〜教経 Side〜
反董卓連合軍との戦から、一月近く経とうとしている。
終戦直後、諸侯に余力がなかった為か目に付くような動きをしている諸侯は一部を除いて居なかったが、漸く大本命の大馬鹿が動き始めた。
袁紹が、皇帝の挿げ替えを実行しようとしている。稟と風、そして詠からも、そう報告を受けた。
劉虞を皇帝にしようと言うのだ。
俺の知る史実とは違って、どうやら劉虞は乗り気らしい。
……本当に阿呆だねぇ。
袁紹が望んでいるのは、袁王朝の樹立だろうに。
お前さんは、用済みになったら死ぬことになる。自然死、という形で殺されるだろう。禅譲を断っても、当然死ぬ。死しか先に待っていない道を、我から望んで歩もうとはねぇ。
分限を弁えない奴は死ぬ。想像力のない奴は死ぬ。その両方を兼ね備えた、類い希なる自殺志願者らしいな、劉虞って奴は。完全自殺マニュアルでも贈ってやろうか?この際、劉愚って改名してみたらどうかね?その方がお前さんにはお似合いだ。愚者から大馬鹿者への禅譲。とんだ笑劇だ。
ちなみに平家の軍師様達は、皆それぞれ別の諜報網を用いているらしい。風曰く、『その方が、より物事を多角的に見ることが出来るのですよ、お兄さん』。まぁ、確かにそうだろう。使っている人間に何を見てくるように要求するかはそれを使役する人間次第だ。当然、得られる情報は諜報網を使う人間の嗜好が色濃く反映されたモノになる。
稟は、軍事面を重視した諜報活動を行う。兵糧の動き、金の流れ、人の移動。そういった情報から、この先何が起こり得るのかを分析し、確率が高いもののいくつかに対して策を講じ、備える。備えるだけでなく、軍事活動が制約されるように幾重にも策を張り巡らせてその行動選択の自由を奪う。例えば、烏丸などの異民族を煽動して国境に兵を集結させ、軍事行動を軽々しく取れない状況を現出させている。遠征など、とても出来たものではないだろう。
風は、政治面を重視した諜報活動を行う。領内への布告、社会インフラ整備事業の内容、税率。そういった情報から、その治世に綻びがないかどうかを鑑み、この先手強い相手になるかどうかを分析する。その上で、手強い相手になり得ると感じた者には、離間、流言、煽動、破壊活動を仕掛け、その治世を積極的に揺さぶっていく。特に地方の小領主で傲慢で貪婪な者に目を付けては、それを助長させて圧政を行わせることで治世を揺るがしたり、それが国境の者であるならば兵の小競り合いを現出させて他国との軋轢を発生させたりして、真っ当に政を行う事が出来ない状況を創り出している。
詠は、各家の政争に重視した諜報活動を行う。皇帝の膝元で政と宮廷を取り仕切っていたのは伊達ではない。魑魅魍魎の巣窟である宮廷の権力抗争の中、董卓を押し上げてきたその手腕で、諸侯の家の中における政争に積極的に関わっているようだ。より低能な者に、より有能な者を陥れる為の策をあらゆる手段を使って伝えさせ、実行させ、それが成るようにある程度助力する。低能な者を助力しながらも、大勢がある程度決した時点で有能な者にその陰謀を通知し、対策を講じさせ、より酷い政争となるように仕組んでいる。より多くの有能で忠烈な士が死ぬように。詠が凄いのは、自分が全く表に出ないところだろう。その国の人間を使って、全ての策を施している。自分から直接伝えたりはせず、何人もの人間を経由させて情報や策を与えているのだ。傍目的には、自国内の人間だけで壮大な陰謀劇が繰り広げられているように見える。だが、陥れる側にも、陥れられる側にも、詠の影が見え隠れする。
俺は、経済戦争に関して積極的に策を考案している。稟が、それを理解した上でより効果が上がるように策を構築して行っているようだ。まぁ、風も詠も、同じように此処には関わってくる。お互いに張り合って。その才の全てを傾けるような勢いで。……相手には災難なことだ。
俺は経済。稟は軍事。風は治世。詠は権力闘争。
この四人で、それぞれが思う最良の策をそれぞれの分野で実施する。時に全員で顔を突き合わせて今後の策の展望を話し合い、互いが行おうとしている策に有効に絡めることが出来る策があれば、併せてそれを行う事でより一層の効果を出せるように全体の絵図を描いていく。
余所でも、コレと変わらない事をしているンだろうが、ねぇ。
相手が、悪いと思うンだよねぇ。
郭嘉。程c。賈駆。
勝てる奴が居るのかね?コレに。一人で全てをやっている訳じゃあ無いンだ。それぞれ専門とする分野を持っている。専門家に対抗するには、専門家が必要だ。諸葛亮は、全てを自分でこなす。その才も、対抗するに能うモノだろう。だが、惜しむらくはアレは一人しかいないということだ。
俺たちに対抗する為には、四人必要だ。演義における諸葛亮レベルの天才でも、三人は必要だろう。そうでないと、手が回らないに違いないのだからなぁ。経済面に関しては、はっきり言ってこの時代の人間は子供以下のレベルだ。なぜモノの価格がこうなるのか、市場の原理とはどう働くものなのか。それらを学術的に学んできた俺と、感覚でモノにしている人間とが争えば、俺が勝つのは目に見えている。よしんば対抗手段を講じることが出来たとしても、それを徹底させることが出来る立場には居ない。この時代、商人の地位は低く、蔑まれているが、国家戦略に縛られることは全くなく、自由なのだ。仕掛ける側の方が、仕掛けられる側よりも優位な状況で戦を始めることになる。最初から存在しているこの差を埋めることは出来やしない。
それは兎も角、愚者と大馬鹿がどんな絵を描いているのか。
それを知ることが先決だろう。
もし、俺たちを目の敵にして追討令を発したら。
その事について、話し合っておく必要があるだろう。
〜稟 Side〜
教経殿から、平家軍の軍師が招集を受けた。
教経殿の部屋に全員が集まって話をする。
「袁紹が追討令を発したら、ですか?」
「そうだ。そうなった時、政治的に全く揺らがないという訳には行かないし、純軍事的に考えても対抗する手段を用意しておく必要がある」
「お兄さん、お兄さんは政治的な大義名分を欲しているのですか?」
「いンや。そんなモノはどうでも良い。漢王朝など、只のガラクタだ。もう既にな」
「ちょっと待ちなさいよ。只のガラクタと言うにはまだ早いわよ?権威もあるし、その命令にはある程度の拘束力を持たせることが出来る状況だと思うんだけど?」
「そんなことを歯牙にも掛けない、最強の台詞を教えてやる。『それがどうした』。
王室の命令がない状況で軍事を催す事が出来た。その事実は、漢王朝は既に死んだも同然であることを世に示すものだ。それになぁ、漢王朝の元で善政を布いていた董卓を討伐しに来た馬鹿共に対し、それをやめるように勅命を以て制止しなかった時点で漢王朝はお終いなんだよ。己が為に尽くしてくれた忠臣であり能臣である董卓を討伐されるままに放置する。年若であろうとなんであろうと、そんなことは理由には成らないんだよ」
「しかし、教経殿。致し方ない部分もあるのではないかと思いますが。勅命を以て連合軍を制止しようと思いつける程の余裕があったとは思えません。陛下自身にも、周囲の者達にも。詠にしてからが、それを思いついて居なかったのです。
陛下にとって、董卓殿を殺されるのは、己の手足をもぎ取られる程に辛いことでありましょう。それでも、抵抗する手段を思いつかなかったのです。涙を飲んで、時勢に流されるより他にないと思っていたに違いありません」
「……泣いて馬謖を斬る、か。ふん。自分が犠牲にならずにすむなら、いくらだってうれし涙がでようってものだろうねぇ」
そう、吐き捨てるように言った。
「……馬謖?」
「あ〜、まぁ、置いとけ。どちらにしても、斬り捨てられる手足からすれば、どんな涙を流そうとそれは自己陶酔、自己憐憫の極みに過ぎんよ。そんなに哀しいなら命を投げ捨ててでも手足を護ってやればいい。それをしていないんだ。弁護する余地はないぜ?」
……教経殿の言は正しい。
だが、教経殿のように、己の意志や理想を貫ける者ばかりではないのだ。
教経殿の様な人以外、誰も陛下を責められないのではないか。そう思ってしまう。
「話がずれちまったが、そういう訳で俺は漢王朝なんてモノは認めない。認めないどころか、それはもうとっくの昔に滅んじまってるモノだ。俺の中ではな」
「では、お兄さんは……」
「ん?」
「……お兄さんは、平王朝を樹立する。それを目的としているのですか?」
「……言ったろう?天下を統一する。それが俺の夢を実現する為に必要な手段だ。平王朝なんて形を考えていた訳じゃ無いが、それしかないのならそうするさ。だが、それ自体が目的じゃない。そいつは、手段に過ぎんよ。他に手段があるなら、別にそれでも構わんよ。あるのなら、な」
平王朝が必要なら、それを樹ててやる。
平然とそう言い放つ。
「……全く。物騒なことこの上ないわね。いい?それ、ボク達平家の人間以外に、今はまだ公言しちゃ駄目だからね?」
「分かってるさ。しやしないよ。『今はまだ』、な」
「分かってるなら、それでいいのよ」
「……追討令が出された場合、政治的に領民が揺らぎ、反乱を起こす可能性はある?風」
「……余程巧妙に煽動されれば、あるとは思うのです。でも、限りなく低いと思うのですよ」
「何でそう思うのよ」
「今回の戦の正義は、お兄さんにあった。それは、流言によって事の顛末を流布したことによって領内だけでなく既に全国に伝わっていることなのです。その状況で、お兄さんを討伐せよ、という命令を出す。風に言わせれば、自殺行為にしか思えないのです。自分たちは、義に厚いお兄さんが生きていては困る存在だ、と全国に触れを出して廻るに等しい行為なのですから」
「……いつの間にそんな流言飛ばしたンだ」
「お兄さんから策を聞いた時点で、手筈は整えておいたのです。利用出来るものは、全て利用する。その必要がある限りにおいて、どんなものでも利用すべきなのですよ、お兄さん。利益をもたらすと思われるもの、その可能性を持つ策については全てこれを行っておくに越したことはないのです。お兄さんの矜持が傷つかない限りにおいて、ですが」
こういった方面のことは、勿論私でも思いつくが、風の方が少し早く思いついて居ることが多い。風には敵わない、と思わせられる。
「成る程。では、政治的にはさほどに問題にならない、と考えている訳ですね?風は」
「稟ちゃんはそう思わないのですか〜?」
「いえ、同じ意見です。貴女の言う通りになるでしょう。ならないなら、そうすれば良いだけのことです」
「そうね。それで良いんじゃない?ボク達が居れば大概の事は出来ると思うから、予測が外れた時にどうするのかが大まかに決まっていれば問題無いわ」
詠がそういいながら、眼鏡を押し上げている。
教経殿は、詠に夢中になりつつあるようだ。
負けませんよ?詠。
私も対抗して眼鏡をこう、クイクイと押し上げる。
「……やばいんだねぇ……二人とも誘ってやがるのか……俺は眼鏡属性持ちなんだよねぇ……麦茶が好きなんだよねぇ……」
「お兄さん、へぶん状態なのはいいのですが、まだお話は終わっていませんよ?」
風がそういいながら、座っている教経殿の正面から跨って抱きつく。
「ちょ、ちょっと!アンタなにやってんのよ!」
「風に夢中にさせるのですよ。稟ちゃん達ばかりずるいのです」
「風!貴女って人は……!」
しれっと答えた風に、私も詠も噛みつく。
抜け駆けは、許しませんよ、風?
「……四人で集まると、毎回こうなってる気がするんだねぇ……」
教経殿は、そういって遠くを眺めていた。
〜風 Side〜
……三人で張り合って、結局お兄さんと致したのです。
毎回、こんな感じなのです。
稟ちゃんも、詠ちゃんも、期待していたに違いないのですよ。
「で、純軍事的にどうするのか、なんだが」
寝台で寝転がりながら、お兄さんがそう語りかけてきます。
……寝物語に策を語る。
普通にあり得ないことですが、風達にはこれが普通です。
「どうするのよ。アンタのことだから、何か考えているんでしょ?」
「まぁ、ね」
「何をお考えになっておられるのですか?教経殿は」
「……益州の一部と荊州の一部を手中に収める。具体的には、魏興郡、新城郡、巴東郡、宕渠郡、巴西郡、梓潼郡、武都郡、ムン(さんずいに文)山郡を。これで、俺たちを攻めてくる相手を防ぎやすくなるだろう。長安の裏を突くことが出来る新城郡と巴蜀から侵攻する際に通るであろう梓潼郡、巴西郡。これで蓋をする。そうした上で力を蓄えたい」
益州の一部、荊州の一部。
これを奪うことで力を付け、かつ守るに易い環境を作り上げる。
……お兄さんの頭の中はどうなっているのでしょうか。
攻めつつ守る。守りつつ攻める。それを叶える為には恐らくこれ以上の策はないのです。
「……思うんだけどさ、アンタに軍師って必要な訳?」
「必要だ。俺は、そうしたいってだけなンだよ。そうなったら楽が出来るだろうと思っているだけなンだ。それを具体的にどうやって実現するか、という部分がすっぽりと抜けちまってるンだよ。お前さん達が居なかったら、俺は何にも出来ないンだから。頼りにしてるよ、詠。稟。風」
「う……た、頼りにされてやるわよ」
詠ちゃんは嬉しそうにお兄さんに抱きついていますね〜。
「ではお兄さん、いつまでに、それを行う必要があるでしょうか」
風も抱きつきながら、お兄さんにそう尋ねます。
「……それが分からん。今すぐ、は無理だ。どう考えてもね。兵の士気にも関わるし、連戦するのは避けないとな。民からも、戦馬鹿だと思われかねないしねぇ」
「来秋、実りを収穫した後で、と考えていて良いでしょうか」
稟ちゃんが、真正面からお兄さんの上に覆い被さるように抱きつきます。
……風が、そこに行けば良かったのです。
詠ちゃんも、そんな顔をしています。恥ずかしそうですが。
「……状況次第だろうねぇ。今年豊作だったからと言って来年もそうとは限らない。今軍事的に余力があるからと言って将来もそうだとは限らない。予断を持って事に当たるのは怪我の元だ。その時に考えればいいと思うんだが、どうかね?」
「それでは、来秋、実りを収穫した時に考えましょうか、お兄さん」
「まぁ、そうなるかな。ただ、覚えておいてくれよ?俺がそう思っているって事を、ねぇ」
「分かってるわよ。情報収集もしておくし、攻めた時に上手い具合に混乱してくれるように流言を飛ばしておけばいいでしょ」
「そうですね。今はそれで十分だと思います」
お話は、これでお終いなのです。
「……では、お兄さんの準備も十分なようですし」
「そ、そうね」
「教経殿……」
「……俺はいつか死ぬんじゃないかね?こう、目の前が黄色くなって……」
「自業自得なのです」
「自業自得よ」
「自業自得だと思います」
……平等にしなければならないのですよ、お兄さん。