〜白蓮 Side〜
北平に攻め寄せてきた麗羽達を、叩きのめして領外へ追いやった。
麗羽達は私が黒山賊の張燕と連携していることは掴んでいたようだが、張燕が兵を率いて北平まで出張ってきていることに気が付いて居なかったようだ。
とうとう始まったのだ。先のないことが分かっている戦が。
戦が始まる前、麗羽からの宣戦を告げる書状と共に桃香からも書状が来ていた。
『麗羽ちゃんを皇帝にして、皆が手を取り合って笑って暮らせる世の中を作り上げたいの。だから白蓮ちゃん、一時の屈辱を受けることになっても、協力して欲しいの』
皆が手を取り合って?私の手を一方的に払っているのは麗羽の方じゃないか。
一時の屈辱?劉虞の性奴として扱われるのが一時の屈辱だと?
……ふざけるんじゃない。昔から甘い奴だと思っていた。だが、同時にそんな桃香の在り方を好ましいものと感じても居た。けど、どうやらその甘さは他人に対してだけではなく自分についても同様だったみたいだ。私は、絶対に認めない。麗羽も、それを戴いて自力に拠らず理想を為そうとし、己の行いが己が理想と矛盾していることに全く気付かないでこんな事を言ってくる桃香も。
「殿。袁紹軍が再び国境を越えてきましたぞ」
「……そうか。率いている者は?」
「袁紹自らが兵を率いてやってきた模様です。総勢70,000。主立った武将を全て引き連れてきているようです。その中には劉備殿の姿もあったようです」
「余計なことだ」
「……殿、劉備殿の縁を頼りに袁紹殿に従うことは出来ませんかな」
「そして私は劉虞の性奴として一生を過ごすのか?そんなのは御免だ。そうなるくらいなら私は死んだ方がマシだ。従ってくれているお前達には本当に申し訳ないと思うけど、これだけは絶対に譲れないんだ」
「……わかりました、我々も覚悟を決めましょう。主君が腹を割ったら、後は家臣が命を賭けるだけです。最期まで殿の思う通りにやりなされ。公孫賛としての生を全うなさるが宜しいのです」
私の我が儘で、皆が死ぬ。
だが、これだけは、どうしても譲れないんだ。
済まない。本当に申し訳ない。皆、死にたく等無いだろうに。
「殿、何というお顔をなさっておられるのです。これから戦ですぞ?もっと不敵に、楽しそうに嗤うものです。それが戦人の心意気というものでありましょう」
目の前の老臣は笑っている。
思えば、私が物心ついてからずっとこうやって私を諭し支えてくれていた。
「死ぬことが怖くないのか?お前は」
「無論恐ろしゅう御座いますが、もっと怖いのは自分が自分でなくなることでしてな。ここで死にたくないからと逃げ出せば、その時点で私など生きるに値しないつまらない人間になってしまうのですよ。
男というものは誠度し難いものでしてな。下らぬ見栄や世間体というものに拘るものなのです。私には勇気など有りませぬが、男にとっての見栄や世間体は立派に勇気の代替となり得るのだ、ということをこの戦で殿に証明して見せましょうかな。
袁紹殿には精々思い知って貰うことに致しましょう。我らを力で屈服させることが如何に難しいのか、ということを、その身を以て」
そう言って、不敵に嗤った。
私は家臣に恵まれた。心からそう思える。彼らとなら共に死すとも悔いはない。
「ああ、そうしてやる。思い知らせてやるんだ」
「……それで宜しいのです」
麗羽。桃香。
お前達には思い知って貰う。
私達の覚悟の程を。
〜雛里 Side〜
「一体いつまでかかっているのです!さっさと白蓮さんを引き摺って来るのですわ!」
「麗羽ちゃん、そう苛々しないで。白蓮ちゃんも本当は戦いたくないに違いないよ。麗羽ちゃんの『華麗』さに気が付いて、きっと従ってくれるよ」
「……まぁ、桃香さんがそう言うなら、もう少しだけ我慢して差し上げますわ」
「流石、『華麗』な麗羽ちゃんだね」
「当たり前ですわ。お〜ほっほっほ。お〜ほっほっほ。もっと褒めても構わなくてよ」
桃香様は、いつの間にか袁紹さんから真名を預けられるような間柄になっていた。
その袁紹さんが公孫賛さんに宣戦を布告する使者を送った際、桃香様は降伏するように書状で説得したようだが公孫賛さんは肯んじなかった。こうなることは分かっていただろうに、従わなかったのだ。
『非道の君でもない今上陛下を廃して劉虞のような愚物を戴くなど出来るはずはない。どのような天下を描こうとも、愚物を戴いて描く天下が美しいものになるとは思えない。自分の矜持と民の為に、従う訳にはいかない』
そう返書があった。
それを聞いた袁紹さんは烈火の如く怒り、自身で兵を率いて公孫賛さんを討伐しに行こうとしたが朱里ちゃんがそれを止めた。先ずは、『華麗』でない者共を送り込んで様子を見てはどうだろうか、と。『華麗』でない者同士、気が合うだろうし実力を計るには丁度良いだろう、と。
それを聞いた袁紹さんは我が意を得たりとばかりに麹義さんと田豊さんに50,000の兵を率いさせて侵攻させた。進発前、朱里ちゃんが田豊さんを呼び出して出来るだけ被害を押さえて負けるように、と言っていたのを私は知っている。油断して敵地に乗り込むことがないように、初戦で負けておくつもりなのだ。そう言うと、田豊さんは頷いていた。
その思惑通り、40,000の兵を残して麹義さんと田豊さんが負けて帰って来た際、あらかじめ伝えられていた桃香様が二人を庇って袁紹さんを説得し、敗戦については不問とすることにした。そして、今度は油断無きように、と袁紹さんに念を押した上で侵攻を開始したのだ。
朱里ちゃんの描く戦には、外連味が全くない。想定外の事態を引き起こさない為に、万全の準備をしてから戦を行うからどうしても外連味のないものになるからだけど。このまま順調に行けば、幽州全土を袁家の支配下に置くことが出来る。そうなれば、南下して曹操さんを討ち滅ぼし、荊州と揚州を手中に収める。そこまで行けば平教経さんがどれ程優秀であろうとも袁家の勝ちは揺るがないだろう。そして袁家は天下を手中に収める。
そうなれば、朱里ちゃんは桃香様の理想をいかなる手段を使ってでも実現する。邪魔になると判断すれば袁紹さんや桃香様を謀殺してでもそれを成し遂げるだろう。そしてその後、朱里ちゃんは死ぬだろう。己の手を汚しすぎた朱里ちゃんが生きて余生を送ろうと考えるとは思えない。己の行いの報いを、己の手で己自身に与えるだろう。朱里ちゃんは、そういう人だから。
どうにかして、それだけは避けないと。
例え一時朱里ちゃんと袂を分かつことになってしまったとしても、絶対に朱里ちゃんにそんな辛くて哀しい人生を歩ませない。
私が、『鳳雛』と渾名される私の才能全てを、私の命を掛けてでも、何をしてでも絶対にそんなことはさせない。内向的に過ぎ、人と碌に話が出来なかった私に初めて出来たお友達。親友と言っても過言ではない程の、大切な人。
私が救い出してみせる。
朱里ちゃんが嵌り込んでいるその泥沼から。
それが、親友である私が朱里ちゃんにしてあげられることだと思うから。
〜華琳 Side〜
「華琳様。姉者が洛陽占拠に成功した模様です。凪、真桜、沙和も河内を占拠致しました」
「そう。これで残りは河東と并州だけね」
「はっ」
河南郡に侵攻し、支配下に置いた私に秋蘭がそう報告してくる。
皆、良くやってくれている。
凪。姓は楽、名を進、字を文謙。
真桜。姓は李、名を典、字を曼成。
沙和。姓は于、名を禁、字を文則。
三羽烏とでも言うべき三人。
三人寄れば文殊の知恵ではないが、集まれば本当にバランスの取れた軍になる。
期待通りの働きを見せてくれたようね。
麗羽は公孫賛討伐の為、司隷州と并州から兵を引き抜いて北平へ向かわせた。
冀州を侵されない限り危機感を抱かないだろうという私の予測は当たり、司隷州全域を押さえるのに後僅か、という所まで来ている。まあ、直ぐに河東を落としたという報告が来るでしょう。桂花の下には流々もいるのだし、河東を攻めるに懸念事項はなかったのだから。
流々。姓は典、名を韋、字はない。
武勇に優れ、季衣と互角に打ち合う膂力を持つ貴重な将だ。また、彼女の作る料理は、この私の舌を満足させてくれる。
その意味でも、彼女は貴重な存在だ。
「それで秋蘭。公孫賛と麗羽はどうなっているのかしら」
「はっ。一度50,000の兵で北平に侵攻致しましたが敢え無く撃退されたようです。その為、今度は70,000の兵を集め、再度侵攻する模様です」
「そう。こちらの状況が麗羽に伝わるまで、どの程度時間が掛かるかしら」
「……一月以内には伝わるでしょうが、公孫賛が早期に敗退することはあり得ぬと思いますので後背を突かれる懸念はないでしょう」
「あら、なぜかしら」
「張燕は賊の頭目ではありますが、袁紹軍はその張燕に散々煮え湯を飲まされております。袁紹が低能であることもありますが、張燕に見所があったからということもあるでしょう。その張燕に、これといった欠点のない公孫賛殿が合力して袁紹に当たっております。これを打ち破るのは少々骨かと」
そうでしょうね。そうなるように仕向けたのだから期待通りに時間を稼いでくれないと困るのよ。
「それにしても、弘農に侵攻した際に平家も侵攻してくる可能性が有ると思っていたのだけれど、どうやら出てこなかったようね、教経は」
「はい。平教経は軍を従えて漢中へ侵攻したようです。また、別働隊として孫策を帥将とした軍勢が荊州北部へ侵攻しております」
……羨ましいわね。
教経の下には、優秀な将と軍師がそれこそ綺羅星の如く集まっている。
馬騰、孫策、趙雲、関羽。軍師に、郭嘉、程c、賈駆。
兵数さえ揃えれば、2面作戦でも3面作戦でも可能でしょう。
「教経が漢中を押さえるのは間違いないわね」
「そう思います。率いる兵は平教経が40,000、孫策が20,000。軍師として、平教経に周瑜が。孫策には郭嘉が付いているようです」
「早速配下の将を混成して軍を編成するなんて、やるじゃない。手を焼くような相手は居ないでしょうし、互いの実力を認めることでより早く家中を一つに纏めようということね」
「そのようです。また、函谷関には董卓が入っており、我が軍に対して備えている模様です。軍師に陳宮が付いており、将として呂布と華雄が付き従っております」
「……董卓軍じゃない」
「……はい」
「懐が深いというか警戒心が足りないというか。まぁ、教経らしいけれど」
あの男のことだから、裏切られないという確信有ってのことでしょうけどね。
「……華琳様、どうやら河東も落ちたようです」
「そのようね」
伝令が走ってこちらに向かって来ている。
その表情の明るさからして、先ず間違いないでしょう。
「申し上げます!荀ケ様、典韋様、河東郡の攻略に成功致しました!」
「これで司隷州から袁紹軍を叩き出したことになりますね、華琳様」
「ええ。でも、まだ并州が残っているわ。気を抜かないで行きましょう、秋蘭」
「御意」
并州を併呑してまだ麗羽と公孫賛が争っているようなら、後背を突いてあげるわ、麗羽。公孫賛諸共に飲み込んであげる。この私がね。