〜稟 Side〜

袁術殿の旧領を平定した孫策殿達が長安にやってきた。
『平家に臣従しても良い』。
詠によれば、孫策殿はそう言ったらしい。詠の目から見て嘘を言っているようには見えなかったそうだが、私は自分の目で確認したい。その機会があるのだから。

孫策殿達を広間に迎えて、教経殿と孫策殿が話を始める。
私の目から見る孫策殿は、自由な人に見える。教経殿にもああいうところがあると思う。その後に控えている周瑜殿は、かなりの切れ者に見える。
実際、切れ者なのだろう。袁術殿の旧領を平定するに当たって彼女が果たした役割は非常に大きい。私が掴んだところでは煽動や離間、虚報を用いて戦力を分散させ、それらを次々に破っていったのだ。

「流石は孫策と周瑜だ。一月以内で平定するとはね」
「あら、それが出来ないと思っていたの?」
「俺が思っている通りの人間なら出来ると思っていたのさ。想像通りの器量があるようで何よりだ」
「そう。じゃ、わたし達が貴方に臣従し、天下統一の暁には揚州を任せて貰うっていう提案を受け入れて貰える訳ね?」
「まぁ、そう焦る事はないだろう」
「……どういう事?約束を違えると言うの?」
「……そういう事じゃない。お前さん、あれから家臣共にちゃんと相談したか?」
「してないわよ?」

……していないのか……

「そりゃ拙いだろう。お前さんの決定を不服とする人間は出てくると思うぜ?」
「不服があっても従うと思うわよ?わたしは孫家の血を保存するための最良の選択をしたと思っているもの。孫家の主としてね。」
「それ以上に良い案があるかを家臣達に事前に聞いておけば良いんじゃないのかね?ということさ。盟約を交わせば、覆す事は出来ないんだからねぇ」
「あはは、無理無理。現状で一番確率が高そうな案はこれなのよ。わたしの勘がそう言っているの。わたしの勘以上の策を考えつけるのは、此処にいる冥琳だけよ。その冥琳がそれで構わないと言っている訳。わたしと冥琳の意見が一致している状態で、それに反対するような人間は孫家には居ないのよ」
「ふむ……まぁ、そうなるとこれは孫家の問題ってことになるねぇ。俺はこれ以上は言わないさ。お前さんが良いように後でしっかり帳尻を合わせてくれればそれで構わないさ」
「そうして貰えると助かるわ。で、約束は守って貰うわよ?」
「まぁ、お前さんがそうまで乗り気な理由が全く分からんがね。俺に異存はない。俺の軍師様達も、異論はないそうだしな」

こちらを見てきた教経殿に頷いて賛同の意を示す。

「そ。なら早速盟いましょうか」

互いの血を啜り併せて、盟約を交わす。
盟約が為ったことを天帝に報告し、孫策殿達が平家に従うことになった。

「改めて自己紹介でもさせて貰うか。姓は平、名を教経。字も真名もない。好きに呼ぶと良い。別に敬語でなくても構わない」
「そ。じゃ、わたしは教経って呼ぶ事にするわ。
わたしは、姓は孫、名は策、字を伯符。真名は雪蓮よ」
「では私も教経、と。
私は、姓は周、名を瑜、字は公瑾。真名は冥琳だ」
「分かったよ、雪蓮、冥琳。これから宜しく頼む」
「こちらこそ、宜しくね、教経」
「宜しく頼む、教経」
「じゃぁ、早速だが、今後について話をしておきたい。雪蓮、先ず言っておくが、俺は揚州について完全に押さえることは出来ないかも知れないと考えている。今は、だがね」
「あら、どうして?私の妹の蓮華も居るし、祭や穏もいるわ。十分に確保出来ると思うのだけれど」
「お前さん達がどう考えているか分からんが、長安から遠すぎるんだよ。勿論、何事もなければ問題無いと思っているぜ?だが、例えば大馬鹿者、あぁ袁紹のことだが、アイツが10万以上の兵でいきなり寄せてきたら、救援に向かうのは難しい。今放棄しろとは言わないが、死守する必要性を認めない。そういうことだ」
「それは別に良いわ。最終的に孫家のものになるなら、文句は言わないわ」
「そう言ってくれると助かるね。死守するなら、多くの人間を死なせることになるだろうから」
「教経殿、少し聞きたいのですが宜しいでしょうか?」
「構わんよ、稟。聞いてくれ」
「では。教経殿、教経殿は平家が死守すべき領地として、どこから譲れないと考えていらっしゃるのでしょうか」
「極めて狭い範囲になるねぇ。現状では。京兆府、南陽郡。取り敢えず、此処は間違いなく死守しないとならンだろうねぇ。問題は、汝南郡から東及び南の郡だ。南陽郡までは軍を展開して大いに厚みのある兵の配置をすることが出来ると思うが、それより向こう側に兵を展開するとなると汝南にかなりの数の兵を籠めておく必要がある。現状平家の軍兵は120,000程度だ。それに孫策達を加えても160,000弱だ。京兆府に60,000おいたとして、残りが100,000。南陽郡と汝南郡が、孫策達が今領有している領土と繋がっておくのに必須となる郡だから、此処に40,000ずつおいたとして、残りが20,000になる。どうだね、どう考えても兵が足りないと思わんかね?
だから、汝南郡くらいまでが限界だろうと思っている。汝南郡まで領有したとして、予備兵力が20,000。南陽郡までなら、予備兵力が60,000になる。軍旅を催す際は、その余剰分の兵力を以てすることを基本方針として考えている俺としては、南陽郡までを確保して後は奪われるに任せたいのさ。孫策達を目の前にしてこういうことを言うのはどうかと思うがね。新しい家族に嘘を言っても始まらないから正直に言うんだが」

教経殿は、国取りを兵数の厚みによって為そうとされる。
兵の厚みがあれば、侵攻にしろ防衛にしろ楽になるから。そう仰っていた。
だからこそ、荊州と益州の一部を望んでいるのだと思うが。蓋を容易にすることが出来るということは、余剰兵力を多く確保出来るという事だから。

「ま、わたしは現時点で揚州を確保することには拘らないわ。さっきいった通りにね。でも、住民達を見捨てる事はしたくないのよ」
「漢王朝は既に死んだンだ。離民させたところで非難される謂われはない。馬鹿がそれを口実として攻めてくるかも知れないが、いずれ奴さん達とはやり合わなきゃならないンだ。時期が早くなるか遅くなるかの違いしかない。だから、お前さんを慕って居る人間をとっとと南陽郡なり南郷郡に移動させちまえよ。その為の糧食は用意するぜ?」
「膨大な糧食が必要になると思うが、本当にそれを確保出来るのか?」
「あぁ。今年もまた馬鹿に嫌がらせをしてやるつもりだからなぁ。稟、見込みだと、どの程度糧食に余剰が出来る?」
「今秋の収穫に現在孫策殿達が領有している郡のものも含めて考えると、投機のやり方にもよりますが先ず50万の民衆が3ヶ月移動する程度の糧食は確保出来るでしょう。現状抱えている余剰も含めると、70万〜80万程度は移動してこれると思います」
「……貴方達、本当に金穀に余剰があるわね」
「そりゃそうだ。先立つものが無ければ力を十二分に振るえないのだからな。そう思って、并州時代からせっせと利殖に励んで溜め込んできたんだからねぇ」
「それにしても、折角領有したものをあっさり手放そうとはな」
「不服か?周y……冥琳?」
「いや、不服はない。それを手放してしまおう、と簡単に言ってそれを実行しようとしているお前の器量に驚かされただけだ」

当然です。教経殿は先ず生き残るために最も可能性が高い選択肢を選択することに長けているお方ですから。

「そうかね。執着する人間は必ず何かを失うものだぜ?それが大したものでなければ良いがこの場合失うのは自分を含めた平家の人間の命だからねぇ。それらと領地を天秤に掛けた時、領地に固執するような人間じゃないんだよ、俺はな。あぁ、ついでに言っておくが、南郷郡と南陽郡はお前さん達に預けるからな?お前さん達が自由に治めてくれて構わない」
「最前線だな」
「そうだ。期待してるぜ?当然、攻め込まれたら直ぐに駆けつけるつもりだがね」
「まぁ、期待には応えてみせるわよ」
「じゃ、今後の平家の方針についてだ。俺たちは、この秋に軍旅を催すつもりで居るンだ。まぁ、状況次第ではあるがね」
「目的は?」
「荊州の一部と益州の一部を併呑する。新城郡と梓潼郡、巴西郡までだ」
「……成る程な。防衛するに容易くした上で、お前の言う余剰兵力を確保しよう、という訳だな」
「流石『美周嬢』は察しが早くて助かるねぇ。その通りだ。そうやって防衛に最低限の力を割きつつ、力を蓄えようと思っているンだよ。ついでに言うと、その時期に異民族の懐柔をやってしまおうと思っているンだ」
「主、懐柔して如何為されるのです?」
「星、彼らの勢力は侮れないぜ?俺が知る歴史では、五胡と呼ばれる五つの異民族はこの国を分割統治するだけの力を有しているんだからねぇ。その力を俺たちに貸すとは行かないまでも絶対に敵対しないようにさせたいのさ」

いつか教経殿が言っていた、五胡十六国時代のことだろう。
信じられないことだが、異民族に漢は蹂躙されてしまうらしい。教経殿がいう事だから正しいのだとは思うけど。それだけの力を有する異民族を、取り込んでしまおうというのだ。この人は何処まで先を見据えているのだろうか。

「信じられませぬが、主がそう言うならそうなのでしょうな。で、どう懐柔するのです」
「匈奴と鮮卑については、交易でまず繋がりを作ろうかと思っている。彼らが冬の間必要とする乾燥した秣を俺たちが用意する代わりに、家畜や馬を分けて貰えないかと話を持ちかけるのさ。勿論、真っ当な価格より少し安めにして彼らに利便を図る。胃袋を押さえるのが一番の攻略方だ。人間じゃなく家畜の胃袋だが、彼らの生活に不可欠な物資であることは間違いないからな。これで間違いなく悪感情を持たれることはないだろうよ。
羯については、并州牧時代に分け隔て無く接してきたつもりだ。公募した仕事に就く際の給金に差を付けたことはないし、街に住む際に場所を隔離したりしたことは一度もない。太原時代から平家の郎党として従ってくれている兵達の中には、多くの羯族の人間がいる。恐らく、現時点で悪感情は持たれていないと思う。彼らの生活が立ちゆくように、不足のものを真っ当な価格で提供してやるだけでこの関係は継続可能だろう。
テイについてはこれからの話になるが、漢中攻略戦で大いに役に立って貰うつもりだ。その上で、その働きに対して正当な報酬を支払う。俺に絶対の服従を誓わせるのではなく、飽くまで領地に住まう人間として、守って貰うべき最低限度の約束事を守ってくれ、と言ってやるつもりだ。差別は許さん。それを行う人間は見せしめとして必ず殺して晒し首にしてやる。俺が殺すと言った以上、そいつの死は絶対だ。
羌については、全く問題ない。碧と翠がいるからな。碧に言って、涼州には馬一族の人間を残してあるし、反董卓連合の際に使用したアレを集める際に尽力して貰ったりするような仲だ。心配するだけ無駄だろうさ。
まぁ、いずれの異民族に対しても、一個の人間としてきちんと扱ってやればいいのさ。立場の差は勿論あるが、人間として犯すべからざる尊厳というものを尊重したつきあい方をすればいいンだ。そうすればいつかきっと従ってくれるだろう。今まで人として扱われなかった人間達だ。それを人として扱う俺たちを好ましい存在と思いこそすれ疎ましいとは思わねぇだろう。危急の際救いを求めたら助けてくれる程度の関係にはなっておきたいものだねぇ」

そう語る教経殿を、孫策殿と周瑜殿はじっと見ていた。

「……貴方に従うという結論を出した自分を褒めてあげたいわ」
「……今回ばかりは、雪蓮の勘の鋭さに素直に感謝したいな。これを敵に回すなどあり得ない」
「ま、そういうわけだ。戦に調略に政に、力を貸して貰うことになる。宜しく頼む」

そう言って教経殿が頭を下げた。
二人はその教経殿の態度に驚いているようだが、これが教経殿の良いところだろう。決して強要はしない。その態度が、自分の意志で教経殿を助けようと思わせる。私を始めとして、皆そういう教経殿だからこそ従っていると思うから。

孫策殿達は、心底教経殿に従うようだ。
それが確認出来たことで、今後の策も構築しやすくなるだろう。

孫策殿と周瑜殿と、真名を交換しながらそう思った。