〜風 Side〜

馬騰さんを臣従させたお兄さんはまだ策を講じているようで、星ちゃんに曹操さんと逢いに行く際の護衛を命じていました。曹操さんに貸してある貸しを返して貰う。そう言っていたそうです。
……馬騰さんがお兄さんに臣従することを宣言し、真名を交換した際に、お兄さんに不幸があったようですが、それはまた別の話なのです。

そろそろ、反董卓連合というものが結成されるかも知れないのです。
稟ちゃんが冀州全域に放っていた細作の報告に拠れば、檄文の素案を既に作成し、あとは袁紹さんの号令を待つのみとなっているようです。ただ、まだもう少し号令を発することは出来ないでしょうね〜。冀州でお兄さんが糧食を買い占めた。その事は、袁紹さん達の行動を大いに掣肘するのです。糧食も満足に用意していないものに誰が従うというのでしょうか。そういうわけで、まだもう少し、時間があると思うのです。この秋の収穫が終わるまでは、動けない。そう思っています。

「風、頼みがある」

考え事をしていた風に、お兄さんが話しかけてきます。
最近、お兄さんがより輝いて見えるようになりました。空に輝く星々も、お兄さんがいよいよその輝きを増して行くであろうことを示しています。占いが嫌いだと言いきったお兄さんには一言も言えないのですが。

愛紗ちゃんから聞いた、馬騰さんと話をした時に語っていた『平家の頭領』としての在るべき姿。
『見義不為、無勇也』。
論語に書いてあるその一節を口にし、義を見てそれを為すことが平家の頭領としてあるべき自分だ、と言いきったお兄さん。出遭った頃とも、常山で自分の業に思い悩んでいた頃とも違う、しっかりとした覚悟がある上で。その信念を貫く為に多くの人が死ぬ。それが分かった上で猶そう言ったお兄さんを見て、本当に強くなったものだと思うのです。揚羽蝶が羽化した。本当に、その言葉通りだと思うのですよ、星ちゃん。

「なんでしょうか、お兄さん」
「今、糧食は大量にあるんだよな?」
「はい。お兄さんが冀州で買い占めた糧食がありますから。十五万人程度の軍が5ヶ月行軍して漸く消費できるだけの糧食です」
「……そんな大量にあるのか」
「お兄さん、稟ちゃんがその手の事を適当にするわけがないのですよ。徹底的に叩きまくったのです」
「……そいつは災難だねぇ……」

流石に、お兄さんは稟ちゃんの器量がどれ程のものかが分かっているようなのです。
風はどちらかというと政向きですが、稟ちゃんは戦向きの軍師です。それこそ、『戦』と付くものに関して追随するものが居ないと風に思わせるほどの。そんな稟ちゃんが本気になって買い叩く。生半可な結果で済むわけがないのです。それも、大好きなお兄さんが考えた策なのです。あらん限りの知恵を絞って、これでもかとやったに違いないのですよ。

……最近、稟ちゃんはお兄さんのことばかり考えているようですし、本当に憎いあんちくしょうなのです。

「反董卓連合に参加しそうな諸侯について、調べは付いたか?」
「それについても、既に調査済みです。こちらに纏めてあるのですよ、お兄さん」

そう言って書状を出す。
袁紹、袁術、公孫賛、曹操、孫策。
有力な諸侯、軍の中核を担うであろう諸侯だと、この5名なのです。

「じゃぁ、風。今からその糧食を、俺たちが戦うに必要とする分を残して反董卓連合に参加しそうな奴らの領土に隠せ。といっても、別に山の中とか地面掘り返して隠せって訳じゃ無い。懇意にしている商人から倉庫を借りておくなりなんなりして、とにかく馬鹿共に勘づかれない様にしておいてくれればいい」
「……」
「で、反董卓連合を結成して軍を進めて来、俺たちとぶつかって居るであろう正にその時に、その糧食を民達に配ってやるンだ。軍に糧食を徴発されているだろうから、きっと困窮しているだろう。だから当然、ただでな。その上で、こう言ってやるのさ。
『董卓様と平教経様から、戦に苦しみその日の糧食にも事欠いている民達へ、このようなことになる前に命令を受けて、わずかではあるが心ばかりの贈り物をさせて貰いに来たのだ』とな。そして更にこう言わせろ。
『ところが袁紹はその二人を、討伐しようという。この通り、私はしがない一官吏でしかないが、多少は世の中が見える人間だと思っている。私には、本当は袁紹殿が国政を壟断するつもりなのではないのか、いや、もっと言ってしまえば、皇帝陛下を弑し奉るつもりなのではないか?と思えてならぬのだ。余り大きな声では言えぬがな。そうでなければ、このように民を慈しむ心を持つ方々をあの様にあしざまに罵って討伐しようとは思わぬのではないか。』とねぇ。

……さて果て、領民共は何と思うかな?あの糞野郎共め、我々は騙されないぞ!とでも思うのかねぇ……クククッ。
人はな、風。例え与太話だと思っても、此処まで印象の強い話を忘れることは出来ないだろうよ。そんなときにその噂に結びつくような話が耳に入ったとしたら?

それになぁ、人間が人間を殺す事、その事を心から愉しんで戦に参加する奴なんて滅多にいないんだよ。彼らが人を殺すには、大義が必要なのさ。自分たちは間違っていない、相手が間違っている、だから相手は殺すしかない、殺してもしても構わない。そう考えて精神的な安定を保っているのさ。では、その大義を目の前からいきなり取り上げてやったとしたら?
……想像するだけでも愉しいとは思わんかね?」

……えぐいことをするものです。碌でもない事を考える人です。
ですが、有効でしょう。はっきり分かります。自分たちに、自分が大変な最中糧食を分けてくれるような人間を悪い人間である、と断じて動ずることのない人間など居ません。そしてお兄さんの言うとおり、その噂を否定したとしても、その耳に残るのは疑いないのです。そんなとき、袁紹こそ悪虐であるという話を噂として流したらどうなるか。よその領民である自分たちに気を遣ってくれるような人を悪虐な者と共に自ら進んで討伐しようという領主を戴きたいとは思わないでしょう。
その関係が良好であれば、討伐軍からの離脱を願い、その関係が悪化しているならば、暴動、最悪は一斉蜂起することも考えられます。そのような国元の状況が伝わって、果たして継戦出来るでしょうか。
否。断じて否。そのようなことは出来ないのです。継戦すれば、国を失うことに繋がりかねないのですから。

それにしても、良くもまあこんな事を思いついたものです。戦を行い、戦線を膠着させ、その間に国元に流言を飛ばして動揺を誘う。それは、風も考えていましたし、その準備は万端です。ですが、この案であれば一気に厭戦の風潮を蔓延させることが出来ます。国元にいる家族から前線で戦う息子に手紙を送らせて、実態を知らせる。その一手だけで連合軍を千々に打ち破ることが叶うでしょう。軍とは生き物なのです。士気の揚がらない軍は動きの遅い亀のようなもので、こちらの動きに反応が遅れ、打ち破るに容易であるに違いないのですから。

「お兄さん、お兄さんは最初からこれを想定して糧食を買い集めていたのですか?」

もしそうだとすると、お兄さんには軍師など必要ないのです。

「馬鹿だな、風。そんなことあるわけ無いだろうが。あはははは」

……そんなに笑うことも無いと思うのですよ。お兄さん。

「それは穿ちすぎだ。俺はそんな大層な頭をしちゃいないンだよ。大体、反董卓連合なんて最初はないだろうと思ってたンだぜ?知っているだろうに」
「そうだったのです」
「ははは。風、俺を評価してくれるのは嬉しいが、きちんと俺自身を見てくれよ?天の御使いでも何でも無い、ただ一人の男である俺を。他の人間ならいざ知らず、風達にだけは俺自身を見ていて欲しい」

……お兄さんはいつもこうやって女を口説くのです。
本人にはその自覚がないようですが、全く困ったものなのです。

『風にだけは、俺自身を見ていて欲しい』
……わかっているのですよ、お兄さん。風は、お兄さんのこと、いつも見ているのですから。例えその場にいなくても、風の心の中にはいつもお兄さんが居るのですよ。お兄さんの心の中には、風の他にもたくさん女の子が住んで居るみたいですが。






何ですか?一文字抜けている気がする?気のせいなのですよ。


















〜雛里 Side〜

私は、ホウ(广=まだれに龍)統。字は士元。真名を雛里。
友人である朱里ちゃん、諸葛亮、字は孔明、真名を朱里と言いますが、その朱里ちゃんと共に平原の相となっている桃香様にお仕えしています。
あわわ、桃香様とは、姓は劉、名は備、字を玄徳。真名は桃香。前漢の中山靖王劉勝の末裔であり、賊に追われていた朱里ちゃんを助けて下さったお方です。桃香様に命を救われた朱里ちゃんが私を呼び寄せたことで、私も桃香様にお仕えすることになりました。

朱里ちゃんを救ってくれた恩義と、桃香様が抱いている理想を実現させる為にお仕えしているのですが……

「お姉ちゃん、鈴々と一緒に遊びに行くのだ!」

これは、鈴々ちゃん。
姓は張、名は飛、字を翼徳。真名は鈴々。桃香様の義妹で、いつも元気な女の子。

「じゃぁ、町に行って遊ぼっか?」
「……あの、桃香様。政務をやって頂かないと、その、困ります……」
「……あ〜、あはは。……後でやるから、ね、雛里ちゃん。お願い!この通り!
「……必ず、ですか?……」
「うん、絶対!」

本当は駄目なんだけど。

「……じゃあ、必ず後でやってください……」
「有り難う!雛里ちゃん!」

そう言って桃香様は鈴々ちゃんと執務室を走って出て行きます。
今の私達は、冀州牧である袁紹さんの客将、という立場になっており、決して安心できる立場ではありません。いつ袁紹軍に吸収されてもおかしくない。そう思います。
ですが桃香様は余り人を疑わないお人なので、袁紹さんのことを信じています。袁紹さんは、その、頭がちょっと……、な人なので、それ程警戒する必要はないと思いますが、配下の顔良さんは桃香様を都合良く利用しています。その配下である私達も、何かにつけて利用されているのが現状です。并州を受け取りに行く際にも、朱里ちゃんが連れて行かれ、引き継ぎ資料の内容などを精査させられました。

このままでは、桃香様はご自身の理想を実現させることが出来ない。
私と朱里ちゃんは、そう結論付けています。
しかし、桃香様にその事を申し上げても、袁紹さんは分かってくれているので大丈夫だ、と仰ってまともに取り合って頂けません。一度、袁紹さんの真意を伺った際に満足できる回答を得てしまった為です。質問をする前に顔良さんに何かを耳打ちされた桃香様は、『華麗なる袁紹さん』は民の幸せの為を考えて日々過ごしているのか、とお伺いになり、袁紹さんは当たり前だと答えたのです。そういう訳で、桃香様はそれ以降全く袁紹さんを疑わなくなってしまいました。

立派な理想を抱いていらっしゃるのに、それを実現させる為の努力を少々怠っておられる。そう思ってしまいます。

「雛里ちゃん、ちょっと良いかな」
「あ、朱里ちゃん。どうしたの……?」
「これなんだけど」

反董卓連合結成の檄文。
その素案が目の前にあります。

「此処に書いてあること、本当なのかな?」
「……分からないけど、本当のことなら助けてあげないと」
「うん。そうだよね」
「うん……」

これから先どうなるかは、分からない。動乱の時代がやってくる。それは間違いないです。その中で私達がどう生き残っていくのか。それはその時にならないと予測できません。
でも、桃香様の理想を守る為に出来ることをやっていくしかありません。朱里ちゃんも私も、桃香様の理想は尊いものだと思うから。

その為に、必ず袁紹さんの配下から抜け出す。このままでは、理想は死んでしまう。配下から抜け出す為に必要なことは、袁紹さんが自分のことしか考えていないことを桃香様に分かって頂くことです。
……朱里ちゃんと策を考えないと。桃香様の目を醒ます為の、策を。