〜詠 Side〜
「賈駆っち、大変や!」
平教経たちを見送ってからほぼ半年が経過した頃、霞が血相を変えて執務室に飛び込んできた。いつもおちゃらけた霞がここまで血相を変えて走り込んで来るなんて、余程のことがあったに違いない。
「どうしたのよ、霞」
「今アンタんとこの細作から報告があったんや!
袁紹を中心に、諸侯が連合を結成して軍勢を集結させとるで!狙いは月の討伐みたいや!」
「な、なんですって!」
ボクの諜報網では、事前にそんな動きは見えなかったわ……いや、ボクの諜報網に掛からないように周到に準備してきた、ということね。でも、今の今まで気が付かないなんて!
「それで、その規模は?」
「まだよう分からへんけど、約二十万の軍勢になるみたいや。いろんな奴が参加を表明して続々と集結しつつあるで。袁紹、袁術、公孫賛、曹操、孫策、孔チュウ、劉岱、張バク、喬瑁、鮑信……」
「……もういいわ。聞いているだけで気が滅入ってくるから止めて」
二十万。董卓軍と霞達官軍を糾合しても、十万が限度。
その兵力差は十万。しかも、ボク達は何の準備も出来ていない。正に青天の霹靂なのだ。こんなこと、想像できる方がおかしい。これじゃ、どうやっても……いえ、諦める訳にはいかないのよ。ボクは月の軍師なんだから。絶対に月だけは守ってみせる。
「賈駆っち、どないするんや?」
「ちょっと待って!今考えてるんだから!」
「なぁ、賈駆っち、まず月に報告せんとあかんのとちゃう?」
「わかってるわよ!付いてきて、霞」
「了解やで」
突然すぎて、策が建てられない。
絶望しそうになる。
でも、それは許されない。
月は、ボク達はどうなるのだろう。
「詠ちゃん、どうしよう……」
突然の、そして大きすぎる問題に、月の動揺が激しい。
……それはそうなるわよね。ボクだってまだ整理できていないんだから。
でも先ず月に落ち着いて貰わないと。自信がある振りをしてでも。
「大丈夫よ、月。私が絶対に月を守ってみせるわ。霞、お願い。協力して」
「当然や。なんやよう分からんお題目掲げて月を殺しに来る奴らに一泡吹かせたる!」
「……恋も協力する」
「ねねも当然協力するのですぞ!」
「私の武を忘れて貰っては困る!」
「……皆さん、有り難う御座います」
恋。
姓は呂、名は布、字を奉先。真名は恋。
漢の中郎将であり、その優れた武勇の腕前から、前漢の将軍李広になぞらえて『飛将』と呼ばれている。
ねね。
姓は陳、名は宮、字を公台。真名は音々音。
恋の軍師を自任する、知謀に優れた士。まあ、ボクには劣るけど。
華雄。
姓は華、名は雄、字も真名もない。
ボク達の中で最も長い戦歴を誇る勇猛な将だ。
この三人が居ても、十万の兵力差は大きい。
でも、居ると居ないのとでは大違いだ。特に、恋は。
恋は、一人で三万の賊を相手に立ち回りを演じ、傷つくことがなかった程の武人だ。彼女が居てくれれば、ボクの策に多少の幅を持たせることが出来る。
ねねについても、軍師が二人いるのと一人なのとでは軍の展開の仕方に違いが出てくる。ボクがある程度管理する必要はあるが、全てを管理しなくても良くなる。その点で、ねねの存在は有り難い。
華雄についても、その実力は折り紙付きだ。何度も戦に参加し、その全てで優秀な結果を残してきた。一軍の将足る人材は多い方が良い。その点、華雄は申し分がないのだ。少し猪なのが気掛かりだけど。
「じゃあ、策を考えましょう。皆で」
「恋殿が居れば連合軍など簡単に撃退できるのですぞ!」
「ねね、山賊とはちゃうで。訓練された二十万の兵に囲まれてしもうたら、恋と雖も流石に死んでまう。阿呆なこと言うんはやめときぃ」
「なんですと!」
「やめなさい!」
「詠、ちょっと黙っておくのです!」
「なんですって!いくら恋でもそんなこと出来る訳無いでしょ!?」
「恋殿を舐めるななのです!簡単にやっつけてしまうのですよ!」
「そうだ!この私も居るのだ!連合軍など鎧袖一触だ!」
「目ぇ醒ましぃ!そないなこと出来るわけがないやろが!アンタら、阿呆か!?」
「な、なんだと!」
「止めて下さい!」
……月が泣きそうな顔をして、声を荒げて制止した。
「……もう、止めて下さい」
「……詠、霞。ねねが悪かったのです。きちんと策を建てて対応を考えるのです」
「……ボクも悪かったわ。そうね、そうしましょう」
「……喧嘩、良くない」
「……そうやな、恋。華雄、ほな、ウチらは軍勢の準備をしよか?」
「……うむ。私も、悪かった」
「……恋もやる」
……状況が状況だけに全員感情的になってしまっていたようね。恋は別にして。
本格的にぶつかり合う前に月が止めてくれて本当に良かった。戦う前に負けるところだったのだから。
頭脳労働組と肉体労働組に分かれてそれぞれが出来る準備をしようとしているところへ、申し継ぎの者が走ってくる。……本当に今日はよく人が走り込んで来る日ね。
「申し上げます!」
「何?」
「平教経、兵60,000を率いて函谷関を抜けこの洛陽へ進軍してきます。その内訳は、騎馬28,000、徒32,000。行軍速度は極めて速いとのことです!」
「どうして今まで気が付かなかったのよ!」
「騎馬軍が先行してあっという間に接近してきたのです!その後方に徒の兵が展開しております!」
平教経。
……アンタも、ボク達を殺そうって言うのね。許さない。月に受けた恩義を忘れるなんて。ボクを、裏切るなんて。
「霞!今すぐ動ける者をかき集めて対応する必要があるわ。ボクも前線について行く!直ぐに準備して!」
「了解や。……賈駆っち、大丈夫なんか?経ちゃんが相手やで?」
「霞、今そんなこと言ってる場合じゃないの!行くわよ!」
「……分かった。了解や、賈駆っち。経ちゃんも、辛いやろうな」
「詠ちゃん……」
「大丈夫よ、月!アイツを殺してでも月を守る。それがボクの役目だから!」
「詠ちゃん……」
「賈駆っち、征くで!」
「分かったわよ!じゃあ、後でね、月」
……後があるかどうか、分からない。
ねねを見る。ねねは大きく頷いてくれた。華雄も頷いている。
……きっと、ねねと恋、華雄が月を逃がしてくれる。それを、信じよう。ボクはその時間を稼ぐだけだ。例え、死んでしまったとしても。
〜教経 Side〜
久し振りに見る洛陽は、少し慌ただしさを感じさせるものだった。
まぁ、そりゃそうだろう。何せ今洛陽の城門は続々と軍勢を吐き出しているんだから。
それを眺めながら、右手を挙げる。それを見た愛紗が号令を掛ける。
「全軍止まれぇい!」
おお、皆ピタッと止まったな。凄いモンだ。良く訓練されてるのがこれだけで分かるねぇ。
「じゃぁ、俺ぁ挨拶に行ってくるかね」
「……教経殿、使者を先行させた方が良い、とあれほど言ったではありませんか。軍が展開されつつありますよ?」
「馬鹿だなぁ、稟。それじゃ兵達が緊張感を以て行軍しないだろうが。その状況で試したいこともあったしな」
「お兄さん、いきなり撃ち掛かって来られたらどうするつもりなのです」
「ん?躱すかな。ま、大丈夫だろ」
「……教経様、そういう問題ではないと思いますが」
「まぁ、良いではないか。主らしい」
「ははは、ご主人様らしいじゃないか。驚かせてやるつもりなんだろうさ。これだからこの男は面白いのさ」
「お母様、笑い事じゃないと思うぞ、これ」
笑い事で済むレベルだろうよ、まだ、な。ドッキリでしたって言ってみたらどうなるのかね?
まぁ、真面目な話をすれば、平家軍として出しうる最速の行軍速度は分かった。撤退する時もこの速度で行けるだろう。それを見極めることが出来たことが大きな収穫かね。
「んじゃ、行ってくるわ」
「お気を付けて」
「土産に酒でも買ってきておくれよ」
「お母様!もっと緊張感を持ってくれよ!」
「何だい全く、五月蠅いねぇ。自分もご主人様と一緒に行きたいのかい?この娘は」
「そそそそんなことない!あたしは別にご主人様の心配なんかしてないからな!」
「翠ちゃん、全部ダダ漏れなのですよ」
「主、私にも土産が必要ですぞ?」
……さくっと無視しとこうかね、うん。稟は本当に良い子です。
馬超の真名?合流した時に預けられたよ。仕えるんだし、自分の為に碧を説得してくれたから、とね。俺の為でもあったんだよ。
さて果て、元気かね、霞と賈駆は。
両軍の中間点で二人を待つ。
霞と、賈駆がこちらに向かってきた。
馬から下りて、俺の方へ。俺も馬から下りる。
「アンタ、何しに来たのよ!月を殺そうって思ってるんでしょうけど、そうはいかないわよ!」
開口一番、賈駆がこう怒鳴った。
おうおう、ツンツンツンツンしているねぇ。
見送りの時はツンデレだったのに。やっぱり使者先行させた方が良かったのか?
でもなぁ、安穏とした雰囲気で行軍しても意味がないし、警戒感漂う中を行軍させて練度を測りたかったんだよねぇ。そうでないと、ぶっつけ本番で様子を見ながら撤退することになる。そんなことに気を遣ってられない状況も考えられる訳で、ねぇ。
「経ちゃん、何しに来たんや?」
「ああ、挨拶に来た」
「そう、じゃあ、これでお終いね」
「まぁそう焦りなさんな。俺の話を聞いてから決断しないと、後悔するぜ?間違いなくな」
「うるさい!アンタなんかと話す事なんて無いのよ!この、裏切り者!」
凄い剣幕だな。そこまで余裕がない、ということだろうな。これは。
しかし、裏切るも何もない関係だと思うんだけどなぁ。董卓軍とは。何を裏切ったって思ってるンだ?恩を仇で返しやがって、とかなら分かるんだけども。
「賈駆っち、ちょっと落ち着きぃ。経ちゃん、早う用件言わんと、賈駆っちとホンマに戦う羽目になるで?」
「みたいだな。じゃぁ、先に結論から言おう。
んんっ……我らは董卓殿に味方する。この度の戦、間違いなく非は連合にある。雍州牧 平教経と征西将軍 馬騰。この二名によって親董卓連合を結成した。この二名だけだが、董卓殿にお味方致そう。
……と、まぁ、碧はもう俺の臣下だがなぁ。あと、曹操とも密約がある。曹操だけは、董卓の命を見逃してくれる。例え捕まってもな。まぁ、そんなことにはさせないがね?ついでに言うと、奴さん達をぶちのめす為の策の仕込みも上々だ。細工も流々なんだぜ?
霞、俺がお前ら殺しに来る訳無いだろうが。見損なうなよ、この俺を、な。戦友なんだろう?
賈駆、お前さんに言っただろ?必ずお前さんを助けてやる、とねぇ。忘れてんなよ、軍師だろう?
……二人とも一別以来、壮健だったか?」
霞は吃驚した顔をしてやがるな。そのアホ面はなかなか見物だぜ?
何を惚けた面してやがるよ。
「……経ちゃん、心臓に悪いで、ホンマ」
「いやいや、霞、お前さんの顔、アホ面で可愛かったぜ?壮健そうで何よりだ」
「うっさいわボケ!まぁ、お陰さんで負けなくて済みそうやわ」
「たりめぇだ。賈駆は元気だったか……って……」
賈駆は、泣いていた。
……追い込まれていた、か。ホッとして、緊張の糸が切れたみたいだな。
可愛いところがあるじゃないかね。
「賈駆、済まんな。まさかそこまで心理的に追い込まれていたとは思っていなかったンだよ。使者を先行させるべきだったかも知れん。申し訳ない」
「……うっさい。こっち見るな」
「本当なら手ぇ拍って喜ぶ所だろうが。……ったく、何で泣いてやがるンだよ。そう自分を追い詰めるな」
そういって、親指で涙をぬぐってやる。
「あっ……」
「そりゃ経ちゃん、聞くだけ野暮やで」
「はぁ?」
「賈駆っちは経ちゃんと戦わずに済んでホッとしとるんや。しかも、経ちゃんが『助けたる!』とか言うとるんやで?どこの純愛物語やねんっちゅう話や。賈駆っちは経ちゃんに一」
「ちょ、ちょっと霞!アンタ黙ってなさい!」
純愛物語って。そういうの読むんだな、霞。
「賈駆っちは俺に……何?」
「アンタも黙ってなさい!」
「へいへい」
機嫌が悪いな、このツンデレラは。
ガラスの靴持っていったらそれ持って頭かち割りそうだもんなぁ。ツンデレラ。
ツンデレラは王子殺害未遂の罪で投獄されました。めでたし。めでたし。
「いやいや経ちゃん、そんなチマチマしとらんとやな、そこはほれ、こうグッと抱き寄せてな?」
「……し〜あ〜?」
「あはははは、なんでもあらへんねん、経ちゃん」
「……霞のお陰で普段の調子が取り戻せたみたいだな?賈駆」
「ふん、アンタも元気そうね」
「あぁ、おかげさんでな。入城させて貰えるか?これからの話をしときたい」
「わかったわ」
赤い目を擦りながら、賈駆がそう応える。
……まぁ、喜んでくれてるってことでいいんだよな?多分。