〜雪蓮 Side〜
宕渠郡で教経達と合流して巴東郡へ雪崩れ込んだ。
大した抵抗もなく巴東郡を手中に収めたのは良かったのだけど、先の戦でちょっと問題が発生した。荊州攻略の際に最前線で戦いたかったのに、冥琳に言い含められていたらしい稟に悉く止められて欲求不満だったわたしは、その旨を教経に伝えて最前線で戦わせてくれるようにお願いした。
戦闘狂だの何だのと失礼なことを言っていたけど、教経がそれを認めてくれたことで最前線に出て行って自ら剣を振るうことが出来た。そこまでは良かったのだけど。
いつもの悪い癖が出た。欲求不満だったこともあり、とてもではないが抑えられそうにない。冥琳と抱き合って、この火照りを鎮めないと。
そう思い、冥琳を捜して本陣を訪れた私の目に、暢気に歩いている教経の姿が飛び込んできた。
……教経で、抑えが利く。
教経ならこの体の火照りを鎮めることが出来ると感じる。
今何処にいるか分からない冥琳を闇雲に探し続けるより、教経を捕まえて教経に鎮めて貰おう。それが良い。
そう思って一直線に教経に向かっていったわたしに横からぶつかってくる影があった。
払いのけようとして、それが冥琳であることに気が付いた。
「雪蓮、落ち着け」
「……冥琳、悪いけどちょっと退けてくれる?わたし、教経に鎮めて貰おうと思うのよ」
「……駄目だ、雪蓮。それは、認められない」
……冥琳、今、貴女、なんて言ったの?
「もう一度言って貰えるかしら」
「何度でも言うぞ、雪蓮。駄目だ。私は認めることは出来ない」
繰り返した冥琳の顔をじっと見つめる。
冥琳は大真面目だ。冗談で言っている訳ではないらしい。
冥琳がこんな顔をして駄目だと言っているのだから、絶対に退かないだろう。
「……まぁいいわ、冥琳。いつも通り付き合って貰えるかしら」
「分かっている。雪蓮の陣屋に行こう」
そう答えた冥琳の腕を掴んで、私の陣屋へ急いだ。
……冥琳、私の邪魔をした理由、落ち着いたらきっちり話して貰うわよ?
「で、冥琳。一体どうして邪魔したの?嫉妬でもしたの?教経に」
落ち着いてから、冥琳の真意を問い糾すべく質問する。
「そんなことはない」
そんなことはないって顔してないわよ?冥琳。
「冥琳、正直に言って貰わないと、困るんだけどな〜。そんなにわたしが教経と寝るのが嫌だったの?」
「……」
いつもなら、『フッ……そうだな』とか言って流すのに。
どうにも歯切れが悪い。
「ねぇ冥琳、どうしたのよ?孫家に御遣いの血を入れる良い機会だと思ったのに」
「雪蓮。教経とそういう関係になるなら、きちんと手順を踏んで貰いたい」
そう言って、真正面からわたしを見据えてくる。
……冥琳、貴女ひょっとして。
「……籠絡するつもりが、籠絡された、ということ?冥琳」
「……そのようだ。認めない訳にはいかないだろう」
「驚いたわ。一体いつの間に?まさか、一目惚れというやつ?」
「それこそまさかだ。私はお前から教経に抱かれて子を為せと言われた時、自分からは動かぬと決めていたのだぞ?」
「じゃ、どうしてそこまで惚れちゃってるのよ。ただ単に好いているって感じじゃないわよ?冥琳」
そう言った私に、冥琳が話をしてくれた。
……実は、冥琳は不治の病に冒されていたという事。
長安を訪れた際、教経がそれを見抜いて医者を捜してくれたこと。
冥琳が居ない将来など思い描けない、と熱烈な求愛の言葉を贈られたこと。
必死になって捜し当てた医者によって、病が治ったこと。
そのことを、本当に喜んでくれていたこと。
それらのことを、嬉しそうに話してくれた。本当に、嬉しそうに。
……ちょっと妬けるわね。
「『私と』教経が寝るのが嫌なんじゃなくて『教経が』私と寝るのが嫌だなんて。冥琳がこんなに可愛らしくなるなんてね〜」
「べ、別に嫌だという訳ではないぞ。ただ、好いても居ないのに体の火照りを鎮める為だけに教経を利用しようというのが気に入らなかっただけだ」
あらあら。冥琳、貴女本格的に恋する乙女じゃない。
「へぇ〜」
「……なんだ、そのニヤけた面は」
「べっつに〜。冥琳って意外に乙女なのね〜」
「悪かったな、どうせ私には似合わないよ」
「拗ねちゃって。可愛いんだ〜、冥琳」
「と、兎に角。好いても居ないのに教経に言い寄るのは止めろ、雪蓮」
「ん〜。好きかも知れないな〜とは思ってるのよ?」
「一目惚れか?」
「違うわよ。でも、教経なら火照りを鎮めることが出来るって思ったのよ、わたし。冥琳、知ってるでしょ?この癖、誰でも良いって訳じゃ無いのよ」
そう。あの時、冥琳を捜していたわたしは、教経でもいい、と思ったのだ。通常ならあり得ない選択だ。でもわたしは教経が選択肢の一つであることを、当たり前のこととして受け入れていたのだ。
「……にしても、教経の気持ちというものがあるだろう」
「教経が好きな相手なら、仕方ないって受け入れる訳?」
「……受け入れるも何も、私はまだ教経とはそういう関係ではないよ、雪蓮」
「そうなりたいとは思ってるわけだ、冥琳は」
「生まれて初めて好きになった男だ。そうなりたいと思うのが当たり前だと思うがな」
「何で好きになった訳?」
「さて、な。平家の主だから好きになった訳でも無いしな」
「要するに、教経だから好き、という訳ね。でも冥琳、結構手強いと思うわよ?」
稟の教経への傾倒ぶりは、それはもう凄いものだったんだから。
その事を話すと、冥琳は笑った。
「雪蓮。教経が稟だけを相手にしているなら、確かに手強いだろう。だが、教経には情人が幾人もいる。星もそうだし、琴もどうやら想いを遂げたらしいしな。教経は自分が憎からず思っている相手から寄せられる好意を受け取らないという選択が出来ない人間らしい。私にも十分に入り込む余地がある。そう思っているがな」
「……やる気満々じゃない」
「それはそうだ。戦に勝つ事に喜びを感じるのが軍師の性(さが)というものだ。それが例え恋戦であろうと負けるつもりは毛頭無い」
「ま、良いわよ。私も冥琳が言うところの手順を踏んでさっさと襲っちゃおっと」
「雪蓮!」
「手順を踏むって言ったでしょ?それなら文句ないわよね?」
自分の気持ちは、ある程度分かったのよね。少なくとも、あの時に相手として選ぶ程に想っていることは分かった。要するに、そういうことなんでしょう。後ははっきりさせるだけよね。
「……手順とは、何だと思っているのだ、雪蓮」
「好きだってはっきりわかったら、それを本人に宣言するだけじゃないの?後は襲えばいいんでしょ?」
「……襲うことが前提の時点で間違っているとは思わないのか……」
「ま、大丈夫よ。わたしだって無理に襲おうとは思っていないもの。冥琳が教経の子供、産みそうだしね」
「ふん……まぁ、そうなれば良いがな」
冥琳を骨抜きにしてくれちゃって、本当に憎らしいんだから。
……でも覚悟はしておいてね?わたし、結構我が儘なのよね。もしどうしても欲しいって思ったら絶対に手に入れるんだから。
〜雛里 Side〜
今私達は長沙郡にいる。
水鏡先生に、誇りに思える主を連れて荊州へ帰って来たことを手紙で知らせた。
その水鏡先生から、白蓮様を主と決めて仕える事にした私に祝いをやろう、と長沙の有力者に宛てた紹介状を頂いた。水鏡先生の紹介状を持ってきた人自身も、水鏡先生の紹介状を持っていた。
珍しい風貌をしている。整った顔立ちをしているが、眉毛が白い。
「お初にお目にかかります。私は姓は馬、名は良、字は季常と申します」
噂には聞いたことがある。『馬氏の五常』。優秀な姉妹で、その中でも四女の季常が最も優秀である、と。『馬氏の五常、白眉最も良し』。その馬良が、この人なのか。
「こちらこそお初にお目に掛かる。私は姓は公孫、名は賛、字を伯珪という。幽州で敗れ、家臣を死なせ、家臣のお陰で生き長らえた敗軍の将だ」
「……そう御自身を卑下されたものでもありますまい。貴女の名声は荊州でも日に日に高まっておりますよ。『義侠の人』としてね」
少し皮肉っぽい言い方をした。
この人は、白蓮様が何故皇帝即位に反対したのか、その理由をはっきり知っているに違いない。野にあってそれを知ることが出来るだけの才覚がある、というのは尋常ではない。
「……私は世間が思っているような人間ではないよ、馬良。私は、新皇帝となった劉虞にこの身を玩弄されたくないが故に抵抗した、というのが本当のところなんだ。そんなご大層な人間じゃないよ」
「そうはっきりと勘違いだと仰ることは中々出来ぬものでしてな。それが高い名声を得た人間であれば尚更に。……どうやら、ホウ統殿の目に誤りはないようですね」
馬良さんは白蓮様の器量の程を計っているようだ。
水鏡先生からの紹介状にも、馬良さんが白蓮様に仕えたいと思っているとは書いていなかった。唯一言、『好々』とだけ書いてあったのだ。……先生は相変わらずだった。
「だが、その我意を通して家臣の殆どを死なせることになった。皆、私が至らぬせいだ」
「死んでいった家臣の数は、家臣をしてその命擲ってまで従おうと思わせるだけの器量をお持ちであることの証ではありませんか」
「……そんな証明、して貰いたくなかったよ。生きていて欲しかった。どんな形でも良い、生きていて欲しかったよ」
そう言いながら、腰に下げた二振りの剣を眺めていらっしゃった。
「失礼ながら公孫賛殿。貴女はこれから何を望んで生きてゆかれるのです?死んでいった者達に引き摺られ、過去を見て生きてゆかれるのですかな?」
「過去を引き摺るつもりはないが、過去を忘れるつもりもない。私は彼らのお陰で今こうして生きている。彼らの望みはただ一つ、私が『公孫賛』としての生を全うすることだけだった。私は、彼らの為に私自身としてこの乱世を生ききってみせる。私の器量を精一杯に使ってな。
それが、それだけが、私が彼らにしてやれることだ。いつか私が死んで彼らに見(まみ)えることがあった時、彼らに恥じることがないような生を全うすること。そうあることが出来るように生きていくつもりだ」
「何を目的として生きて行かれます?」
「生きていく上で誰かの命を犠牲にしてしか生きていく事が出来ぬような、このやりきれない世の中を正す為に。正して人が皆手を取り合って、その命を犠牲として求められるようなことがない世の中を創り出す為に。
その為に私は生きていこうと思う。その為であれば、道半ばで斃れたとしても悔いはない。胸を張って皆に逢いに行ける」
馬良さんは、目を閉じて薄く笑っているようだ。
「……公孫賛殿。是非お仕えさせて頂きたい。私にもその手伝いをさせて頂きたいものです」
「……私の真名は白蓮だよ、馬良」
「私の真名は珂瑛<カエイ>と申します、白蓮様」
「『白い瑪瑙の玉』、か」
「こういう眉ですから」
「良いじゃないか。名は体を表すものだよ、珂瑛」
「私の真名は、雛里です。宜しくお願いします」
「私の真名は珂瑛です。こちらこそ宜しくお願いしますね、雛里」
「はい、珂瑛」
「早速だけど、この紹介状を持って臨湘に行けば良いのか?」
「そのつもりで先生は紹介状を珂瑛に持たせたのだと思いますが」
「臨湘と言えば、黄忠という武将がおります。武芸も人柄も一流と言って差し支えないと存じますが」
「そうか。助力して貰えぬかな」
「白蓮様、その為に先生は紹介状をくれたのだと思います」
「そうか、そうだな。では、逢いに行ってみようか」
「はい」
これからきっと人が集まり始める。珂瑛のように、白蓮様の理想を慕って。
白蓮様は、その胸に抱いている理想を貫き通すだろう。
決して他人の手をいきなり払ったりすることなく、手を差し出して共に行こうと言うだろう。
こう有れかしと思える主君が欲しかった。
そして私は、そういう主君を戴く事が出来たのではないか。
白馬に揺られている白蓮様の背中を見ながら、そう思っていた。