなんて、お兄さんはとんだ性欲魔人なのです」
「性欲魔人でも何でも良いさ。兎に角、風をこうやって抱っこしたいと思ったンだよ」
「……仕方がないから抱っこされてあげるのです」
抱っこされてあげる、ね。
しっかり抱きついてきてるのは気のせいかねぇ?
「なぁ風。こうやって二人でゆっくりするのは久し振りだな」
「今気付いたのですか?全くお兄さんは女心というものが分かって居ないのです」
「……やっぱり寂しかったんだろ?」
「そんなことを言うのは詠ちゃんや翠ちゃんに任せておけば良いのですよ」
「素直じゃないねぇ、風は」
「風は素直なので……んん」
口答えしようとする風の口を塞いでやる。
最初は俺に為されるがままだったが、直ぐに自分から積極的に口を吸ってきた。
「んっ……ちゅ……んぅ……」
「……はぁ。……風?偶には素直になって欲しいな。風のこと、ちゃんと分かってるつもりだけど、それでも不安になるモンだぜ?一緒に居れなくて、寂しく思ってくれてたンじゃないのか?もしそうだったンなら、今日の政務を早めに切り上げて風と一緒に居ようと思うんだけどな?」
「……ちょっとだけ寂しかったのです。でも、本当にちょっとだけなのです」
……可愛いねぇ。
「そうか……じゃぁ、風と一緒に居ないとな?寂しい思いをさせたんだし、埋め合わせはしておかないとなぁ」
「お兄さん、頑張って早く政務を終わらせないと駄目なのですよ?」
「分かってるよ、風」
そう言うと、風は嬉しそうに笑って外に出て行った。
さて、早めに切り上げる為に一丁集中してやりますかね。
期待に応えるのが名優の条件だしねぇ。
風にとっての名優でありたいモンだ。主君としても、男としても、ね。
〜翠 Side〜
「知っていると思うが一応自己紹介しておこう。ばかばかしいとは思うが、こういうのは形式が必要だからな。俺は姓を平、名を教経。字も真名もない。好きに呼ぶと良い」
「姓は馬、名は岱。真名はたんぽぽだよ、ご主人様」
蒲公英が将としてご主人様に仕える為、涼州からやってきた。
久し振りに会った蒲公英はいつも通りだった。ご主人様にきちんと挨拶が出来るかどうか心配してたんだけど、どうやらあたしの心配が過ぎたようだ。少し言葉遣いがアレだとは思うけど。
「時間が経って落ち着いたかも知れんが、いきなり俺に臣従することになってたわけだし何か質問があれば答えるが。何かあるかね?」
「んっとね〜、ご主人様はどんな感じの女の子が好きなのかな〜って。お姉様とかどう?ご主人様」
「た、蒲公英!」
「翠、まぁそう怒ってやるなよ。そういうのが気になるお年頃なんだろうさ。
蒲公英、俺が好きな女性はどんな感じか?だったな。俺は特にこうでないと駄目だ、というこだわりはない。良い体しているから好きになる訳じゃ無いし、俺のいう事を聞くから好きになる訳でもない。その人だから好きになるンであってねぇ。だから、こういう感じの女が好きだ、とはっきり言えるような型はない。出来れば、眼鏡を……んんっ!
で、翠はどうか?という問いに関してだが……」
ご主人様はそう言いながら、あたしを見つめてくる。
頭の先から足の先まで、じっくりとなめ回すように見てくる。
……そんなに見られると恥ずかしいよ、ご主人様。
「可愛いと思う。最近女らしくなってたり、積極的になって来たりと多少変わってきてはいるけど、その変化込みで翠のことが好きだ」
そう言って、あたしの目を見て笑いかけてくる。
ご主人様……は、恥ずかしいからそんなこと言うなよ……でも嬉しいかも……
「……あれ?お姉様?いつもなら『★■※@▼∀っ!?』ってなるところなのに」
「からかってたのかよ」
「蒲公英、甘いねぇ。この娘はもうその程度じゃ動じなくなっちまったのさ。ご主人様と宜しく致してるんだからねぇ。ご主人様じゃないが、『士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし』、さ」
「……碧、お前さん、良いことを言ってやったって面してるがね、ちっと違う気がするンだよねぇ……」
「え〜!お姉様、ご主人様とそういう関係なの!?」
蒲公英が素っ頓狂な声を上げて驚いている。
あたしをからかおうと思ってたんだろうけど、想定外の事実だったみたいだ。……まあそうだろうな。あたしが逆の立場でも驚くと思う。こんな短期間にそういう関係になってる訳だから。
「蒲公英、私もそうだよ?」
「え〜!叔母様も!?」
「蒲公英、うるさい。ご主人様の前なんだからちょっと静かにしてろ」
「そんなの無理だよ〜。涼州にいる時のお姉様からじゃ想像出来ないじゃん。『あたしはあたしより弱い男になんか興味ないね』とか言ってた癖に」
「まぁ、そんな翠にも春が来たってことさね」
「……叔母様にも?」
「そうさねぇ。私も良いようにされちまってるからねぇ」
「……お姉様達ばっかりずるい!蒲公英もそういう事したいな〜」
「ななな何言ってるんだよ!たんぽぽにはまだ早いだろ!」
「え〜、だってたんぽぽ、もう子供産めるよ?」
「そういう問題じゃない!……お母様、は何となく不正解な気がするから、ご主人様!何とか言ってやってくれよ!」
「ここで俺!?」
「そうでないと収拾付かないだろ!?」
「マジかよ……」
「ねぇご主人様、良いでしょ〜?たんぽぽ、ご主人様にいろんな事してあげるよ?」
「駄目だ」
「え〜!どうして?たんぽぽがしたいって言ってるんだからすればいいのに」
「……あのな、そういうことは好き合ってる男女がするモンであって出遭って誘われてホイホイとするモンじゃないンだよ、蒲公英」
「……意外にしっかりしてるんだ〜」
「……意外にって言葉が引っかかるが、そういうモンだよ」
「ふ〜ん」
たんぽぽはニヤニヤ笑いながらそう言った。
……絶対に善からぬ事を考えている。
「じゃ、ご主人様?もっとたんぽぽのこと知ってね?たんぽぽもご主人様のこと一杯知るようにするから」
「……碧、この娘、一体どういうつもりなンだよ」
「まぁ、それだけアンタが興味を引く存在だってことさ。喜んでればいいじゃないか」
「……お前さんと同じで、肉食獣に目を付けられた気分だ」
「おや、ご主人様?食べられちまいたいのかい?」
「んなことぁ一言も言っちゃ居ないだろうが」
「そうかい?そう聞こえたんだけどねぇ」
「駄目だぞ!お母様!順番はちゃんと守らないと!」
「うるさい娘だねぇ。別に良いじゃないか。他に迷惑掛ける訳でも無し」
「あたしに迷惑が掛かるだろ!」
「アンタは私の娘なんだから我慢すればいいじゃないか」
「駄目だ!」
「……親娘で修羅場って凄いね、ご主人様。愛されてるんだ〜」
「……昼間っから盛り上がる二人もそれを見て楽しめるお前さんもどっかずれてるよ……馬一族ってのはどうなってるンだ……」
ご主人様が何か言っているようだけど、そんなことはどうでも良いんだ。
お母様。今日はあたしの番なんだ。絶対に譲らないからな。