〜碧 Side〜
入洛から六日が経過した。
平家軍は十分に休養を取り、また精神的な疲れも癒すことができたようだ。
ご主人様はまたぞろその女誑しの腕を披露し、董卓軍の軍師である賈駆を誑かした。賈駆が涼州にいる時から知っているが、頭が固く、その手の事には一切興味がないような女だった。頭にあるのは董卓のことだけ。そんな女だったのだ。
それがいとも簡単に。全く以て面白い。あの賈駆が、顔を赤らめて、愛しそうに名前を呟いていたのだから。あはははは。良い酒の肴になるねぇ、あの顔は。折角私が忠告してやったのに、ねぇ?この私を誑かすほどの超一流の女誑しなんだ、気をつけろって言ってやったのに。あははは。あの顔、本当に面白いねぇ。
「お母様、何をニヤニヤしてるんだよ。そろそろご主人様から招集が掛かるよ?ほら、酒呑んでないで早くしっかりしてくれよ〜」
……それに引き替え、この娘は。全く、我が娘ながら情けない。パパッと襲って身籠もってこいってんだ。
コイツがご主人様のことを気にしているのは分かってるんだ。そうさせる為に、態々顔合わせの時にあんな真似させて貰ったんだからねぇ。見事にご主人様も乗っかって、翠のことを思っての言葉を熱く語ってくれたからねぇ……断ったのが翠の為云々の話の時、チラチラチラチラご主人様の顔を見てたのは、分かってるのさ、翠。まだ自覚が足りないみたいだし、もう一押ししておかないと、ご主人様と決定的な関係になることは難しいみたいだけどねぇ。
やれやれ、全く我が娘ながら手の掛かることだ。
風辺りに画策して貰おうかねぇ。あの娘はその手のことに遺憾なくその辣腕を振るいそうだ。だがねぇ、その為にも、もう一手。あともう一手、必要だねぇ。
「お母様〜!いい加減にしとかないと、ご主人様に怒られるだろ!?」
「……ご主人様、ご主人様と五月蠅い娘だよ本当に。そんなに好きならとっとと目合ってくれば良いじゃないか」
「ままま目合うって何言ってるんだよ!」
「良い感じに成長してるんだ。その体ならご主人様も大満足さ。とっとと裸になって部屋で待ってればいいじゃないか。『ご主人様、翠を抱いて下さい』って言えば、あの男は即お前を抱いてくれるだろうさ」
「★■※@▼∀っ!?」
……やれやれ。まだまだ駄目かねぇ。早く孫の顔が見たいもんだがねぇ。
〜教経 Side〜
「教経様、水関近くに連合軍が集結しつつあります」
「そろそろ、だねぇ。碧、兵の士気はどうだ?気圧されたりしていないか?」
「平家軍については全く問題無いと思うよ、私は。涼州兵も雍州兵も士気が高い。騒ぐでもなく怯えるでもなく、只淡々とそこに存在している。戦士として、これ以上ない状態だと思うねぇ」
「まぁ、お前さんと俺の軍だ。徹底的に鍛えてある。よくぞ此処まで、と感慨に耽っちまいそうだ。愛紗、星、翠、良くやってくれた」
「はっ」
平家軍は、大将を俺、副大将を碧、正軍師を稟、副軍師を風とする編成を取っている。その下に将軍である星、愛紗、翠がいる。ちなみに、星の強い勧めによって、ダンクーガが近衛の隊長として俺の側で護衛に当たることになった。これでいつでもダンクーガ遊びができる。
まぁ、冗談は置いておいて、良い人選だと思う。俺自身が腕が立つこともあって、護衛など必要としないが、何かあった時に心から信頼できる、底抜けに素直な人間が側に居てくれることがどれ程有り難いか、分かって居るつもりだ。そいつは、絶対に裏切らないだろうからな。なにがあっても、どんな状況になろうとも。糞爺共が良く言っていた。『信頼は、その心を頼むものであってその才を恃むものではない。それを履き違えるな。』と。
「で、これから正に戦に行く訳だが、董卓軍の様子はどうかね?」
「流石は詠、と言えるだけの陣容を整えております。兵の練度については一部心許ない隊がありますが、それは前線へ出ることはなく、後方支援に当たらせるようです。水関に、霞と華雄。虎牢関に、呂布と陳宮。そういう陣容です。兵の配置は、水関に50,000、虎牢関に30,000。洛陽に20,000の計100,000です」
史実通り、か?どうやって負けたのか、それは忘れちまった。
が、そうだとしても董卓軍の配置が史実通りなだけだ。ここには俺たちが居るからねぇ。
「連合軍の兵数は?」
「当初200,000と号しておりましたが、教経殿と碧の不参加により160,000程度となっております。兵の士気は高いようですが、練度のばらつきが大きく連携は期待できそうにありません」
「成る程。まぁ、練度の問題より諸侯の思惑が一番の原因なんだろうがね。まぁ、策が決まればそれこそ蜘蛛の子を散らすように蹂躙してやれそうだな」
「はい」
「お兄さん、平家軍の配置について、ご指示をお願いします」
「……水関には俺と愛紗。軍師に風。虎牢関に碧、星、翠。軍師に稟。兵数は、水関に25,000。虎牢関に35,000。25,000の内訳は、8,000が騎馬。残りの騎馬は全て虎牢関へ回す」
「教経様、何故水関に厚く兵を配さぬのですか?」
「決まっている、奴さん達を引き込む為だ。比較的早い段階で水関を抜かせる。その与えられた勝利により、虎牢関も抜けると思ってそのまま突っ込んできてくれるだろうさ。勝っている時に引く事は非常に難しいことだからな。あの馬鹿にその決断を下すことができるとは思えない。
水関と虎牢関の間。此処は一方を川で塞がれ、もう一方を山が塞いでいる。そして、洛陽側が虎牢関。より河内方面が水関。あちら方面から洛陽に向かうなら、此処を通るしかない、という閉所だ。より少ない兵で、多くの兵を相手にできる。全ての軍兵を展開することが叶わないからな。一度に相手にする兵数を限定することができる、という点で、虎牢関は防衛するにうってつけの場所だ。
此処と水関の外側が奴らにとっての長期滞在場所になるだろうねぇ。さっきも言ったが、一つ関を抜いた以上、そう簡単には引き返せないのが人情ってものだろうからな。その時点で策が発動してくれるように時機を掴んで行わなければならないが、成功すれば一気に幕引きまで俺たちがその手で行うことができるだろう。まぁ、間違いなく成功すると思うがな」
「教経様、水関を『抜かせる』と仰いましたが、『抜かれた』場合はどうなるでしょうか」
流石は、関雲長だ。その違いでどういう齟齬が生じるか、それを気に掛ける辺りがまた優秀だねぇ。
「水関は抜かれても良い。時期が早くなってもその分虎牢関で抗戦すれば問題無いからな。だが、虎牢関は駄目だ。『抜かせる』必要がある。碧、星、翠。呂布と陳宮が暴走しないようにしっかりと手綱を締めておいてくれ。両方とも、戦術的なものの見方はできるだろうが戦略的なものの見方ができない人間だろう。何度か軍議で顔を合わせているが、恐らく俺の見立てに間違いはないと思う。暴走するようなら、三人がかりで呂布を押さえてしまえ。若しくは、董卓が死ぬ、と言ってやれ。あれは董卓を慕っているようだしな。効果があるだろう。陳宮は黙らせておけ、稟。必要なら拘束して監禁しても構わん。俺の命に従わない人間は不要だ。此処は俺の戦場だ。他の誰にも文句は言わせん。董卓にもそういってあるし、了解も得ている」
「わかったよ、ご主人様。星と翠との三人でなら何とか押さえられるだろう」
「畏まりました」
「ご主人様、水関を抜かせた後、ご主人様達はどうするんだ?」
「俺たちは山中に陣を設けてそこから奴さん達を攻撃してやる。関を抜かなければならない奴さん達が山中に陣を構える俺たちを先に殲滅しようとは思わないだろう。被害を出しまくった場合はそう思わんだろうがね」
「でも、そうしてきたらどうするんだ?」
「ここ二日くらいで、木々を伐採させ、道を造り、道を塞ぎ、石を取り除き、石を設置してきた。この辺り一帯は、攻めるに難く守るに易い。進むに難く引くに易い。山裾からの道は陣に向かってより細く、より数多くなる。逆に山中の陣から後ろは、比較的広い道を通してある。そのように変えてあるンだ。
逆茂木も用意したし、落石も用意してある。心ばかりのもてなしだが、きっとご満足頂けるだろう。それに、撤退時は直ぐに虎牢関へ移動するしな。敵中突破になるのか陣の後からになるのか分からんが、少なくとも二つの道を選択するだけの余裕がある。兵達も動揺せず、余裕を持って戦えるだろう。
何より、こちらに主力を向けてくれるのならば碧に言って持ってこさせたアレがあるんだ。痛い思いさせてやるよ。山中でアレを使えば、こちらがどういう状況かは直ぐに分かるはずだ。虎牢関に守備兵を残して、騎馬隊で一撃して離脱し、また虎牢関に戻ってくれれば問題無い」
「アレを戦に使おうって考えつく時点でアンタの勝ちだと思うけどね」
「お兄さんは本当に物騒な人ですから」
「まぁ、否定はしないさ」
「主、アレとは?」
「見てのお楽しみだ。先ず間違いなく虎牢関では使用することになるからな」
「水関では使用しないのですか?教経様」
「ああ、使用しない。警戒されても困るし、どう使うのかが分かったら撤退する可能性がある。関を抜くのは難しい、と判断してな。
それに、最初から小出しに使用していては思ったように損害を与えられない可能性がある。対策ができていない状態で、間違いなく損害を与えられることができる時に、一気に投入する。それが頭の良いやり方だと思わないかね?」
「……主と話をしていると、主が敵であることが本当に可哀相になって来ますな」
「当然です。教経殿なのですから」
「やれやれ、稟は教経様にぞっこんだな」
「とにかく、こんな感じだな。山中の陣を放棄して虎牢関に集結したら、それからの詳細について話をすれば良いだろう。その時点で状況がどうなっているのかを、今この時点で想像しても意味がない。将来の事は、将来考えればいい。今は目の前に見えることを片付けるだけで十分だ。進むべき方向は分かっているのだからな」
「「「「「「御意」」」」」」
一生懸命考えた、この戦絵巻。
空の青、雲の白、山の緑、袁紹軍の金。是非とも後一色、追加したい。
……連合軍諸君、精々頑張ってくれ給え。
俺がこの戦場で描く戦絵巻を、貴様らの血を加えることで極彩色に彩る為に、ね。
……ところで、何で皆御意って言ったンだ?
何となく?はぁ、そう決めたのね?まぁ、別に良いけどさ。なんか偉くなった気がするンだねぇ。
『馬を曳けぇい!』とか言いそうだよねぇ、暴れん坊的に考えて。
〜翠 Side〜
水関に向かって出発するに当たって、ご主人様が全軍の総帥として演説を行う事になった。160,000の軍勢に向かって、気後れせずに演説できるのか?ご主人様は。
そう思っていると、星が私に話しかけてきた。
「翠、どうしたのだ?何やら不安そうな顔をしているが。今回の戦に、何か不安材料でもあるのか?」
「いや、そうじゃなくてさ、ご主人様はこんな大勢の兵の前で演説するって言うけど気後れしたりしないのかな〜?とか思って。失敗したりするんじゃないかとか、ちょっと思ってたんだけどさ」
「ははっ。そういえば翠は聞いたことがなかったのだな、主の演説を」
「どんな感じなんだ?ご主人様の演説って」
「それは聞いてのお楽しみだろう。ただ、『人主足る者の声』とはこういう人の声なのだ、ということがよく分かると思うぞ?では、後でな」
「あ、ああ」
そう言われ、素直に待つことにした。
ご主人様は、何と語りかけるのだろうか。
「俺が今回の戦で総帥を務めることになった、平教経だ。
貴様らには最早知っていることと思うが、改めて現状を説明してやる。
現在反董卓連合を名乗る糞共が水関の東に集結しつつある。その軍兵は160,000。総大将は、家柄を誇ることしかできない、馬鹿で有名な袁紹だ。
翻って我らを見れば、その軍兵は160,000。全くの互角だ。総帥たる俺と馬鹿とを比較すれば、圧倒的な勝利が得られると分かることだろう。
だが、我々は程よく勝つ事を目的とする。詳細は言えぬが、戦略上の目的を満たす為に上司から不可解な命令を出されることもあるだろう。だが、これには従って貰いたい。従わないものは、死んで貰う。総帥たる俺の言を軽んじる人間が居ることの方が軍にとっては害悪だからだ。このことについては、肝に銘じておいて貰おう」
ここで、一旦言葉を切って兵達を睥睨している。
普段のちゃらちゃらしたご主人様とは違い、威厳に満ちている。
有無を言わせない迫力がある。
「……よく分かって貰えたようだ。
これから我らは水関と虎牢関で、反董卓連合に参加した糞共を叩きに出る。
反董卓連合は、欲塗れだ。漢王朝の元で善政を布いてきた董卓に、一体何の罪があるというのだ。反董卓連合に参加している諸侯は、董卓を妬みこれを打ち倒すことで、その我欲に塗れた全く民達のことを考えない非情な政を行って、その私腹を肥やす為に諸君らを搾取することを目的としている、正に屑共だ!
敢えて言おう、カスであると!」
辺りを静寂が包んでいる。
ご主人様の声が、良く聞こえる。本当に良く通る声をしている。
語り口調である言葉でさえ、聞こえて来ていたのだ。
『人主足る者の声』。
これが、そうなのか。
「我らはそのような私欲に塗れたカス共を討ち取りに征くのだ!
平家の軍兵共には予てより言って聞かせていることだが、再度此処に宣言する!
貴様らはそのような我欲に塗れた餓鬼共を殺して廻る為にこの世に生を受けたのだ!餓鬼共を悉く屠ってやる為に、貴様らも鬼になるのだ!世に巣くう悪鬼共を殺して廻る、戦の鬼に!俺は貴様らの総帥として、共に一匹の鬼となろう!この俺と共に戦場で、餓鬼共を狩って!狩って!狩りまくってやろうぞ!
この戦で死ぬことを連合軍の餓鬼共は犬死にだと貶してくることだろう!貴様らが戦の鬼であることを止めさせようとしてくるだろう!だが、決して犬死になどではない!貴様らが遺していく家族も!その理想も!その夢も!貴様らがこの世に確かに在ったのだというその記憶も!その全てを!この俺が背負って生きて行ってやる!この俺がこの俺として俺らしく生きていく限り、確かに貴様らはこの世で戦の鬼として生ききったのだとこの俺が証明してやる!
それでも犬死にだと貶してくるのであれば、それで構わぬではないか!皆で犬死に気違いになってやろうぞ!その手に剣を取って餓鬼共を殺せ!剣が折れたなら絞め殺してやれ!腕を撥ね飛ばされたのなら首を噛み切って殺してやれ!我らが戦の鬼であることを止めさせるには、殺さぬ限りそれが叶わぬ事を教えてやれ!我らが犬死に気違いであることを、骨身に染みて分からせてやれ!
剣を取れ!槍を持て!これより気勢を上げる!
天が我らの所行を認めぬと言うならば、天すら殺してやる!我らは『義』の為に!ただ『義』をこの世界に打ち立てる為に戦うのだ!天に己が牙を突き立てて、貴様らが確かに在ったという証を!貴様らの『義』を!刻みつけてやるのだ!全軍、気勢を上げよ!」
ご主人様が清麿を天に突き上げる。
次の瞬間、地鳴りのような雄叫びが上がる。皆が剣を、槍を、天高く突き上げて。
気が付けば、あたしも震えながら声を精一杯に張り上げている。その手に槍を持ち、天を穿つかのように突き上げながら。
これが、平教経。これが、あたしのご主人様。
兵達を見るご主人様の顔は、威厳と覇気に満ちた相貌だった。
天の御使いの噂。誇張が過ぎると思っていた。実際にご主人様を見てきても、その存在が天下を大きく揺るがす程のものだとは思っていなかった。
それは、間違いだったんだ。
ここに、『王』がいる。
戦の鬼共を率いる、『戦鬼の王』が。