〜教経 Side〜

「……愚者を皇帝にしようっていう賛同者になれ、ねぇ」
「……はい」

季節が春を迎える頃、大馬鹿者から使者が来た。
良くもまぁ、この俺に使者などを送ってくるつもりになったモンだ。
何を言うのか聞いてみたいという誘惑に負け、引見した。
その使者が俺に提示したのが、『劉虞を皇帝に据えるのに賛同する諸侯の一人として名を連ねろ』、だった。俺も月も、呆気にとられた。

前々から、馬鹿だと知っていた。大馬鹿者だと思い、そう呼んでいた。だが、此処まで馬鹿だとは思っていなかった。この俺に、矛を交えた俺に対して、賛同しろと言ってくるとは思っても見なかった。断るに決まっているだろうに、何をトチ狂った真似をやっているんだね?
お前さんは度し難い馬鹿だ。そんなものは俺を討伐する為の兵を起こす大義名分にならない。見え透いている分、世間からは失笑を、ものの役に立つであろう人間からは失望を買うだけの事だ。その程度の事も分からんのか、あの大馬鹿者は。

そう思って書状を見る。
……だが、おかしくはないか?本当に馬鹿なら、諸侯に対して呼びかけを行っていた時に同時に来るはずだ。それが今になって、遅れてやってきている。既に公孫賛が反対を表明し、軍備を整えていることは知っている。その穴埋めに、というつもりがあるとしても、もっと早くに来るはずだ。反董卓連合との戦から、もう三ヶ月は経過しているのだ。

何故、俺に、遅れて、書状を送ったのか。
断られる事は分かって居るはずだ。少なくとも、周囲の人間は。
では、断られる事を前提として敢えて使者を出し、態々俺に断られたという結果を出さなければならない理由とは何だ?

……俺には、分からない。分かりそうにないねぇ、コレは。
こういう時は、軍師様にお伺いを立てるに限るンだねぇ。

「仕方がない、軍師様を呼んできてくれ。全員、な」

取り敢えず使者に返答はせず、後日必ず返書を送ると約して返した。







「コレを送る必要性がないと思うんだが、何でこの書状が送られてきたと思うね?」

稟、風、詠の三人を前にして、そう問いかける。
三人とも、よくよく考えているようだ。

「……普通に考えれば、ですが。やはり戦を仕掛けるのに大義名分が必要だから、ではないでしょうか」

そう稟が言う。

「風としても、そう思いますね。ただ、袁紹さんがお兄さんに戦を仕掛ける為の大義名分として、それなりに効果のあるものを得る為だと思います」
「……それは、勅命、ですね?風」
「そうなのです。お兄さんは劉虞さんが皇帝になる事に反対した。勅命を以てこれを討伐すべしと言わせる為に、お兄さんに断られたという実績が欲しい。だから態々送ってきたのではないでしょうか」
「純軍事的に考えて、現状反対している公孫賛殿には自力で勝てると思っているのでしょうが、教経殿に勝つには余程周到な準備をする必要があります。その為に必要な手段の一つとして考えているのではないかと」
「世間からの風当たりを考えても、多少の効果しかありませんが勅命を受けている、というのは意味があると思うのです。出兵する際に、勅命であるから仕方が無く、と言えば、そんなこともあるかなと思う民も多くいるでしょうね〜。また、負けてしまっても、勅命であるから仕方が無く、と言えるのですから。貰っておいて損はないものであることは間違いないのですよ」
「ふむ……詠は、どう思う?さっきから会話に参加していないようだが」

稟と風が思うところを述べている間、詠はずっと黙っていた。
何か、別の事を考えているのかも知れないねぇ。

「……ボクも、二人が言っている事が正しいんじゃないかとは思うわよ?でも、ちょっとね……本格的に調べてみないと何とも言えないんだけど、袁家って一枚岩じゃないかも知れないわね」
「と、言うと?」
「だから、調べてみないと何とも言えないのよ。けど、こういう企みがあるってことをこちらに知らせたかっただけで、この書状を送らせる為に掛かった時間の分だけ遅れた、と考える事は出来ないかしら。勿論、ボクが穿った見方をしている可能性の方が高いって事は間違いないわ。
でも、それでも……ちょっと引っかかるのよ。
極端な事を言うけど、勅命なんて脅して取得すればいいのよ。大事なのは、劉虞が皇帝になったとして、彼が勅命を袁紹に授ける、その儀式が滞りなく行われるのが衆目に晒される事であって、別に自発的にやってくれなくても良い訳よ。それなのに、それを態々自発的にさせる為にこういう手順を踏むなんて思えない。これは、そういう意図があるって事をこっちに知らせようとしてくれているんじゃないかって、そう思っちゃうのよね」

……全くそんな事は考えていなかった。
稟と風を見ると、再び思索の海へ乗り出している。

「……詠ちゃんは、何か掴んでいるのですか?」
「田豊と沮授が、投獄されたって聞いたわ。直ぐに釈放されているけれど、反対する人間が居るって事には違いないわ」
「……その為人は、どのようなものでしょうか」
「二人とも、袁家の為になることを行おうとする人間よ」
「……普通であれば詠の見方は穿った物の見方だと断言出来ますが、今回は詠の方が正しいかも知れません」
「何でそう思うンだ?稟」
「断って欲しいだけなら、諸侯に送った時に一緒に送ってくるはずです」
「成る程。簡潔だが納得のいく回答だ」
「……稟ちゃん、現状袁紹さんの領地にいる稟ちゃんのところの細作と風のところの細作で腕が良い人達を、詠ちゃんに使ってみて貰ってはどうでしょうか。袁家の官吏として内部に入り込んでいる者が多数居ますし、きっと詠ちゃんの役に立つと思うのです」
「それが良いでしょうね。詠、連絡の取り方を教えますから、好きに使って下さい」
「……分かったわ。ボクとしても、はっきりしないまま放置したくないから、徹底的に洗ってみることにする」

この三人の頭ン中は、一体どうなってるンだろうねぇ。
袁家に対する諜報活動について熱く語り合っている三人を見ながら、これから始まるであろう群雄割拠の時代に思いを馳せる。

袁紹、華琳、孫策。ひょっとしたら、劉備。
これらと戦わなければならない。

まぁ、そこを考える前に、漢中の張魯と新城郡・魏興郡の孟達について考えておくべきだがねぇ。将来の事を見過ぎて足下の石に気が付かず、その石に蹴躓いて崖から真っ逆さま、なんてゾッとしない話だ。彼らが領有している全ての郡を俺が侵略することになる。当然、抵抗するだろう。

……正義と正義のぶつかり合い。
互いに、譲る事がない故に、その戦は激しいモノになるだろう。

かつて俺も琴のように絶対的な正義があると思っていた。
そして、それがあると糞爺に言った際、こう言われた。

『阿呆め。この世に絶対的な正義などは無い。『メギドの丘』などある訳があるまい。アレは頭の弱い宗教家が考え出した妄想だ。誰かが提示した正義が気に入ったら、それを受け入れる。気に入らなければ、それを斬り捨てるまでのことだ。時には、それを主張する人間ごとな。この世界には義と善が溢れかえっているのだ。定員を超えているから、それをふるいに掛けているに過ぎん。定期的にな。それが戦争だ。
そうやって人は生きてきた。今更それが変わるわけがなかろう。何せ人類は2000年を超える歴史を経て猶殺し合っているのだ。此処まで来ればそれは最早本質だと言って過言ではあるまい。人は己が理解出来ぬモノを理解する為にどうしても殺し合わなければならぬ生き物だ。殺し合って始めて生まれる理解がある以上、それは真理だとさえ言える。
正義とはな、正しいものが正義なのではない。正しいと思えるものが正義なのだ。それを履き違えるな。己が正義を相手に認めさせる為には、力が必要だ。己が正義を貫きたいなら先ず力を付ける事だ。力こそ全てと言うつもりはないが、力のない正義がこの世で広く認められた試しはない。良く覚えておく事だ、小童』

……極論ではあるだろう。だが、それ程的を外したモノでもないと今は思っている。

俺の夢や理想をこの世界に住む人間に認めさせなければならない。
その為に必要な力を蓄える為に、張魯達の死が必要ならば死んで貰う。

俺の事績が後世どう評価されるのかは、後世の無責任な学者共に任せておけば良い。
俺は、そいつらの為に理想を掲げて戦う訳じゃない。
今を生きる平家の郎党共の為に、死んでいった郎党共の為に、そして何より俺自身の為に戦うンだ。

袁紹だろうと華琳だろうと孫策だろうと劉備だろうと。
誰にも、邪魔はさせない。誰にも、ね。

















〜詠 Side〜

袁家に対する諜報活動について話し合っていたボク達は、教経が何も話さなくなった事に気が付いて話をやめた。
また、何か考え事をしているのだろう。

「相変わらず、お兄さんはこういう顔をするのです」
「……なんか非難してるように聞こえるわよ?」
「それはそうなのです。お兄さんはこの顔でもう5人も釣り上げているのです。つり吉 教平なのです」
「……風、なんですかそれは?」
「知らないのです」
「相変わらずね……」
「まだ帰ってこないみたいなので、この際はっきりさせておきましょうか」
「何をよ?」
「お兄さんに興味を持っている人間、懸想している人間が何人いるのか、についてなのです」
「……風、そんなことが何故分かるのですか?」
「稟ちゃん、何故諜報員があんなに沢山居ると思っているのですか。あれだけの諜報員が居てお兄さんやお兄さんに興味を持って居るであろうメス豚たちを監視しないという事があるでしょうか。いや、ないのです」
「……勝手に問いかけて勝手に完結していますよ、風」
「そんな事はどうでも良いのです」
「要するに、コイツの周辺に寄ってきそうな人間に目星を付けてあるってことね?」
「約二名。既に宣言されているのですよ」
「はぁ?何をよ。そして誰によ」
「じゃぶろーを強襲すると宣言したのは碧さんで、二人というのはあの親娘なのです」
「……それはなんとなく察していましたが。蛇武楼とは一体なんですか?」
「知らないのです」

まぁ、碧は自分で『誑かされた』って言っていたものね。

「……その二人だけって事は……まぁ、無いわね。琴が居るものね……」
「そうなのです。懸想している人間は、この三人で確定なのです。しかし興味を持っている人間、という話になるともう少し増えるのです。神速の痴女もいますし、月ちゃんも居ます」
「月も!?」
「……朔さんの真名云々の時の顔、見ましたか?きちんと」
「……なんとなくわかったからいいわ」
「それから、これは少し違った意味での興味になりますが、何故か平家以外の人間が興味を持っているのです。それも、太原にいる頃から」
「誰よ」
「曹操さんです」
「はぁ!?」
「……あぁ」
「稟ちゃんは、意外ではないようですね」
「まぁ、あの人は有能な人間には目がないでしょうから」
「それだけではないのですよ。自分と対等な存在で在る事が出来る唯一の人間と言っていたそうです」
「……何が変な訳?」
「あのちっさいのは自尊心が強いのです。自分と対等な存在がこの世界に存在する、などと、自分で言い出す事はないと思えるほどに。
稟ちゃん、覚えていますよね?曹操さんがお兄さんと初めて逢った時のことを」
「……ええ。自分を見て意外な顔をした教経殿に反発していましたね。馬鹿にされたと思って頭に来たのでしょう」
「まぁ、そんな風に他人より自分の方が優れている、という自負が強いのです。その曹操さんが、お兄さんに関しては非常に高い評価を下しているのですよ。ひょっとすると、まだ他にもいるかも知れません」
「……まぁ、連合軍を相手に五分以上の戦いを繰り広げた訳だから、分かる気もするけど」
「そんな連中に、こんな顔を見せたら、間違いなくまた釣り上げるのです。丁度詠ちゃんが一瞬で釣り上げられたように」
「う、五月蠅いわね!」
「兎に角、お兄さんが浮気しないように、しっかりとつなぎ止めておく必要があるのですよ」
「それは分かりますが……」
「なので、今日も三人で頑張るのです」
「……最近、自分が節操なしに思えるわ……」
「詠ちゃんは嫌なようですから、風と稟ちゃんだけd」
「い、嫌だとは言ってないでしょ!?」

……全く。
コイツもコイツよ。ボク達がどれだけ好きなのか、分かって居る癖に。
浮気しようなんて思えないほどに、骨抜きにしてやるんだから。

ボクに、夢中にさせてやるわ。
絶対に、そうしてやるんだから。

……四人で居ると、いつもこうなっている気がするのは、気のせいよね……