〜雪蓮 Side〜
兵達を率いて寿春を目指すわたし達に、次々と豪族達が合流してくる。
総勢30,000を超える軍勢となったわたし達は、寿春郊外で袁術の軍と対峙した。袁術軍は15,000弱。良く寿春から出てきたものだ。
寿春に篭もられたら、手を焼くだろう。
そう思って、明命をあらかじめ寿春に潜入させていたのだけれど。
明命。姓は周、名は泰、字は幼平。
特に隠密に長けている、破壊工作の専門家。
彼女を寿春に潜伏させておいて、ここぞという時に門を開かせようと考えていたのに、その用意が無駄になってしまった。まぁ、相変わらずの馬鹿っぷりをここで発揮するとは思っていなかったからなんだけど、ね。
「態々寿春から出てきてくれるとはな。おかげでやりやすくなった」
冥琳はやる気満々だ。
祭も亞莎も穏も、皆手勢を意気揚々と率いている。
負ける事など考えられない。それ程に、士気が充溢している。
「で、冥琳。やりやすくなったのは良いけど、どうするのよ」
「知れた事を。大軍に区々たる用兵は必要ない。ひたすら前進し攻撃する。得意だろう?雪蓮」
「さっすが冥琳。よく分かってるじゃない」
「それはそうだ。何年付き合っていると思っている。
だが、油断はするなよ?雪蓮。孫堅様のこともある。これからお前は、今付き従っている全ての人間の主としてこの乱世を生きていかなければならないのだから」
「はいはい、分かっているわよ」
「……祭殿、雪蓮から目を離さぬように、お願い致します」
「ははは。そのような心配は無用じゃろう。が……分かっておるわ、冥琳。お前に言われずとも、な」
「本当は軍の先頭に立って戦うなど、して貰いたくはないのだがな」
「でも、止めないのね?」
「どうせ言っても止めないのだからな。私は無駄な事をするつもりはない。それ程時間が余っている訳でもないしな」
「ぶ〜ぶ〜。それじゃわたしが戦闘狂みたいじゃない」
「何だ、自覚がなかったのか、雪蓮」
「そうはっきり言われると嫌なものでしょ?冥琳」
「ははは。堅殿もそうじゃった。策殿は、堅殿に良く似ておられるわ」
そりゃそうでしょ。わたしはお母様の娘なんだから。
「じゃ、わたしが虎の娘だってこと、袁術に思い知って貰う事にしようかしら?」
「フッ……存分に思い知らせてやれば良い。この戦は、勝つ事は決まっている。大事なのは、どう勝つか、ということだけだ」
「冥琳がそういうなら、間違いないんでしょうね。ま、精々頑張りましょうか」
「御意。……伝令!全軍に前進し、攻撃を開始せよと伝えよ!押して押して押しまくってやるのだ!それが先代から続く孫家の戦ぶりである事を思い出させてやるぞ!」
自分の隊へ戻りながら、祭がそう指示を出す。
「じゃ、冥琳。わたしもちょっとご挨拶に行ってくるわ」
「あぁ、気をつけてな。私は此処で全軍を指揮しておく」
「宜しくね、冥琳」
「任せておけ、雪蓮」
ホント、冥琳が居て助かるわ。
……袁術。今までお世話になったお礼を届けに行ってあげるから、待っていなさい。
〜冥琳 Side〜
「戦況の報告を」
「は……はい。雪蓮様が率いる本隊は、祭様が率いる弓隊の効率的な援護射撃の元、既に敵の前線に躍り込んでおられます。穏様の隊は敵右翼を戦場の中側へ押し込むように半包囲陣を保ちながら締め上げ続けているようです。これによって雪蓮様率いる本隊と左翼によって敵軍の7割を包囲下に置いている状況です。
基本的に雪蓮様の隊が敵を叩く為に戦場を走り回っており、祭様の隊は孫策隊と共に行動しておりますが、弓で援護する、という姿勢を崩しておられません。それはそのまま有事の際の予備兵力としての役割を担うことを念頭においているものと思われます。
穏様の隊は、敵軍を包囲下から逃さない事に主眼をおいて戦闘行動を行っているようで、大きな戦果を挙げているわけではありませんが大きな被害もまた受けていない状況です。兵数の差から言って、穏様が思い通りの戦をしていると考えていて宜しいかと存じます。
残り3割の敵については、現在冥琳様と私の隊で完全に対処出来ております。殲滅まで、後一刻もあれば十分かと」
「そうか」
亞莎は、よくやる。
戦況を説明しろ、と言った私に対し、期待以上の答えを返してくれた。
穏といい、亞莎といい、次代の孫家を担う人材が育ってきている。その事を嬉しく思うと同時に、彼女達の師として、そして雪蓮の軍師として負ける事は出来ないという対抗心のようなものが湧き上がってくるのを自覚する。
「私も負けていられないな」
「は……?」
「フッ……いやいい、こちらの話だ。それにしても亞莎、よく見えるようになったな。特に祭殿についての洞察は、的を射たものだろう。良く見抜いたものだ」
「祭様は、本当の意味で百戦錬磨と呼ぶに値する武将だと思っております。弓隊で援護をすることを重視した行動は、現状ではさほど必要とされないと思います。ですので、敢えてそれを行っているのは、不測の事態が起こった際に疲労が少なく戦う事に飢えている状況にある隊が一つあった方が良いだろうという思惑あっての事と思ったのです」
「そうやってものが見えるようになってくると世界が変わってくる。この世に溢れる全ての事象を眺める目が変わってくるのだ。
全ての事象には裏がある、などと気違いのような事を言うつもりはない。事象は事象さ。そのもの自体には裏はない。その事象を引き起こした人間の意図を読み取るか読み取らないかというだけの事だ。多くの人間がそれを読み取らない。だから裏だ等と戯けた事を言っているだけでな。お前は、どうやらそれをきちんと読む事が出来る人間だ。そしてそれこそが、軍師として必要とされる才能だ。
……これからも精進して、孫家に尽くしてくれよ、亞莎。雪蓮の為に」
「は、はい」
周瑜隊と呂蒙隊が相手にしている兵を見る。
統率が執れず、烏合の衆以外の何物でもない状況だ。
それでも当初旺盛にあった戦意によって何とか戦線を維持してきたようだが、それも最早限界だろう。
「そろそろ終わらせてやるとしようか、亞莎。どうする?」
「あ、はい。中央部分に敵を集めて弓で射殺し、残った敵を長柄の槍隊で叩き続けようかと」
「それでいいだろう、やってみせろ」
「はいっ!」
これでこちらは片が付く。
片付けた後、雪蓮の元へ駆けつけても構わないが、我々が合流する事で却って混乱しては困る。
といって、このまま私と亞莎の隊を遊ばせておく訳にもいかないだろう。
「亞莎。お前は雪蓮の隊の後方を遠巻きにして付いて行き、効率よく敵軍を蹂躙出来るように助力しろ」
「冥琳様はどうなされるのですか?」
「私か?私は周瑜隊を率いて寿春へ入城するように動く。恐らく、敵軍の更なる動揺を誘う事が出来るだろう。そして、それで終いだ。雪蓮と祭殿が見逃すはずが無かろう」
「な、成る程。勉強になります」
寿春に入って、出来れば袁術を殺しておきたい。
それが終わったら、廬江郡や南陽郡、南郷郡などの各郡に将を派遣して確実に孫家の支配下としておきたい。特に、南陽郡と南郷郡。口数を考えれば、此処を得る事で雪蓮は更に力を手に入れる事が出来る。
それから、呉郡の豪族達には孫堅様から受けた恩を忘れて袁術に自分から頭を垂れてしっぽを振った腑抜け共がいる。これらについて、処断する必要があるだろう。
それから……。
やりたい事が次々と湧き出てくる。
取らぬ狸の皮算用とやらにならぬように、手を打っておかなければならない。
何はともあれ、寿春を取ってからだ。
全ては、それから始まるのだ。
「周瑜隊!寿春に向けて進発するぞ!」
「呂蒙隊は雪蓮様、祭様を後方から支援します!ついてきて下さい!」
眼前の敵を壊走させ、それぞれの役目を果たす為に進発する。
あと少しで、古い時代が終わる。
あと少しで、新しい時代が始まる。
雪蓮を戴いた、新しい孫呉の時代が。
〜雪蓮 Side〜
「全軍、寿春に突入して袁術を捕らえなさい!生死は問わないけど、出来れば生きてわたしの目の前に連れてきなさい!それから、寿春の民達に危害を加えない事!この指示に従わなかったものは例外なく死罪!容赦はしないから良く覚えておきなさい!」
寿春郊外での戦いは、わたし達の圧勝に終わった。
そのままの勢いで寿春に突入し、袁術を捕らえようと寿春を駆け回っているけど、見つからない。戦場には、確かに『袁』の旗があった。そして寿春に逃げ込んでいったのだ。だから寿春に居ると思っているのだけれど。
「雪蓮、どうやら袁術は袁紹の元へ逃げ出してしまった後のようだ」
「……逃げ足が速いわね」
「どうやら、最初から戦場には居なかったらしい。何人もそう証言している」
「兵や家臣を捨てて逃げ出したって言うの?」
「そうだ。寿春郊外に展開した兵達は、全て捨て駒だったらしい。戦が始まる前に、袁術軍の中でも信頼の出来る2,000程の兵と共に逃げ出したそうだ」
「自分たちが捨て駒だって分かっていて抵抗したってわけね」
「そのようだ。敵将は、誰だったのだ?雪蓮」
「紀霊よ」
「そうか。で、その紀霊は?」
「とっくに死んでるわよ」
自分が死ぬ事で、袁術を生かす事が出来る。
そう考えていたのでしょうね。
袁術がこれまで勢力としてやってこれたのは、そういった気骨のある人間を能力なりの地位に就かせていたからでしょう。ただ、その者達の忠言を聞き入れるだけの器量がなかった。だからこそ、袁術は敗亡する事になった。
他山の石としておかないとね。
あそこまでの馬鹿になるつもりはないけれど、心しておかなければ国は滅びる。折角取り戻した孫家の未来を、私の代で終わらせる訳にはいかないもの。
「で、冥琳。これからどうするわけ?」
「先ず一気に南郷郡を攻略したい。その後、南陽郡と攻略していこう。それとは別に、呉郡から廬江郡、汝陰郡、汝南郡と攻略する隊も必要だ」
「全軍一緒に行動したら時間が掛かりすぎるものね」
「そうだ。祭殿、穏が呉郡で蓮華様と合流して汝陰郡まで平定し、私と雪蓮で南郷郡から汝南郡までを平定しよう。この一帯は明命と亞莎に任せておけば問題無い」
「南郷郡の先は、京兆府ね」
「……ひょっとすると、平家が出てくる可能性がある。南郷郡と南陽郡の口数は魅力的だろう」
「そう……でもきっと大丈夫よ」
「……また、勘か?」
「ええ。ま、気楽に行きましょう?冥琳」
根拠はないけれど、きっと大丈夫。
こういう時は、順調に行くって決まってるのよね。まぁ、勘でしかないから冥琳は心配なんでしょうけど。
平教経に逢える。そんな気がするのよね〜。
あの時の事をきちんと謝った上で、少し話をしてみたい。
彼は、この世界をどう思っているのか。
この世界で、何を望んでいるのかを。
好ましいものでなかったその時は、孫呉の力を挙げて彼を討伐する必要がある。
きっとそんな事はないと思うけれど、ね。