〜冥琳 Side〜
平家軍が虎牢関を放棄した。虎牢関に、炎を放って。
雪蓮が珍しく大人しくしていたので何かあるのだろうとは思っていたが、まさかあの様な罠を用意してあったとは思いも寄らなかった。
誰だってそうだろうと思う。
誰が、石造りの虎牢関が燃えると思うのだ。それも、関全体が、一斉に燃え上がったのだ。勢いよく。
我先に虎牢関を突破し、洛陽へ向かおうとせめぎ合っていた袁紹軍と袁術軍は、関内で身動きが取れずにその炎によって多くの兵を死なせることになった。曹操軍と公孫賛軍、袁紹軍本隊及び袁紹軍の将である劉備の隊は、これを見越してなのか動かず、難を逃れたようだ。
「冥琳。袁術、死んでくれないかしら?この炎に巻かれて」
「そう願いたいが、残念ながら簡単にはいかないだろう。まぁ、これで生き残ったところで全軍の7割以上の兵を死傷させている。誠にやりやすくしてくれたものだ、平教経は」
「そうね。ただ、これから大変なことになるわよ?冥琳。何せ、平教経は馬騰を臣従させて、たった一人で董卓に味方して、連合軍を向こうに回して勝って見せたのだから。きっと彼に従いたいと言う人間が増えると思うわ。……漢王朝を無視してでも、ね」
「……雪蓮。お前は彼が勝った、と言うが、何故そう思う?」
「……彼の目的は、董卓の救出でしょう。そうでないと、完勝できる戦を放棄して領地に還ったりしないと思うわ。それに、どのみちあのまま戦っていたらわたし達は負けていた。違う?冥琳」
……違わない。
私も、彼が虎牢関だけでなく洛陽を放棄したと聞かされてそう思っていた。
これは、袁紹を満足させる為の撒き餌のようなものなのだろう、と。
どうやらあの男は、漢王朝に全く価値を見出していないようだ。そうでなければ、皇帝を連れ出したことだろう。だが、それに至上の価値を見出している袁紹にとっては、格好の餌となる。
皇帝の身柄。
これが手に入ることで、袁紹は満足するだろう。そう考えての、撒き餌。それにより、董卓と平教経に対し、執拗に追撃を掛けるような真似はしないだろう。当然、これから嫌がらせは受けると思うが。
「いや、違わない。私もそう思う。随分と手強い相手になりそうだな、平家は」
「ん〜、どうかな〜?平教経と話してみないと分からないけど、私達の理想と彼の理想は、互いに共存出来るモノだと思うのよね〜」
「……また、勘か?」
「そうだけど、それだけじゃないわよ?
彼は、『義』を見て為せぬ糞共、と呼ばわったわ。そこに義を見いだせれば、その者を救う。そういった人間にとって、私達が抱いている理想は決して廃滅させるべきものとしてその瞳に映らないはずよ。わたし達としては、連合軍を相手に一歩も退かずこの結果を手繰り寄せた彼と敵対するよりは、友好的な関係を構築出来た方が良いわ。
わたし達は、失った領地を取り戻し、孫家の皆と民とが笑って暮らせる世の中を望んでいるだけ。孫家の血と、民の安寧が保証されるなら、天下統一には拘らないわ。彼が力による完全な統一を望まない限り、共存出来るはずよ」
……是非、そうあって貰いたいものだ。
私とて自分の才に自信はあるが、その力を目の当たりにした今、平家を向こうに回して完勝出来ると思うほど自惚れては居ない。
平家の兵は、剽悍だった。
雪蓮や祭殿が鍛えに鍛えてきた呉の兵を相手に、終に崩れることはなかった。それどころか、こちらの兵が押されていたのだ。
平家の将は、一流だった。
水関撤退時も、山塞放棄時も、虎牢関防衛時も。その全てに勝ち続けて終に驕ることがなかった。私達が二つの関を陥落させ、洛陽まで占拠しているが、彼らこそが勝者なのだ。それでも、驕ることなく沈着に行動していた。並の将に出来ることではないだろう。事態が思惑通りに進めば、多少の驕りはあって然るべきなのだから。
それらを率いる平家の主は、類い希な器量を有していることだろう。
恐らくわざと水関を抜かせ、連合軍が撤退を考えられぬように心理的に追い込み、流言を以て士気を下げた上でこれを程々に叩き、その目的とするところを為す為に兵を退く。連合軍の目的を果たさせながら、自分たちの目的も達成する。
誰が絵を描いたのか知らないが、良く人を知っている。開戦からここまでの、その全ての戦をその頭で描いている人間が平家軍にいる。私達は、その掌の上で踊らされたに過ぎないのだから。
その者は、呉起のような才を有しているかも知れない。
生涯で76戦し、終に一度も敗れることがなかった、不敗の名将。
戦だけでなく政にも通じ、配下に対して公平で能く人心を収攬し、率いる兵に彼女の為に死ぬことを厭わせなかった、稀代の名将。
……敵には回したくないものだ。
「……ああ、本当にそう願うよ」
万感の思いを込めて答える。
……この世界は、本当に広い。自分は、まだまだ不足している。
それが自分で確認出来たこと。それに因って私は更に成長出来る気がする。次は、こうはいかない。
なんにせよ、これから忙しくなる。
孫家の独立の為の策を講じなくてはな。
〜桃香 Side〜
洛陽に到着した。
途中、虎牢関にとても酷い罠が仕掛けてあった。
虎牢関が、燃えた。もの凄い炎を上げて。
私は、一番乗りしたかった。けど、朱里ちゃんや雛里ちゃんに止められた。
二人が居なかったら、私は死んでいたと思う。
私は要領が悪いから、きっと逃げ遅れて死んでしまっただろう。
二人が居てくれて、本当に良かった。
それにしても、あんな酷いことをするなんて。
何人も、生きたまま焼かれて死んでしまった。
虎牢関を通過する時、人間が焼けた臭いを嗅いだ。気持ちが悪くなって、吐いてしまった。皆、苦悶の表情を浮かべて死んでいたのだ。
……本当に、酷い。あんな残忍なことをするなんて。
虎牢関にいたのは、平教経さん。
どうして。どうしてそんなに酷いことが出来るんだろう。
いつか戦場で対峙することがあったなら、聞いてみたい。
もしそれを楽しんでいるのなら、許せない。残念だけど、力尽くでも分かって貰うしかない。例え、彼が死んでしまったとしても、自業自得だと思う。悪いことをして反省しないのは、悪いことだから。
到着した洛陽の街は、がらんとして、寂しい感じの街だった。
聞いてみると、住民の殆どは董卓さんに連れられて長安へ移動したのだそうだ。
……無理矢理に、連れて行ったのかも知れない。
その人達を、連れ戻してあげないと。
袁紹さんに話をする為に移動していると前から袁紹軍の中隊長が歩いてきた。
中隊長にその事を伝えると、きっと自分たちが助け出してみせる、と言って1500名ほど引き連れて洛陽を慌ただしく出発した。
心強い。良いことをした後は、気分が良いなぁ。
そう思って街を見ると、略奪行為をしている袁紹軍の兵隊さんが複数いた。
彼らを止めるように鈴々ちゃんにお願いをして、袁紹さんの元へ急ぐ。
袁紹さんは、きっと直ぐにやめさせてくれると思う。
私は、魔法の言葉を手に入れたのだから。
「袁紹さん、袁紹さんの兵隊さんが略奪をしているの。『華麗』じゃないから、やめさせた方が良いと思うんだけど、どうかな?」
袁紹さんに面会して、そう伝える。
「ぬぁんですってぇ〜!?そんな醜い人達は要りませんわ!文醜さん、顔良さん、今すぐその華麗でない者達を処罰なさい!」
「……いや、姫?姫がその、好きなようにしろって言った奴らだと思うんだけど……」
「なにをぶつぶつと言っているのです?打ち首にしてしまうのですわ!さっさとなさ〜い!」
「「あらほらさっさ〜」」
「有り難う、袁紹さん。やっぱり袁紹さんは『華麗』だね」
「あら、劉備さん?今頃そんなことに気が付きましたの?まぁ、私を褒め称えさせてあげますわ。お〜ほっほっほ。お〜ほっほっほ」
『華麗』な袁紹さん。
そう言うだけで、袁紹さんは私の言うことを聞いてくれる。最初は、顔良さんに言われてそう言っていただけだった。でも、私は気が付いたの。袁紹さんは、『華麗』な事が好きで、『華麗』だと言って貰いたい人なんだって。そう言ってあげれば、言うことを聞いてくれる人だって。
……袁紹さんにこうやってお願いをしていけば、もしかしたら私は王様になんて成らなくても済むかも知れない。悪逆な董卓さんも、平教経さんも、きっと袁紹さんがやっつけてくれると思う。もし袁紹さんが、道を誤りそうになったら、私や猪々子さんや斗詩さんで袁紹さんとお話をすれば大丈夫だと思う。今までもそうやって上手くやってきたんだし、これからもきっと上手く行くに違いない。
そうすれば、私は王様になんて成らなくても、いいんじゃないかな?
でも、朱里ちゃんや雛里ちゃんは、私を王様にしたいみたいだった。
……私に仕えてくれている二人。二人に申し訳ない気がする。
だから、もう少し頑張ってみようと思ってるんだけど。
……どうしても無理そうなら、袁紹さんと一緒に理想を実現しよう。ちょっとずるい気もするけど。口に出して言うことは、二人に申し訳なくてまだ出来ないけど。
袁紹さんも、猪々子さんも斗詩さんもいい人だ。
特に、袁紹さんは、人から馬鹿だと言われているけど、『華麗』であることに拘っているだけで本当の馬鹿じゃないと思う。そんなことを言ったら、私だってトロくて馬鹿だってよく言われてた。本当の馬鹿だったら、今回みたいにいろんな人達を纏めて世の為人の為に董卓さんを許す訳には行かない、なんて言わないと思う。
袁紹さんが天下を統一したなら、きっと私達で上手くやっていけると思う。
私の理想を、袁紹さんを通して実現する事が出来ると思う。
袁紹さんを利用することになるけど、その方が近道だ。私が今から力を付けるより、袁紹さんが今持つ力をより大きくすることで天下を統一させ、その後で私の理想を実現する。袁紹さんを、上手く誘導して。
これは、良い考えなんじゃないかな。
きっと二人も、理解してくれる。
その方が、早いに決まっているんだから。
〜華琳 Side〜
洛陽で、麗羽と袁術の兵が略奪を行っていた。
貴女たち、本当に救いようがない馬鹿ね。
今この洛陽に残っている民達は、董卓や教経に付いて行くことよりも貴女たちを受け入れることを選択した民達だというのに。貴女たちは、早速その民達を裏切っていることに気が付いていない。その事で、更に名声を落とすことになるのに。
国というものは、国があるから人が集まってくるものではないのよ?人が集まってくるから、国が出来るの。そんなことも理解出来ないのかしら。本当に馬鹿ね。これが味方だなんて、おぞましくて、汚らわしくて、とても不快だわ。いっそ、教経と一緒に連合を叩けば良かったかしらね。
戯れにそう考えて、愕然とした。
……その方が、良かったかも知れない。
名声という点では、これ以上無いものが得られたはずだ。一時的に不明の君主と言われたとしても、教経の策によって全てが明らかにされれば、罵られた分より高い令名を馳せる事が出来たかも知れないのに。いや、確実に令名を馳せる事が出来ただろう。
それから、教経を屈服させる為に袂を分かっても良かったのに。
でも、もう結果は出てしまっている。
死んでしまった子の年齢を数えるような真似はやめましょう。今後のことを考えて置かないと。
……恐らく麗羽が司隷州を手中に収めることになるでしょう。
この連合で利益を得たのは麗羽だけ。
私などの一部の人間を除いて、参加した諸侯はそう感じることでしょうね。
それらの諸侯を利用し、麗羽を奔命に疲れさせ、決戦して一気に河北を手中に収める。その為の準備をしなければならない。
……先ずは、公孫賛ね。麗羽はきっと馬鹿なことを言い出すでしょう。自分の都合の良い人間を皇帝に据えようと。そしてその人間から禅譲を受け、袁王朝の樹立を目指すでしょう。公孫賛は、そんな麗羽に反感を抱くでしょうね。あれはそういう人間に見えるわ。先ずは、彼女に麗羽と戦って貰おうかしら。
ただ、彼女だけでは麗羽に対抗することは出来ない。麗羽と事を構えようと思わせるには、豊かな兵力が必要ね。麗羽と領土を接している諸侯は、今回の遠征でその力を随分と落としている。公孫賛と連合をさせたとしても、その助力にはさほど期待は出来ない。であれば、どうするか。
……この際、賊でも利用しようかしらね。
『黒山賊』。常山を根城にして暴れ回っている彼らを、麗羽達は持て余している。彼らに、踊って貰おうかしら。私の掌で。麗羽は、総勢10万を超えると言われている黒山賊を押さえられるかしら。
……なんにしても。
麗羽、貴女とは良い友人だったけれど、死んでくれるかしら。私の為に。
友人の夢の為の礎になれるなんて、貴女本当に幸せな人間ね。
……馬鹿な貴女では、この乱世は終わらせることは出来ない。
貴女が悪い訳じゃ無いの。でも、貴女は旧時代を代表する家に生まれてしまった。
恨むなら、自分の生まれを恨んで頂戴。
旧時代の終焉と新時代の幕開けを世界に知らしめる為に、貴女には死んで貰うわ。
私の夢の為にね。
〜雪蓮 Side〜
「策殿!大変じゃ!」
「はいはい。祭、どうしたのよ。何が大変なの?」
洛陽に入って暫く後、ゆっくりしているとそう言って祭が駆けてくる。
「こ、これを見て下され!」
そう言ってその手を差し出してくる。
その掌の中には、印璽があった。
「……これは!祭、貴女、これをどこで手に入れたのかしら」
「井戸の中が光っているという報告を受けて取り上げてみたところ、コレが出てきたんじゃ」
伝国璽。
何故こんなものが井戸の中にあったのか、それは定かではない。
でも、これは役に立つわ。
何となく、だけど。
「祭、コレを取り上げた際、誰かに見られたりしなかったかしら」
「ふむ。周囲に儂の手勢を展開させて居ったので、誰も見ることは出来なんだと思うがの」
「そう。それならいいのよ。祭、直ぐに還るわよ」
「ん?」
「長居する訳にはいかないでしょ?噂に上った時に、袁紹達と面語出来る環境に居たくないのよ」
「ふむ。それが宜しいでしょうな」
「じゃ、宜しくね?」
「はっ」
天はわたしを、わたしの夢を祝福してくれているのかしらね。
これで、事態が大きく進む。そういう確信がある。それも、わたし達にとって良い方に。……これからどうするかは、冥琳に全部任せちゃいましょう。わたしはそんな面倒くさいことしたくないの。頑張ってね、冥琳。
自軍宿舎へ急ぎながら、わたしは冥琳に全部丸投げすることに決めたのだった。