〜雪蓮 Side〜
虎牢関への一度目の攻撃も、二度目の攻撃も、失敗に終わった。
そして今、三度目の攻撃も失敗に終わろうとしている。
馬寿成。呂布。この二人の武勇が特に突出している。その周辺に寄せていった兵達は、次々に黄泉路へと旅立っていった。また、防備に当たっている兵の対応も見事なものだ。弓兵は常に関の奥に配置され、下からは見えないようになっている。稀に、無謀にも身を乗り出してくる馬鹿が居るようだけど、それ以外のものは見えない。そして、その見えない箇所から、大量に弓を射掛けてくるのだ。一斉に。その上で、関の上に呂布と馬騰。そのほかに、華雄。そして、趙雲という将が居る。また、馬騰の娘である馬超も、その母に恥じぬ活躍を見せている。時に鉄扉を開いて騎馬で突撃をしてくる。その時機は、正に此処しかない、というものだ。冥琳が、横で唸っていた。この戦、負けるかも知れない。そう言って。
前方の虎牢関を見やる。
どうあっても、突破させない。そういう意気込みが見える。まるで、炎のように。その気炎は天をも焦がすようだ。かなり苦労をすることになるだろう。そう思う。
只でさえ、虎牢関は堅牢な作りになっている。その鉄扉は、丸太で殴りつけた程度ではびくともしない。残された道は、力尽くで関の壁に取り付き、関の上の敵兵を皆殺しにして洛陽へ向かうか、鉄扉を開いた時に中から勢いよく飛び出してくる騎馬に正面からぶち当たってこれを壊滅させ、洛陽へひた走ることだけだが、孫呉の兵だけでそれを行おうとは思わないし、出来るとも思えない。
何とか鉄扉をこじ開けられないかと諸侯が集まって何度も会合を開いているが、曹操でさえ有効な解決策を提示出来ていない。此処まで来たら、犠牲は覚悟の上で全ての諸侯の力を結集して、押して押して押しまくるしかない。そうでないと、此処まで来た意味がないのだ。
「雪蓮、平家の山塞に攻め掛かった袁術軍が敗北したそうだ。8,000名もの死傷者を出して、な。山塞へ向かう道は上に行くほど細くなり、至る所に障害物がある。それをどかそうと立ち往生をしていたところに、落石計を掛けられた、ということらしい」
平家の山塞。平教経以下30,000余りの兵が篭もって虎牢関外で抗戦している。
兵力を分散させ、虎牢関へ掛かる負担を軽減しようという構えだ。
「へぇ。それはまたこっぴどくやられたものね〜。私達には朗報以外の何物でもないけれど」
「そうだ。これで、この戦が終わった後、随分とやりやすくなることは間違いない。平教経には感謝しても仕切れぬほどだな、雪蓮。……見逃して貰ったことだしな?」
「……わかってるわよ、冥琳。もう無茶なんてしないから」
「どうだか。どうせ平教経を目前にしたら、また駆けて行くのだろうと思っているのだが?」
「ぶ〜ぶ〜。わたしそんなに命知らずじゃないってば」
「……それなら、最初からおとなしくしているよ、雪蓮」
……口ではどうやっても敵わないから、黙ってお説教聞き流すことにしましょう。
平教経。
わたしは、アレは一騎打ちだと思ってた。恐らく、彼もそうだと思う。確認する術はないけど。でも、わたしはそう宣言した訳ではなかった。彼も、そう言わなかった。だから、弓を射掛けたのだ、と祭は言っていた。確かに、わたしは助かった。けど、本当はわたしはもう死んでいるはずの人間だ。あの時、わたしは死んだ。間違いないのだ。彼はわたしを間違いなく殺せたのだから。
彼は、わたしを非難した。だが、それは口調だけだった気もする。気にしていない、ということなのだろうか。だがもしも相手が彼でなかったら。間違いなく、矢に射貫かれて死んでいただろう。わたしの身を案じてやったこととは言え、後味が悪かったに違いない。
もし、機会が得られれば。
ちょっと聞いてみたい。どう思ったのか、どう思っているのか。その上で、一度きちんと謝っておきたい。そうでないと本気で戦うなんて出来そうにない。本気で戦ったところで、勝てそうにないんだけど、ね。
「雪蓮、聞いているの!?」
「あ〜はいはい。聞いてる聞いてる」
「しぇ〜れ〜ん〜!?」
「分かってるってば。大丈夫よ、大丈夫」
冥琳の問いかけに、今日も適当に応えながら、彼のことを考えていた。
〜朱里 Side〜
袁術軍がほぼ半数の兵を失いました。
また、第一次・第二次・第三次虎牢関攻略戦に参加した諸侯の軍も、大きく損耗して居ます。
特に酷いのは、劉岱さん、孔融さん、鮑信さん、喬瑁さんの軍。
何とか再編して、洛陽を目指す陣容を整える必要があります。そうでないと、桃香様の目を醒ますことが出来ないのですから。
平家の山塞。アレは、危険ですね。もう少し多くの兵を割り振っておくべきでした。
そう言うと、斗詩さんは申し訳なさそうにしていました。
多分、アレで十分だと袁紹さんが言い張ったのでしょう。
「斗詩さん、兵の再編案についてですが」
「朱里ちゃん、もう出来たの?」
「はい。先ず、袁術軍にはそのまま平家の山塞の押さえを務めるように通達を出して下さい」
「え、でも」
「それから、劉岱さん、孔融さん、鮑信さん、喬瑁さんに、袁術軍に合流してその任を助けるように、と」
「……成る程。それなら何とか」
「はい。但し、次の虎牢関攻略戦では、袁紹軍が先頭に立たなければ成りません」
「……諸侯が疑っているから、よね?麗羽様の器量を」
「そうです。どうしても、袁紹軍が主力となって戦う必要があります。例え、被害が大きくとも。そうでないと、今後の展望が開けません」
「有り難う、朱里ちゃん。麗羽様は、私の方で何とか説得してみるから」
「……桃香様も連れて行くと良いと思います。身内意識がないだけに、良い格好をしたいと思うでしょうから」
「あ、あははは……」
桃香様は、袁紹さんと共に天下を統一し、その下で理想を実現しようとしているのかもしれない。どちらにも転がることが出来るように、道を広げておく必要もある。仕方が、ない。そう思います。……少し、辛いですが。その為には袁家との仲を良好なものにしておかないと。切るのはいつでも出来るのです。誼を結ぶには、時間が掛かるのですから。今から、準備はしておく。それが桃香様の軍師としての私の努めなのですから。
「しゅ、朱里ちゃん!これ!」
いつもおとなしい雛里ちゃんが、私の陣屋に飛び込んできます。
その様子に、斗詩さんも驚いているようです。
「ど、どうしたの?雛里ちゃん。」
「こ、これ、見て下さい!」
雛里ちゃんが差し出した手紙に書いてあったこと。
『董卓と平教経は、私達に貴重な糧食を分け与えてくれた。なぜ、彼らが悪虐だと言っているのか、私には理解出来ない。出来れば、軍を抜けて帰って来て欲しい。そんな心優しい方々を討伐するなんて、とんでもないことだ。』
『……実は袁紹様こそが国政を壟断しようという噂がある。そんな人間に従って、私達の生活を気遣ってくれる方々を討伐するなど、どうか止めておくれ。もしお前にその権限があるのなら、お前のご主君に討伐軍からの離脱をお勧めしてくれないかい?』
『国政を壟断しようとする袁紹に荷担し、義を失った領主に用はない。即刻立ち上がり、その非道を明らかにするのだ。これは、正しく我らの天命なのだ!天は我らと共にある。前線にいる兵士諸君よ、今すぐその君主の首を討ち取って、共に立ち上がろう!』
「こ、これは!」
「拙いですよ、朱里ちゃん。雛里ちゃん。これでは、虎牢関攻撃など言っている場合ではありません。」
……私達にとっては千載一遇の好機。そう見える。
これを、桃香様に見せる。そうすれば、きっと目を醒まして下さる。
そう思って雛里ちゃんを見ると、雛里ちゃんも頷いている。
「では、これは預かりますね。麗羽様に見せて、対策を考えなければならないので。」
「あ……」
「?どうしたの?朱里ちゃん。」
「いえ、なんでもありません。済みません。」
「?じゃあ、私はこれで、ね。後でまた相談に来ると思うから、その時は宜しくね。」
「はい。」
斗詩さんは、袁紹さんに報告に行ってしまった。
桃香様に見せるべき、諸侯の国元からの書状を持って。
そう思って、がっかりしていると、雛里ちゃんが耳元で囁いた。
「……朱里ちゃん、あれは、写しなの。」
「……え?」
「……これが、ホンモノ。」
その帽子の中に、先程の書状が入っていた。
これで、桃香様の目を醒ますことが出来る。
「桃香様に会いに行こう、朱里ちゃん。」
「うん。そうだね、雛里ちゃん。」
これで、私達は飛翔出来る。この豪奢だが窮屈な、古びた鳥籠から抜け出して。
「袁紹さんが、国政を壟断する?」
「桃香様、そこは大事なところではありません。大事なのは、董卓さんと平教経さんが、袁紹さんが言うような極悪人ではない、ということです。」
「そんなことない。袁紹さんが国政を壟断するって非難している、この手紙がおかしいよ!そう思うでしょ?雛里ちゃん。」
「そうなのだ。袁紹のお姉ちゃんは馬鹿だから、そんなことできっこないのだ。」
「……桃香様、大事なのは、袁紹さんの話ではないです。袁紹さんが言っていたことが、嘘だった。それが問題なのです。」
「……まだ、嘘だって決まった訳じゃ無いよね?だって、誰も見たことがないんだよ?洛陽は酷いことになっているんじゃないの?」
「桃香様、誰も見たことがないものを、どうして圧政を布いていると言い切れたのです。それが一番の問題ではないでしょうか。」
「そんなことない!袁紹さんは洛陽に一杯知り合いが居るし、その人達から聞いたに違いないよ、雛里ちゃん。」
ここまで、桃香様が袁紹さんに肩入れするなんて。思っても見なかった。
「……桃香様、お伺いしたいことがあります。」
雛里ちゃんが、声を上げる。
聞こうとしていることは、わかるよ、雛里ちゃん。
でも、それがもし、本当だったら、どうするつもりなの?
「何?雛里ちゃん。」
「……桃香様は、袁紹さんに天下を統一して貰って、その下で桃香様の理想を実現したいとお考えになっていらっしゃるのでしょうか?」
「……そこまでは、考えてないよ。でも、袁紹さんは悪い人じゃないよ?だから、今は助けてあげようと思うの。斗詩さんだって、猪々子さんだって、いい人だよ。助けてあげるのは、悪いことなの?」
「それは、悪いことではありません。ですが、桃香様。私達は、桃香様ご自身が桃香様の夢を実現させる為にお仕えしているのです。それを、お忘れにならないで下さい。」
「……うん。分かってる。」
「……それでしたら、良いのです。その、申し訳ありませんでした。こんな偉そうな口を利いてしまって。」
「ううん。雛里ちゃん、有り難う。言って貰わなかったら、きっと私はちゃんと考えなかったと思うから。」
「……はい。」
『今は助けてあげる』
そう言っていた。その言葉を信じよう。
いつか、袁紹さんから独立して自分の道を歩み始める時が来る。
きっとそれは、もうすぐだと思うから。洛陽を奪取した時、間違いなく袁紹さんの本性が見えてくるに違いないのだから。その時。その時に、きっと桃香様は目を醒まして下さるだろう。
〜教経 Side〜
「お兄さん、袁術軍に諸侯軍が合流しています。」
「へぇ。まだ懲りないのか。好きだねぇ、奴さん達も。石を腹一杯になるまで喰らっていたはずなのにな」
「またまた、経ちゃん。これが目的で喰わせてやったんやろ?」
「その通りだ」
只、落石計を仕掛けるにしても、もう石が残り少ない。
後一度位なら今までと同じようにほぼ無傷で対処出来るだろうが、その後はそうはいかないだろう。数的に優位になるように道を作り込んであるとは言え、時間を掛けて障害物を取り除かれればその優位もなくなる。俺なら、被害が出てもそれをやるだろう。ということは、敵もやるということだ。それを念頭に置いておかないと、痛い目を見ることになるだろう。
「……教経様、斥候が帰ってきました。」
愛紗の言葉に下を見ると、ダンクーガが斥候から何かを受け取ってこちらに走ってきている。
落ち着けよ、ダンクーガ。転んで怪我しても知らねぇぜ?
「ご苦労さん。何をそんなに慌ててるんだよ、ダンクーガ。落ち着け。」
「こ、これが落ち着いていられるか!」
「ほれ、一緒に深呼吸してやる。吸って〜」
「あ?」
「ほれ、吸って〜」
素直に息を吸い始めるダンクーガ。
流石の単細胞だ。そこに痺れもしないし憧れもしない。
「吐いて〜、吸って〜、吐いて〜、吸って〜、吸って〜、吸って〜、吸って〜、吸って〜、吸って〜」
「死ぬわ!」
「おお、良く気が付いたな、ダンクーガ。お前さんにしては上出来じゃないか。」
「テメェ!……って、そんな事してる場合じゃないんだよ大将!これ、見てくれ!」
ダンクーガが持ってきたのは、諸侯の国元からの書状だった。
大体俺が書いて欲しかったことが書き連ねてあるようだ。
「……成る程、確かに、巫山戯てる場合じゃなくなったみたいだな。」
「あぁ。」
「ダンクーガ、お前今から直ぐに牛共をかき集めろ。近衛の兵全部使って構わん。角としっぽに藁を巻き付けておいてくれ。」
「?わかった。」
「教経様、では?」
「そうだ。虎牢関へ向かうぞ。全軍を虎牢関に集結させる。移動は、今夜半。今まで散々言って聞かせてきた通り、進む方向と、合い言葉を絶対に忘れるなと言っておけ。」
「はっ。」
「霞、行けるな?」
「任せときぃ。準備は万端やで。ウチとこもきっちり言い聞かせてあるさかい、先ず間違いはあらへんやろ。捕まった場合の証言についても徹底させとるし、経ちゃんの構想通り上手く行くやろうと思うで?」
「お兄さん、牛、愉しみにしているのですよ。」
「はは。まぁ、確かに風達からはよく見えるかも知れんな。見物しているが良いさ。出発する時に、山塞には火を掛ける。山に火が回るだろうから、それに巻き込まれないように移動してくれよ?風達に余裕がある速度でも、負傷兵にとっちゃ負担になるだろう。その状態で火に巻かれるかも知れない恐怖に晒されながら、体に負担となる速度で移動するってのは一寸可哀相だからな。」
「分かって居るのですよ、お兄さん。」
「まぁ、風に任せるよ。信頼してる。」
「任されるのですよ。」
「愛紗、頼むぜ?絶対に無いと思うことが起こるのが戦場だ。敵兵が徘徊していることは先ずあり得ないが、それでも注意に注意を重ねてくれ。此処まで命を懸けて戦ってきて、その命を幸運にも拾った者共なんだ。此処で死なせるには惜しい。」
「分かっております、教経様。」
「うん、頼むよ、愛紗。」
さて、第二幕の終焉と第三幕の開演だ。
派手に飾ってやるとするさ。
戦絵巻を、極彩色で、な。