〜風 Side〜
風達の予測通り、孫策さんが袁術さん討伐の為に挙兵し、一戦してこれを破りました。孫策さんは軍勢を二つに分け、東と西から袁術さんの旧領を併呑する為に動いているようです。京兆府と隣接している南郷郡を併呑する為に、孫策さん自身が兵を率いてやってきている。細作がその知らせを持って長安の街に駆け込んできました。
その知らせを受けたお兄さんは、平家の将を全員集め軍議を開いています。
司会は、いつも通り稟ちゃん。風はその補佐です。
「今回の袁術殿と孫策殿の争いについては、予測通り孫策殿が勝利しました。その孫策殿が、隣接する南郷郡に侵攻しようとしているようです。これに対し、私達平家は如何なる方針を以てどのような対応をするのか。それがこの軍議の主題になります」
「稟、孫策は教経様を敵と見做して函谷関に攻め寄せるだろうか？」
「可能性は低いと思いますが、完全に否定出来るほどの情報はありません」
「主。それで保険として兵を集めておけ、と仰ったのですな」
「そいつはそうだろう。函谷関に兵を込めておかずに突破された場合、長安を一気に突かれることになる。民に余計な負担を強いる事になるし、対処法が状況に因らず変わらないのなら事前に対処しておいた方が良いに決まっているンだからねぇ」
お兄さんは、その辺りの判断がしっかりと出来る人なのです。
将来の不安について今考えても仕方がない。その時に考えれば良い。そう判断すべき時と、今対処をしておくべき事だから即座に対処する、と判断すべき時。それを過たずに判断出来る。
こういう時に良く思いますが、お兄さんの傅育者は大人物であると思うのです。理想家にして現実家。対処を誤れば身を滅ぼしかねない、危険な二面性。それを見事に判断してのけるお兄さんは、分かっていた事ですが、名君と呼ぶに相応しい人です。
「じゃあご主人様。ご主人様は函谷関へ兵を籠めようと思ってるのか？」
「あぁ。転ばぬ先の杖だ。必要だろう」
「お屋形様。それで対応は決まったとして、孫策軍に対してどのような方針でこれに臨むのでしょうか」
「基本的には不戦、だな」
「基本的には、ですか」
「そりゃそうだ。相手が望んでいる事が俺たちと同じ事だった場合戦う必要はないだろう」
「同じ、とは」
「平凡な世の中を望む。それが奴らの望みなら、戦う必要性を見いだせない。勿論、奴らが俺の上に立ってそれを成し遂げたい、というのならそれは認めない。俺は俺の天下を描きたい。誰かの下に付くなんて真っ平だ。最低でも対等な関係。望みは俺に臣従してくれる事だ」
「対等な関係じゃ、満足出来ないってのかい？ご主人様は」
「孫策の為人が分からん。よくわからない奴を対等の友人として扱うなんてあり得ないンじゃないかね？それが分かるまでは、結論は出せないねぇ。
大体、俺は勢力として奴らを越える力を有しているという自負がある。無条件に対等になってやろうとは思わないし、対等であることを望むなら先ず俺と対等に付き合う事が出来るだけの器量と力を有している、ということを奴ら自身が証明してからだ。
……力なき理想は有害なンだ。理想を描くに足る力を有しているということを証明しない限り、俺は奴らの理想など認めない。例えそれが寸分違わず俺と同じ夢であったとしても、だ。俺たちと同格の勢力としてその手に理想を勝ち取りたいなら、その資格がある事を示して貰おうじゃないかね。それが礼儀というモンだろう。俺と同じ夢を抱くのなら尚更に、ねぇ」
苛烈な考え方だとは思いますが、『覇者』とはこうあるべきなのです。
楚の荘王は当然ですが、斉の桓公でさえ諸侯に頭を垂れたりはしませんでした。盟主として、諸侯を従わせているのです。同じ理想を抱いているからといって諸侯を同格として扱った事は一度もありません。
従わなかったものを討伐し、その類い希な気宇と器量、そして武力によって諸侯を従わせたのが荘王で、従わないものを従わせる為に徳を積み、管仲や鮑叔の如き良臣の策謀によって遂にこれを従わせたのが桓公だ、という違いがあるだけに過ぎないのですから。
「アンタがどう考えているのかは分かったわ。具体的な話をした方が良いと思うんだけど」
「当然俺が兵を率いて行く。領内の政を滞らせる訳にはいかないから、月に留守を任せようと思う。当然、朔達には月を守って居て欲しい」
「頼まれるまでもない。が、ご主人様。私にしても恋にしても、政には全く向いていない人間だ。ねねに関して言えば、戦向きであって政に向いているとは思えない。私達だけで切り盛りするのは無理があろう」
朔さんを始めとする、月ちゃんに仕えている人達は、お兄さんの事を月ちゃんと同じようにご主人様と呼ぶ事に決めたのです。それが決まった時、愛紗ちゃんがその迸る愛情をお兄さんの顔面にぶつけていました。ぶらっくじゃっく？先生が呆れたような顔で治療していましたが。
「そいつは分かっているさ。だから伴う軍師は一人にするし、将も三人だけ連れて行く」
「ならば私は何も言うまい。私達はお前の決定に従う月様に従うだけだ」
「教経殿。軍師は、誰を伴いますか？」
さて、お兄さんは誰を連れて行くのでしょうか。
「ん〜……詠、頼めるか」
「いいけど、何でボクを選んだのか、その理由を教えなさいよね」
「孫家の内情を一番よく知っているのはお前さんだろう？だから、お前さんを連れて行く」
「……一緒に居たいから、くらい言いなさいよ……」
「何か言ったか？詠？」
「別に何も言ってないわよ！」
「何怒ってやがるよ……」
お兄さん、そろそろ女心というものをきちんと理解しておくべきなのですよ。その内に刺されますよ？稟ちゃんか愛紗ちゃんか詠ちゃんに。それから、詠ちゃん。この場でそんな事を言われたら風も稟ちゃんも収まりが付きませんし、何より将の三人を選ぶ際に間違いなく修羅場になってしまうのですよ。
「ではお屋形様。将からは誰をお連れになるのでしょうか」
「残る軍師との相性を考えて、星は稟と、愛紗は風と組んで貰わないと困る。だから、それ以外だな」
「経ちゃん、ウチは連れてってくれるんやろ？」
「お屋形様、私を連れて行って下さらないと困ります」
「あ、あたしだってご主人様に付いて行きたい！」
「……仕方がないから私が残ってやるよ、ご主人様」
翠ちゃんが自分から『付いて行きたい』と言った事に驚きを禁じ得ません。……どうやら、釣り上げられたようなのです。お兄さんはどんな女でも釣り上げる、稀代の太公望なのです。
碧さんは、風の方を見てニヤニヤしています。じゃぶろー襲撃まであと僅か。そういう事なのでしょう。
「じゃぁ、これで決まりだな。軍師は詠。将として、霞、琴、翠。率いて行く兵は30,000で良いだろう。残りは長安で待機させておく事にしよう」
「あの、ご主人様……長安に20,000もの兵が必要でしょうか……？」
「月。いつの時代にも空き巣泥棒ってのは居るモンだ。狙ってくる奴が居るかも知れないだろう？もし居たら丁度良い機会だから教えてやるのさ。俺を向こうに回して非道を行えば、只では済まないってことをねぇ。その為の20,000だ」
「……ご主人様が、正しい」
「恋殿が正しいのですぞ」
「……分かりました。何が起きても長安が動揺しないように、努めます」
「あぁ、頼むよ、月」
そう言ってお兄さんが月ちゃんの頭を撫でます。
「……へぅ……ご主人様、恥ずかしいです……」
「ん？あぁ、済まんな」
「では、教経殿が仰る通りに致しましょう」
「あぁ。皆、宜しく頼むぜ？」
「御意」
皆で答えると、お兄さんはむず痒そうな顔をします。
いい加減慣れて貰いたいものです。
いずれ、全ての人間がそう言うようになるのですから。
〜翠 Side〜
ご主人様に従って、函谷関にやってきた。司隷州と接している函谷関も立派なものだったけど、荊州と接している函谷関もまた立派なものだ。これを抜くことは難しいだろう。しかも、これを守って居るのはご主人様自身だ。余程の事がない限り、負ける事は考えられない。
孫策軍はまだ南郷郡には到着していないようで、ご主人様は昼寝でもさせて貰うか、と言ってのんびりと過ごしているようだ。相変わらず剛胆な人だと思うけど、そのご主人様の様子を見て兵達は皆緊張する事もなく過ごせていると思う。
詠は細作を放ってしきりに孫策軍の動向を窺わせ、入手した情報を元に戦になった場合の策を考えているようだ。霞と琴は手勢の装備を点検し、関外で演習を繰り返している。あたしは、と言えば、出発前にお母様から言われた事が気になってそれどころじゃない。
『翠。あの手の男にはね、『ご主人様、翠を抱いて下さい』、と直截的な表現で迫るのが一番だよ』
ご主人様と添い寝をして、その、寝ぼけて口づけをしてしまった後、結局あたしはご主人様の事が好きで、他に情人が居ようとその気持ちに変わりがないだろうって思える様になった。それは誰にも言っていないのに、何故かお母様には全部分かるようで。そう言ってあたしをけしかけてきた。
……機会は、今しかないと思う。長安にいる限り、ご主人様は毎日誰かと一緒に居るから想いを伝えるも何もあったものじゃない。今日は詠も忙しいようで、ご主人様は自分に割り当てられた部屋に居るだろう。
行くしか、無いと思う。あたしは待ってるのは性に合わない。『欲しいものは自分で奪いな。それが馬家の女ってもんさね』。そうお母様も言っていた。だから、今日、夜になったらご主人様を訪ねてみよう。
夜。意を決して、ご主人様を部屋に訪ねた。扉を叩いて、声を掛けてみる。
「ご主人様、いるか……・？」
「……」
「入るからな？」
扉を開けて部屋に入る。
ご主人様は、席を外しているみたいだ。
うぅ……こういう時、どうしたら良いんだよ、お母様。
『困った事があったら、これを見な』
そう言ってお母様は書状を私に持たせてくれた。早速これを見る事になるなんて思わなかったけど。取り敢えず、何が書いてあるのかを見てみよう。
え〜、何々？
『日中、ご主人様の部屋に忍び込んで夜まで寝台に裸で寝てな、馬鹿。これ位自分で思いつけってんだ』
……はははは裸で寝てるなんて出来る訳無いだろ！
他！他の書状を見てみれば良いんだ！
そう思って他の書状を見てみる。
『まだ決心が付かないのかい、この馬鹿娘。とっとと裸になって寝台で寝てな！』
『いい加減に覚悟しなよ、この馬鹿娘。ご主人様が帰ってきて、寝台に寝転んだらそこに裸のお前が居る。その上であの台詞だ、耐えられる訳がないだろう』
『なにこの書状まで見てるんだい！とっととおし！40秒で支度しな！』
『これが最期の書状だ。はっきり言ってやる！アンタ、涼州魂持ってないのかい！？涼州の女が一度決めた事だ、曲げる事は決してないんだよ！』
40秒ってのがなんなのか、あたしには分からないよ、お母様。
けど、涼州魂、か。
……そうだよな、涼州の女が一度決めた事なんだ。これを貫き通さなきゃ涼州魂が廃る！
あたしも女だ、腹を決めた！
服を脱いで、ご主人様の寝台でご主人様を待つ！
それで、あの台詞を言ってやるんだ！此処まで来たらやるしかないんだ！
〜教経 Side〜
今日一日、函谷関の天辺でずっと昼寝をしていた。
もう暖かい季節とは言え、流石に夜までぐっすり寝るとは思わなかった。
途中で誰かが俺の様子を見に来ていたようだが余り覚えていない。
「やれやれだ。誰か起こしてくれても良いだろうが」
まぁ、まさか天辺で寝てるなんて思っても見なかったのかも知れないが。
もう今日は寝た方が良いだろう。明日にも孫策軍が来た、という連絡があるかも知れない訳だしな。
そう思って寝台に向かい、布団の中に入り込む。
……暖かいな。んで、良い臭いもする。
現実逃避気味なのは、布団に入り込んだ俺に抱きついてくる人間が居たからだ。感触からすると、全裸で。ぴょこぴょこと揺れ動くポニーテール。サイドテールじゃないから、琴じゃない。そうなると、翠しかいない。
「……翠。お前さん、どうしたんだ？」
そう声を掛ける。
「……ご主人様、その、あたし……あたしを、抱いて欲しいんだ……」
頬を真っ赤に染めながら、翠がそう言ってきた。
『抱いて欲しい』。
その直截的な表現に、面食らってしまう。
俺の事を本当に好きなのか、とか、そんな無粋な事を聞くつもりはない。前に口づけされた時から、きっちり勘づいてはいたから。けどな、その、唐突すぎないかね。口づけもそうだったが。
何と声を掛けたものか悩んでいると、翠が話し始めた。
「……その、ご主人様には情人が沢山居るのは分かってるんだ。あたしみたいに可愛く無い奴に、こんなこと言われても迷惑かも知れない。けど、あたしは、それでもご主人様の事が好きなんだ。
初対面の時、あたしの事を考えてお母様に説教してくれて嬉しかった。
反董卓連合と戦う前、兵達に語りかけるご主人様は本当に凛々しかった。
お母様を犯そうとしていた奴らを殺した時、嘯いていたご主人様を見て切なかった。
口づけした時、凄く、もの凄く嬉しかった。
あたしは、ご主人様の事が好き。一晩だけでも、一度だけでも構わないんだ。
ご主人様。あたし……あたしを、その、抱いて欲しいんだ」
可愛くない奴、か。
馬鹿だな翠。お前さんは可愛いのに。
何も俺に惚れる事なんて無かろうに。
そんな風に思い詰めて、俺に言い寄って来るなんて。
……駄目だな、これ。こんな可愛い娘に、こんなストレートに言い寄られたら、愛しくなっちまう。しかも、裸で待ってるなんて。我慢出来なくなるだろうが。
「……翠、一つ言っておいてやるよ。お前さんは可愛い」
「う、嘘だ！」
「嘘な訳ないだろうが。そうでなきゃ、こんなになってないだろ？」
「こんなに……？って！？★■※＠▼∀っ！？」
「分かったか？翠。お前さんは魅力的な女の子なんだよ。他の奴にとってそうでなくても、俺にとってはそうなんだ。それは、分かるだろ？」
「……う、うん」
「……抱く前に、言っておくからな、翠」
「……な、何を？」
「俺もな、お前さんの事、愛しいと思うよ。
今、お前さんが言い寄ってきたからかも知れないけど。それでも、こう思っちまった以上、もう変わらないと思う。だから、お前さんを抱く。
お前さんが抱いてくれって言ってきたからじゃない。俺が抱きたいから、翠を抱く。
……わかったか？翠」
「……うん。分かったよ、ご主人様……」
後でどうなるか、分からない。
けど、翠を抱くのに、他の事を考えるなんて事はしたくない。
「ご主人様、その、あたし」
「翠、顔こっち向けろ」
「え……んっ……」
翠に口づけをする。俺から。
「はぁ……嬉しい……ご主人様……」
「……翠、こっち来い」
「……うん」
そっと答えて、翠は俺に抱きついてきた。
結果から言うと、翠は素晴らしく可愛かった。
髪を下ろした翠は、美少女以外の何物でもなかった。
俺の腕の中で、何度も身悶えしていた翠は、本当に可愛らしかった。
そう言うと、いつも通り暴れ始めたけど、抱きしめたら恥ずかしそうに、でも嬉しそうにして、抱きついてきた。駄目だな、嵌りそうだ。
翠と一緒に寝台で寝転がりながら、自分の気の多さに少し呆れ、翠の気持ちを嬉しく思い、これからの事を考えてちょっと頭を抱えて。
そうやって、朝を迎えた。翠と抱き合って。