〜翠 Side〜

あたしは、姓を馬、名を超、字を孟起。真名は翠。
西涼を根拠に威勢を張る、馬騰の娘だ。
平教経から長安へ招待されたお母様が、今日帰ってくるという連絡を受けて迎えに出た。

雍州牧 平教経。『天の御使い』。
あたしでも知っている、『天の御使い』の噂。
曰く、この世界に安寧をもたらすものである。
曰く、その武は世に冠たるものである。
曰く、その智は世を遍く治める事が出来るものである。

その噂を聞いた時、そんな奴いるはずがない、何かの冗談だ、と思ってた。
その平教経がお母様を長安に招待したい、と言ってきた時、あたしは行くことに反対した。得体の知れない人間の招待を受ける事なんて無い。何を考えているのか、分かったものじゃない。そう、主張した。
そのあたしに、お母様はこう言って長安へ訪いを入れることにしたのだ。

「お隣さんからの折角のご招待だし、為人を知る為の良い機会になるだろう。何より、私は暇なんだ、翠。だからちょうどいい。御遣い見物と洒落込むとするさ」

……お母様らしいと思うけど、主目的が暇つぶしなのはどうかと思うんだ……
まあ、結果としてお母様は無事に帰ってきたから、あたし達は一安心なんだけどさ。
『天の御使い』の為人って、どんなものだったんだろう。















「ではな、馬騰。糞共が集結する前に、必ず檄文が回されてくるはずだ。その檄文を受け取ったら、長安へ来てくれ、軍勢を引き連れてな。特に騎馬を出し惜しみするな。此処で余力を残して戦うなど、あり得ない話だからな。糧食については心配しなくても良い。こちらで全て賄えるだけの量がある」

雍州と涼州の境界までお母様を護衛して来た男が、お母様にそう言った。傾いた格好だ。浅葱色にダンダラ模様の羽織を着ている。態度や言葉遣いからみて、この男が平教経なのだろう。
それにしても、お母様に命令しているかのような物言い。お母様は何故こいつを殺さないんだろう。こういう失礼な奴は大嫌いなはずなのに。

「……わかったけど、糧食に関してはそこまで甘えるわけには行かないだろうさ。余力を持っておく為にも、私達も通常通り用意していくよ。あと、私の真名、教えただろう?『ご主人様』。それを呼ばない、というのは侮辱以外の何物でもないよ?」

……?
『ご主人様』って……お母様、それって……え?どういうこと?

「……済まなかったが、その『ご主人様』っての、何とかならねぇのか、碧。呼ばれる度にこう、むず痒いってぇか、なんてぇか。とにかく据わりが悪い」
「好きに呼んで良いって言ったのはアンタだよ?今更それを無しにするなんて、ねぇ?」
「ちっ……分ぁったよ。俺の負けだよ……ったく。何でこんな面倒なことになってるんだよ……」

そう言って頭を掻いている。お母様がそう呼ぶ事に決めていて、コイツが呼ばせている訳じゃ無いみたいだ。

「で、ご主人様。アンタに紹介したかったのがこの娘さ。私に似て、いい女だろう?」
「ななな何言ってるんだよお母様!私がいい女なんてそんなわけ無いじゃないか!」
「いい女だねぇ、碧。確かにお前さんが自慢したくなるのはよく分かる」
「★■※@▼∀っ!?」

いい女って……。ニヤニヤするわけでもなくいやらしい目で見てくるわけでもなく、自然な顔で当たり前のことのようにそう言い放つ。……コイツ、本当にそう思ってる……?でもあたしががさつな女だって知ったらきっとそんなことをも思わなくなるに違いないよ。

「ほら、翠。ご挨拶しな。アンタのご主人様になるんだから」
「……はぁ!?何言ってるんだよ、お母様!」
「そのままさ。アンタのご主人様、はっきり言えば旦那様になる男だ。そう言ってるのさ」
「何なんだよ、それ。あたしは結婚なんてまだしないし、その、結婚は好きな人とするもので、そう言われても困るよ、お母様」
「……翠、アンタ、自分が馬家の跡取りだってこと、忘れてるのかい?」
「えっ……?」
「馬家の頭領の伴侶として、相応しい男でないと私は認めないよ。あんたが好きになった男だろうと、どうしようもない男だったら私が殺す。そう言ってきたはずだ」
「……それは……そうだけど……」
「だから、この男と結婚して貰うよ、翠。それが、一族の長としての努めだ」
「……」

何も言い返せない。けど、知りもしない男と結婚なんて絶対に嫌だ。






















〜教経 Side〜

目の前で昼ドラ開幕。俺は視聴者だ……って訳ないんだよねぇ……。馬超に睨まれてるしねぇ。凛々しい顔してるな、眉がちょっと太いけど。ダンクーガに分けてやって貰えないかね?
それにしても、俺の目の前でする話じゃないだろうがよ、お前さん。
そう思って碧を見る。
……立派に一族の長の顔をしてやがる。本気なのは分かるが、ねぇ。馬超、暗い顔してるぜ?ムンク的な表情まで後もうちょっとって感じだ。

「……碧、ちょっと待て」
「……何だい、ご主人様」
「お前さん達一族の方針について、余りとやかく言うつもりはないがね。取り敢えず、当事者の一人として、いくつか意見させて貰っても構わんかね?」
「ああ、構わないよ。何だい?」
「先ず第一に、お前さんが言っていることは正しいが、馬超が言っていることもまた正しいだろうさ。一族の為に自分を犠牲にすることは必要なことだろうが、自分を殺しすぎて馬超が変質してしまったら意味がないんじゃないかね?今のこの馬超に、お前さんは後事を托そうと思っていたんだろう?
第二に、いきなり顔を付き合わせた人間のことをよく知る機会も与えずに、勝手に決めるのは良くないねぇ。現状で強引に事を進めて結婚させたとして、夫婦仲が上手く行くと思うかね?そんな中で子が出来たとして、どう育つと思うね?望まれて生まれてきたわけではない自分という存在を自覚し、歪な人格を形成してしまった結果、自分を必要としない馬家そのものを無くしてしまおうと考えるようになることだって十分に考えられるんじゃないかね?馬家の為の決定が、馬家を駄目にすることになっちまうねぇ。
そして最期に、俺の意志を無視して話を進めるのが一番の問題だねぇ。言ったとおり、俺は馬家の頭領になんてならないぜ?俺は平家の頭領だ。生まれた時からそう言われて育ってきたし、それ以外の者に今からなるなんて俺自身が出来ないのさ。
だから、そうやって馬超と俺の意志を無視する形で、本人達にとって重大な問題を勝手に決めるのは止めろ、碧。飽くまで無視する、というなら、俺にも考えがある」

そう言って、碧を見る。剣呑な雰囲気だ。

「……どうするってんだい?」
「実力行使さ。俺より強いンなら、言うことを聞いてやっても良いんだねぇ。弱者は強者に従うものだからなぁ、おい」
「へぇ、私とやり合うってのかい?」

そう嗤って言い放つ。
……上等だよ、碧。一刀流を舐めくさってるのか?その舌ぁ切れちまうぜ?

殺気をぶつけてやる。全力全壊だ。あ、これだと魔法少女だな。スターライトブレイカー的に考えて。全力全開だ。

馬騰は、愛紗や星よりも強い。殺気の質が少しばかり高い。研ぎ澄まされた、抜き身の日本刀。そんなイメージが頭に浮かんでくる。剣を使うのは分かっている。星にも言ったが、剣を修めた人間は武芸百般に通じると思っておいた方が良い。
……手加減が出来そうにないな。峰打ちするしか方法がない。ったく、戦の前に怪我させるとかありえねぇのに。だが、愉しいなぁ?碧。



















〜翠 Side〜

平教経とお母様がにらみ合っている。
お母様は、本気だ。その殺気が、あたしの肌を打つ。けど平教経は全く意に介していないみたいだ。しかもコイツから感じる殺気は、お母様以上だ。

平教経は、嗤っている。心底愉しそうに。お母様を前にして、愉しいと思うなんて。
お母様の顔を見る。その額には、汗が滴っている。
……嘘だろ。あのお母様が。まだ一合も合わせてないのに、気圧されるなんてあり得ない。

そのまま二人はにらみ合っていたが、お母様が殺気を納めた。

「……なんだ、碧。止めちまうのかよ?」
「……殺すつもりだっただろう、アンタ」
「……いンや、そんなことはないぜ?腕一本、貰おうと思ってた位だ」
「……私の負けかな。アンタにどう斬りかかっても、膾斬りにされる自分しか想像できなかったよ」

コイツ、お母様に戦わずに勝つなんて。

「じゃぁ、言うことは聞いて貰うぜ?」

あ。そうだ!これであたしは結婚しなくても済むんだ!

「全く。まあ、そういう話だったからねぇ。今は仕方ないか。ただ、アンタに聞きたいんだけどさ」
「あぁ?」
「翠のこと、気に入らなかったのかい?」
「いんや。気が強そうだが別嬪さんだし、先の言動からして貞操観念が強い純朴な可愛い女の子だと思うぜ?ちっとがさつなところがあるんだろうし、そそっかしそうだけどな。頭を使うのも苦手そうだ」
「★■※@▼∀っ!?」
「よく見てるじゃないか。なら、何が嫌だったのさ」
「言ったぜ?馬超の意志を無視するな。俺の意志を無視するな。俺は平家の頭領にしかなり得ない」
「折角据え膳用意してやったんだ、食べるだけ食べればいいじゃないか」
「それは俺にとっての話だろうが。馬超の意志を無視してそういうことにはなりたくないんだよ。力尽くでものにするなんてのは、最低の屑がやることだ。恋愛ってのは、もっと愉しむものなのさ。付かず離れず、切なくなるような気持ちを抱いて相手を眺めているのが一番愉しいと思うぜ?一番幸福で、一番切なくて、ねぇ」
「要するに、翠の為、かい?」
「……それもあるが、俺の為だな。董卓を助ける、と言った時に言っただろうが。俺は俺でありたいんだよ。自分が誇れる人間で、な。俺が誇りに思える俺は、こういう時に相手の気持ちを忖度せずに自分本位でやりたいようにやる人間じゃない。だからやらないのさ」
「結果として、翠の為じゃないか。流石女誑しだ。一流は違うねぇ。あははは」

……私の為……?

「……うるせぇよ」

平教経は照れているみたいだ。さっきと全然雰囲気が違う。結構愛嬌がある顔をしてるな。

「それにな、俺はその手の事に困ってないンだよ。だから手は出さないンだ」
「……あぁ、愛されていたものねぇ。私がアンタをご主人様って呼んだ時これ以上ないほどによく分かったけど……」
「……だろうねぇ。まぁ、その愛の伝達方法が拳だったけどな……ハハハ……」

?何があったのか分からないけど、とにかくコイツは悪い奴じゃないみたいだ。

「けど、翠。ご主人様のことは『ご主人様』って呼ばなきゃ駄目だからな?」
「な、なんでだよ!そんな恥ずかしいこと言えるわけ無いだろ!?」
「涼州はコイツに従うのさ。臣従するんだ。だから、そう呼ぶのさ。それ以外は認めないよ。これは馬家の頭領としての私の命令だ」
「そんな」
「待てよおい、嫌だって言ってンだろうが!特に俺が!」

……コイツ、お母様は良くてあたしが駄目ってどういう事だよ。
そりゃお母様に比べたらあたしはがさつだし頭も良くはないし、体つきだって中途半端だけど、そんな嫌がること無いじゃないか。

「……わかったよ、お母様」
「何が分かったんだい?」
「お、おい、馬超。嫌なンだろ?だから止めといた方が良いと思うぜ?」

うるさい!此処で引いたら涼州魂が廃る!

「アンタは黙っててくれよ、『ご主人様』」
「……はい」
「あたしは、コイツのこと、『ご主人様』って呼ぶ事にする」
「あはははは、もう呼んでるよ、翠。見なよコイツの顔!あははははは!」
「……これ愛紗に知られたらどうなるんだよ俺……あれ以上は無理だぞ、物理的に考えて……」
「とにかく、これから宜しくな、ご主人様」
「……もう好きにしてくれ……」

後日ご主人様と話をした時に、お母様に上手く乗せられたって事に気が付いたのは、また別の話だ。
最初っから、そのつもりだったんだろうな、お母様は。そう言うとご主人様はげんなりとした顔をしていたけど。
まあ、とにかく、別の話なんだ。