〜華琳 Side〜

『反董卓連合』。

麗羽も、あざといことをするものね。
自分が并州牧を兼ねる為に、手段を選ばず教経を雍州へ追いやった。その後釜に座ろうとした自分を足蹴にした董卓が許せなかったのでしょう。『董卓は陛下を誑かして国政を壟断し、民を虐げている』などという苦しいお題目を掲げ、董卓を討伐しようというのだから。
……でも、その馬鹿のお祭りには参加させて貰うわ。この私、曹孟徳の名声を更に高める為にね。貴女は精々頑張って洛陽でも手にお入れなさい。国都だから意味がある、そう思っているのでしょうけれどね。貴女は、馬鹿だから。

皇帝でないものが、その臣下を討伐する為に追討の号令を発し、その号令に多くのものが付き従う。臣下が、その膝元で、軍事を専らに行う。最早、漢王朝はその鼎の軽重を問われる所まで来ている。あとは、その鼎を奪い取るだけよ。その事に気が付いていない貴女が、天下に覇を唱えることなど出来ないわ。

……それにしても。
もし麗羽が正式にこの連合を結成すべく檄文を諸侯に発した時、教経はどうするのかしら。
桂花からの報告に拠れば董卓に多大な借りを作ったようだが、無事雍州へ移動し、瞬く間にそれを掌握して見せた。たったの3ヶ月で雍州全域を掌握したその手腕はやはり見事なものね。檄文が廻ってくる頃には、以前と変わらぬ精強な軍を発することが出来るでしょう。

その時、どうするか。
……反董卓連合に参加する。
恐らく、そうするでしょう。あの男は、参加した場合の利としなかった場合の害を、しっかりと理解できるでしょうから。恐らく、味方として逢う最後の機会になるけれど。

……愉しみだわ。
その後のことを想うと、とても愉快な気持ちになる。
あの男を、屈服させる。それは私にとって、とても甘美な想像だ。

想像に耽っていた私に、秋蘭が話しかけてくる。

「華琳様、平より書状が届いております」
「そう。これへ」
「はっ」

教経からの書状。一体私に何の用かしら……まぁ、分かるのだけれど。
きっと貴方は借りを返せと言ってくるのでしょう?
でも、この戦でも殊勲は譲れないの。分かるでしょう?教経。

そう思い、書状を見る。

「なっ」
「どう致しましたか、華琳様」
「いえ、何でも無いわ、秋蘭」

『二人きりで逢いたい。逢って話したいことがある。』

たった、それだけ。
護衛は当然。それは仕方がない。
だが、話をする時に余計な人間には居て欲しくない。
そう言っている。
……それは分かるが。
これでは、まるで逢瀬を望んでいる男からの恋文じゃない。確かにこの書き方なら誰に書状を奪われたとしても、そういう憶測を呼ぶだけで諸侯に警戒心を抱かせるものではないけれど。そこまで考えて書状を出しているのだとしても、もう少し違った書き方があろうというものだわ。

……試されているのでしょうね。この私の器量を。自分を信じて話をする気があるのか。その器量が私にあるのか。そういうことでしょう。私を甘く見ない事ね、教経。私は貴方を屈服させる女なのよ?

「秋蘭。この書状を読んで、それを成す為に準備なさい」
「はぁ」

秋蘭が書状を見て顔色を変える。

「華琳様。これは」
「聞く耳持たないわよ?秋蘭。教経は私を試しているの。彼を信じて話をしに来るか?とね。私は、あの男に負ける訳にはいかないのよ」
「……畏まりました、華琳様」
「お願いね、秋蘭」
「はっ」

護衛は秋蘭率いる三百人程度の部隊にしましょう。
教経もその程度の人数で来ると言っているのだから。





















〜星 Side〜

「主、正気ですか?」
「俺は至って正気だぜ?ついでに言うと元気でもある」

曹操に逢いに行く。二人きりで話をする為に。
そう言って、主は私に護衛を務めるように言いつけた。
何を話しに行くというのだ、あの女と。

「主、一体何を考えているのです」
「反董卓連合に如何にして勝つか、だ」
「その為に必要なことだと?」
「そうだ。どうしても曹操と話をする必要がある。奴さんに貸してある貸しを、返して貰うのさ」

……ふむ。私には全く想像できないが、主はどうやら曹操に何かさせるつもりらしい。

「曹操殿に何をさせるのです、主」
「勝つ為に必要なことを、だねぇ。曹操が俺の申し出を承けない限り、望み薄だからなぁ」
「……望み薄、ですか?」

負ける、というのか。
負ければ、皆無事では済まない。主も、無事では済まないだろう。
……主がいなくなる。それには、耐えられない。耐えられそうにない。

「あぁ。と言っても、多分星が想像している結果とは違うぜ?戦に負けて皆討ち取られるとか、そんなことにはならねぇよ」

私の内心を見抜いたようなことを言う。

「では、どういう事なのです」
「董卓が殺される。それが、俺たちの『敗北』だ。何せ俺たちは、董卓を助けることを目的として軍を発するンだからなぁ。極端な話だが、戦場で連合諸侯を皆殺しにしても、董卓が死んでしまったら俺たちの負けなンだよ」
「では『勝利』とは、董卓殿が生き残ること、ですな」
「あぁ、そうだ。そういう絵図を描いているンだよ、俺ぁ。戦場で何とか勝ったと言える状況なら、連合に参加した諸侯も一定の満足感を得られるだろうしな。名声も、それなりにだが得られるだろう」
「董卓殿を討ち取らんと欲している者どもがその程度で満足するでしょうか」

それは難しいだろう。そう思う。
董卓殿を殺せば、圧倒的な名声が得られるのだ。それを簡単に諦めるとは思えない。

「多分、曹操以外はな。奴さん以外の人間はこの先の戦乱の世を睨んで、何としても此処で董卓を殺しておく必要があるとは思っていないだろう。適当な口実があれば、その命など簡単に諦める程度のモンだろうぜ?
風と稟に今まで色々な諸侯を調べて貰っているが、董卓の命そのものを必要とし、それに執着するのは奴さん只一人だと思う。まだまだご自分の名声に満足していらっしゃらないようだからねぇ。だから、奴さんにはきっぱりと諦めて貰う必要があるのさ。そうなれば、俺が望む形で何とか戦を終わらせることが出来るだろうと思ってるンだ。
その為に、貸しを使う。これっきりだが、恐らく要求をのむだろう」

のまないのではないか?
主の考えは、少し甘いと思う。

「何故、諦める、と、そう言い切れるのです、主。そこが私には分かりませぬ」
「星、奴さんは俺の事を高く評価してくれているようだ。太原にも、そしてこの長安にも随分と奴さんが放った密偵がいるらしいからなぁ。風が言うことだ、先ず間違いないンだろう。常に警戒をしておく必要がある相手。そう思っているらしい。
……だが、その評価は少々高すぎる。今この時点の俺が出来ることは、それ程多岐に渉るものじゃない。勢力がもう少し大きくなった時に、徹底的に現状を洗い出せば済むだけのことだ。今から警戒するほどの脅威的存在じゃない。俺自身はそう思っているが、奴さんはそうは思っていないようだ。この際、その警戒心を利用させて貰う。
俺を警戒しているのなら、この先の戦乱でいつかの貸しを返して貰おうと言われる事の方が嫌なはずだ。何だかんだと言っても、董卓が曹操にとって脅威になることはあり得ない。あれは、董卓は、乱世におけるより治世においてこそその力を十全に発揮できる人間だ。それくらいのことは分かっているだろう。それに比べ、この俺は乱世でこそ力を発揮できる人間だ。自分で言うのも何だがなぁ、物騒なんだよ、その物の考え方がな。
その俺に『借りを返す』事と、『今此処で董卓を殺して更なる名声を得る』事。
その双方を天秤に掛けた時、奴さんは俺に借りを返しておく事を重く感じ、優先するだろう。自分自身の、俺に対する誤った、高すぎる評価に拠ってな。奴さんは乱世の英傑として名を揚げることを少しばかり先に延ばしてしまうことになる。その選択が奴さんにとって大きな痛手となるだろう事に気が付かないままに、なぁ。
だから、上手く行く。
それで俺は董卓を助けてやれる。俺がこうありたいと思う自分で居られるだろうさ。お前さんが好きだと言ってくれる俺でなぁ?」

そう主が嗤う。その笑貌は、自信に溢れている。
……こういう時、いつも思う。この人は、何という人だろうか。

天下にこれ程の武人はない。これ程の知謀の士は、捜せばいるだろうがそうはいないだろう。
だがそれが、唯一人としてこの世にある。今、この私の目の前に。人主としてこれ以上望めないほどの器量を有して。切なくなるほど儚い夢をその胸に抱いて。
その武と智とを、己の願望を只満たす為だけに使うことを良しとせず、自分の信念を貫き通す為に使い切る。『見義不為、無勇也』。信念などではない、と言っていたそうだが、これを信念と言わずして何と言うのか。そしてその信念の、何と好ましいことか。

この人を育て上げた老人達は、この人の内に何を見出し、何をさせようと考えていたのか。主が暮らしていた世界は、戦乱など殆ど存在しない世界だと聞いたことがある。そんな中で、このような男はさぞ生きにくいことだろうと思う。
只の民の一人にしては、気宇が大きすぎる。器量が大きすぎる。主ではないが、自分の分限を弁えない人間は不幸になるのだ。それは、分限を越えた振る舞いをすると不幸になる、ということだけではない。その才能を精一杯に使って、本来そう在るべき自分という存在を実現できないということ。そのこと自体が不幸なのだ。周囲の者も主自身も、いずれその器量に見合った地位を望むことになっただろう。
その道は、果てしなく遠く、また険しいものに違いない。今この乱世にあってさえそれは容易なことではないのだ。平穏な世の中であれば、尚更に難しいことだろう。人から恨まれ、疎まれ、排除しようと思われて、その命を散らすことすら考えられる。
それでも猶、平家一門の老人達はこの人をこう育てたのだ。その一族の頭領として、その地位に相応しい男で在るべく。只ひたすらに、平家の頭領たれ、と。

『平家の頭領』。それがどれ程の重みを持つのか、私には分からない。
ただ、これだけは分かる。

この人は、時代の旗手足るべくして生まれ、育てられ、この世に顕れたのだ。

その男を主君に戴いている事に震えるような思いを抱きながら、主の笑貌を見つめていた。
















〜華琳 Side〜

書状で指定された場所へ行くと、既に教経がそこにいた。
様子からして、待たせてしまったようね。

「待たせたわね、教経」
「いや、それ程は待ってないぜ?」
「あら、それなら謝る必要なんて無かったわね」
「……多少とはいえ待ったンだ。社交辞令的には必要なことだろうが」
「貴方にそれが必要かしら」
「必要なんじゃないかね?」

そう軽口を叩き合う。
相変わらず、元気そうじゃない。

「で?何の用かしら。と言っても、借りを返せ、と言うつもりなのでしょうけど」

それ以外に貴方が私と話したいことなど無いでしょうからね。

「その通りだ。よく分かってるじゃないかね、俺の事を」
「それはそうよ。で、どうやって借りを返せ、と言うの?貴方は」

……さて、なんと言うかしら。

「……反董卓連合。知らないとは言わさねぇぜ?」
「それで?」

殊勲を俺に譲れ、などと情けないことを言わないでしょうね、教経?

「俺は、董卓に付く。その時に、借りを返して貰いたい」

……なんと言ったの?董卓に付く、と言った?
教経、貴方まさか借りを返す為にそうするのかしら。
私の見込み違いだったのかしらね。死ぬと分かっていて猶その道を選ぶほど馬鹿ではないと思っていたのだけれど。己の理想のために、己を曲げることが出来ないなんてね。

「自分が何を言っているか分かっているの?死ぬわよ、貴方」
「何を言っているか分かっているし、死ぬつもりもないんだよ。生憎となぁ」
「ならば、勝てるとでも思っているのかしら?」
「あぁ、思ってるぜ?」
「……甘いわよ。勝てるわけ無いでしょう。貴方がそんなに甘い見通しをしているなんてね」

私がいるのだ。勝たせるわけがないじゃない。
この男は、大局を見誤った。それがこの男の死因になるだろう。

「ハッ、お前さんが今考えている様な意味で『勝てる』と言った訳じゃ無いンだよ」
「じゃあ、どういう意味なの?」
「俺の目的は董卓を生かすことだ。董卓が生き残れば、俺の勝ちだ」
「……それを諸侯が許すと思っているの?貴方」
「別に許して貰わなくても構わんよ。許さざるを得ないようにしてやるさ」

……何か、企んでいる。人の悪い笑顔で、心底面白そうに嗤っている。この男がそうすると言っているのだ。鉅鹿でもそうだったが、この男は出来ないことを出来るとは言わない男だ。策がある。それも、碌でもない類のものが。この顔がそう言っている。

「だが、どうやらお前さんだけは董卓の命そのものを欲しているンだろ?」
「よく分かっているじゃない。その通りよ。董卓の命が欲しいの。この私の名声を更に高める為にね」
「だから、貸しを返して貰おうと思ってな。董卓の命、諦めてくれないかね?それで、貸し借りは無し。そういうことにしようと思ってるンだがね?」

冗談ではない。桂花などはそう言うだろう。
だがこれから先の戦乱を考えると、今此処で借りを返しておく方が間違いなく得策なのだ。

……この男は自分の器量を低く評価しすぎている。
董卓の命など、大した価値もない。治世にあってはいざ知らずこの乱世においては、私の名声を高めることが出来る、ただその一点においてのみ意味を持つだけの、路端に転がっているただの石ころのようなものだ。けれど、教経は違う。この男が私の臣となれば、私は間違いなくこの手で天下を掴むことが出来る。そう思わせるだけの器量を持つこの男には、それこそ国士無双と呼ぶに相応しい価値がある。

自分の器量を把握しきっていないが為に、こんな所で私に対する優位を捨てるなんてね。貴方らしくもない。けれど、その過ちはしっかりと利用させて貰うわ。私の覇道の為にね。

「……いいわ。董卓の命、諦めてあげる。ただ、私の目の前で他の諸侯に殺されるようなことになっても私は助けないわ。それでも、貸し借りは無し。それで良いのかしら?」
「上等だよ、曹操。お前さん以外に、あれを殺させるような真似はさせんさ。それぐらいのことは出来るだけの器量があると自負しているからなぁ。お前さんだけが、俺の手に余りそうだったンだ。だからこその取引なのさ」
「言うものね。まあ、私も貴方だけが私と対等な存在たり得ると思っているけれど」
「……そうではないかも知れないがね」
「意味深なことを言うものね。確かに有力な諸侯や将来有望な者達はいるわ。でも、貴方と比べると全く話にならない。その気宇、その器量、その才能。貴方だけが私と対等な存在なのよ、教経」
「高評価には有り難く喜ばせて貰うことにするさ……董卓の件、頼むぜ?」
「ええ、分かっているわ。一度した約束を一方的に破棄するなど、私の誇りが許さないもの」

これで、話は終わり。
後は、貴方を屈服させるだけよ、教経。

「ところで、さっきから気になっていることがあるんだが、良いかね?」

先程までとがらりと雰囲気を変えて、そう話しかけてくる。

「何?答えられることならば答えてあげるわ」
「お前さん、俺の事を『平』と呼んでいたはずだが?」
「認めてあげたのよ。平家の主としての貴方ではなく、貴方自身をね。だから、『教経』と名を呼ぶことにしたの。別にどう呼んでも構わないのでしょう?」
「……高く評価されたものだねぇ、俺は。まぁ、いいさ。俺は気にしない。今後もそれで構わないさ、曹操」
「『華琳』よ」
「おい、お前それ真名だろうが」
「ええ、そうよ。私は貴方を認めているの。どうせ将来貴方が臣従した時に授けるつもりなのだから、今教えておいても変わりはないわ。そう呼びなさい、教経」
「言ってろ……まぁ、受け取ることにするさ、『華琳』。だが、そう簡単には従わないぜ?俺ぁ」
「ええ、愉しみにしているわ、『教経』。では、次は戦場で逢いましょう?」
「ハッ、逢いたくないもんだねぇ」
「あら、私が逢ってあげるのよ?もう少し嬉しそうにするのが男の甲斐性というものでしょう」
「生憎とそんな甲斐性は知らんねぇ。ま、互いに死力を尽くすとしようか、華琳」

そう言って、護衛の方へ向かって歩みを進める。
きっと貴方を臣従させる。それが私の覇道には必要なことだから。