〜教経 Side〜

長安を発ってから既に二月が経過している。
梓潼郡の攻略にそれなりに時間が掛かったが今のところ順調と言って良いだろう。

今は宕渠郡を攻略中だ。
益州は豪族が力を有している。奴さん達は劉璋という御輿をそれ程積極的には担いでいないようだ。勿論、風達が行った流言や調略に拠るところも大きいンだろうが、地方分権的な色合いが強いからこそそういった策が大きな効果をもたらす事が出来るンだろう。要するに、劉璋は連合君主と言った存在で、確固たる地位を確立している訳ではないってことだ。張任にしてからが死ぬまで戦おうとはしなかったのだから。三国志的に考えれば、主君の為に死ぬまで戦うと思ってたンだけどねぇ。どうやら勝手が違うらしい。

「主、何を考えておられるのですか?」
「益州ってのは纏まっているようで纏まっていないンだなぁと思ってたンだよ」
「確かにそうですな。張任のように徹底的に抗戦する者がいる一方で、容易く我らに従うと言った者が多くおりますからな」

梓潼では張任を策によって誘い出し、散々に打ち破ってやった。
だが、攻勢を掛けてきた時は大した事がなかったのに、守勢に回った時の粘り強さには見るべき所があったと思う。張任は、防戦に向いているのだろう。あんまりにも時間が掛かっていたから自ら前線に出て行こうとしたが、冥琳に止められた。
このまま戦っても負けることは分かっているはずだ。早い内に撤退をした方が良いに決まっている。そして、撤退する為の道は開けてある。だが、それでも兵を減らしながら此処に留まっているには理由があるだろう。攻勢にある際に多くの弓を射掛けてきていたが、現状その弓兵の姿が見えない。お前を誘い出して射殺そうとする策かも知れないだろう?だから、前線に出ては駄目だ。お前を、その、死なせる訳にはいかないのだ。

そう言いながら、眼鏡をツイと押し上げた。頬を染めながら。
……萌えたねぇ。知的美人が眼鏡を掛けていて、黒髪ロングが眼鏡を掛けていて、エロい体した女が眼鏡を掛けていて……
『眼鏡』こそ至上!『眼鏡』こそ最強!体の部位を超えた純粋なフェチそれが『眼鏡』だ!!『眼鏡』の為に120%の力が出せる……それが俺の強さ……
んんっ……兎に角言う事を聞いて大人しくしていると、冥琳が『揚羽蝶』の旗だけを前線に向かわせた。すると、一斉に弓を斉射してきたのだ。『揚羽蝶』の旗はハリネズミの様になってしまっていた。それを掲げていた奴らは鉄盾を掲げていたから無事だったが、もし何の用意もせずに前線に赴いていたら、大怪我をしたかも知れない。致命傷を負うことはないと思うが、あれだけの矢を全て躱すことは出来なかっただろう。

流石は、周公瑾だ。冥琳のお陰で危険を避けることが出来た。
そう思って礼を言うと、『べ、別にお前の為という訳ではない。皆に主君を失わせる訳にはいかんだろう』と言って、顔をふいっと背けた。顔が朱に染まっていたが。ツンデレとはやるな!
それから直ぐに張任は撤退していった。狙いは、冥琳の言う通り俺の命だったんだろうねぇ。
……しかし、俺はいつの間に冥琳にフラグを立てたンだ?身に覚えがないンだがね。

「主、女子の事を考えておられませぬかな?」

鋭いねぇ星は。まぁ、俺と一番つきあいが長いからなぁ。

「んなこたぁない」
「……頬を染めた冥琳は可愛いものでしたなぁ」
「だねぇ。俺も可愛いと思うンだよねぇ。こう、グッと来るものがあるねぇ」
「……お屋形様、全部漏れてますよ……」

しまった!これは孔明の罠だ!もとい、星の罠だ!

「か、可愛いなどと……」

げぇ!冥琳!

「いけませぬなぁ主。冥琳を妄想で汚すとは」
「お屋形様、私では妄想して下さらないのですか……?」

星ェ……許さないんだってばよ?
……琴、妄想のネタになりたいとか言う女の子を俺は初めて見る気がするンだぜ?

「教経、その、私が可愛いというのは……ほ、本当か?いや、別に気にはしていないが、少しだけ興味があるというか……今まで綺麗だと言われたことはあっても可愛いなどと言われたことは無くてな……だから気になっているだけだ……そう、そうなんだ」

……冥琳、気にしてないって言ったのに最終的に気になっているって言ってるぞ、お前さん。

「お屋形様?」
「教経?」
「主?」
「だぁ〜!お前ら迫ってくるな!
琴、お前さんで既に何度か妄想してるから迫ってくるな!
冥琳、お前さんは綺麗かもしれんが、俺は可愛いと思うぞ?
星、覚えてろよこの野郎!」
「お、お屋形様……」
「か、可愛い……」
「ククッ、主、男冥利に尽きますなぁ?」

……何やら口走ってはいけないことを口走った気がする。特に、琴に対して。
糞!覚えてろよ!戦略的撤退だよこの野郎!
マッカーサー、言葉を拝借するぜ?アイルビーバック!……なんか違う気がするンだねぇ……まぁ、いい。

スピードワゴンはクールに去るぜ?












〜稟 Side〜

「郭嘉様、孟達が城に火を放った模様です」
「そうですか。被害が拡大しないように城に近い家屋を壊しておいて下さい。孟達を逃がさぬように、引き続き警戒しておく様に雪蓮と霞に伝えて下さい」
「はっ」

漸く孟達を下し、魏興郡を攻略した。当初の20,000では少しきつかったかも知れない。

新城郡を攻略している最中に、テイ族達が次々に私達に合流してきた。テイ族の族長から命を受けて参戦しに来たのだという。当初の構想では、敵が籠城した場合に内応して貰ったり、流言が広まるように協力して貰う程度の助力を依頼していたはずだ。

どういう事かと訊いてみると、教経殿の約定についての考え方が彼らの考え方と似ているからなのだそうだ。それだけでは漠然としすぎていて分からなかったが、重ねて訊いてみて分かった。教経殿は協力の代償として与えると言っていた恩賞を、事前に全て与えたらしかった。信頼していることを示すのにこれ程良いやり方はないだろう。誠意を示して見せた教経殿に、彼らも誠意を見せようという話になったのだろう。

彼らが兵として加わってくれたお陰で、殊の外攻略が楽になった。数で言えば10,000も兵が増えた。そして何より、山岳での彼らの機動力は脅威的なものだった。山から山へ移動して暮らしている彼らにとってこの辺りの山は庭のようなものであるらしく、彼らが山間を移動して敵の後背を突いたことで容易く勝利を手に入れる事が出来た。全てが順調に行く時は、こんなものなのだろう。天の時、地の利、人の和。その全てが揃っている状況で負けることはあり得ない。それを現出して見せた教経殿は、やはり非凡な人であるだろう。

「稟、これからどうするんや?」
「教経殿に合流します」
「巴東に侵攻するんと違うんか?」
「いいえ。宕渠郡で合流しようと思います。その上で、巴東郡を攻略しようかと」
「ねぇ、稟。わたし達、結構時間を費やしてると思うんだけど」
「冥琳と連絡は取り合っています。あちらも梓潼郡攻略に時間を費やしたそうです。周辺の状況を考えると、これ以上時間を浪費する訳にはいきません。合流し、圧倒的な兵力を持って一気に侵攻した方が良いと思いますから」
「ま、稟がそう言うなら間違いないんやろな。ウチは稟に従うで」
「私は戦が出来るなら何でも良いわよ」
「はぁ……雪蓮、危ない真似をさせるな、と冥琳から丁寧にお願いされているのです。自重して下さい」
「冥琳が居ないから好き勝手出来ると思ってたのに……お陰で欲求不満よ?」
「宕渠郡で教経殿と合流した後なら、いくらでも暴れて構いませんよ」
「……冥琳が居るじゃない」

そう言って拗ねたような態度を取る。
これで君主だったのだ。少し意外だけど、愛嬌があり何となく許せてしまう。彼女も、教経殿とは異なるながら勢力の主として十分な器量を有していると思う。

只、軍師泣かせだ。
今回孟達を早く下せたのはテイ族の協力が有ったことも大きいが、孟達が準備していた罠や計略を悉く看破出来たことも大きい。それは大体が雪蓮の勘によるものだ。
『ちょっと気持ちが悪いからあっちから行きましょう』とか『孟達が素直に従うなんてあり得ないと思うのよねぇ〜。だからいきなり斬りつけてやろうと思うのだけど』とか。
結果として、罠を回避し、一度は従うと使者を寄越した孟達に馬脚を表させた。ご丁寧に、教経殿を歓待する名目で毒殺しようとしていたことまで独白させて。

……軍師が必要なのだろうか、雪蓮に。冥琳がこめかみを押さえながら、納得いかなくても雪蓮の勘には従った方が良いと言っていた理由がよく分かった。本当に、頭が痛くなるでしょうね。

「まぁ、いいわ。教経も居るんだし、退屈することはなさそうだしね」

愉しそうに笑いながらそう言う。

「なんや雪蓮。自分も経ちゃんに墜とされた口かいな」

霞、何を言っているのですか。
止めさせようとは思うが、実は興味があったりします。そのまま続けて下さい。

「別に墜とされては居ないわよ?ただ、興味があるのよねぇ〜。教経ってわたしと同じような理想を掲げている訳だし。わたしが純粋に器量で敵わないと感じた初めての人間で、しかも男なんだから。興味が沸くでしょ?生い立ちとか、今までのこととか、知りたいと思うじゃない」
「……それを墜とされるっちゅうねん」
「そんなこと言ったら、霞、貴女こそそうじゃない。教経と仕合ったこととか反董卓連合の時の話とか朔の真名の話とか、愉しそうに話してたわよ?『経ちゃんは強かったで』とか『ホンマ、人の心をよう分かっとる男やで』とか」
「う、ウチは別にそういうつもりやあらへん」
「じゃ、どういうつもりなのかしら」

……はぁ。また、好敵手が増えそうだ。

「二人とも、その辺りで止めておきましょう。まだ、戦は終わっていないのですよ?」
「またまたそんなこと言って。一刻も早く教経に逢いたいっていうのが本心じゃないの?」
「そうや。稟は最近経ちゃんにぞっこんやからなぁ。寝ても覚めても経ちゃん経ちゃん言うとるんやし」
「な、何か問題が在りますか?」
「……おぉ〜、認めるとは思わんかったで。ま、それだけ経ちゃんも愛されとるってことやろうな」
「……冥琳、これは結構大変かも知れないわよ……」
「兎に角、戦後処理が一段落したら進発しますよ?」
「へいへい。了解や」
「分かったわよ」

雪蓮がぼそぼそ言っていたことが気になる。
……教経殿、まさかとは思いますが、冥琳の眼鏡に夢中になっていたりはしませんよね?

急いで合流しなくては。