〜琴 Side〜

お屋形様にお仕えするようになってから、一月が経過した。
その間、私の仕えぶりを見た星から、認めてやらんこともない、と言われて真名を交換した。お屋形様のことを本当に大切に思っているからこそのあの態度だったのだということは私にも分かる。星は、素直ではないから、私に対してああいう態度を取った為に少し引っ込みが付かなくて、それでああいう言い方をしたのだ、ということも。

お屋形様に仕える事になってから、まず最初にお屋形様から衣装を戴いた。
浅葱色にダンダラ模様の、お屋形様と同じ意匠の羽織。

「お屋形様、これは?」
「壬生狼になるんだろ?それなら、それは必須だ。誇り高き壬生狼達の隊服だからな」
「これが、隊服……」
「そうだ。それと、背中を見ると良い」
「背中?」

お屋形様に言われて羽織の背中を見る。
首の付け根辺りに一文字だけ、文字が書いてあった。
『誠』。
これは、どういう意味だろうか?

「お屋形様、これは?」
「一時期、誠忠浪士組、と呼ばれていた時の名残だと言われているがね。尽忠報国の誠、ということさ」
「尽忠報国の誠……」
「そうだ。皆それぞれにその胸に譲れぬ理想を抱いて、それを目指して剣を振るっていたのさ。ちなみに浅葱色は、武士が切腹するときに着用する裃の色だ。『例え死すとも尽忠報国の誠を尽くす』。それがその隊服が持つ意味合いだ」

例え死すとも、国に報いる為にその忠を尽くすこと。その偽りなき決意を表している、ということなのか。この羽織と『誠』の文字で。それでお屋形様は、あの晩もこれを着込んでいらっしゃたのか。

「よく、分かりました」
「ふむ。分かったなら良い。……琴、『悪・即・斬』を貫く為には、己の目を養わんとならん。お前さんは、袁紹の掲げた戯けた嘘を見抜けなかった」
「……はい」
「……まぁ、自分の掲げる理想がはっきりした今のお前さんなら、もうあの馬鹿には騙されないと思うがな。但し、悪とは何かを考えて置くことだ。お前さんがその信念とする『悪・即・斬』においては、悪を斬り捨てることそのものも正義に含まれる。だからお前さんは、悪について考えろ。あの晩に話をしたように、悪もまたそれを取り扱う人間によって変わってくるものだろうからな」
「お屋形様、悪を斬り捨てるだけで、正義を為せるのでしょうか。今の私は、悪というものはこういうものである、と漠然と考えていますが、それを斬り捨ててどのような正義を打ち立てるべきなのか、よく分かりません」
「はは、お前さん、自分一人だけで自分一人が考える義を為そうなんて考えているんじゃないのかね?善とするところはその個人に拠るが、義とは、個人に拠るものではない。義とは社会共同体、つまりこの世界に生きる人間全てにとって正しいこと、望ましいこと、良いこと、ということだ。
あの晩、俺の正義をお前さんに語ったはずだ。お前さんが俺に仕える以上、お前さんの義は俺の義と同義だ。俺が、お前さんに義を呉れて遣る。お前さんがそれを正義だと思えるなら、それを実現する為にその剣を振るって欲しい。この俺の為に」

お屋形様の、正義。
平凡な世の中を創り出したいという夢を我欲によって阻もうとする者達を斬り捨てること。我欲に拠らずその思うところの正義を以て阻もうとする者達をも斬り捨てること。斬り捨てて、越えられぬ苦しみのない、ありふれた世界を創り出すこと。
正義だと思える。お屋形様が抱いている夢を実現させることは、正義を実現させることだと思える。

「お屋形様。この琴は、お屋形様の夢の為に、お屋形様に、この剣を捧げます」
「そうかね。……もし俺が道を踏み外したその時は、お前さんが俺を斬り捨てろ。良いな?宣言通り、『悪・即・斬』、死ぬまで貫いてみせろ」
「御意」

誇り高き狼。
お屋形様を形容するにこれ程相応しい言葉はないだろう。
私は、良き主君を得た。そう思う。















「で、何でいきなり真剣抜きはなってるンだね、琴」
「稽古を付けて頂けないかと思いまして」
「稽古、ねぇ。立ち合いはしないぜ?……とりあえず木刀持ってこい」
「はぁ」

久し振りにお屋形様がお暇になったと聞いた私は、お屋形様に稽古を付けて戴こうと参上した。
のだが。お疲れのようで、立ち合いはしない、と言われてしまった。
立ち合って貰えないのは残念だが、何やら手ほどきをして頂けるようだ。
そう言われて木刀を持ってくる。
この木刀は、お屋形様が樫の木を削って作ったものらしい。

ちなみに、私はあれからずっとこの羽織を着ている。
私の服装はお屋形様が普段着ていた着物と良く似ていたので、この羽織を私が着ても違和感が全くなかった。まるで最初からこれを着ていたかのように似合ってやがるな、とはお屋形様の言だ。

「……まぁ、これでいいだろ。壬生狼がどう悪を斬り捨てるのか、見せてやるよ」

お屋形様はそう言って、中庭にある木の前に立つ。
木刀で、あれを斬るというのだろうか。

「……刀争の術というものは、その太刀ゆきの疾さで全てが決する。疾い太刀ゆきは弛み無い鍛錬によってもたらされるモンだ。その太刀ゆきの疾さを極めた時、例え太刀を持たずとも人を斬ることが出来るようになる……こんな風にな」

お屋形様が木刀を振る。立ち合った際にも感じたが、尋常ではない。目で追えるギリギリの疾さだ。その木刀を横一文字に振るう。
……木の幹が裂けている。いや、『斬れて』いる。このようなことが、ありえるのか。いや、目の前で起きているのだから、あるのだ。……私の師でもこれ程の腕は持ち合わせていなかった。やはり、お屋形様は最高の剣士だと思う。

「……ふぅ。……ちゃんと見えたか?」
「……はい」
「見える、ということは、お前さんの剣速もかなりのモノだって事だ。自分が生息する疾さの範疇にあるものしか、見えないモノだからな。その内お前さんにもこれが出来るようになるだろう」
「……これが、壬生狼の太刀筋、ということですか」
「……そっちはこれからだ」

そういって、お屋形様が木刀を左手に持ち替えて横に寝かせる。
地面に刃が水平になるように。
右手を寝かせた剣の切っ先に宛がい、先程斬りつけた木に向ける。
突きを放つような格好で。

「コイツは小野派一刀流の業じゃないンだ。元は天然理心流の業を、溝口派一刀流の人間がこういう業に昇華させたのさ。この突きを例え躱しても、横薙ぎに変化することで隙を無くした必殺の突きだ。まぁ、大概変化することもなく相手は死ぬがね。……よく、見ておけ。
おおおおおお!」

お屋形様が駆ける。賊共を一瞬で斬り殺した時のように。

「死にさらせ!!!」

突きを放った。
鈍い音と共に、木の後ろから木片が飛び散った。
……木刀が、木を貫いている。

アレを、人に放てば間違いなく死ぬだろう。正しく、『必殺』の剣。

「……チッ、引きちぎって倒してやろうと思ってたのにねぇ」
「お屋形様、今のは……」
「『牙突』さ」
「『牙突』?」
「そうだ。『悪・即・斬』を貫こうってお前さんに、とっておきを呉れて遣るよ。そいつを貫くなら、この業を以て貫くが良い。それこそが相応しいンだからねぇ……斉藤的に考えて。……ち、この木刀、もう駄目だな」
「これで、貫く……」
「そうだ。突きで貫くのさ。敵も、悪も、『悪・即・斬』の信念も、な。洒落てるだろ?」

そういって、ニヤリと嗤う。

お屋形様は、私に貫くべき信念を与えてくれた人だ。
『悪・即・斬』の理を。
今また、それを貫く為の手段を私に与えてくれようとしている。
『牙突』という牙を。
……私はこの人に何かを返す事が出来るのだろうか。

「どうした?琴。ちょっと人外過ぎたか?」
「お屋形様、私は、お屋形様に何かをお返しすることが出来るのでしょうか」

そう言った私に、お屋形様は苦笑しながら話しかける。

「……阿呆め。この俺に助けられていると感じたならお前さんも誰かを助けてやればいい。俺から何かを貰ったと感じるなら、お前さんも誰かに何かを授けてやればいい。人間ってのは、社会ってのはそういうモンだ。そうやって人間は生きていくンだよ。
俺がお前さんの世話を焼いたのも、こうやって業を教えるのも、俺がかつて糞爺から様々な業を、心構えを、剣士としての生き様を教えて貰ったからだ。それをお前さんに、俺が授かったのと丁度同じように授けてやろうというだけのことだ。俺に何かを返す必要なんて無いンだよ、琴。お前さんが受け取った何かを、また別の誰かに授けてやれば良いンだ。そうやって誰かに何かを残してやれる、そんな人生を送れば良いンだ」

そう言ったお屋形様の顔は、凛々しかった。
この人は、私とそう年齢が変わらないのに。余程、その糞爺と呼んだ方が厳しく仕込んできたのだろう。糞爺と良いながらも、その言葉にはあらゆる感情が込められている様に見える。
言葉通りの憎しみも、それを上回る親愛の情も、懐かしさも、寂しさも、何もかも。

「……有り難う御座います。必ず、その牙をものにして見せます」
「その意気だ」

お屋形様から手取り足取り、構えから突きを放つまでの体の動きを矯正された。

「これを、毎日繰り返すことだ。繰り返してその身に染み込ませることだ。危急の時にその身を救うのは日々の弛まぬ鍛錬の結果身につけたモノだけだ。それ以外のモノは只の飾りに過ぎんのだからな」

そう言って、お屋形様は立ち去った。

……私は、お屋形様のご高恩に、私の全てを捧げて報いてみせる。
私の全てを捧げて。