〜白蓮 Side〜

「殿、右翼左翼共に敵の圧力が強く身動きが取れません!下手に動かせば戦線が崩壊しますぞ!」
「分かっている!白馬義従を出すぞ!遠目から騎射によって援護して攪乱してやれ!」
「御意!」
「攪乱に成功したら兵を再編して劉虞に差し向けるぞ!」
「はっ!」

麗羽達を相手に二度目の会戦が始まった。
こちらは50,000強、あちらは70,000。地の利はこちらにあるし、今回も大丈夫だろう。そう思っていた。だが、その考えは甘かった。劉虞が、あの愚物が代から態々兵を率いてやってきたのだ。その数20,000。烏丸の中でも特に悪質な略奪行為を行う部族を従えて突入してきた。

当初予測していた陣では、対応出来ない。
その為に兵を再編していくらか振り分けようとした丁度その時機に袁紹軍が全面攻勢を掛けてきたのだ。戦線を支える為に、兵の再編などしていられる状況ではなくなってしまった。

安全な場所などこの戦場にはない。本陣と雖も、例外ではないのだ。
私自らが剣を振るわなければならない状況にはなっていないが、そう遠い未来のことではないはずだ。

「殿、敵がやって参りましたぞ!」
「かっかっか。腕が鳴りますのぅ!」

関靖と田楷。
私が生まれてからずっと私の面倒を見てくれていた老臣だ。
二人とも、個人の武勇はそれ程でもないはずだ。私に稽古を付けてくれていた田楷は兎も角、関靖はそれ程でもないという程度ですらないかもしれない。もう、歳なのだから。

「二人とも、無理をするな。もう歳なのだから」
「なんの。まだまだ小僧共には遅れは取りませぬわい」
「よう言うた。その通りじゃ。我ら老いたるとは言え戦人よ。心ゆくまで暴れ回ってやろうぞ!」

その声に、本陣の兵が気勢を上げる。
二人が配下の兵を従えて前線に飛び出していく。配下の兵はいずれも壮年から老境に差し掛かろうとする者達で構成されており膂力や速度は落ちるが、経験に裏打ちされた技と冷静さで次々に敵を屠っていく。
……自ら志願して再び戦場に出てくるだけのことはある。

「そら!小僧共!この儂を討ち取ってみせんか!」
「危なかろうが、阿呆!突出しすぎじゃ!歳を取っても馬鹿は馬鹿のままか!」
「なにを!貴様こそ後から小僧が迫っておるのに気が付いておらぬではないか!」
「貴様ほど耄碌しておらんわ!」
「何じゃと!この頭でっかちの糞爺めが!」
「頭の中がすっからかんの貴様より遙かにマシじゃわい!」
「テメェ!ぶっ殺してやるぞ!」
「やってみせろ!口調だけ若い頃に戻したところで今はひからびた只の爺じゃろうが!」
「テメェも同じだろうが!」
「儂は貴様より三月遅く生まれておるわ!儂の方が若いわい!」
「口が減らない糞爺め!」
「儂が糞爺なら貴様などとうに棺桶に入っておる死体じゃろうが!」
「なんじゃと〜!」

……いつものことだが、仲がよいのか悪いのか全く分からない。だが、あれで居てお互いの死角に入っている敵を次々に屠っている。自分で死角を確認することはしていない。信頼しているのだ、あれは。そう思いたい。

二人の率いている部隊のおかげか、何とか戦線は維持出来たようだ。本陣に寄せてきた敵は、一旦後退している。それから暫く前線で様子を見ていたようだが、再度攻め掛かってこない事を確認してから二人が帰ってくる。

「二人とも、良くやってくれた。これで暫くは持つだろう」
「殿、些か腑に落ちませぬぞ」
「?何がだ?」
「奴ら、何が何でも突破しようという気概が見えませなんだ」
「それは儂も感じた。儂ら二人は確かにそれなりの武勇があるが、それなりでしかない。本気で殺り合うつもりなら、もっと大勢で取り囲むか腕の立つ奴が出てきて直ぐに殺そうとするはずじゃて」
「何か、策があるかもしれないということか……」
「ですな」
「まぁ、策があっても咬み破ってやれば宜しい」
「兵力差を考えんか」
「なんじゃ、怖じ気づいたのか。それとも、漏らしたのかの」
「貴様ほどではないわい」
「なんじゃと!」
「漏らしておったろうが!」
「それは貴様じゃ!」
「いや、貴様じゃ!」
「いやいや、貴様じゃ!」
「もういい!止めろ!」

周囲の兵が笑っている。本陣に関しては、悲壮感など全くない。
これも二人の思惑通りなのだろうか。

「兎に角、警戒しておくとしよう。二人は一旦休んでくれ」
「「御意」」

白馬義従の攪乱により、右翼の自由が確保された。
此処と本陣から兵を引き抜いて、劉虞に当てる。そのまま白馬義従を左翼にも先向けて、兵を再編して右翼と左翼に均等な厚みを持たせないといけない。再編が終われば、勝機はまだある。張燕が常山から更に増援を呼んでいるのだ。

……もし増援が間に合わず負けるにしても、只では負けないからな、麗羽。












〜朱里 Side〜

公孫賛が前線の兵を引き抜いて再編し、劉虞へ差し向けた。引き抜いた兵を補充する為に、本陣と左翼から兵を引き抜いて右翼へ回したようだ。
戦闘中に兵を引き抜いて再編するなんて芸当を出来るなんて、やはり公孫賛は有能だと思う。でも、本陣から兵を引き抜いたのは失敗だ。

「桃香様、公孫賛は劉虞様の方へ兵を割きました。これによって敵本陣の兵は開戦時の6割程度まで減少しております。今この時に本陣に対して突入すべきです」
「朱里ちゃん、誰が行けばいいと思う?」
「鈴々ちゃんと張コウさん、麹義さんが良いと思います」
「じゃぁ、麗羽ちゃんにお願いしてくるね」
「はい、お願いします」

今までの戦闘では、将が兵を率いて直截敵陣に乗り込んだりはしていなかった。だから、耐えられたのだ。それを兵の質も将の質も互角であると勘違いしているからこそ、兵を引き抜いたのだろう。でも、それが間違いであるという事を彼女は知ることになる。知った時が、彼女の最期になるだろうけど。

「報告致します!」
「なんでしょうか」
「ホウ統様が敵左翼の動きを封じる為に再度全面攻勢を掛けることを許可して頂きたいとのことです」

流石に雛里ちゃんは私が考えていることが分かっているようだ。

「許可します。また、左翼にも同様に再度全面攻勢を掛けることを伝達して下さい」
「畏まりました!」

劉虞様の兵など放っておけばよいものを。
あれは只の飾りに過ぎないのだから。皇帝自ら討伐に赴くということは、高祖皇帝や光武帝と同様の事績として後世に語り継がれるでありましょう、などと絆されてやってきただけで、戦場で自ら刀を振るえるような人間ではないと思う。覚悟が、足りないから。

兵数を見れば脅威だけど、虎の群れと雖もそれを率いているのが牛では何の脅威にもならない。戦場で、午睡を貪っているに過ぎないのだから。

「朱里ちゃん、麗羽ちゃんから伝言だよ。『やぁ〜っておしまいなさぁ〜い』だって」
「……分かりました。では、三将軍に伝えて下さい。敵陣を突破して下さい、と。但し、追撃はしてはなりません。易京に籠城するならそれで構わないのです。易京に篭もった際の攻略方法は既に考えてあります。今後のことを考えると、此処で多くの命を無駄に消費する訳にはいかないですから。追撃をした場合は死罪。そう伝えて下さい。軍師たる私の命に従えない将軍は必要有りません」
「わ、わかったよ、朱里ちゃん。必ずそう伝えるから」
「それと、三将軍には田豊さんと沮授さんに付いて貰います。二人が追撃を止めるように伝達をしたら、必ず従って下さい。二人の命は私の命と同様のものと考えて貰います」
「それも、伝えるね」
「はい、お願いします」

陣屋に控えている田豊さんと沮授さんを見る。

「……孔明殿、お任せ頂こう。必ず、企画に沿うように致します」
「……お願いします」

この二人は良くやってくれている。偶に私を気遣ってくれているが、そんなものは不要だ。
私は、桃香様の理想を実現するだけだ。その過程でどんな過酷な命令をすることになろうとも後悔しない。全てが終わるまで、私は立ち止まる訳にはいかないから。だから、皆には死んで貰う。要不要に関わらず、私が望む理想の世の中を顕現させる為に。













〜関靖 Side〜

「何じゃいあ奴らは。しつこすぎるぞい」
「どうやら本格的に殿の命を縮め参らせようとしておる様だの」
「ハッ、儂らがそれをさせると思うてか」
「……その通りじゃ!武勇も知略も大した役には立たぬが殿を守る為に命を投げ出すぐらいのことは出来るわい」
「元よりそのつもりよ。やはり戦は愉しいモンじゃのう」
「ふん。負け戦じゃと格別にの」
「そうとも!勝ち戦で暴れ回るなど、そんな無粋な真似は出来ぬからのぉ」
「そろそろ、前線が崩されるぞ?」
「腕が鳴るわい!」
「田楷よ」
「……皆まで言うな!分かっておるわい。儂の想いも貴様と同じじゃわ。生きたいだけ生きてきた。心残りはあるが、悔いはない。此処で見事死に花咲かせてくれようぞ」

戦になる前から、分かっておった。
これが、最期の戦じゃ。間違いなく、殿は、我らの殿は死ぬるじゃろう。我らと同じようにそれが耐えられなんだ、既に退役した戦の理を知った古兵共が開戦前に我らの元に集まってきおった。どうせ死ぬるなら、殿の盾になって死にたい。儂らは戦人じゃ、家族に囲まれて安穏として死んでいきとうない。戦場で、殿の目の前で華と散りたい。そういう、戦に魅入られた阿呆共じゃった。
戦で死にたいのも本心じゃろうが、それなら余所で士官すれば良いのじゃ。それを態々公孫家に再度仕官するなど、見え透いておる。貴様らも我らと同じで、殿が孫のように思えて仕方がないのじゃろうが。

これから、死戦となる。文字通りに、死ぬる為の戦じゃ。
田楷は先に逝く。儂は少し遅れて逝くことになっておる。
この攻勢を掛けられる前の事を思い出す。









「関靖、殿はどうされるおつもりか」
「易京に逃げても、死ぬるだけじゃと。皆と共に死ぬるつもりじゃそうじゃわい」
「……何とかならぬのか。殿だけでも何とか逃げることは出来ぬか」
「……難しかろうが、交渉しておる。劉備殿の所の、ホウ統殿に使者を送ってあるわい」
「ホ、ようやるわい」
「当たり前じゃ。何とか殿だけでも助けて貰いたいからの」
「じゃが、殿が生きておることが知れれば追っ手が掛かるぞい?」
「それは問題ないわい。儂の孫娘を身代わりにするわ」
「……関靖、お主」
「言うな田楷。我らの孫娘は殿一人で十分じゃろう。アレもそう言っておったわい」
「……あたら若い命をの……」
「……言うな、言うてくれるな……」
「申し上げます!」
「なんじゃい」
「袁紹軍のホウ統殿より密使が参っております」
「此処へ通せ」
「いえ、この書状を見て頂くように、と言って直ぐに立ち去られました」

成る程、秘密を知るものは少ない方が良いからの。

「田楷、共に見るとしようか」
「おうさ」
「何々?……共に逃げる、と言うておるの。ホウ統殿は袁家を抜けるのか」
「……なんぞあったのかの?」
「分からぬわい。じゃが、あの嬢は戦の天才じゃろう。黄巾共をぶちのめしてやった時の策の冴えはすんばらしいものがあったからの。あの嬢が逃げる、と言う以上それは成功する可能性が高いぞい」
「……信用出来るかの」
「田楷、賭けるしかないじゃろう。殿を何としても生かさねばならん。生きて公孫家を再興して貰わんとならんのじゃ。……まぁ、公孫家再興に関してはどうでも良いがの」
「相変わらず格好付けるだけ付けておいて締まらん事じゃわい」
「放っておけ」
「で、段取りは?」
「本陣に袁家の精兵が突入する予定じゃそうじゃ。その際に左翼側にあるあの森の中で待っているとあるの。ちなみにじゃが、本陣を破った後儂らが敗走したら、追撃はせぬらしい」
「森にの……。しかしまた阿呆な事じゃて。叩ける時に叩いておかねばとんだしっぺい返しを喰らうぞい?」
「儂もそう思うが、そう言う方針なのじゃそうじゃ。従わぬものは死罪。そう言っておるそうじゃ」
「まぁ、勝ちに乗じた追撃戦など面白うも無いからの」
「儂らと同じ思いで禁じた訳ではあるまいが、これで目処が立ったの」
「うむ。お主が此処で死ぬるのは止めじゃ。殿をあの嬢に引き渡して、お主の孫娘を奉じて易京に立て籠もるがよかろう」
「そうじゃな。それで公孫賛は一度死ぬることになる。嬢が何を考えておるにせよ、時間は稼げることじゃろうて」

田楷、儂が気付かぬと思うておるのか。
貴様、此処で死ぬるつもりではないか。
それを言おうと向き合うが、奴は只嗤いおった。

誰かが、此処で死なねばならぬ。そうでなければ、奉じて行く公孫賛が身代わりであることを見抜く奴が出てくるかも知れぬ。

「思えば貴様とは長いつきあいじゃったの」
「そうじゃの。我ら両名が先代から殿の面倒を見ろと言われてからずっとじゃ。腐れ縁じゃというのに、一向に腐り落ちぬ事よ」
「殿のおかげで、あぶれものじゃったわれらも随分人らしくなった気がするわい」
「まぁ、儂らは一匹狼を気取っておった只の偏屈じゃったからの」
「その腐れ縁がこれで漸く腐り落ちると思えば清々するわ」
「儂とて同じよ。……関靖、先に逝っておる。必ず策を為し果せたとの知らせを持ってこい」
「愉しみにしておれ、必ず、届けてやるわい。孫娘と一緒にな」
「それは楽しみじゃわい。孫娘に酌をさせながら一杯飲むとしようかの」
「今回だけは認めてやるわい」

そう言って、杯に酒を注いで渡してやる。

「本当なら殿から貰うのが良かろうがの、勘付かれても困るで。儂からで我慢せい」
「臭そうな酒じゃの……関靖、愉しかったぞい」

阿呆め、そのようなこと、言わずとも良いわ。
儂とて、愉しかった。貴様と共に殿を頂いて戦場を駆けたあの日々は、儂にとって掛け替えのない、色あせぬ青春なのじゃから。

「何を泣いておるのじゃ、戯けめ。戦人として戦場に臨むこの儂の門出を汚すまいぞ」
「貴様とて泣いておるではないか」
「泣いておらぬわ」
「いや、泣いておる」
「泣いておらぬ!」
「泣いて……まぁ、よいわ。最期まで貴様らしいことだわい」
「当たり前じゃ。死ぬるからと言って儂という人間の中身が変わる訳もない」

そう言って、田楷が酒を飲み干した。
これが、最期の口喧嘩じゃ。これが、貴様が飲む最期の酒じゃ。










「関靖、後は、皆うぬに任せるぞい」
「分かっておる」
「皆、儂と共に殿の為に死ねぃ!此処で戦人の死に花を咲かせ、洟垂れ共に戦の流儀を教えてやろうぞ!」
「「「「「「「おー!!!!!!!」」」」」」」

田楷、任せておけ。
殿は必ずこの儂が嬢の元へ届けてみせるからの。
先に逝って、良い桃の木でも捜しておけ。その下で、また酒盛りでもしようぞ。