〜愛紗 Side〜

秋の実りを収穫し、投機によって利殖を行った結果呉郡から雪蓮の妹が民達を吸収しながら南陽郡まで移動するだけの糧食が確保出来た、と稟が教経様に報告している。

「さて、これから忙しくなるぞ?分かっているだろうな、皆?」

教経様はそう言って皆を見渡す。
そう、これから忙しくなるのだ。

袁紹が公孫賛を討ち滅ぼす為に兵を差し向けた。
曹操が司隷州に侵攻し、恐らくその先の并州までも併呑しようとしている。
そんな中、教経様は軍を三分割し、益州北部と荊州北部を併呑しようと目論んでいる。前年、状況が許す限りにおいて軍旅を催すと宣言していらっしゃったが、その方針に変更はないようだ。

三分割した兵の内、一つは教経様が率いて益州北部へ遠征し、一つは雪蓮が率いて荊州北部へ遠征する。残りの一つは南郷郡に待機し、不測の事態に備える。南郷郡であれば京兆府へも近く、また南陽郡が危急の際も救援に駆けつけることが出来る。
また、月が董卓軍を率いて函谷関へ篭もることも決まっている。他でもない月自身がそれを望んだのだ。その月に朔と恋、ねねが従う。恋の武勇を証明しようと暴走する嫌いがあるねねも、朔が居ればまず大丈夫だろう。朔がああ変わってから、ねねは朔の言う事に逆らえないようだ。まあ、そうだろう。唯々月の為だけを思っている朔の言動を見せられると、己の至らなさばかりが目について思わず恥ずかしくなるだろうから。人に仕えるとはこういう事だ、という理想の在り方の一つを体現している。私でも学ぶところが多くある。恋に惚れ込んで仕えているねねにしてみれば、それこそ身につまされていることだろう。

だが、問題はそこではない。
教経様が一体誰を伴って征かれるのか。それが一番の問題だ。出来れば、私を伴って欲しい。

「主、忙しくなるのは分かっております。これから天下を統一しようという、その先駆けとなる戦を始めるのですからな。それで、どのような陣容で戦に向かうのです」
「まぁ待てよ、星。先ずは孫家と民達の移動について話をしよう。
雪蓮、孫権達に移動するように言ってくれ。要所要所に糧食を纏めてあるからそれを消費しながら移動させてくれ。後れを取ることはないと思うが、糧食を狙って賊共が襲ってくることも考えられる。俺たちが并州から雍州へ移動した時のように諸侯が動かないという保証もない。出来うる限り迅速にな」
「分かったわ。伝令を走らせておくから安心して。例え諸侯が動いてもあの辺りにいる有象無象に負けるような娘じゃないし、祭も付いているから任せてくれていいわ」
「あぁ、任せる。戦の陣容については、稟から説明してくれ」
「畏まりました。既に承知していることもあるでしょうが、改めて説明しておきます。
……先ず平家の兵を三分割します。第一軍として兵40,000。教経殿がこれを率います。軍師は冥琳。益州北部の攻略を目的とします。第二軍として兵20,000。雪蓮がこれを率います。軍師は私。こちらは荊州北部の攻略を目的とします。第三軍として兵40,000。碧がこれを率います。軍師は詠。この軍は遊軍として他勢力からの侵攻に備えます。
また、風は長安から諜報と謀略の総指揮を執って下さい。統一された意思の下で行った方が効果が高いでしょう。以前教経様が仰っておられたように、テイ族への工作をお願い致します。仕込みは完了しており、約定が守られるなら協力しても良い、という返答を得ておりますので有効に活用して下さい。
第一軍は益州北部を西から東へ。第二軍は荊州北部を東から西へ攻略していき、合流するように動いて下さい。どちらかの侵攻が止まっても、もう一方が攻略していけば問題有りません」
「ねえ、質問があるんだけど良いかしら」
「なんですか、雪蓮」
「両方とも止められるってことはないの?」
「可能性としてはありますが、少ないと思います。平家は、軍師もそうですが将も優秀です。この国で最も充実している勢力は私達だと自信を持って言えます。油断はなりませんが、警戒する必要がない程度の人間しか居ません。それに時間が掛かっても問題無いありません。曹操殿に対しては碧が備えて居ますし、その背後に袁紹が居る以上碧と詠の予想を超える形で積極的に攻勢を掛けてくる可能性は低いでしょう」
「そう。それならいいのよ」

いつものことだが、稟の説明は理路整然としている。これで納得出来ない人間は居ないだろう、と思えるほどに。まぁ、件の袁紹などは理解出来そうにもないが。

「では、将の配置について話をします」
「稟、ちょっといいかい」
「なんでしょうか」
「私の姪っ子なんだが、呼び寄せても構わないかい?将として、それなりに有能だと思うんだよ、あれは。ご主人様の役に立つと思うんだけどねぇ」
「それは構いませんが、涼州の押さえをやっていたのでは?」
「押さえているのは私の子供がやっているさ。だから大丈夫だよ」
「それであれば問題無いと思いますが、教経殿、宜しいですか?」
「碧の良いようにしてくれればいいさ。俺に文句はないンだからねぇ」
「有り難うよ、ご主人様」
「……改めて、将の配置について話をします」
「ああ、済まなかったね、稟」
「いえ、構いません。教経様の為になることであれば」

最近、稟の教経様への傾倒ぶりが激しい。
教経様の為であれば、本当に何でもやるだろう。
その、夜の行為も相当に凄いことをしているのだから。口でなんて私にはとても……いや、でも負ける訳には……

「教経様に付き従う将は、星と琴。雪蓮に付き従う将は愛紗と霞。碧に付き従う将は、翠。あと、涼州から来る姪っ子も合流して早々ですが碧の下で将になって貰いましょう。これで、攻略を開始します」

……教経様と一緒ではないのか。一緒に征くことになった星を見る。心底嬉しそうだ。
羨ましい。そう思うが、稟が勝手に全てを決めた訳ではない。教経様もそれが良いと考えてこうしたに違いないのだから。そうであれば、私はその考えが正しいことを証明して差し上げるだけだ。

「教経様、出立はいつになるでしょうか」
「そうだねぇ。五日後にしようか」
「?準備にそのように時間が掛かるでしょうか?必要な物資も全て揃っており、後は兵を集結させるだけだと思うのですが」
「……愛紗、理由については後で私から説明してあげます」
「?分かった」
「ま、そういう訳で出立は五日後な。皆そのつもりで準備しておいてくれ」
「御意」

後で稟から理由を聞かされた。
四日後が、私の番だった。私と一緒に居てから、戦に征くと言っていたらしい。

『愛紗と一緒に征けないから、せめて愛紗と一緒に過ごしてから出征したい』

そう言っていたそうだ。
稟が、少し妬けますが、と言って微妙に機嫌が悪かった事から考えて、本当のことなのだろう。

……憎い人だ。
出立前日ですが、この想いはきちんと受け止めて貰いますからね、教経様。














〜星 Side〜

主と共に益州北部を攻略し始めて既に一月経とうとしている。
破竹の勢いで武都郡とムン山郡を既に攻略し、梓潼郡攻略に取りかかっているのだが、中々どうして敵もやるものだ。敵将は張任というらしい。強固な陣を構築し、我々を此処で食い止めんという構えだ。そして実際、此処でもう7日経っている。
何度か攻撃を仕掛けているがその悉くを跳ね返し、敵陣は未だ健在だ。

「さて、これで大体奴さんの質というものがわかったな、冥琳」
「フッ……策を用意しているようだが想像を越えるものではなかったしな」
「だねぇ。全面攻勢に備えて罠を用意しているのは良いが、巧妙に隠しすぎだな。素直な良い子だ。違う言い方をすれば阿呆しか相手にしたことがない可哀相な奴だ」
「まあそう言ってやるな、教経。想像出来ぬのだろう。自分を越える才を有する人間と今正に対峙しているということをな」
「えげつない罠を見えるようにして警戒させつつも、見せていること自体が策で何もないのではないかとか悩ませておいて、別の策を以て一気にやっちまうのが一番だろうに。思い付かんものかねぇ」
「頭が廻る奴と戦をしたことがないのだろう。精々思い知らせてやれば良い」
「そうだな」

どうやら二人にとってこの状況は想定通りに戦を行っているに過ぎないらしい。
主に関しては相変わらずだが、冥琳も優秀なようだな。

「……お屋形様、お屋形様は様子見をしていたのですか?」
「あぁ。だから無理しなくていいって言ってたろ?相手の力量を計らぬうちにいきなりぶつかっていくってのは危険だ。勿論、状況次第だがね」
「では主、力量を計り終わった今、どのように攻めようと思っておられるのですか?」
「おいおい、そういう時は先ず軍師様の意見を伺うのが一番じゃないかね?」

ふむ。冥琳に、か。詠が優秀だ、と言っていた程だからな。今わたしが実感しているより遙かに優秀だという事か。

「では冥琳、どうすべきだと思う」
「陣から引き摺り出す」
「……それが簡単に出来れば苦労はしない。相手はあの陣を以て死守しようとしているのだぞ?」
「一芝居打てば良かろう」
「芝居?」
「そうだ。果敢に攻め掛かって居る最中に、長安方面から伝令役が馬に乗ってやってくる。そしてその後本陣が旗を大きく振り、各隊が攻撃を止めて慌ただしく撤退をしていったら、張任はどう思うのだろうな」
「追撃の誘惑に耐えられなくなる、ということですか?」
「恐らくそうなるだろうと私は思っているがな。
張任は我々が様子見をしながら攻め掛かって居るとは思わずに防戦しているはずだ。それなりに危うい場面を現出しているのだからな。彼にしてみれば、中央で争乱を起こしている勢力はそれなりにやるが大した事がない、という認識を持つに至っているだろう。その認識を持たせるに十分な時間と実績を彼は経験しているのだ。経験から来る思考を否定することは出来ん。それが出来るのは、真の英雄と呼べる人間だけだ」
「……そいつは少しばかり違うだろうよ、冥琳。英雄と雖も自我から解放されることはあり得ない。人である限りにおいてはな。ただ、優秀な人間を登用することに長け、己の思いを前提とせずその進言に耳を傾け真贋を見抜く目をもつ人だけが道を過たずに過ごすことが出来るンだよ」
「フッ……流石は教経だな。私も言葉が不足していたようだ。
兎も角、張任は英雄足り得ぬ。英雄を相手にしているなら、これ程糧食に余裕を持って行軍することはあり得ないだろう。私でさえ、補給路を閉塞することを考える。それを行っていない時点で、張任は戦場のことしか見通すことが出来ぬ人間だろう。要するに、軍人の枠を出ることがない。軍人として考えれば、二度とこの地を侵そうと思えぬように強かに叩いてやろうと思うのではないか?星?」

ふむ……確かに、そういうものかも知れぬ。

「……確かにそうかも知れぬな」
「で有ればこそ、この策は成功する。そう思っているのだ、私はな」
「主、主も冥琳と同じですかな?」
「同じじゃないが、冥琳が正しいだろうよ。俺ぁ自分が一旦信頼した人間を疑うような真似はしないンだよ。冥琳の才には全幅の信頼を置いてる。その冥琳が言う事だ、正しいと思ったのなら従うのが俺のすべきことだろうよ。それが君臣の在り方というものだろうさ」

主がそう言うと、冥琳は少し頬を赤らめていた。
……主、いつの間に冥琳を……琴も琴で私に協力してくれと言ってきたし、これはどうやら国取りではなく嫁取りの為の遠征だったようだな……まあ、大いに結構なことだ。私が惚れている男の魅力がそれ程までに高いという事なのだからな。

ただな、二人とも。私が正夫人だからな?それは譲れんのだ。

「では、そのように動くべく準備を致しますかな」
「あぁ、そうしてくれ。琴も頼むぞ」
「はい、お屋形様」
「さっさと終わらせて先に進むとしますかな、主。我らはこのようなところで足止めされている訳にはいかないのですから」
「だねぇ。天下を手中に収めるンだ。張任如きに手間取る訳にはいかねぇンだよ」

そう言って不敵に嗤う。その主に皆頷いている。

「御意」

侮る訳ではないが、さっさと終わらせて貰おうか。
主を敵に回していること自体が大いなる不幸なのだ。それを実感して貰うとしよう。