〜教経 Side〜
童のもとから立ち去った後、虎牢関へ急いでいる。
「経ちゃん、こんな時に何を考えとるんや」
「……済まんな、霞。急がなきゃ成らないのは分かってたんだが、どうにも、な」
霞に、苦言を呈された。
まぁ、当たり前だろう。虎牢関へ急がなければならない時に、敵方の童を相手に暢気に説教をしていた訳だからねぇ。
「何であんな奴に構ってやったんや?アイツ、ウチとこの兵も平家の兵も、まるで親の敵みたいに殺しまくっとったんやで?経ちゃんのことやから、問答無用で斬り殺すと思っとったんやけど」
「……俺も最初はそう思ってたんだよ」
「なら、何で直ぐに殺さんかったんや」
そう、霞が聞いてくる。
……太史慈。
先ず、その名前に驚かされた。
呉の有力な武将。曹操が臣下に欲しいと思って招聘しようと画策した男。
見たところまだ童にしか見えなかったが、その実力を計らずに戦うのは、無謀に過ぎる。
丸一日睡眠を取っていない状態で瞬動などあり得ない。気絶しちまう。
気絶したら、殺されるのは分かっている訳だからな。あれは使えない。
だから、様子見をした。そしたら、俺を殺そうと抜刀斬りをして来やがった。
アレは、大陸の剣技じゃない。俺の国の剣技だ。鞘走らせた反動で、一気に相手を斬る。そういう業なのさ。
それを躱した後、軽く挑発をした後の奴の行動が面妖しかった。
……俺の思い描く太史慈という男は、武に優れた男だ。
感情にまかせて相手を殺そうとするような男ではなく、殺す瞬間は殺すべくして殺すだけの男だ。そこには感情が入り込む余地はない。そういう心構えを以てして相手を屠る、一流の武人だ。
だが、アレは違う。
何が何でも殺さなければならない。そういう、切迫した感情を感じたのさ。
だがそれで居て、殺すことを躊躇っているような気配があった。そういう自分を無理矢理に押し殺しているような、そんな気配もあった。心身が一致していない。そう感じたンだ。
俺の国の剣技をあの域まで修めるには、かなりの鍛錬が必要とされる。それは、腕を磨くことだけじゃない。俺の国の剣技では、先ず内面が問題になるンだ。強き剣は強き心がそれを支えるからこそ強いのだ。それを、教えられていないはずはない。どんな流派においても、先ず教えられることだ。心なき力はただの暴力だ。力なき心はその持ち主を終には殺す。だからこそ、共に鍛えなければならない。『心身一如』を為せ。そう教えられる。
あの域に達するまでの鍛錬をした人間が、それを為し得ていないなどあり得ない。そうでないと、あれ程の剣士には成れないンだ。
何かがある。童からそれを奪うほどの、何かが。そう思ったのさ。
だから、尋常に立ち合ったンだ。殺し合うこと程、相手を理解出来る手段はない。殺す為には、相手を計り、理解しなければならない。その力量を。その心を。その理解が正しければ勝ち、それが誤っていれば即ち負ける。俺は糞爺からそう教わった。
その結果として引き出した答えが、アレだった。
……俺には、弟が一人いる。
ある日、奴が泣きながら帰って来たことがある。
『虐められ、殴られた』
そう言って。
俺は、その餓鬼共をぶっ飛ばしに行った。そこで、俺の弟が俺という存在の威を借りて、普段そいつらを虐めていることを知らされた。だが、一度振り上げてしまった拳の落としどころが分からず、俺は自分が正しいのだと言い張ってそいつらをぶっ飛ばしたンだ。今思うと、恥ずかしい限りだが。自分が間違っていたことが恥ずかしく、そしてその事実を受け入れることが出来なかったンだ。
そして、糞爺に説教をされた。
『正義とは何か』、とね。
置かれた状況もやったことも全く違うが、童を通して、あの日の俺を見せられている気がした。
あの日、俺が糞爺に説教されたように、この童を俺が説教をしてやらねば成らない。教え、諭してやる事が、同じく剣に生きる者として、同じように迷い、諭された者として当然の、義務のようなモンだ。そう思ったンだ。
だから、説教をした。童の状態を把握した時点で、殺す気が失せてしまったのさ。
そう、霞に言った。
「……経ちゃんらしいけど。お人好しも程々にしとかんと、いつか死ぬで?」
「気をつけるさ」
「……まぁ、このことは皆には黙っといたるよ」
「……済まんね。バレたらこっぴどく怒られそうだ」
「秘蔵の酒でええで?……ほな、急ごうや。皆待っとるはずや」
「テメェ……まぁ、いい。急ごうか」
そう言って、虎牢関へ急ぐ。
童め、貴様の世話を焼いたから、俺がこんな目に遭っている。
……とっとと、目を醒ましやがれ。
阿呆め。
「現状で、どれくらい兵は残ってる?」
虎牢関に到着し、将を集めた席で、稟にそう訊いた。
「100,000強です」
「……そうか、結構死んだな」
「……はい」
想像していた最悪の状態から考えれば、遙かにマシな数字だが、それでも多くの人間が死んだ事には変わりない。だが、先ずはこの戦を俺の思い通りに描ききる事こそが肝要だ。
「……これから、虎牢関も放棄するぞ。敵軍の士気はもうガタガタだろう。まともに戦えるのは、袁紹軍を中心とした約60,000弱しかいない。その他は、士気が低すぎて駄目だ。早い内に放棄しないと、奴ら、本当に撤退しかねない状況に勝手に追い込まれて居やがる。
……大変なことにな、何と俺たちは勝ってしまうかも知れないンだ。それは困るンだ。負けないと駄目なンだよねぇ。普段戦には負けたくないし勝ちたいと思っているものだが、こんなに切実に負けたいと思うなんて我ながら笑えてくるな。……予想以上に連合軍が糞だったからねぇ、勝ち過ぎちまった感が否めない。折角準備させたアレを使うこともなかったしなぁ。まぁ、楽だったから良かったンだが」
「教経殿、アレとは何なのですか?」
「風達が帰って来たら説明するさ」
「では、今から説明して貰うのですよ」
声に振り返ると、風がそこに立っていた。愛紗も、無事に帰って来たようだ。
皆、無事で良かった。
「風!無事に虎牢関に到着だな」
「はい。途中で敵に遭遇することもなかったですし、問題無いのですよ」
「愛紗も、良くやってくれた」
「はい。教経様」
これで、平家軍は全員揃った。
「じゃぁ、これからの大筋を説明するぜ?」
「はっ」
「……虎牢関に、火を掛ける」
声を上げようとする稟を、片手を上げて制止する。
「勿論、此処が石造りの関だってことは重々承知の上で言っている。碧、アレを使うから有るだけ全部虎牢関に撒いてくれ。乾いている箇所がない、という様にな」
「分かったよ。今すぐにやらせる」
「お兄さん、アレとは何なのですか?」
「『火の水』だ」
「『火の水』?」
「そうだ。おかしな臭いのする水で、火を付けると水が無くなるまで燃え続ける。そういった性質を持った水なのさ。そいつを、虎牢関に満遍なくまき散らし、連合軍が虎牢関に侵攻してきた頃に火が付くようにして撤退する」
ウイグル自治区に油田があることを覚えていた俺は、碧を通じて羌族に捜して貰い、大量に持ってきて貰ったのだ。何処かに、石油がわき出ているところがあるかも知れない。そう思って、駄目で元々と捜して貰ったら、あったのだ。それを、此処で使う。
「……教経様は、最初からこれを考えていらっしゃったのですか?」
「いや。最初は、虎牢関に取り付こうとする連合軍の頭からかけてやって、火箭を馳走してやるつもりだった。余りの豪華な馳走に、その喜びをのたうち回って表現してくれることを期待していたンだが、どうやら馳走に与るだけの金も体力も無かったらしい」
「……ホンマ、碌な死に方せぇへんで?経ちゃん。えげつなさ過ぎるわ」
「ご主人様は物騒すぎるよ……あたしはご主人様の臣で良かった。そんな死に方したくないもんな」
「まぁそう褒めるな」
「「褒めてない!」」
さいですか。
「とにかく、虎牢関に火を付けたら長安へ移動する。月には既に使者を出してある。彼女達も一路長安を目指して移動する。俺たちはそれを護衛するンだ。俺の時のように民衆が多く付き従うだろうし、そいつらを殺させる訳には行かないからな」
「畏まりました」
……虎牢関には、派手に燃えて貰うことにするさ。
この壮大な劇に、幕を引く為に。
この戦で散っていった平家の郎党共をあの世に送ってやる為の、浄化の炎を以て、な。
〜華琳 Side〜
「華琳様、平家軍が虎牢関を放棄する模様です。次々に兵が進発していきます」
教経達が、山塞を放棄して虎牢関に合流した。
そう袁術が麗羽に報告をした事実を桂花から聞いた時、思わず手にした杯を地面に叩き付け、袁術の無能さを口汚く罵った。この士気が奮わない現状で、虎牢関に更なる戦力と士気を大いに上げる事が出来る人物が合流する。それを無為に眺めていたばかりか、既になってしまった後で報告をするなんて。どれだけ足を引っ張れば済むのかしら、あの甘ったれた餓鬼は。そう言って。
教経は、終に連合軍に、私に、戦場で勝つことが出来る機会を作り上げた。
次が、決戦の秋。しかも開戦当初とは異なり、あちらの兵が多く、こちらが少ない。あちらの兵の気勢は上がり、こちらの兵の気勢は大いに下がっている。……勝てる要素が、終ぞ見あたらない。如何に負けるか。それが私にとって至上命題のように思えていた。
その教経が、一戦もせずに虎牢関から兵を退くですって?
……何か、考えているのかしら。
「……どこに向かっているの?」
「長安を目指している模様です」
勝てる現状を捨て、その上更に洛陽を捨てる、と言うの?
……虎牢関に何か罠があるのではないかしら。あの男にしては不自然すぎる行動だ。逆に罠がないとも考えられるが、余りにも不自然であるから更にその裏を考えて虎牢関に兵を進める、と思っての行動かも知れない。……全く、本当にやっかいね、貴方は。でもね、教経。私は自分の直感を信じることにしているのよ、こういう時はね。
「わかったわ。桂花、洛陽入りの準備を。他軍は知らず、私達は暫く待機なさい。虎牢関に近づいては駄目よ」
「はっ」
「……虎牢関一番乗りは、致しませんか?」
「秋蘭、あの教経が、何の備えも策もなく唯々虎牢関を放棄する、と?」
「……いえ。思いません」
「そう。そういうことよ」
「はっ」
教経の、思い通りの戦、ね。
『董卓が生き残れば、俺の勝ちだ』。
その通りに、あの男は董卓を生き残らせた。
諸侯は、逃げた董卓を討伐しようとはしないでしょう。私でさえ、密約が無くてもやらなかったかも知れない。
教経の、策。想像通り、えげつない策。抗うことも備えることも出来ない策。
董卓と教経は極悪人どころか善人も良いところだった。その事実が判明したことで、董卓と教経を殺す口実が無くなってしまった。民達にとっては、私達の方が無道で無法な無頼にしか見えないでしょう。この状況では、如何に麗羽が馬鹿でも彼らの命は諦めざるを得ないでしょうね。まぁ、麗羽のことだから、洛陽を手に入れたら全てを忘れるのでしょうけど。アレは、馬鹿だから。底なしの。
……此処まで、全てを考え抜いた策を構築して戦を描いた。
その企画力、実行力は、私を越えるかも知れない。
だけど、教経の真骨頂はそこではないわ。戦場での勝利を捨てることで、当初の目的をしっかりと果たした。教経は、彼が私に言って見せた形で『勝った』。董卓の命を救うという主命題を果たす為に、この状況で戦場での勝利を簡単に捨てることが出来るその慧眼と意志の強さこそが、教経の真骨頂だと思う。
「か、華琳様!虎牢関が!」
「どうしたの、春蘭」
「と、兎に角ご覧下さい!」
……春蘭の慌てぶりは、可愛いわね。
秋蘭も、そんな顔をして春蘭を見ている。
それにしても、何があったのかしらね。
「華琳様!あれを!」
「なっ!」
……虎牢関が、燃えている。木材で構成されている箇所が燃えているのではない。関全体が、それこそ真っ赤に燃えている。虎牢関は石造りだ。どうやって燃えているのか、全く分からない。
虎牢関一番乗りを争っていた、袁紹と袁術の軍勢が炎に巻かれて死んでいく。
「……華琳様。華琳様はこれあるを見越していらっしゃったのですか?」
「……まさかね。こんな事になるなんて、考えもしなかったわ」
「……平教経は、妖術使いなのでしょうか」
「それはないわ。妖術使いなら、私と取引することもなく、唯々戦場に赴いて妖術を使えば良いのだから」
「……確かに、そうですね」
これで、この戦は終わりだろう。
教経なりに、幕の引き方という物を考えていた、ということでしょうね。
この炎で、全てを浄化する。
謂われのない言い掛かりに基づく戦に巻き込まれて、多くの人間がこの戦場に散っていった。
彼らを、彼らの魂を、浄化する。あの猛々しくも美しい、真っ赤な虎牢関で。
炎が全てを燃やしていく。
妬みも、憎しみも、哀しみも、欲も。旧時代のしがらみも、何もかも。
そんな意図があるのではないかしら。もしそうだとしたら、貴方、良い詩人になれるわよ、教経。
……それにしても、一体、どうやったのかしら。
〜琴 Side〜
平教経と話をした翌日、孔融様に従って洛陽に入った。
洛陽で民から聞いてまわった董卓と平教経の実像は、それは立派なものだった。
現在、洛陽の至る所で略奪行為を働いている袁紹軍や袁術軍と比べると、雲泥の差だ。
袁紹達を側溝に溜まった汚泥とすれば、彼らは汚れのない湧き水のような存在だ。
やはり、私の目は盲いていた。真の正義を見失っていたのだ。
平教経が連合軍に語った、あの台詞を思い出す。
『愚かにも我欲に塗れ、『義』を見て為せぬ糞共よ。貴様らに決して勝利は来ない。
たとえ殺されようとも、悪に屈しない心。それがやがては勝利の風を呼ぶ……
人、それを凱風という……!』
本当に、その言葉の通りだった。何一つとして、間違っていなかった。
平教経。
董卓など、見捨ててしまえば良かったものを、助けることに義を見てそれを為す為に。己の存在全てを賭けてまでそれを為したのだ。『義』。ただ『義』を為す為だけに。
その軍兵は例え殺されようとも、悪に屈しない心を持っていた。そしてその心が、勝利の風を呼び込んだ。正に、凱風。何という見事な男だろうか。
そう思っていると、袁紹軍の一部が洛陽から長安へ、董卓を慕って移動中の民達を襲撃しているとの連絡が入った。……諸侯は、誰も動こうとしない。
『貴様は貴様の正義を見つけて、その正義を貫くことだ。『悪・即・斬』の下に、ね。』
……私の正義は、私の剣で無道を行う輩を、悪を、斬り伏せることだ。
それは、変えられない。昨晩、ずっと考えてそう結論を出した。
だが、悪を見極めなければ、また同じ事の繰り返しになってしまうだろう。
考えてみる。
袁紹軍を斬り伏せることは、正義の実現に繋がるだろうか。
袁紹軍は、悪と呼べるのか。
……いずれの答えも、是。迷い無く、そう言える。
であれば、私は、私の信念を貫くだけだ。
『悪・即・斬』を。
〜碧 Side〜
「ちょっと、厳しいねぇ」
そう独りごちる。
袁紹軍の一部が、洛陽から董卓を慕って移動している民達を襲撃している。
そう連絡を受けて、先行して救援に来た。
だが、数が多すぎる。引き連れてきた兵は500。それで十分だと思っていたが、これでは持たない。
「そこをどきな!邪魔なんだよ!」
剣を振り、二人を殺した。何人斬り殺したか分からない。
それでも、まだ多くの下衆共が残っている。
私以外の人間は、その殆どが死に体だ。
私自身も、既に刀傷を2箇所に受けている。
まだ暫くは大丈夫だ。傷はそれ程深いものではない。
だが、このままでは、私もどうなるかわからないねぇ。
「死ねぇ!化け物が!」
後から、斬りつけてくる。
その剣を跳ね上げて、袈裟に斬り下げる。
さらに、後から仕掛けてくる。返す刀で横へ一閃する。
また二人斬り殺した。あと、20人程度。
それで、この屑共を殲滅出来る。
だが。
「!……ちぃっ」
……右脇腹を、槍で刺されていた。
これでは、満足に剣を振ることが出来ない。
「へへへへ、姉ちゃん、随分とやってくれたな?これからタップリと愉しませて貰うぜぇ?」
そう言いながら、下衆が寄ってくる。下卑た笑いを浮かべながら。
惚れた男ならまだしも、こんな下衆に抱かれるなど願い下げだ。
死んだ方が、マシだ。
「ほれ、裸になるんだよ!」
「!」
そう言って私を裸に剥こうとした賊の顔に矢が突き立った。
後ろを振り返ると、太史慈が弓を持ってそこに立っていた。
「……借りを返しに来た。馬騰」
「……やれやれ。まぁ、下衆共に犯されるぐらいなら、多少小便臭いがマシな面構えになったお前に殺されてやった方が良いってもんさね」
「……勘違いして貰っては困るな」
「はぁ?」
「『悪・即・斬』の下に、下衆共、貴様らを全て斬り捨てる!」
そう言って、太史慈は雑兵共の集団に走り込んで次々に屠っていく。
……良い腕してるじゃないか。何の迷いもない、澄み切った剣。
「お母様!」
「碧!無事か!?テメェの命は俺のモンだ!勝手に死ぬことは許さねぇからな!」
……ご主人様が駆けてくる。おまけも一緒だが。第二陣を率いてくるはずだったのに、それを置いて駆けてくるなんてねぇ。
まったく、年甲斐もなく、キュンと来ちまった。
「何だ?知らないのが居るな……助太刀してくれてるのか?」
「あぁ、そうさ」
「……碧、傷が結構深い。下がっておけ。翠、碧を守っていろ。下衆共は、俺が殺す」
……相も変わらず、とんでもない殺気だ。
ご主人様は下衆共に駆け寄り、一番近くにいた男の首を刎ね飛ばす。
頭のない体が、血しぶきを上げながら倒れていった。
「ひぃっ!」
「よう、屑共。……お愉しみのようだねぇ」
「ま、待て!餌をやる!この女共の内、一人を好きにさせてやる。悪い話じゃ無いだろう。それに、金もやるぞ!?……どうだ、俺たちと一緒にこいつらを輪姦さないか?」
「……屑、俺が誰だか分かって居ないようだねぇ。お前らは、死ぬンだ。
俺に、殺されるのさ……『悪・即・斬』の下になぁ!」
ご主人様が駆ける。
瞬動。今まで見てきた中で最も高みにある、武技の頂にあるであろう業。
目の前に居る全ての悪を、一太刀で斬り殺した。その首を刎ねて。
清麿を納めながら、嘯く。
「……犬は餌で飼える。人は金で飼える。だが壬生の狼を飼う事は、何人にも出来ん」
……誇り高き狼だねぇ。本当に。
翠、アンタ何惚けた面してご主人様を見つめているのさ。早いとこ自分の気持ちに気付いて素直にならないと、この狼の周りは番いで溢れちまうよ?
〜琴 Side〜
袁紹軍の一部を追いかけた。
どうやら、平家軍の将が民を守る為に出張ってきているようだ。
……流石は、平家軍だ。そうでなくてはならぬ。
そう思って、更に馬を飛ばす。
将は、馬騰か。だが、手傷を負ったようだ。
下衆が、見るに耐えない醜悪な面をして、馬騰を犯すべく裸に剥こうとしていた。
「下衆め。私は、借りがあるのだ、その女丈夫にな」
馬を下り、矢を番えて、下衆の面に放ってやる。どこまでも下衆な行為への憤りの全てを込めて。
……一矢で、射殺した。
だが、これではまだ借りを返したことにならない。
この下衆共を全て、殺すまでは、ね。
「『悪・即・斬』の下に、下衆共、貴様らを全て斬り捨てる!」
屑共を片端から斬り捨てる。
右に、左に。群がり来る下衆共を皆殺しにしていく。
気付けば、残り10数名ほどが少し離れた場所に残っていた。
……そこには、平教経がいた。
昨晩のように、浅葱色にダンダラ模様の羽織を羽織って。
「ま、待て!餌をやる!この女共の内、一人を好きにさせてやる。悪い話じゃ無いだろう。それに、金もやるぞ!?……どうだ、俺たちと一緒にこの女を輪姦さないか?」
「……屑、俺が誰だか分かって居ないようだねぇ。お前らは、死ぬンだ。
俺に、殺されるのさ……『悪・即・斬』の下になぁ!」
あり得ない疾さで、屑共の間を駆けて行く。
皆、一太刀。それも、首を刎ねている。
……最高の剣士。それが目の前に居る。私が扱う得物が得物だ。我が師以外には二人と居らず、師が死んだ今となってはもう居ないと思っていた、剣の達人。それが、今目の前に居る。
……学びたい。教えて欲しい。技術だけではない。その剣士としての在り方を。出来れば、共に歩んでみたい。『悪・即・斬』を、共に掲げて。
「……犬は餌で飼える。人は金で飼える。だが壬生の狼を飼う事は、何人にも出来ん」
誇り高き、狼。
壬生の狼。
私も、そうなれるのだろうか。
平教経が、刀を納めながら語りかけてくる。
「……どうやら、お前さんが碧を助けてくれたみたいだな。有り難うよ。姉ちゃん」
「……昨晩のように、童と呼ばないのか、平教経」
「……太史慈か……お前さん、女だったのかよ……」
「そうだ。貴様は、いや、貴方は男の、しかも子供だと思っていたようですが」
「あ〜、悪かったな、太史慈。暗くて、髪の毛とかよく見えなかったんだよ。黒髪だし。身長と服装で全て判断しててだな」
「いえ、別に構いません」
「……その様子からすると、ちゃんと目を醒ましたみたいだな。世話焼いた甲斐があったってモンだ。あと、丁寧な言葉遣いなんて、別にしなくても構わんぜ?」
「そういう訳には行かないでしょう」
「そうかね。別に俺は構わんのだがね……お前さんのお陰で、碧は命を拾ったようだ。この礼をさせて貰いたい。何か望みがあれば言ってくれ。俺に出来ることなら、叶えてやるさ。とんでもないこと以外なら、な」
……とんでもないこと以外なら、何でも。そう言った。
「私も、壬生の狼になりたい」
「はぁ?」
「壬生の、狼になりたい。なって『悪・即・斬』の下、悪党共を斬り捨てて行きたいのです」
「……調子に乗って台詞なんて言うモンじゃないな……」
「叶えて、下さいませんか。この私の望みを」
「……質問、いくつか良いか」
「構いません」
「お前さん、壬生の狼になりたい、と言うが、それは俺の臣下になると言うことかね?ひょっとして」
「ひょっとしなくても、そう言っております。自分の主君が最高の剣士なら、言うことはありませぬ」
「……言っておくが、俺はまだ最高の剣士じゃない。腕には自信があるが、内面的には師匠にまだまだ及ばん」
この人を越える剣士が居る、というのか。
信じられぬが、本人がそう言うのだ。間違いないだろう。
「二つめだ。壬生の狼になりたい、と言ってもだな。この世界には新撰組はないぜ?」
「新撰組?」
「あぁ。『悪・即・斬』を座右の銘とした人間が所属していた組織だ。俺が勝手にそう名乗っただけだからねぇ、壬生狼ってのは」
「しかし、そう名乗られたのでしょう?」
「……まぁ、な」
「では、私もそう名乗ります」
「……まじでか……」
「まじ?」
「本気で御座いますか?ってことだ」
「本気です」
「……はぁ。身から出た錆、だな。諦めるさ。こういうのは諦めが肝心だ」
「……では?」
「最期に一つ。お前さん、壬生狼を名乗る、と言ったな」
「ええ。言いました」
「……『悪・即・斬』。貫けるか?」
真面目な顔で、そう問いかけてくる。
「無論、死ぬまで」
「……分かったよ。お前さんを俺の臣下にするし、壬生狼でも何でも名乗ればいい」
「本当ですか!?」
「嘘言ってどうするんだよ」
「では、これから宜しくお願い致します、たいr……なんと呼べば良いでしょうか?」
「そう言えば、自己紹介、ちゃんとしてなかったな。
俺は、姓は平。名は教経。字も真名もない。好きに呼んでくれて構わない」
「私は、姓は太史、名は慈、字を子義。真名は琴と申します」
「……男装の女剣士で名前が琴って……まんま新撰組じゃねぇか……」
「お屋形様、どうされたのです?」
「……お屋形様、ねぇ」
「……気に召しませんでしたか?」
「まぁ、なんでもいいさ。これから宜しく頼むよ、琴」
「はい、お屋形様」
……私は、壬生狼になる。なってみせる。お屋形様のような、誇り高き壬生狼に。『悪・即・斬』を、この命尽きるまで貫いて。