〜雪蓮 Side〜
反董卓連合が洛陽で解散してから、それぞれ領地へ戻った。
わたし達も、領地に帰ってきている。まぁ、わたし達の領地ではなく、忌々しい袁術の領地なんだけど。
その領内は、大混乱だ。
元々領地経営に力を入れていた訳ではなく、我が儘放題に、思いつくがままに税率を変更して民を苦しめてきた袁術だから、こうなるのはわかりきった事だと思うわ。わたし達にとって望ましいことだけど。
圧政を布き義を見失っている袁術を、正義を掲げて討伐する。
そうなれば、袁術が治めている領地を、丸ごとわたし達が頂く事が出来るだろう。そう思っているんだけど、冥琳はそれでは不十分だと考えているみたいね。
ま、あの冥琳が『任せておいて貰おう』って言ってたんだから、愉しみに待っていればいいわね。
冥琳が何を考えて、どう戦略を組み立てるのか。
それが非常に愉しみだ。
「策殿、袁術から呼び出しが掛かっておりますが」
「……嫌よ。わたしは行かないわよ?」
「……駄々を捏ねなさるな……嫌と言ってどうにかなる物ではない事ぐらい、分かっておられるであろうに」
「それでも、言いたいのよ。言わないとやってられないわよ。ったく」
「まあ、諦められる事ですな。冥琳が何やら画策して居るようですし、辛抱もあと僅か、というところまで来ておるのでしょう。穏も亞莎も忙しそうにしておりましたからな」
穏。姓を陸、名を遜、字を伯言。
亞莎。姓を呂、名を蒙、字を子明。
二人とも、冥琳が目を掛けている、次代の孫家を担う軍師になると言われている娘だ。その二人が忙しくしているということは、祭の言うように本格的に冥琳が動き始めた、と思って良いみたいね。
「早くしてくれないと、袁術、殺しちゃうわよ?わたし」
「冥琳によく言っておく事ですな」
「はいはい。それじゃ、祭。行ってくるから後はお願いね」
「はっ」
全く、何の用なのよ。あの馬鹿は。
「はぁ。兵と糧食をかき集めてこいって言うの?」
「そうなのじゃ。またすぐに戦になるのじゃ」
……懲りもせず、董卓と平教経を討伐しようって言うの?馬鹿じゃないかしら。ああ、馬鹿だったわね。
「……袁術ちゃん、貴女、懲りてないの?ついこの間まで戦をして、散々に打ち破られたじゃない。それなのに、まだあの二人を討伐するって言うの?」
「違うのじゃ!これを見るのじゃ!」
そう言って、袁術がわたしに書状を投げてくる。
……躾がなってないわね、この馬鹿は。
書状を拾い上げ、内容を確認する。
『劉虞を皇帝として推戴する。ついては、これに賛同する諸侯の一人として名を連ねて貰いたい。これを断るなら敵対するものとみなし、それなりの対応をさせて貰う』
馬鹿から馬鹿への馬鹿な手紙。そういう感想しか湧いてこない。
「で、どうして兵と糧食が必要になるの?袁紹を討伐する訳?」
「そうじゃ!麗羽が、あの妾<めかけ>の子が皇帝になるなんて生意気なのじゃ!妾<わらわ>は麗羽の言う事なぞ聞きたくないのじゃ!」
「だから、戦をする、と?」
「当たり前じゃ!書状に従わないなら討伐すると書いてあるではないか!」
「そうだそうだ〜。袁紹なんてやっちゃえば良いと思いま〜す」
「そうじゃろ?そうじゃろ?」
……普段お馬鹿なのに、袁紹の馬鹿からの手紙の裏側についてだけは分かるのね。驚きだわ。
でも、好都合じゃないかしら。
袁術の許可を得て、大っぴらに募兵が出来る。かき集めてかき集めて、その兵と糧食で袁術を討伐すれば、兵力と糧食を膨大に抱えたまま、名声と領地まで手に入れる事が出来るわ。ただ、劉虞を皇帝にすることに反対している袁術を討伐するのに、尤もらしい大義名分が必要になってくる。そうでないと、全ての人間を納得させる事が出来ないでしょうからね。さて、どうすればいいかしら。
そう考えていると申し継ぎの者が息急き切って駆け込んでくる。
「申し上げます!」
「どうしたんですか?今美羽様はお忙しいんですよ?」
「それが、その、農民が袁術様に献上したい物がある、と言って来ているのですが、その、持ってきた物が物でして!」
「そんなに興奮する物なの?それ」
「は、はい」
「ふぅ〜ん……ねぇ、袁術ちゃん。此処に持ってこさせてみれば?わたしも見てみたいし」
「では、此処に持ってくるのじゃ!」
「は、ははっ」
そういって駆け出ていった彼が再び戻ってきた時、その手に金印を持っていた。それを、袁術に膝行して捧げた。
……冥琳、そういうことね。増長させるだけ増長させて梁から縄を垂らしておけば、自分で首に縄を掛けて、勝手に梁から飛び降りてくれるって寸法ね。
「これは、なんじゃ?金ぴかで麗羽みたいで嫌なのじゃ」
「美羽様。これは伝国璽ですよ」
「でんこくじ?」
「……天下を治める証のようなモノで、歴代王朝の皇帝に受け継がれてきたって言われてるわ」
「なんじゃと!?つまり、妾は皇帝に選ばれたという事じゃな!?」
……いきなりの大正解<私が望む答え>。何処をどうやったらそういう結論が出るのか分からないんだけど。わたしが背中を押すまでもなく、進んで首括ってくれるなんて。馬鹿で良かったわ。
「そうですよ〜美羽様。美羽様は皇帝なんですよ〜」
「おお!やはりそうか!七乃、妾は皇帝になるぞ!」
「流石は美羽様〜!」
……ここまで順調に行くと、こんなにも不安になるのね……
「じゃ、わたしは行くわよ?かき集められるだけかき集めてあげる」
「よし!良いのじゃ!頑張ってくるのじゃ。妾の為に!」
「ええ、分かってるわ」
貴女の為に集めて、貴女を殺してあげるわ。貴女の為に、ね。
〜華琳 Side〜
「麗羽は本当に馬鹿ね。付ける薬もないほどに」
「はっ。しかし華琳様、認めないと返事をすれば面倒な事になると思いますが」
「ええ、そうね。だからこう言ってやりなさい。『名を連ねる事は構わないが、今は時期尚早だと思う。華麗なる麗羽には分かって貰えると思うけど。だから、機が熟したら参加するわ』とね」
「……認めるでしょうか」
「……認めるでしょう。だからアレは馬鹿なのよ。真面目に考えるだけ無駄よ」
「は、はぁ」
反董卓連合解散後、まだ一月しか経っていない。
そんな中、麗羽から書状が届いて曰く、『劉虞を皇帝として推戴する。ついては、これに賛同する諸侯の一人として名を連ねて貰いたい。これを断るなら敵対するものとみなし、それなりの対応をさせて貰う』。
私の領内は落ち着きを見せているが、麗羽や袁術はそうはいかない。その中で、従わなければ討伐するなどと言う。恐らく本当にやるつもりなのでしょうけれど、貴女、正気なのかしら。
軍事を専らにするのは、敗亡への道よ。古代の大帝国の衰退は、その大体が軍事を専らにした事が原因の一つとして挙げられる。剣とは所詮禍事をもたらすものなのだ。禍事に塗れれば当然自分もその国も禍事から逃れられない。古代の偉人達から何も学んでいない貴女は本当に度し難い低能だわ。
教経を見なさい、教経を。程よく勝つ。それが国にとっても自分にとっても最大の利益をもたらしてくれると知っている。君主たる者は、あの行蔵を見倣うべきなのよ。勝ちを貪らず、戦を愉しまず。私と共に学んだ孫子にも書いてあったじゃない。『百戦百勝は善の善なるものにあらざるなり』。勝ち続ける事が最終的に勝者となる事を保証する事ではないのよ。楚の項羽を見なさい。勝ち続けて勝ち続けて勝ち続けた結果、彼の周りから人が離れ、恨みや妬みを買い、そして最後の一戦で敗れて全てを失った。勝ちすぎれば、疎まれ恨まれて必ず害を被る事になる。類い希なる幸運により、例え自分の代で問題が起きなくとも、将来に必ず禍根を残す事になるのだから。
「ところで桂花。公孫賛に対する工作はどうなっているの」
「はっ。公孫賛はこちらが煽るまでもなく、この件に対して断りの返答を誰よりも早くしておりますので袁紹とぶつかるのは必定です。また、既に危機感を抱いている様で、募兵を行い、糧食を買い求めているようです」
「そう。では、桂花。黒山賊と連携するということが考えつけるようにしてあげなさい。黒山賊への工作は私が直々に行うわ。秋蘭、エン州の糧食の余剰を流してやりなさい。簡単に倒れられては困るの」
「はい!華琳様!」
「畏まりました、華琳様」
これから、どうするか。
今回の功績とやらでエン州牧の地位に着いたわけだから、当然エン州を掌握する必要がある。それが、第一にすべきこと。その先、この天下がどういう経緯を辿るのか。
麗羽、教経、孫策。この三者に、私を含めた四者が最終的に覇権を争う事になるでしょう。最も手強いのは教経だけど、流れとしては彼と対峙する人間が誰なのかを先ず争う事になるのでしょうね。地理的に考えて。雍州や涼州を喉から手が出るほどに欲する人間は居ないでしょう。人が少ないわけだから大した利益にはならない。
そうなれば、やはりエン州は危険ね。此処は人口が多いもの。麗羽は間違いなくエン州を併呑しようとするでしょう。それまでに、対抗策を考えて置く必要がある。
まず、孫策。為人をもっと調べる必要があるわ。天下に野心を持っているのか、それともある程度で満足し、臣従しても構わないと思う質なのか。それによって、対処を考える必要がある。後者であれば不可侵の会盟を行う必要があるかも知れない。腹背に孫策が居る状態で、麗羽はまだしも教経と対峙するなどあり得ない。前者であるなら、早い内に攻め滅ぼしておく必要がある。力を付けないうちに。麗羽などより、余程手強い。そういう印象を私に持たせるだけの家臣が居るのだ、孫策には。周公瑾。アレはかなり出来るわ。それこそ、教経のところの郭嘉や程cに匹敵する程の女。だから、早い内に叩く必要がある。
次に麗羽。麗羽自身は低能。文醜は武に優れているが頭が弱すぎる。顔良は武に優れているだけでなく、ある程度の学がある。性格も沈着な方だ。しかし、やはり思考には武人としての傾向が色濃く反映されるようだ。客将となっている劉備は、袁紹と同じで低能。その義妹である張飛の武は、春蘭に匹敵するものがあるかも知れない。少なくとも、虎牢関で見かけた際の武勇は際だったものだった。油断は出来ないだろう。だが、それらはどうにでもなる。
問題は、劉備の知嚢となって居た、二人の少女。アレは、何としても欲しい人材だ。二人共に切れるはずだ。私が直接面語したのは諸葛亮だけだが、敏い女だった。それが共に仕えようと誘ったのがホウ統だというのだ。凡才であるはずがない。最低で良才、もしかすると偉才。もし麗羽と事を構えるなら、劉備達を独立した勢力としておく必要があるわね。
「桂花に、麗羽の客将である劉備を独立させるべく策を施すように言っておきなさい。あと、今回の麗羽の行動に対して、批判的な考えを持っている家臣を洗い出し、徹底的に揺さぶるように、と」
「はっ、畏まりました」
そう言って、官吏が駆けていく。
打てる手は全て打っておくのよ。そうやって勝ち目を増やしておいてから戦をするの。貴女のように、気分でやるものではないわ、麗羽。少なくとも、連合参加によって消費した人的・物的資源を元の水準まで戻す必要があるのだから、今は休むべき時なの。
しかしまぁ、何とも面倒な策を施してくれたものね、教経は。お陰でエン州を取り纏めるのに予想以上に時間が掛かっているのだから。戦場で有効な策を考えつくだけなら誰にでも出来る事だけれど、政にまで影響を及ぼす程の策を思いついて実行する辺りは、流石ね。まあ、陳留に関しては全く揺るがなかったけれど。
……見ていなさい、教経。
麗羽を滅ぼし力を付けた後、貴方の首に縄を付けに行ってあげるわ。
この私、曹孟徳が、ね。