〜琴 Side〜

函谷関に到着した私達は、孫策軍が函谷関突破を目論んだ時後れを取らぬように準備に明け暮れていた。翠は、ぼんやりとしていたり急に頭を振ったりして少し様子がおかしかったけど。
反董卓連合の時にも思ったが、お屋形様は剛胆な人だ。やたら『眠い』と繰り返して、終いには何処かに行ってしまった。恐らく、だが、函谷関の一番高い場所で寝ているのではないか。水関防衛時、お屋形様は寝ていたわけで。仕方のない人だと思うが、それで良いのだろうとも思う。兵達が、そんなお屋形様を見て、今回も大丈夫だ等と言っているのを聞いた。意図して、ああしているのだと思う。

霞との合同訓練を終え、少し時間に余裕が出来たのでお屋形様を捜して函谷関の一番高い場所へ向かった。ちょっと、話がしたかったから。牙突をものにしてからは、お屋形様と話をする機会がそうなかったから。

関の上に出て、お屋形様を捜す。
……いた。一番上。お姿を確認出来ないが、足が見えている。あんなところで眠りこけて、落ちてしまったらどうするつもりなのだろうか。

兎に角、お屋形様の元へ移動した。
近寄っても全く気が付かないようだ。良く眠っている。しかし床が堅く、寝苦しいのか寝返りを打ったりしきりに頭を持ち上げて後頭部を掻いたり腕の上に頭を置き直したりしている。

……可愛い。

お屋形様の寝顔も、その仕草も、普段のお屋形様とは違って可愛らしい。愛嬌があるというか、なんというか。そんなものがあるかどうか分からないけど、母性をくすぐられるというか。
少し顔をしかめているのは、寝苦しさ故のものだろう。
お屋形様が心地よく眠れるように、膝枕をして差し上げる。無意識だからだろうが、私の太股に頬を擦りつけるような仕草をした後、そのままぴくりとも動かずに寝始めた。少し恥ずかしいが、周りには誰もいないのだし、気にする事もないだろう。

お屋形様を膝枕して、その髪の毛を撫で梳きながら、幸福感に包まれている自分を見出している。
……やっぱり私はお屋形様をお慕い申し上げているのだ。
お屋形様に手取り足取り牙突を教えて頂いた時の事を思い出す。
私は、ドギマギしていたのだ。お屋形様の息が私の耳に掛かったり、私の足や太股、二の腕を力強く掴んだり。たったそれだけの事で、私は緊張して身を固くしてしまった。お屋形様は、私の事を弟子か手の掛かる妹弟子くらいにしか思っていらっしゃらないかもしれない。そうでないと、あんなに大っぴらに私の体を触ったりしないだろう。それならそれで構わない。そう思っていた。

けど……駄目みたい。弟子や妹弟子では、満足出来そうにない。

「お屋形様、お屋形様は、私の事をどう思っていらっしゃるのでしょうか……私の事を、男として、女と意識して下さっているのでしょうか」

お屋形様は、眠っていて答えて下さらない。
少し意地悪がしたくなって膝を揺すってみると、お屋形様はうっすらと目を開けてこちらをじっと見つめてきた。

……寝惚けていらっしゃるのですね、お屋形様。

「お屋形様?私は、お屋形様の事を、一人の男性としてお慕い申し上げております」
「……ん……?」
「お屋形様は私の事を、女として好ましく思って下さっていらっしゃいますか?」

そう問いかけると、お屋形様は微笑んで頷いて下さった。

「……本当に、そうですか?」
「……ん……」

まだ寝惚けていらっしゃる様だが、何度か頷いている。
……本当にそうであれば。その、口づけするくらいは許して頂けるだろう。
お屋形様の周りには多くの女性が居るが、私はそれでも一向に構わない。
お屋形様と男女の仲の事として共に歩む事が出来るなら、お屋形様がお屋形様である限り、何があろうとも問題にはならないから。星達5人だけで、お屋形様の寵を受けるなんて、ずるい。私だって、お屋形様をお慕い申し上げているのだ。そこに、私も入り込みたい。

「んっ……」
「……んぅ……」

お屋形様に、口づけをする。それで離れようとしたが、お屋形様に舌を吸われていて……

「……ちゅ……はぁ」

口づけするだけしておいて、お屋形様がまた寝始める。
……手慣れているのですね、お屋形様は……私は、今日は眠れそうにありません……

「お屋形様、お目覚めになってもきっと覚えていらっしゃらないと思いますが……」

お覚悟を、して頂きますから。
この思いはきっと成就させて見せます。
太史子義の、私の女の意地に掛けて。

お屋形様を抱きしめてもう一度口づけをしながら、そう決意したのだった。

















〜詠 Side〜

孫策が軍を率いて南郷郡を平定して廻っている。
流石に南陽郡と並んで袁術がずっと支配してきた地域だけあって、恩を返そうと抵抗するだけの気骨ある臣下が多くいるようね。まぁ、易々と平定させないようにボクがそう仕向けたんだけど。

アイツが示した方針は『不戦』だった。ボクはまさかそう言うとは思っていなかったから、孫策軍を叩けるように南郷郡の豪族達に書状を送ってたのよね。
平家に臣従するならばその身上は保証してやろう。ただ、旧主に対する義理も尽くせぬような人間は平家には必要ない。先ず、義理を尽くして見せろ。そういう書状を。

その結果として、各地で孫策軍に対する抵抗運動が繰り広げられている。当然、義理を尽くして戦い敗れ、逃れてきた者達は平家に受け入れる。それが、信義を明らかにするという事だと思うから。
……孫策にはちょっと悪い事しちゃったかな。でも、まだ味方じゃない人間に手加減するなんてあり得ない。ボクは月の件で理解したのよ。油断は大敵だ、想定しうる最悪の状況は常に頭に思い描いておくべきだ、とね。だから、出来る事は全てさせて貰う。敵対する可能性が少しでもあるなら、それに対してその力を削ぐための策謀は行う。
ボクは月を天下人にする事は出来なかった。けど……コイツなら。コイツなら間違いなく天下を獲れると思う。コイツとコイツの理想の為に、そしてなによりボク自身の夢の為に、コイツに仕えることに決めたのだから。

「孫策達が南郷郡の平定を始めたわ」
「へぇ。ご苦労なこって」
「余裕綽々じゃない。南郷郡や南陽郡を取られて悔しい、とか思わない訳?」
「思わないねぇ。孫策が何処を本拠とするつもりなのかは知らないが、奴さんが押さえようとしている領地は横に広すぎる。領有する殆ど全ての郡が他勢力と接しているわけだ。兵を満遍なく配置すれば、その分兵力が薄くなる。領土を分断されて各個撃破されるのが落ちだ。と言って数カ所に集中させれば、やはり兵が薄い箇所から侵攻され、領土が分断される。それを毎度毎度取り返すために遠征を繰り返し、結果国力を著しく低下させる事になるだろう。
要するに、奴さん達は無理をしてるってことさ。大きく飛躍するために必要な事なんだろうが、少し欲張りすぎだな。孫策達が将来それを保持する事が叶うだけの器量を有しているとしても、それは飽くまで将来の事だ。今この現時点で獲得した領地を保持するだけの力がない。
うちを考えてみろ。結局核となるのは俺が居る長安なンだ。俺の目と手が届く範囲にしか敵が攻めてこないから、治世が安定しているわけだ。孫策が呉郡にいれば、南陽郡周辺は遠すぎる。逆に南陽郡に本拠を置けば、呉郡は遠すぎる。奔命に疲れさせられる事は間違いない。踊り疲れて衰弱死しなきゃいいがねぇ。
まぁ、そういう訳で放っておけばいいのさ。俺が手に入れる事が出来る時機が来れば、自然とそういう形に落ち着くだろう」

……相変わらずね。コイツの見識の高さと見通しの確かさには驚かされる。
コイツの言う通りだと思う。孫策達は無理をしている。膨張を続ける袋は、裂けるしかない。でも、だから放っておけばいい、という判断を下せる人間は中々居ないと思う。手を伸ばせば、届くところに玉が落ちているのだから。手に入れたくなるのが人の性というものだ。

「孫策達が敗亡への道をひた走るのは良いけど、同じ事を考えている人間が居て横からかっさらおうとするかも知れないわよ?」
「同じ事を考えるのは、華琳ぐらいのモンだろう。袁紹のところに諸葛亮がいるが、俺が知る通りの諸葛亮なら、アレは冒険が出来ない質だ。少しずつ、じわりじわりと領土を広げようとする。それでは一進一退にしかならないし、時間が掛かりすぎるということに気付かないままにねぇ。それが奴さんの限界だ」
「……ねぇ。それ、誰の真名よ」
「ん?……あぁ、曹操だ」

いつの間に真名を預けられてんのよ、この女誑しは!

「アンタ、まさかとは思うけど曹操まで……」
「……あ〜、何考えてるかはよく分かるけど、そんな事はないから。アイツ、同性愛好者なんだろ?お前さんが調べて報告したんじゃないかね」
「まあそうだけど」

油断も隙もあったものじゃない。
全く。直ぐに女を誑し込むんだから。

「兎に角、例え華琳が横から掠っていったとしても問題無い。アレはいずれ袁紹とぶつかり合うだろうからな。その時に利子を付けて返して貰えば良いんだからねぇ」
「袁紹と対峙中に後背である南郷郡と南陽郡に攻め込んで、嫌がらせをする、ということ?」
「表現が露骨に過ぎるな。最善を尽くす努力を惜しまない、とでも言っておこうか」
「……何にせよ今回は様子見をする、ということね?」
「あぁ。だが勿論、函谷関にまで攻め寄せてくれば話は別だぜ?これを撃退し、奴らの撤退に乗じて一気に南郷郡と南陽郡を頂戴するつもりなンだよねぇ。まぁ、そんなに先が見えていない事もないだろうさ。
だから俺と一緒にのんびりしていればいいンだよ、詠。少なくとも、夜くらいはねぇ」

そう言ってボクを抱き寄せる。

「さ、盛ってるんじゃないわよ!」
「と、言いつつも目を潤ませて何かを期待している詠なのでした、と」
「何を……んむ……」

顔を両手で挟まれて、口づけをされる。
最近、ずっと軍師連中三人で一緒にそういうことになっていたから、こうやってコイツを独占出来る事なんてしばらく無かった気がする。二人きりなのも、久し振りな気がして。
……口づけが、口吸いに変わる。
場の雰囲気に流されてる気がするけど、こうやって口を吸ってくれるのは嬉しい。

「……ご満足頂けましたかね?ツンデレラ」
「……もの凄くむかつくこと言われてる気がするけど、この際それは置いておくわ。……もっと、しっかり抱きしめなさいよ」
「素直な方が可愛いぜ?」
「……う、うるさい。良いから抱きしめなさいよ」
「素直な詠が見たいなぁ?素直な詠のお願いなら、何でも聞くのにな?」
「……抱きしめて欲しいから、ボクを抱きしめてよ」
「分かった……素直になったら破壊力抜群だな、このボクっ娘は。今一瞬イきかけたぞこの野郎……」

何かぶつぶつ言ってるけど、ボクをしっかりと抱きしめてくれた。
やっぱり、こうやって体を抱かれている時が一番安心出来て、一番幸せだ。

ボクの夢のために、コイツには天下を獲って貰う。
コイツとボクと、その、子供と一緒に、平和に暮らしたい。
のんびりダラダラ過ごすコイツを見て、呆れながら文句を言いつつも幸福な、コイツが言う所の『平凡な』毎日を過ごしていたい。

その夢を実現させるために。
ボクはボクの出来る事をするのよ。

















〜雪蓮 Side〜

冥琳と二人で南郷郡の平定を進めている。
袁術が早くから治めていた地域だけにそれなりに抵抗があるとは思ってたけど、これ程抵抗されるとは思っていなかった。だが、それもこれで最期だ。南郷郡の有力者数人が合流し徹底抗戦の構えを見せていたが、先程の会戦でその兵を打ち破った。彼らは函谷関を目指して敗走しているみたいね。

「雪蓮、どうする?奴らを逃がせば禍根を残す事になるが、軍勢を率いて函谷関へ押し寄せれば、平家が出張ってくる事は間違いないだろう。報告に拠れば、平家軍は30,000。平教経自身がその帥将を務めている、精鋭中の精鋭とのことだ。配下に、張遼、馬超、太史慈。軍師は賈駆だそうだ」
「ん〜、ま、このまま追撃しましょう。いきなり軍勢のぶつかり合いにはならないと思うしね。出てきたら、話をしてみたいのよ。今後の事も含めてね。
それより、平家の軍師が賈駆とはね。董卓のところの軍師だったんじゃなかった?彼女」
「そうだ。董卓は正式に平教経に臣従する事にしたらしいな。その際、張遼と賈駆が董卓軍から平家へ仕える事になったそうだ」
「董卓軍?董卓軍なんて、まだ存在してる訳?」
「それがどうやらしているらしい。無論董卓は平教経に完全に臣従する。だが、董卓に従うことを望む人間の居場所を用意してやるために、態々董卓軍という組織を残しているらしい。
調べたところでは華雄を近衛の長とし、呂布が兵を纏め、軍師を陳宮としている。その上に、董卓が立つ、という形のようだ。規模は小さく10,000にも満たないが、華雄と呂布そして陳宮が完全に掌握出来る兵数に絞り込み、これを徹底的に鍛え上げる事で非常に精強な軍兵となっている。あと、平家とは独立した意志の下で行動することが認められているらしい。その行動について、掣肘するつもりがない、と平教経は周囲のものに言っていたようだ。完全に董卓の意志で自由に動かす事が出来る軍勢らしい」
「裏切られたらどうするつもりなのかしら」
「周囲のものが当然そう諌言したようだが、問題にしなかったらしい」
「どうせ冥琳の事だから、きちんと調べてるんでしょ?その理由まで」
「ふむ……信じた人間に裏切られて死ぬならそれは彼の器量の問題なのだそうだ」
「はぁ?」
「信じた人間に裏切られて死ぬ程度の人間で、この天下を統一など出来るはずがないだろう、とさ。
それと、平家の郎党というのは、彼にとっては家族も同然なのだそうだ。どうせ統一出来ない程度の器しかないのなら、家族を疑って疑って疑い続けて長生きするより、信じて裏切られて死んだ方が遙かにマシな生き様だろう、と。まあ、易々と殺されてやるつもりもないらしいがな」
「……従うものは皆家族、か。私達孫呉の価値観に良く似ているわね」
「私もそう思う。反董卓連合の際、お前が言っていたように共存出来るかもしれないな」

本当に、そう願うわよ。

「ところで冥琳。南郷郡、南陽郡を領有するのは良いけど、保持出来るの?」
「フッ……出来るだろう、と私は思っているがな。
雪蓮、私達の強みは、お前の他にもう一人頭を張れる人間が居る、というところにある。つまり、蓮華様だ。蓮華様が揚州を受け持ち、お前がこの辺り一帯を押さえる。汝南郡などを奪われて分断されたとしても、もし平家と連携出来れば意に介する必要はない。地力を付けてから、ゆっくり取り戻せばいいのだからな。平家と連携出来なかった場合、敵がその平家になるだろうから厳しいと思うが。
幸いにして軍師も育ってきているし、二面作戦出来るだけの将と軍師は揃っている、と私は思っている。分断された状態でも、孫家の方針というものは変わらないのだからどちらが動いてもその意図を読み取る事はたやすいはずだ。なにより、姉妹なのだからな。裏切りもなにも二人とも孫家なのだからこれ程安心して領地を任せられる人間は居ないだろう。だから一時期領地を分断される事になっても何も心配する事はないと思っている」
「さっすが冥琳ね。ま、そんな面倒くさい事を考えるのは全部冥琳に任せるわ」
「はぁ……まあ、任されよう。が、平家との連携についてはお前に任せるからな。例え気に入らなくても、地力を付けるまでは我慢して貰う必要がある。分かっているな?雪蓮」
「分かってる。そっちは任せて貰うわ。じゃ、追撃しましょうか、冥琳」
「分かった。……伝令。全軍に伝達。敗走する敵を追うぞ!」

平教経。間違いなく、逢える。わたしの勘がそう告げている。
そこで貴方の真意を確認させて貰うわ。
願わくば、私が気に入る人間であった欲しいものね。