〜風 Side〜

お兄さんが、昨日に引き続いて董卓さんに訪いを入れました。
ですが、どうやらまだ体調不良だったようで、賈駆さんと話をしてきたようです。
むむむ、宝ャ、助さんも八兵衛もいないのですよ。

帰って来たお兄さんの手には、書物がいくつもありました。

「お兄さん、その書物は一体何なのですか?」
「これか?賈駆がくれたンだよ。雍州の地図と戸籍の台帳らしい。あと、地産についても詳しく記載してあるそうだ。きっと領地経営に役立つだろうから持っていくと良い、と言ってくれたンだ。有り難いことだねぇ。……ちっと借りが大きいのが気になるがね」

……お兄さん、それは本当に有り難いことなのですよ。あり得ない的な意味で。
国が監督した資料を勝手に持ち出せば、最悪死罪になってしまうのです。
そう思って中身を見てみると、国の資料ではあり得ない程の情報が、多岐にわたって詳細に記載されていました。この資料、ひょっとして賈駆さんが個人的に作ってきたものなのではないでしょうか?

これは、貴重な資料なのです。これがあれば短期間で雍州の経営が軌道に乗ると思います。しかし、これで更に董卓さんに借りが出来てしまったのです。この借りを返すのは、並大抵のことでは難しい。そう思います。

「……しかしなぁ。この借り、どうやって返すかね?」

お兄さんは、借りの大きさに悩んでいるようです。確かに、頭の痛い話なのですよ。
ですが、お兄さんの気の病みようは少し異常だと思います。元々お兄さんは、自分にないものを他人に補って貰うことに全く頓着しない人なのです。だからこそ、人主足るに相応しい器量を有している、と思っているのですが。そのお兄さんが、借りを作ったことを悔やんでいるかのような言動を繰り返す。これは、ただ事ではないと思うのです。

「今すぐ返せるような借りではないと思うのですよ、お兄さん。だから、董卓さん達にいずれ返すということだけ忘れないようにすれば良いのですよ」
「……今は、それしかないか」

余り気にしないようにと言った言葉にも、それ程納得しているようでは在りません。
……後で稟ちゃん達に話しておく必要がありますね。

それは兎も角、明日は出立なのです。
稟ちゃんと、この資料を基に事前に打ち合わせをしておかなければならないのです。
……2ヶ月。
最低でもその程度無いと、雍州を把握できないのです。数字で把握するのと実際に見るのとでは全く異なるのです。地図を見て真っ直ぐに進めると思っていても、実際にそこに行ってみると嶮岨な山が屹立していて直進などとんでもない、ということは多々あるのです。賈駆さんに頂いた資料の精度を疑うわけではありませんが、風自身で実感して初めて見えてくるものがあるはずなのですから。
それを怠る者に、政を行う資格はないのです。目の前にある事象や光景を、身のこちら側に引き込んで物を考える。

それが、軍師というものなのですよ。


















〜教経 Side〜

洛陽出立の日。
張遼と賈駆が、態々見送りに来てくれた。

「見送りにまで来て貰って、悪いな」
「何を言うとんねん、経ちゃん。ウチらは戦友やろ?」

そう言って闊達に笑う。
全く、義理堅いね、お前さんは。

「あぁ、そうだな。戦友だ」

そういって、握手を交わす。

「経ちゃん、丁度ええ機会やから、ウチの真名教えたるわ」
「……良いのかよ?神聖なものなんだろ?」
「そやかて、星や稟、風、愛紗とは真名を交換しとるんや。経ちゃんにだけ教えへんのは逆におかしいと思うで?」
「ま、そりゃそうか。そういうことなら、有り難く」
「ウチの真名は、霞や」
「確かに、受け取ったぜ、霞。俺には、真名はない。だから好きに呼んでくれればいい」
「了解や、経ちゃん」

好きに呼んで良いって言っただろうが。

「……ま、んなこったろうとは思ってたけどな」
「あははっ。まぁ、気をつけてな、経ちゃん。旅の無事を祈っとるで」
「有り難うよ。霞、お前さんも、壮健でな」
「経ちゃん、前と同じ事言っとるで?」
「ほっとけ。真名が入ってる分違うだろうが」

そう言って、互いに笑う。
こういうのもいいモンだな。

「賈駆」
「……何よ」

こっちはちょっと不機嫌だな。

「お前さんに貰った資料、必ず役に立ててみせる。有り難うな」
「と、当然じゃない。あれが役に立たないなんて事はないんだから」

……口調はツンツンしてるが、少し嬉しそうだな。
あれか、コイツは……ボクっ娘&眼鏡っ娘&ツンデレなのか?
おいおい、なんだよそのジェットストリームアタックは。しかも仕掛けてくるのがむさいオッサントリオじゃないから間違いなく自分から当たりに行く奴が続出だろうが。俺なんか先頭走ってやられに行くぜ?
若しくは、『こんな所にのこのこ来るから!』とか言いながら分身してヴェスバー的なものでがっつり撃墜してくれて構わんよ?

「……アンタ今なんか変なこと考えてるでしょ」

どうやらニュータイプのようだな。察知しやがった。
バイオセンサーの恩恵か?

「イグザクトリィ」
「?」
「何でもない、忘れてくれ」

つい、いつものノリでな。正直済まんかった。

「……もし何か困ったことがあったら、言ってこい」
「な、何よ。いきなり」
「お前さんには随分世話になったみたいだからなぁ。董卓が皇帝に行った説得の言葉、全部お前さんの頭ン中から出てきたモンだろ?……借りは返すもんだ。借りっぱなしじゃなくてな。助けられる限り、必ずお前さんを助けてやるよ。だから、言ってこい」
「……別に今困っていることなんか無いわよ」

まぁ、今は、な。
だが将来どうなるかなんて分からないだろうが。特に、お前さん方はな。

「別に今すぐ何か助けてやる、とは言っていないだろうが。将来困ったら、言って来いよ?賈駆」
「ふん。……そこまで言うなら助けて貰ってやるわよ」
「ははっ、素直じゃないな?賈駆」
「う、うるさい!アンタに何でそんなこと言われなきゃならないのよ!」

おお、何というツンデレ。

「はいはい」
「適当に流すな!」
「がっつり突っ込んでやろうか?逃げ場がないように」
「……もういいわよ」

ふっ。勝ったな。何に、か分からないけども。

「それよりアンタ、昨日とは随分口調が違うわね」
「そりゃ、あれはよそ行きの服だ。こっちが普段着なモンでねぇ。幻滅でもしたかね?」
「そんなこと無いわよ。こっちの方が自然だと思うわ」

よく見ていらっしゃることで。

「そうかね……じゃぁ、な。賈駆。また逢う日まで、壮健でな」

そう言って右手を出す。
賈駆は、その手をじっと見つめている。
……菌的な何かが見えるのか?もやしもん的に考えて。

「……ちゃんと洗ってるぜ?」
「そんなこと当たり前でしょ!」
「いい突っ込みだ」
「ったく、もう。ほら、これで良いんでしょ?」

そう言いながら、おずおずと俺の右手を握ってくる。
可愛いねぇ。

「あぁ、それで良いんだよ。素直な方が可愛いぜ?賈駆」
「ななな何言ってるのよ!」

顔が真っ赤だ。こういうことに慣れてないんだろうねぇ。
しっかりボクっ娘&眼鏡っ娘&ツンデレを堪能させて貰った。ごちそうさまです。
……あとは、出立するだけだ。

「……じゃぁ、俺たちはそろそろ行くよ。本当に世話になった。董卓殿にも宜しく伝えておいてくれ」
「了解や」
「分かったわ」
「じゃ、な」

そう言って二人に背を向け手を挙げて振る。
ここから、一路長安へ。
出来るだけ早く、雍州を纏めないとな。

















〜稟 Side〜

太原を出立して二月。洛陽を出立して約一月。漸く、長安に到着した。
途中夜盗の集団に出会したが、全く問題にならなかった。
平家軍22,000はそのままの規模で此処まで来ているのだ。調練を繰り返しながら。実戦さながらに野営を行い、移動も陣の組み替えを行いながら。
夜盗如きに不意を突かれることはあり得なかったし、兵個人の力量を見ても最早夜盗など歯牙にも掛けない程逞しくなっている。

長安の城門を前に、教経殿が驚いている。

「おぉ〜、流石は長安だな。城って感じだ」
「それはそうです。ここには約三十万もの人間が暮らしておりますから」
「流石に稟だな。もう把握しているのか」
「教経殿。それは当然です。あれだけ詳細な資料があれば、数字を覚えるのに一月も必要ありません。口数が県別ではなく集落単位に記載してある資料など、そうはありませんからね」

あの資料は、生半可な人間には作れない。あれを作った賈駆殿は一国の宰相を務めることが出来るほどの者だろう。私が、彼女に劣るとは思わないけれど。

「……金子と糧食のことを併せると、本当にでかい借りだねぇ」
「教経殿、風も言っていましたが、借りを作ったことをそこまで気になさっておられるのは何故ですか?」

確かに、大きな借りです。
ですが、だからといって此処まで気にされるのはおかしいと思います。

「……反董卓連合」
「……?」
「俺が知っている歴史の流れでは、悪虐な董卓を討伐する為に諸侯がこぞって集結して討伐軍を結成するンだ。それを、反董卓連合。そう呼んでいるのさ」
「董卓殿が、悪虐、ですか?」

あれほど民衆に慕われて居るではないですか。

「だから俺にも分からんのだよ、稟。あれだけ善政を布いている董卓を討伐する名目など、無いと思うからな。だが、もし俺の知っている歴史通りに反董卓連合が結成されたなら、俺は董卓に味方しなきゃならん。例え天下を敵に回しても、だ」

天下を敵に回す。
それ程の勢力が反董卓連合に参加する、ということでしょう。
ですが、味方しなければ『ならない』、とはどういう事でしょうか。

「……理由を伺っても宜しいでしょうか?」
「俺が窮して居る時に手を差し伸べてくれた人間がいる。その人間が、危機に直面している。命を落とすに違いない危機に。さて、此処で質問だがな、稟。
これを助けない、という結論を俺が出すと思うかね?お前さんは」

……出さないでしょうね、教経殿は。そういうお人ですから。

「……その顔は、どうやら察したみたいだな。だから、憂鬱なのさ。勝ち目を増やす為には、随分と面倒なことをしなきゃならないだろうからねぇ」

勝ち目を、増やす。
その状況でも勝てる可能性があり、その可能性を増す為の策がある。
そう言っているのだ、この人は。

「だがねぇ、出来れば、御免被りたいのさ。俺は昼寝でもしていたい。本音言うと、な?」

そう言って、茶目っ気のある顔で私を見てくる。ちょっと可愛い。

「ふふっ」

教経殿らしい言葉とその表情に、思わず笑ってしまう。

「何が面白いンだよ、稟」
「いいえ、教経殿はどこまで行っても教経殿だな、と。そう思ったのです」

どこまでも、自分のままで。
飽くまでも、自分らしく。

星が言っていた。教経殿は、羽化したばかりの揚羽蝶だ、と。
私が選んだ、私の主君。
私達の、揚羽蝶。

揚羽蝶はその美しさを増しながら、この天下を舞うだろう。
きっと人はその美しさに心奪われるに違いない。

揚羽蝶が見せる、その儚い、ほんのささやかな夢の美しさに。