〜詠 Side〜
「よう、詠。元気か?」
演説を終えて月に出陣の挨拶に来たコイツは、普段通りだった。
……これがあんな演説したなんてね。
今のコイツからは想像も出来ないけど、結構格好良かった。
絶対にコイツには言わないけど。
「元気に決まってるでしょ?」
「そうだよなぁ、昨晩あんなに元気だったもんな?」
「あ、アンタ何言ってんのよ!」
「待て待て待て!そのハンマーは待て!というか、今どこから出した!?」
「うるさい!飛んでけ!」
「ヘブッ!」
壁に思いっきりぶつかって、ピクピクしている。
……コイツが悪いのよ、コイツが。出陣前だからって、少し手加減してやったんだから感謝しなさいよね!
「ったく。ほら、しっかりしなさいよ!」
「……痛ぇ」
「わ、悪かったわよ。でも自業自得じゃない!」
「……ほっぺたが痛ぇ」
「だ、だから悪かったってば」
「ほっぺたが痛ぇ」
「どうすればいいのよ!」
「こう、ちゅーっと」
「ばばば馬鹿じゃないの!?」
「えええ袁紹じゃないよ!?」
「そういう事じゃないわよ!」
「……今生の別れになるかも知れん。それでつい、な」
……死ぬかも知れない?コイツが?……考えても見なかったけど……でも……
「な〜んつって!な〜んつって!」
「……」
「……おい、詠?そんな深刻な顔するなよ。勝つ為の算段はしてあるんだから」
「……こっち向けなさいよ」
「はぁ?」
「ほっぺたこっち向けなさいよ」
「……本気かよ」
「あんたが言ったんでしょ」
「さいですね……ほれ」
「……んっ」
……頬に口づけをした。
無事に帰ってこれるように、願いを込めて。
「……これで良いんでしょ?無事に帰ってこれるように、願掛けといてあげたわ」
「……生きて帰ってこないとねぇ」
「当たり前でしょ!責任とって貰うんだからね!」
「責任てお前さん、結構恥ずかしいことをサラリと言うな……詠、有り難うよ」
「ふ、ふん」
恥ずかしいことさせないでよね!
「詠ちゃん……」
は?
「詠ちゃん、教経さんとそういう仲になったんだね……おめでとう」
「ゆゆゆ月!いつからそこに!?」
「『よう、詠。元気か?』の辺りからだよ、詠ちゃん」
そう言って月はニコニコ笑っている。
……よくよく考えてみれば当たり前よ!ボクはコイツが月に訪いを入れてきたから、広間に移動してたんだから。月だって当然移動してくるに決まってるじゃない!……ボクとしたことが、迂闊だった……
「教経さん、詠ちゃんのこと、宜しくお願いします」
「お願いされるまでもなく宜しくはヤっております、はい」
「何言ってんのよ!この馬鹿!」
あ〜もう!後で絶対に月から質問攻めにされるじゃない!
飛んでけ!
「……仕切り直して挨拶って事で良いかね?」
「それは構いませんけど……その、大丈夫ですか?」
「意外に人間って丈夫なんだなぁとは思うけど、これを大丈夫とは言わないと思う」
「ふん、自業自得よ!」
馬鹿なことばっかり言ってるからでしょ!
「はいはい。……董卓。俺は前線に行ってくる。合図があり次第洛陽から長安へ移動出来るようにしておいてくれ。詠、無いとは思うが身辺には気をつけてくれ。合流は函谷関で、だ」
「分かってるわよ」
「教経さん、済みません……私がしっかりしていなかったからこんなことに……」
「それは違うだろう。さっき兵達にも言ったが、責められる謂われはない。お前さんは堂々としていればいいのさ。『義は我にこそあり』、とねぇ」
「そうそう、月は気にしなくて良いのよ!」
「教経さん、詠ちゃん……有り難う」
少しは気が楽になってくれれば良いんだけど。
「……教経さん、私の真名を貴方に預けます。私の真名は月です」
「……知っての通り、俺には字も真名もない。月の好きに呼んでくれて構わない」
「分かりました。では……ご主人様とお呼び致しますね。碧さんもそう呼んでいましたし」
月、参考にしては駄目な人だと思う。その人は。
「あ〜……まぁ、そう呼びたいなら仕方ないけど……それだと何か主従っぽいぜ?」
「……今回のことが終わったら、私はご主人様に臣従しようと思うんです。ですから、そうお呼びします」
「……何でまた臣従しようと思ったのかね?」
「私はこの戦の後、地位も領地も失います……そんな私がご主人様と対等な立場にあるとは思えません。それに、私ではこの難局を乗り切ることは出来なかったと思うんです。でも、今こうやって助けて頂いています……ご主人様に救われた命ですから、ご主人様に使って頂くのが良いと思うんです……」
「月……」
「……分かった。この戦で勝利出来たら、その申し出を承けよう。だがねぇ、月、『使って頂く』、というのは頂けないんだねぇ。……俺はお前さんを使役しないよ。俺を支えてくれると嬉しい」
……何でコイツはこういう臭い台詞をポンポン思いつくのよ……
「……へぅ……有り難う御座います、ご主人様……良かったね、詠ちゃん。これでご主人様とずっと一緒に居られるね」
「ななな何言ってるのよ!月!」
「詠ちゃん、偶には素直にならないと駄目だよ……?」
「……わ、分かってるけど……」
「……やれやれだぜ」
「……何かむかつくわね、その言い方と身振り手振りが」
「第三部ではこれが正義だ」
「はぁ?」
「……悪いねぇ、ついつい」
第三部って何よ。
相変わらず訳分かんない事言う奴ね。
「では後で、な。函谷関で逢おう」
そう言って、振り返ることもなく出て行った。
……死んだりしたら許さないんだから。絶対。
〜風 Side〜
水関。まず、此処で時間を稼ぎ出す。
その為に、平家軍25,000を率いてやってきたのです。
お兄さんは、水関に立って連合軍を眺めています。
「こうやってみると、凄い数の人間だな。風、見ろ!人がゴミのようだ!」
「言葉をつつしみたまえ、君は今楽太郎の前にいるのだよ、です」
「ラピュタ王な。風が今言ったのは腹黒い落語家な。……じゃなくて、なんでその台詞が出てくるんだよ!」
風にも分からないのです。
「さぁ。知らないのです」
「……言いたいことは山ほど在るが取り敢えずそれはおいておこうか」
それが良いと思うのです。さっきから豚野郎ならぬ猪女が飛び出そうとしているのですよ。
「華雄!落ち着け!」
「この阿呆!経ちゃんが言うたこともう忘れたんか!」
「そこを退けろ!関羽!霞!月様に仇為す屑共を一人残らず殺してやるのだ!」
鉄の女と神速の痴女によって、猪女は行く手を阻まれているようですが、うるさいのです。
「どうしたもんかねぇ。まさか戦う前に将軍一人惨殺する訳にも行かないしねぇ」
……惨殺なのですか、お兄さん。
「ご挨拶に行ってきたら良いと思うのですよ、お兄さん」
「……発散させとく、てか?だがねぇ、戦端を開く前だし、いくら連合軍の奴らが馬鹿ばかりだとしても、流石に警戒しているのではないかね?」
風はそう思わないのですよ、お兄さん。
「お兄さん、それはお兄さんだからそう思うのですよ。お兄さんは知らない相手のことを、知らないからこそ恐れ、警戒するのですよ。それは『臆病』と言えますが、臆病でない人間が大成する訳がないのです。何も恐れない、ということは、自分が死ぬことも恐れない、ということですから。大願を果たせず、横死することは間違い無いのです。お兄さんはそれを恐れている。君主とはそうあるべき者なのですよ。
でも袁紹さんは違うのです。あの人は他人の意を忖度することが出来ない人なのです。この世にあるのは自分の欲望ばかり。目の前にあるのは、取るに足りない者達ばかりなのです。取るに足りない者達を警戒しようとは思わないものです。
そういった大将の下で完全に緊張感を保っていられるほど、人は周囲と隔絶した存在では居られないのですよ。余程優れた人物でも、油断とまでは行かないでしょうが、その警戒は本来彼女が行うであろうものに比べるとやはり不足があるものになるのですよ。
大体、お兄さんが連合軍側に居たとして、警戒はするでしょうが、いきなり飛び出してくるようなことが本当に起こると考えますか?その可能性が非常に高いと考えて、軍兵に警戒を怠るな、戦っている時と同等の緊張感を保っていろ、と言いますか?」
「……言わないだろうな、多分。戦の前から疲れてどうするのか、と考えるだろう。警戒は最低限度に押さえるだろうねぇ」
「ですから、これっきりですが、ご挨拶に出向いても問題はないと思うのですよ。強襲して混乱させ、収まる前に離脱する。これを守って頂く必要はありますが、逆に言えば守って頂く限りにおいてどれだけ暴れても問題無いのですよ。水関には、霞ちゃんと風が居れば問題無いのです」
「……仕方がないかねぇ。まぁ、俺も馬鹿にはお世話になったお礼をまだ出来ていなかったからねぇ。丁度良い機会だろう、奴さん達にしっかり俺の事を覚えて貰うことにしようかね。……決して恨まれてはならない人間だ、とねぇ」
そう言ってお兄さんは獰猛な笑みを浮かべます。
「なぎ払え!なのです」
「……早すぎて腐ってるのか、俺は?」
「さぁ、知らないのです」
思う存分、戦ってくれば良いのですよ、お兄さん。
「愛紗、華雄。征くぞ?騎馬のみで敵に突貫する。しっかり付いて来い。但し、個別に動くことは許さん。俺と共に駆け、共に戦い、共に去るのだ。疾きこと風の如く、な」
言いながら、お兄さんが関を降りていきます。
その後を愛紗ちゃんと華雄さんが追いかけていきます。
……連合軍の皆さんには、災難なのですよ、本当に。
〜雪蓮 Side〜
わたしは孫策。字を伯符。真名は雪蓮。
水関を目の前にして油断している連合軍を何とかした方が良い、って冥琳に言われて総大将の袁紹にそう言ったのだけど。
「教経さんも董卓さんも、大した事のない家柄なのですわ。私のように名家に生まれた生まれながらの名族の前に、簡単にひれ伏すことでしょう。お〜ほっほっほ。お〜ほっほっほ」
……総大将を選ぶ為の軍議で分かって居たことだけど、やっぱり馬鹿だった。それも、とりつく島もない程の。
冥琳、あいつとは関わりたくないのよ、わたし。
冥琳。姓は周、名は瑜、字を公瑾。
わたしの親友にして、孫呉の知嚢。冥琳が居なかったら、孫呉復活までの道のりは今より遙かに困難なものになっていただろうと思う。でもね〜……わたしが政務をサボると直ぐに怒るんだから。一寸くらい見逃してくれても良いと思うんだけどな〜。
なんであんな馬鹿を頭に戴いて戦わなきゃならないんだか。でもまぁ、わたしはこの戦で孫呉の名声を確固たるものにする為に此処にいる訳だし、それだけはさせて貰うわ。それに、面白いことがありそうなのよね〜。私の勘は良く当たるのよ。結構楽しみなのよね〜。
取り敢えず、あの馬鹿はもう放っておいて、準備をしておかなくちゃね。
「ねぇ、冥琳」
「何だ雪蓮」
「なんか面白いことがありそうなのよね。孫呉の兵達が油断しないようにしっかり引き締めておいて貰える?」
「……勘か?」
「そうよ」
「……やれやれ。祭殿、頼めますか」
「ふむ。儂に任せておいて貰おうかの」
そう言って、祭が引き締めに向かう。
黄蓋。字を公覆。真名は祭。
孫呉の宿将。そう呼ぶに相応しい将だ。お母様の代から孫呉に仕える、わたしが頭が上がらない数少ない人の一人だ。もう一人は横にいるけど。
「雪蓮」
「ええ、わかってるわ」
水関の門が開き、中から騎馬が勢いよく飛び出してきた。その数は約20,000。
連合軍の油断を突いて、果敢に攻め掛かってきたのだ。
「掛かれぇ!掛かれぇ!」
先頭を征く男がそう声を張り上げながら、連合軍に突貫している。遮るものがないかのように、次々に諸侯の陣を突破していく。こちらには来ないようだ。曹操軍があちら側に展開しているが、それを避けるように動いている。曹操軍は、混乱に陥った諸侯の軍兵を押しつけられる格好になっており、有効な反撃行動に出られないで居る。
「こちらに向かってくるつもりはないようね」
「そうだな。袁紹・袁術の陣に向けて突貫しているようだ。此処は様子見をさせて貰うのが良いだろう」
「そうね。精々頑張って袁術の兵を減らしてくれれば有り難いわ。こっちに向かってきたら、容赦はしないけど」
突貫してきた軍を見る。
『揚羽蝶』の旗に『平』の旗。
あれが、天の御使いみたいね。……中々傾いた格好をしているわね。
馬上の男を見ながらそう思う。女性上位のこの世の中で、男が将となることは難しい。それをあの男は、君主に収まっているのだ。その器量の程が分かろうというものだ。
遮二無二進んでいる。連合諸侯の配下でそれなりに名のある将がその進撃を止めようと彼の前に出るが、悉く殺されている。その剣速はあり得ないほどに疾い。
『関』の旗。『揚羽蝶』の旗に寄り添うように進んでいる。見れば、美しい黒髪を纏めた女が、頭上で偃月刀を振り回しながら突貫している。その君主の脇で、君主を狙う者を悉く一刀のもとに斬り伏せている。凄まじい武勇だ。
『華』の旗。お母様に負けた華雄だろう。だが、その武勇は確かなもので、前に立つ雑兵を薙ぎ倒しながら前に進んでいる。他の二人には劣るが、連合でもあれ程の武人は中々居ない。
一通り袁紹軍・袁術軍を蹂躙した後、平家軍は馬を返した。
殿で、男が袁紹軍に向かって語りかけている。
「愚かにも我欲に塗れ、『義』を見て為せぬ糞共よ。貴様らに決して勝利は来ない。
たとえ殺されようとも、悪に屈しない心。それがやがては勝利の風を呼ぶ……
人、それを凱風という……!」
「き、貴様何者だ!」
「お前達に名乗る名前はないっ!」
……貴方は平教経じゃないの。
そう思うが、なんとなくアレに突っ込んではいけない気がする。
「……雪蓮、アレは何だ」
「さぁ。分からないけど、多分突っ込んだら負けだと思うわ。剣狼的に考えて」
「……勘か?」
「勘よ」
平教経が馬上からこちらを見やる。
わたしと目があった。不敵に嗤っている。
……面白いじゃない。腕が立つみたいだし、何よりその態度が気に入ったわ。
戦が始まった。私の、孫呉の悲願の為の、初めの一歩となるべき大戦が。
……後で挨拶に行かないとね。くだらない男だったら殺してあげるわ。